語句の断章(74)手ぐすね引く

「手ぐすね引く」という慣用句はよく知られている。「十分な用意をして機会が来るのを待ち受ける」という意味も何となくわかるし、時々使うこともある。そのくせに、手ぐすねの「くすね」のことはよく知らない。

弓の使い手が手ぐすね引く様子など実際に見ることはめったにない。そこでAI“Google Gemini”に指示してモノクロのイラストを描いてもらうことにした。何度も指示を変えて出来上がったのが下図である。


弓と矢じりの少し下が交叉するところを左手で摑み、右手でおそらく「くすね」を弦に塗っているらしい。「らしい」とは変だが、そういうシーンを描いてほしいと指示したから、おそらくそうなのだろう。

くすねとは漢字で「薬煉」と書く。松脂まつやにを油で煮てった粘着剤だ。これを手に取って弓の弦に塗って弦を補強するのである。このことを「手ぐすね引く」と言い、十分な準備をして待つという意味になる。

AIのお陰で、時は戦国時代の差し迫る合戦を控えた場面、用意周到な態勢で敵を待ち構える鎧武者を浮かべることができる。「手ぐすね」というものがあるのではなかった。また、「手ぐすね引く」の引くは弓を引く動作のことではなかった。「手でくすねを塗る」ことだった。引くとは塗るの意なのである。

こういう背景を知ってしまうと、「手ぐすね引く」という慣用句を使おうとしても慎重にならざるをえない。実感がないし、別の代替表現でも何とかなるからだ。たとえば「包丁をよく研いで食材を待つ。これなら体験があって実感が湧く。実感とことばがつながっている。

美術鑑賞とスローライフ

市立の施設に無料で入場できる時、大阪市のシニアでよかったと思う。十いくつもある施設のうち、展示が変わるたびに足繫く通っているのが歴史博物館、くらしの今昔館、東洋陶磁美術館。もっとも啓発されたのが東洋陶磁美術館である。陶磁の分野には疎かったが、何度も訪れているうちに常設展示の器は見たら何かがおおよそわかるようになった。

この美術館は寄贈を多く受けていてコレクションは膨大である。お宝がいくらでも蔵から出てくるという趣だ。今回足を運んだ『MOCOコレクションオムニバス』の展示の大半が初見だった(ちなみにMOCOは大阪市立東洋陶磁美術館の英語名称、The Museum of Oriental Ceramics, Osakaの略称)。どれも印象に残ったが、3点をセレクトした。


彩陶さいとう 渦文鉢うずもんはち  素焼きの土器で、食料の貯蔵や調理・飲食に使われたようだ。この種の彩文土器は中国では彩陶と呼ばれる。赤褐色の地に白い化粧土を施して、黒と赤の顔料で渦巻状の模様を描いている。黄河流域で発掘されたもので、何と新石器時代の紀元前4000年~2500年頃のものらしい。

緑釉りょくゆう 豚圏ちょけん  中国古代の墓に副葬品として納められた焼き物。動物は豚で、円形の空間が豚小屋。そして、その横の建屋がかわや。つまり、便所と豚小屋を一体化した陶器である。今となっては不衛生極まりないと非難されるが、古代では人間の排泄物を豚の飼料としたエコシステムだった。

青磁せいじ かく  酒果しゅか茶果さかを盛った器。三国・呉の時代のもので、南朝になると四角形から円形に変化したという。蓋と一緒、あるいは重箱のように重なった状態で出土した。「かく」で入力しても「槅」の字が出てこない。あれこれ調べてようやく「くびき」で出てきた。大きな皿や容器のことやその間仕切りのことをかいと呼んだ。陶磁を鑑賞していると漢字の勉強になることがある。

ふと考えたり思い出したり気づいたり

仕事中や散歩中、ぼんやりしたり腕組みしたりしている時、あるいは図録を繰ったり音楽を聴くともなく聞いている時に、関係のないことをふと考えたり思い出したり気づいたりする。年末から今日までの、そんな諸々を振り返ってメモしてみた。

📝 自宅の電波時計は遅れ気味、オフィスの電波時計は進み気味。

📝 ふと考えた、「明日の、遠くの問題解決よりも、今日の、近くの問題解決」。

📝 二十世紀以外に知っている梨の名前には「水」が付いている:幸水こうすい豊水ほうすい南水なんすい

📝 ライチの味がする、アルザス地方の白ワイン品種「ゲヴュルツトラミネール」。飲んだのはだいぶ前のはずなのにふと思い出した。覚えようとしてもすぐに忘れる名前だが、正確に再現できたのはどういうわけか。Googleフォトで「ワイン」を検索したら、2013年に飲んだ北イタリアのワインの写真が割と簡単に見つかった。

📝 マイナスイオン効果の信憑性や科学的根拠について、その後どんなことが議論されているのだろうか?

📝 ふと気づいた、昨年末にオープンした店の、店名の下の“Since 2025”。ずっと先になってから入れるほうがいい。

📝 「徒弟とてい」を「従弟いとこ」と読んだあの時。「相模さがみ」をあやうく「相撲すもう」と読みそうになったこともある。

📝 年賀状じまいをしたが、年賀状は相変わらず数十通届く。そうそう、昨年の1通に「早々の賀状ありがとうございました」というのがあった。ぼくは出してないって。

📝    「読書はインプットではなく、アウトプットです。本に書かれていることを理解するには自分の知識が必要。その知識を参照する行為はアウトプットなのです」と講演で話したことを思い出した。読書が単純なインプット行為なら、読書で苦しむことはないはず。

読書中に意識が漢字に向く

何が書いてあるか、その中身を理解しようとして本を読む。そういうふうに読み進めていくものの、ある時点で意識が漢字のほうに向き始める。中身そっちのけで、漢字の読みや意味や書けるかどうかを気にしている。漢文の本を読まされているような感じだ。そんな本は例外なのだが、たまに出くわす。


『悪の引用句辞典』(鹿島茂)がそんな本だった。最初は2013年に読んでメモも取っていた。本の内容の引用よりも漢字の抜き書きのほうが圧倒的に多い。

ほとんどの熟語の意味がわかるか類推できる。そして読めるが、いざとなると書けそうにない。別に書けなくても困らないが、何度も出合った漢字なのにこの歳になってまだ手書きできないのは少々悔しい。

軋轢 「あつれき」と読めるし意味もわかっているが、よく見たら「轢」のつくりが思っているのとは違っていた。

髣髴 前後関係から「ほうふつ」と思ったが、よく知っている「彷彿」ではない。実は、同じ読みで同じ意味。それなら彷彿でいいのではないか。

揶揄 「やゆ」と読めるし漢字も意味も知っているが、いつも「揄」の前に一呼吸して思い出さねばならない。

改竄 新聞では「改ざん」と書かれるので、いつまでたっても「竄」が覚えられない。つまり漢字の「ねずみ」が書けないということだ。

桎梏 以前覚えたので「しっこく」と読めるが、使うことがないので「手かせ足かせ」という意味がおぼろげになっている。しかも「梏」のつくりが「告」ではない。

旱魃 「かんばつ」と読めるし話しことばでは使うが、書くことはない。ゆえに「見てわかるが、書くのに苦労する」典型。

以下足早に。

拳々服膺 「けんけんふくよう」。心に銘記して忘れないこと。覚えようとは思わない。
宿痾 「しゅくあ」。長患いの病気や持病。使えたとしてもほとんどの人に通じない。
難詰 「なんきつ」。非難のこと。覚えやすいが、はたしてこの熟語に出番はあるか。
放擲 「ほうてき」。捨てること。擲が読めない、書けない。
贅沢 「ぜいたく」。頻出語なので読める人は多いが、贅の字の左上がややこしい。
一瀉千里 「いっしゃせんり」。物事が一気に進むこと。瀉は下痢の薬で見た記憶がある。
顰蹙 「ひんしゅく」。難解な字なのに認識はできる。しかし覚える気が起こらない。


これほどいちいち漢字に引っ掛かった本は珍しい。とは言え、本書はおもしろかったので、その後も何度か読み返した。そうしているうちに、副反応を起こした漢字にもなじんで違和感もだいぶましになった。

雑学博覧会というコンテンツ

来春にオフィスを移転するので、年末はじっくり時間をかけて断捨離準備。まずは講座用に執筆編集したテキストの処分。3段キャビネットにびっしり埋まるほどの量だ。ざっと一読して適当に懐かしんでからシュレッダーにかける。

20年前の研修コンテンツを繰っていたら、私塾の第5講、『特番「雑学博覧会」』のテキストを見つけた。サブノート体裁で30の雑学エピソードを紹介している。そのうちの10をここに転載するので▢の空欄文字を類推いただきたい(㊟ほとんどの出典は今から少なくとも25年以上前のもの)。


1 古代エジプト人にとって、オナラは▢だった。(漢字1文字)

2 統計上、飛行機墜落による死亡者数よりも□□に蹴られて死ぬ人のほうがはるかに多い。(カタカナ2文字)

3 紀元315年、ローマには144の▢▢▢▢▢があった。(漢字2文字+カタカナ3文字)

4 ▢を表わす語は世界のほとんどの言語でМで始まる。(漢字1文字)

5 世界で最も多いファーストネームは▢▢▢▢▢である。(カタカナ5文字)

6 ビールのつまみは今では枝豆が定番。しかし、日本初のビアホールでビールのつまみに出されていたのはなまの▢▢だった。(漢字2文字)

7 世界初の▢▢を購入した人は、当面の間、それを使うことができなかった。(漢字2文字)

8 ロンドンに本社を置く通信社ロイターは、もともとは1849年に設立された▢▢▢の通信社であった。(漢字3文字)

9 地球上のすべての▢▢を天秤の片方Aに載せ、もう片方のBにそれ以外のすべての生き物を載せて目方をはかると、Aのほうが重い。(漢字2文字)

10 ▢▢▢がいなければ、世界文学は存在しなかった。(漢字3文字)

雑談「おもしろい、愉快、幸せ」

何をしている時が楽しいか、おもしろいって何か、おもしろい・愉快に理由はあるか……来客とのそんなこんなの雑談の一コマ。


あることに心を惹かれる。そんな時間が続き、そのことをおもしろがり、楽しいと感じている。おもしろければ楽しい。逆に、満たされず不愉快に感じるならおもしろくない。おもしろくなければ楽しくない。表現の堂々巡りに陥りそうだ。

にもかかわらず、そんな――どうでもよさそうな――お喋りを延々と続けられるのはおもしろいからだ。では、おもしろいを愉快に変えたらどんなニュアンスの違いが出るのか。ここで『新明解国語辞典』で『愉快」を引いてみた。

そのものの持つおおらかさ・おもしろさ・楽しさが、日常たまったストレス、わだかまりや憂うつなどを一時忘れさせ、しばらくの間伸びやかで満ち足りた気分にさせる様子……

ことばの定義をするのが辞書の仕事だが、あることばを別のことばで説明するには限界がある。結局、愉快とは不愉快を忘れるご機嫌な状態ということか。ずっと楽しいと言うよりも、一時的に楽しむのが愉快の本質かもしれない。

4色ボールペンをもらったことがある。自分では2色ボールペンでさえ買ったことがないが、せっかくなので4色ボールペンを何日間か使ってみた。使いこなそうとは微塵も思わなかった。色分けして文字を書いたり線を引いたりする必要性を感じない。使っていて楽しくない。幸せを感じない。こんなボールペンを便利だと思う人の気が知れない。

どんな些事であれ、小さな学び事であれ、何かを知ることに夢中になる。それは理屈ではなく、おもしろいからだ。おもしろいから散歩する、おもしろそうだから珍味佳肴を食べてみる、おもしろいから本を読み、おもしろいから旅に出る。かつてはおもしろかったけれどおもしろくなくなってきたら、もう夢中にはならない。

「人生の究極は幸福だ」とアリストテレスが言った。日々を楽しみ、愉快に過ごせれば幸せなのである。何事であれ、おもしろがっていれば多幸感に包まれる。使命感も事を続けていく力にはなるが、負担を感じるようなら幸福には到らない。

幸福と同様に、おもしろいとか愉快とかは、それ以上分解もできず理由も説明も必要とせず、生活の素地になっているような気がする。

抜き書き録〈テーマ:本の話〉

📖 『書物の喜劇』(ラート=ヴェーグ・イシュトヴァーン)

本が読者の前にお目見えするにあたっては、上流階級のご婦人方が舞踏会に出かけるときのようにお化粧というものが必要である。身繕いは前書きに始まるが、これは、執筆の動機を読者に知らしめんとする著者の洗顔に他ならない。装丁は衣装(……) そして挿絵はアクセサリーである。とうてい手の届かぬ一流品から安っぽいまがい物まで、玉と石とが混淆している。

前書きから始まる身繕みづくろいが「洗顔」とは……ちょっとピンと来ないが、前書きにはお出掛け時の化粧や衣装や気取りを感じることがある。本文がとっつきやすい文章なのに、前書きだけが肩肘張っている本もある。出版のことをよく知るようになって、本一冊を演出することの手間暇を痛感する。執筆し発行する人たちは大真面目なのだが、作るプロセスで数々の喜劇を演じざるをえないシーンが浮かぶ。

📖 『書物の敵』(ウイリアム・ブレイズ)

働き者の虫がいて、
極上の本も駄目にする。
隅から隅まで穴だらけ。
どんなページも喰いすすみ、
本の価値などお構いなし。
(J・ドラストンからの一節)

働き者の虫とは「紙魚しみ」のこと。本の中や近くではなく、枕元で2度、トイレで1度目撃したことがある。銀色で動きは素早い。ティッシュを覆いかぶせて摑もうとしてもスルリと逃げる。この本では書物の敵として他に火、水、ガス・熱気、埃、無知……が挙がっている。水に濡らしてしまったことはあるが、これまでのところ本が紙魚にやられた経験はない。

📖 『読書の首都パリ』(宮下志朗)

パリのセーヌ右岸には、今でもかなりアーケード商店街が残っている。フランス語ではパサージュと呼ばれる(……) 全盛期のパサージュには、どこでも必ずといっていいほど「読書クラブ」が店を構えていた(……) 読書クラブ(キャビネ・ド・レクチュール)などと気取っているが、要するにていのいい貸本屋(ルウール・ド・リーヴル)のことだ。

貸本屋どころか、ちょっとした図書館のような、数万冊の蔵書を誇る読書クラブもあったようだ。贅を尽くしたサロンや講堂も備えていたクラブなどは社交場だったに違いない。この規模には到底及ばないが、わが読書室“Spin_off”にも数千冊の蔵書があるが、残念ながら、来年4月末に閉じることになった。蔵書と読書の場を維持する苦労を痛感する。

値上げや物価のこと

良心的にも程がある食事処のY屋。通常900円の定食が「本日の日替わり」として出されると50円引きの850円になる。しかも、午前1145分までに入店するとさらに値引きされて800円になる。たとえばカツ玉定食なら、甘辛い出汁で大きなヘレカツを3枚煮て卵でとじたメインに、副菜の小鉢が2つと大きな椀の具だくさん味噌汁が出てくる。

このが「年明けから価格を改定させていただきます」と書いて壁に貼り出した。Y屋よ、お前もか! などと叫びはしないが、やむをえないと同情する。もっと格下の定食屋がとうに1,000円超えしているのだから。なお、日替わり定食がいくらに値上がるのか書いていない。Y屋のことだから、値上げしてもせいぜい100円ではないかと勝手に予測している。

ちなみに、わがオフィス街には数千人の公務員がいるし、周辺には企業も多いので、飲食店がランチタイム時に激しく競合している。Y屋はずば抜けて価格競争力に優れた勝ち組だ。最近では、インド・ネパールのカレーセット1,400円、刺身定食1,500円、イタリアンランチ2,000円超の店も目立つ。ランチ接待専門の5,000円クラスの強気な店も34店ある。

物価の上昇に歯止めがかからない。2025年の今年の漢字では1位の座を「熊」に譲ったが、2位に「こめ」(アメリカの意も含む)が、3位に「高」(高市の意も含む)が、それぞれつけた。米と高を併せれば誰が見ても値上げや物価高を連想する。コーヒーがこの半世紀で100円から500円になったという話ではない。ここ数年での上昇ぶりに驚くのである。

物価指数を通じて認識する価格変動は、人それぞれ。食料品、衣料品、家電、家賃、通信費、教育費など、消費者の家庭事情や関心事によって注目対象が変わる。ぼくなどは、同じ食料品でも、市場の食材には疎く、レストランの料理には敏感だ。他府県へ出掛ける時には交通費が気になる。打ち合わせに来る他府県の方々の負担を申し訳なく思う。

昨日、デパートのパン屋で、“SALE”の文字に釣られて食パン1斤と菓子パン4個の詰め合わせ1,100円で買った。買った時はお得感を覚えたが、帰宅してクリームパンを齧りながら「はたしてそうなのか」といぶかしくおもった。米の場合、1,000円あれば茶碗1015杯のご飯が食べられる。米だけではない、パンも異様に高くなっているのだ。

今朝のテレビで、主婦が「米が高いのでパンを食べるようにしている」と言っていたが、必ずしも正しい見解ではない。

スマホゲーム中に現れる広告

スマホで興じる唯一のゲームがAIと対戦する将棋だ。相手が人間のリアル将棋よりはかなり強敵。人間の場合は二、三段相手にいい勝負ができるが、AIなら一、二級と互角。

先日、例外的に別のゲームに挑戦した。それが「花札こいこい」の無料ゲーム。7段階のうち6段階までなら勝率7割~9割を達成。しかしレベル7だけは勝率5割を切る。最強のAIはこっちが隠しているはずの札と山札が分かっているに違いない。ゲームの途中で随時広告が現れる。ゲームそっちのけでじっくり見てみた。ビッグデータはわが検索履歴とプロフィール予測からどんな広告を選んだのか……。

🔍 スマホ代が安くなる格安SIM(SIMを検索したことはないが、Y!mobileのスマホ代なら調べたことがある)。
🔍 ネットから申し込める保険サービス(→大手保険会社。火災保険をネットで何度か検索したことはある)。
🔍 「口座をお持ちなら……」という呼びかけの大手銀行の口座アプリ開設案内(→その銀行の口座は確かに持っている。アプリを入れる予定はない)。
🔍 大手薬品会社の腸活系健康商品(→この薬品会社の他の商品は買ったことがある)。
🔍 睡眠美容がテーマの保湿クリーム(→冬場になると手に保湿クリームを塗るが、ネットで調べた記憶はない)。
🔍 ふるさと納税「スマホで簡単! 御礼の品選び」(→ふるさと納税に興味はない。元横綱貴乃花のコマーシャルなら知っている)。
🔍 航空会社「JL」の支払アプリ(→「全○空
」の会員だったが、「JL」にはあまり乗らない)。
🔍 「Choo ZP」の入会案内(→2,980円/月と3,278円/月の二通りの料金表示に違和感。検索した履歴はないが、知人のS山氏が会員のようだ)。
🔍 プライムビデオ『私の夫と結婚して』(→プライムビデオの会員だが、映画はほとんど利用していない。宣伝文句「人生2回目。泥沼な運命を彼らに――あの衝撃の物語を今すぐチェック」。なかなかのつかみだ)。

ちなみに、まったく検索したことがない系統の広告が下記の通り。

❓ スロットマシーン(→バーチャルなパチンコ店という想定ではなく、「カジノ」と呼んでいる)。
❓ 出前/フードデリバリー(→使ったことはない。最大4,000円分のクーポンと送料無料というインセンティブで、ハンバーガーや牛丼を注文させようとする)。
❓ ウェディングのウェブサイト(→QRコードの結婚招待状が届くらしい)。
❓ 私立大学のミニオープンキャンパス(→大学の講師をしたことはあるが、この歳で大学で学ぼうとは思わない)。
❓ Vtuberとお喋りできるコミュニケーションアプリ(→そもそもVtuberYouTuberの違いがわからない)。
❓ シミュレーションゲーム(→戦争のサバイバルゲームらしい。おもしろそうだが、目にはやさしくなさそう)。
❓ 出会い系マッチングアプリ(→これが事件やトラブルを招いている噂のアプリ? どの広告もあどけなく清楚に作られている)。

ゲームに興じるどころか広告をチェックした約半時間。現代社会に鋭くメスを入れるほどではなかったが、最近縁遠くなった世相を垣間見れたような気がしている。

最後の晩餐のこと

ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内の修道院食堂に描かれた壁画。それがレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』である。大がかりな修復が完了したのが1999年。その7年後の2006年秋、「パリ→ミラノ→ヴェネツィア」の旅程を組んで出掛けた。飛行機の旅券とホテルの予約以外は行き当たりばったりの合計12泊の旅。

パリでは競馬の最高峰とされる凱旋門賞を観戦した。目的ではなかったが日本馬ディープインパクトが出走するので「これも何かの縁」とばかりにロンシャン競馬場に出掛けた。パリ滞在中は知人と会ったり美術館に行ったりとすぐに予定は詰まった。

他方、ミラノでの行動は、西北西へ列車で45分ほどのベルガモの訪問以外は計画無し。朝起きて街中を散歩したり地下鉄や路面電車で移動したり、行き当たりばったり。ミラノの3日目、もしかして要予約の『最後の晩餐』の鑑賞にキャンセルが出ているかもしれないと厚かましくも教会を目指した。もちろん予約無しで入館できるはずがなかった。来たついでなので、近くの「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」へ行く。人が少ない。絵画の展示はないが、それ以外のダ・ヴィンチのマルチタレントぶりの展示を堪能した。


『最後の晩餐』にはキリストと弟子である十二使徒との共食シーンが描かれている。イタリア語では“L’Ultima Cena”(ルルティマ・チェーナ)という。日本語の晩餐にはフォーマルな響きがあるが、イタリア語のcenaチェーナは普段の夕食にも使うので重厚さや高尚感はない。

ずいぶん前になるが、「私の最後の晩餐」というようなテレビの企画番組が何度か放送された。よく食べてきた好物を最後の晩餐に選ぶ人と、食べたくても高級だったり手に入りにくかったりして逃してきた料理を選ぶ人がいる。人生で一番おいしいと思ったものを最後の食事に指名するとはかぎらず、おにぎりやお茶漬けだったりするかもしれない。

壁画の写真を見ても最後の晩餐の料理がよくわからない。修復後に専門家が鑑定したところ、食卓には魚料理、オレンジ(またはレモン)、赤ワイン、パンが確認された。魚は鰻のグリルという説もある。ちなみにキリスト教の「過越祭すぎこしのまつり」の定番メニュー、仔羊のローストは描かれていない。

鑑賞機会を失ったから愚痴を言うのではないが、最後の晩餐にはどうもなじめない。最後にも晩餐にも引っ掛かる。と言うわけで、次のようなことをつぶやいている。

本当に最後になるかどうかもわからないのに、最後と言うのはおかしいではないか。社交界や高級ホテルのフルコースとは縁遠く、夕飯を晩餐と呼ぶのに抵抗がある。晩餐を晩ご飯に言い換えるべきだ。みんな、晩餐と言うのは今夜でやめよう。そう、これが『最後の晩餐』。明日からは自宅のご飯もあの名画も『晩ご飯』と呼ぼう」