何をしている時が楽しいか、おもしろいって何か、おもしろい・愉快に理由はあるか……来客とのそんなこんなの雑談の一コマ。
あることに心を惹かれる。そんな時間が続き、そのことをおもしろがり、楽しいと感じている。おもしろければ楽しい。逆に、満たされず不愉快に感じるならおもしろくない。おもしろくなければ楽しくない。表現の堂々巡りに陥りそうだ。
にもかかわらず、そんな――どうでもよさそうな――お喋りを延々と続けられるのはおもしろいからだ。では、おもしろいを愉快に変えたらどんなニュアンスの違いが出るのか。ここで『新明解国語辞典』で『愉快」を引いてみた。
そのものの持つおおらかさ・おもしろさ・楽しさが、日常たまったストレス、わだかまりや憂うつなどを一時忘れさせ、しばらくの間伸びやかで満ち足りた気分にさせる様子……
ことばの定義をするのが辞書の仕事だが、あることばを別のことばで説明するには限界がある。結局、愉快とは不愉快を忘れるご機嫌な状態ということか。ずっと楽しいと言うよりも、一時的に楽しむのが愉快の本質かもしれない。
4色ボールペンをもらったことがある。自分では2色ボールペンでさえ買ったことがないが、せっかくなので4色ボールペンを何日間か使ってみた。使いこなそうとは微塵も思わなかった。色分けして文字を書いたり線を引いたりする必要性を感じない。使っていて楽しくない。幸せを感じない。こんなボールペンを便利だと思う人の気が知れない。
どんな些事であれ、小さな学び事であれ、何かを知ることに夢中になる。それは理屈ではなく、おもしろいからだ。おもしろいから散歩する、おもしろそうだから珍味佳肴を食べてみる、おもしろいから本を読み、おもしろいから旅に出る。かつてはおもしろかったけれどおもしろくなくなってきたら、もう夢中にはならない。
「人生の究極は幸福だ」とアリストテレスが言った。日々を楽しみ、愉快に過ごせれば幸せなのである。何事であれ、おもしろがっていれば多幸感に包まれる。使命感も事を続けていく力にはなるが、負担を感じるようなら幸福には到らない。
幸福と同様に、おもしろいとか愉快とかは、それ以上分解もできず理由も説明も必要とせず、生活の素地になっているような気がする。


















