2008年9月アーカイブ

解決策を講じるのがプロの仕事

2008年9月30日 14:00

 すべての職業のすべての仕事に当てはまる話でもないし、少々極論めくかもしれない。来週の金曜日に「仕事の手法」について私塾で講義する。テキストのプロローグで次のような一節を書いておいた。

 仕事の振りをする、仕事をした気になる―これほど生産性の悪い態度・空気はない。「原因を分析」してほっと一安心しているから、官僚の仕事はいつまでたってもよくならないのだ。仕事の真価は「解決策を講じること」にある。

 かねてから、仕事における本分は、調査よりも解決に、情報よりも提案に、ひいては分析よりも創造にあると考えてきた。もちろん、よく調査をしなければ解決策が出せないことも、情報収集なくして新しい提案ができないことも、分析力に基づかなければ創造もままならぬことはわかっている。わかったうえで敢えて指摘しておきたい。調査、情報収集、分析だけで仕事が終わった気になっている人々がいかに多いことか。

☆ ☆ ☆

 ずいぶん前にある調査結果が新聞で発表された。「設立10年未満の会社に倒産が多い」という大手銀行の発表である。時間と費用をかけて調べたものだが、「わざわざ調査したのか?」と記事をにらむ自分の目を疑った。

 世の中にはこんなことすら調べないとわからない連中がいるのである。昨今企業寿命が縮まっているだの、かつての7年が今では1年というドッグイヤー説だのがはびこっているのは知っている。それでもなお、創業して10年未満の企業と10年以上存続した企業を比較してみれば、後者に安定感があるのは当たり前だろう。ぼくのオフィス近辺の居酒屋やレストランの新陳代謝は驚くべきものだが、店じまい組は開店3年以内に集中し、何とかかんとか10年以上続いている店は潰れずに頑張っている。

 「設立10年未満の会社に倒産が多い」というありきたりの結論に異論はない。わざわざ調査という、ほぼ無意味な仕事をしたことに呆れ果てているのだ。いや、譲歩して調査したこともオーケーとしよう。だから、どうすればいいのだ? 何でもいいからヒントの一つでも示唆したらどうなんだ? と「言いっ放し」を咎めたくもなる。創業してから10年以内に会社を潰さない解決策を示してこそ、仕事が完結するのではないか。

☆ ☆ ☆

 「競合他社はこういう取り組みをしている」「中間管理職に問題がある」「この街の景観はイマイチだ」「新たな市場にアプローチしてみよう」・・・・・・このあたりから出発するのを否定はしない。仕事の前段階に調査や情報収集や分析を置くのは常套手段である。だが、ここまでが主たる仕事と化し、解決策を講じる仕事が付け足しになってしまっている。

 診断上手の処方下手という医者は困る。設計上手の建築下手も勘弁願いたい。線路抜群で車輌お粗末という鉄道も遠慮する。仕事の真価は、最終顧客の満足、すなわち顧客が自ら解決できないことを見事に解決してあげることにある。それでこそプロの仕事だ。 

週刊イタリア紀行No.11 「フィレンツェ(5) 夜のそぞろ歩き」

2008年9月28日 10:30

 日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「誰(た)そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の"twilight"(トワイライト)という語感もいい。

 イタリア語の黄昏は"crepuscolo"(クレプースコロ)で、偶然にも「暮れ伏す頃」みたいに響く。この時間帯にホテルを出て、そぞろ歩きを楽しむ。当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たりしている。そぞろ歩きは"passeggiata"(パッセジャータ)。まったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

 フィレンツェは皮製品や銀細工にいいものが多く、黄昏時は地元の人々や観光客の品定めで賑わう。ミラノやローマの規模のブランド街は形成されていないが、フェラガモ発祥の地でもあり、他にも名立たるブランド店が随所に店を構える。ぼくの物欲はまったく旺盛ではない。だから、ショーケースを覗く程度で有名店の前を通り過ぎる。

 これは国内にいても同じだ。ただ、物欲に歯止めがかからない例外が二つある。一つは、読みもしない本をせっせと買う癖。目を通しただけでおしまいという本が蔵書の半数を占める。二つ目は、酒飲みでもなく、せいぜい週に一日か二日ほどビールかワインをたしなむ程度だが、おいしそうなワインをひらめきだけで買う癖がある。自宅にワインクーラーもないくせに、常時30本以上のワインが所狭しと立ったり寝たりしている。残念ながら、ワインは荷物がかさばるので旅行先ではめったに買わない。

 ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が成り立っているのがフィレンツェだ。ここは至宝が溢れるアートの街である。ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』など美術の教科書に出てきた作品は押さえるものの、欲張ってはいけない。どの美術作品をどこの美術館で見るかを考え出すとノイローゼになること間違いなしだ。建造物やあちこちにむき出しのまま立っている彫刻、石畳、昔ながらの工房などを見ているだけでも十分にアートな心地になってくる。

☆ ☆ ☆

 Toscana1 335.jpgのサムネール画像 Toscana1 198.jpg

黄昏のシニョリーア広場。〔左〕画面左のアーケードはランツィのロッジャ(開廊)。彫刻が無造作に展示されている一種の野外ミュージアム。 〔右〕左の写真の右端の位置から収めた写真。正面の建物の3階の窓に灯りが見えるが、そこが宿泊したホテルのラウンジだ。

Toscana1 347.jpgToscana1 262.jpg

Toscana1 340.jpgのサムネール画像 〔左〕シニョリーア広場の噴水、颯爽としたネプチューン像。 〔中央〕夜のジョットの鐘楼。時刻は午後7時頃でも空は明るい。 〔右〕日が暮れてからもヴェッキオ橋は賑わう。

 

Toscana2 140.jpg

Toscana2 143.jpg ストリートアーティストが描く「地面画」。正午から場所を借りて名画の模写。深夜12時、はかなくも消されてしまう。画材購入の足しにと少しばかり寄付。〔左〕夕食前に通りがかり食後に戻ってくるとほぼ完成。美術学校に留学する日本人女性だ。〔右〕この女学生は韓国からの留学生。チョーク状のパステルだが、繊細なタッチまでよく描けている。

Toscana1 267.jpg P1020444.JPG〔左〕レプブリカ広場のストリートミュージシャン。〔右〕唯一の買物は小銭入れ。使い古した茶色は4年半愛用している。紺色の新品が次の出番を待つ。 

前提から結論を導く

2008年9月27日 17:00

 『論理的思考(ロジカルシンキング)』と『ロジカルコミュニケーション』という二つの研修はぼくの定番リストに入っている。いずれも研修冒頭で気を遣う。論理は重要なヒューマンスキルであるが、万能薬と理解されては困る。ぼくには『発想(ひらめき)』をテーマにした別の研修もあり、論理的思考と創造的思考のあいだに相反するものが漂っていることもわかっている。

 日頃安易に「筋が通っている」という意味で使っているが、「論理的」ということばはなかなかの難物だ。論理はもともと学問用語で、「ある前提から蓋然性十分な結論を導くときの考え方の筋道」である(論理学入門の本を手にして齧ろうとしても、こんな文章に出合って愕然、読むのを放棄する)。前提と結論、それに蓋然性をわかりやすく説明してみよう。

コンクリートの床がある。きみは右手に生卵を持っている。

この二つの文章に「論理的」というラベルを貼ることはできない。証明さえできれば、それぞれの文章は「事実」なり「証拠」と呼ぶことができる。論理とは無関係という意味で、「無論理的」と呼んでもいい(ややこしいが、無論理的と非論理的は違う)。

きみが右手に持っている生卵をコンクリートの床に落とせば(前提)、割れるだろう(結論)。

日常感覚ではこれで一応筋が通っていて、「論理的」と言える。前提と結論のあいだに筋道があり、納得できる。「だろう」というのが蓋然性で、「実際におこりうる確率」を表している。「十中八九割れる」でもいいし、自信があれば「間違いなく割れる」と結論づけてもいい。蓋然性とは、前提から結論が導かれる確かさの度合いである。

上記の文章、正確に言えば、言及不足だ。前提が不十分なのである。日本社会のように、「人はみな同じ」と考える同質性が高い風土では、わざわざ「生卵は壊れやすい」と「コンクリートの床は硬い」という説明をしない傾向がある。しかし、論理が生まれた背景には「人はみな違う」という異質性があるので、誰にでも明快にわかるよう「ことごとく」説明しようと試みる。「わかってる。もういい、みなまで言うな」という発想は、論理思考にとっては致命的な欠点になる。

生卵は壊れやすい(前提1)。コンクリートの床は硬い(前提2)。ゆえに、きみが右手に持っている生卵を落とせば、割れるだろう(結論)。

面倒臭いが、このように推論してはじめて結論の蓋然性が十分に定まってくるのである。

類例を紹介しておこう。ある論理学の本に「よく吠える犬は弱虫だ(前提1)。うちのポチはよく吠える(前提2)。ゆえにうちのポチは弱虫だ(結論)」という文があった。演繹推理と呼ばれ、三段論法で論証されている。しかし、これでは不十分なのである。なぜか? 前提2で「ポチ」を勝手に「犬」と決めているからである。もし亭主がポチという名前なら、この文は論理的に成立しない。

余談になるが、ことばの省略と論理・非論理は密接な関係にある。「あの店は旨い」と誰かが言うと、「店は食べられないぞ」と誰かがツッコミを入れる。実は、このツッコミはお笑いの専売特許ではなく、非論理をとがめる検証の役割を果たしている。「あの店は(調理して客に出している料理が)旨い)」で納得。この例からもわかるように、文章表現というものはおおむね、説明を抜くと創造的になり、説明をはさんでやると論理的になる。

趣味や特技の棲み分け

2008年9月26日 10:00

 毎日新聞朝刊の週に一回の書評欄に『好きなもの』というコラムがあり、著名人が好きなものを三つ紹介する。「何、これ?」というのもあるが、意表をつくのもあって感心する。

 食べ物にかぎった好物ならいざ知らず、生活・人生全般における「好きなもの上位三つ」を選ぶのは至難の業だ。いつぞやどなたかが挙げていた「パリのカフェのテラスに座って、行きかうパリジェンヌを眺めること」なんて書けるのはうらやましい。好きなものが「にもかかわらずという言葉」という発想もおもしろかった。ぼくには書けない。というか、三つに絞ろうとすれば相当に人目を気にしなければならないだろう。

☆ ☆ ☆

 しばらくぶりに京都に行ってきた。何かをしようと思ったのではなく、京都に行こうと思った。行こうと決めた直後に京都市立美術館で『芸術都市パリの100年展』が開かれているのを知る。本ブログで7月末に紹介したが、ぼくはこの美術展をすでに広島で鑑賞している。二ヵ月も経たないうちにもう一度見る? まあ、ふつうは見ない。ぼくはふつうではないので、もう一度見ることにした。

 おもしろいものである。前回印象に残っていない作品が今回は目につき、前回ちょっぴり感傷的になった作品にもはや未練がない。未練どころか、記憶にすらない。場所、状況、季節、気分、体調、時間帯などによって人は凝視したり軽視したりする対象を変える。生で見るのはとても意味深いことだが、図録を買っておくのもまんざら悪くないと思い直した。臨場感に溺れずに、平常心でクールに鑑賞するには図録という手段も有効かもしれない。

 広島で適当にしか見なかったオノレ・ドーミエの社会諷刺的版画。京都では実物展示がなく、ビデオ展示になっていた。ある作品に目が止まり、帰宅して広島で買った図録を読み返してみた。作品は石版画で「陶磁器マニア」というシリーズの一つ。犬が猫を追い、喧騒の中で「壷危うし」に慌てふためいている飼い主という図。一コマ漫画みたいなもので、「同時に犬と猫と壷を愛好するのは差しさわりがある」という一行説明がついている。

 なんと教訓的な!! 犬と猫の不仲に由来する英語の俗語"cat and dog"は「ケンカ」や「いがみ合い」のこと。また、"cats and dogs"と複数にすると「くだらない組み合わせ」や「ガラクタ」を意味するように、犬も好き、猫も好きというのは具合が悪い。"It rains cats and dogs."という口語の慣用句は「どしゃ降り」のことだ。そんな緊張関係の中に、もう一つ好きな壷を置いてみたら、結末は想像に難くない。犬と猫にとって、壷はご主人さまほど値打ちのあるものではないのだ。

☆ ☆ ☆

 好きなもの、たとえば好物三種類が身体の中に入って、平穏無事に差しさわりなくそのままケンカもなく棲み分けてくれたらいいが、そんな保障はない。口に入るまでは三つの好きなものが仲良さそうに見えていても、喉元を過ぎてからはどんな関係になってしまうかは知るすべもない。

 お気に入りの強打者が三人いたって、一人しか四番を打てない。三番、四番、五番と棲み分けたつもりでも、見えないところで関係のバランスは崩れているかもしれない。

 絵画が好きで読書が好きで語学が好きなぼくが、これら三つの趣味を同時にたしなんでいることなどめったにない。三つとも同時に打ち込んだら、たぶん犬と猫と壷の状況になってしまう。複数の好きなことの棲み分けというのはかなり難しいテーマのように思える。強引に好きなものを同時に共生させて、目玉が飛び出るほど高価な壷を犠牲にできるほどの勇気も甲斐性もぼくにはない。

 ならば、いさぎよく「壷は大好きですが、犬と猫は大嫌いです」と言い切れるまで一番好きなものだけを追求できるか? これも無理。一兎をも得られないのを承知で二兎ならぬ三兎を追ってしまうのが器用貧乏の常だから。 

連なりと繋がり

2008年9月25日 14:00

 情報・知識・経験などは同類項で連(つら)なる一方で、まったく別の群と繋(つな)がっている。この「連繋」に対して、あるときは偶然を感じ、またあるときは必然を感じる。

☆ ☆ ☆

 9月16日に私塾があった。講座の「ことばのゲーム」で出題する難解な漢字を、その数日前に選定していた。食べ物一般や野菜・果物のセクションの問題作成時に、「りんごぶどうそば」を外し、「こんにゃく」は残した。このゲームは6班の対抗でおこない、全体の正答率はだいたい60%くらいだっただろうか。

 塾の終了後、塾生が経営する焼肉店で有志15名による懇親会を開いた。食事も半ば過ぎた頃からまたまたお遊び演習タイム。一切メモせずに記憶だけで47都道府県を一人一つずつ告げていく。既出のものをダブってはいけない。しかし、10や15くらい出てくると、もはやどの都道府県がすでにコールされたのか記憶が薄れてくる。ダブった時点でアウト、また10秒以内に答えられなければアウト。

 一人ずつ脱落していき、メンバーは四人、三人にまで減っていったが、3県を残して全員アウトとなった。そこで、ヒントを与えながら敗者復活戦を続行し、どうにかこうにか47都道府県がすべて出揃った。最後にコールされたのは山形県であった。

☆ ☆ ☆

 翌日からぼくは兵庫県で2泊3日の研修に入った。最近体重が増え気味なので、ここ二、三週間は朝食はジュースだけにしていた。駅近くのコンビニで「りんごジュース」を買ってホテルの冷蔵庫に。出題から外れた「りんご」の「ご」の漢字が気になって紙パックの容器を見つめるも、アップルとは書いてあっても、漢字は見当たらない。

 この週、テレビで久々にダニエル・カールを見かけた。流暢な山形弁を喋るタレントである。また、「噛む」というそばの新商品をコマーシャルでも見た。

 9月21日伊丹から山形へ向かった。翌22日は、美容業経営者を対象とした、ひらめき脳をつくるセミナーである。偶然だが、セミナーの演習に「山のつく都道府県をすべて検索しなさい」というのがあり、日本地図の北から順番に、山形、富山、山梨、和歌山、岡山、山口と6つ見つければ正解。さすがにご当地の方々は山形をもらすことはない。

 セミナー終了後、お昼に「こんにゃく番所」でこんにゃく懐石をご馳走になった。読めることができても、「こんにゃく」を漢字で書くのはたやすくない。「蒟蒻」をしっかりアタマに叩き込んだ。空港へ送っていただく途中、天童に寄りそばを食べることになった。ここで「蕎麦」という漢字を確認。出てきたざるそばは、十割にもかかわらず、すするのではなく「噛む」がぴったりの歯ごたえであった。

 そばを食べながら聞き耳を立てていると、店主がハングル語を話している・・・・・・しばらくそう思っていた。しかし、ご当地ことばであった。地元の人どうしの山形弁がさっぱりわからない。ダニエルがすごいと思った。

☆ ☆ ☆

 伊丹に着いて帰阪。休日の翌日の昼にテレビをつけたら、みのもんた司会で難解な漢字の覚え方というコーナーがあった。憂鬱を皮切りに、りんご林檎ぶどう葡萄などの書き方を語呂合わせで簡単に覚えられるというのだ。一応マスターした。今は語呂合わせの文言そのものを覚えていない。

 さらに昨日の昼。お手頃なフレンチを食べに出掛けた。値段は手頃だが、前菜、スープ、パン、主菜、デザート、コーヒーがちゃんとした味で勢揃い。主菜はなんと山形産三元豚(さんげんとん)であった。

☆ ☆ ☆

 山形づくしや漢字づくしをこじつけているのではない。山形や漢字というアンテナがここ二週間ほど他の情報群よりもピ~ンと立っていた結果の連なりと繋がりである。情報のネットワークはかくのごとく広がっていくのを身をもって体験した次第だ。こんなおいしい情報の数珠つなぎをしないで放置しておくのはもったいない。

週刊イタリア紀行No.10 「フィレンツェ(4) 広場空間を遊ぶ」

2008年9月23日 17:00

 帰国してから膨大な写真データの整理に追われる。よくもこれだけカメラに収めたものだと呆れもする。しかし、いつもいつもカメラを携えて歩いているわけではない。たとえば、食料の買い出し、近くのバール、食事に出掛けるときなどは持たないことのほうが多い。雨の日や夕方以降の散歩にはカメラはふさわしくない。それに、撮影に気を取られていると、臨場感のある現場体験や印象の刷り込みは浅く薄くなってしまうものだ。ちょっと出掛けるときは手ぶらというのがぼくの流儀だ。

 その代わり、「カメラをホテルに置いてくるんじゃなかった」とよく後悔もする。撮り損ねた名場面や逸品は数知れず。滞在日数が長くなると、慌てなくてもいつでも撮れるという慢心から、お気に入りの名所ほど抜け落ちたりする。今回ざっと写真を見ていて、歴史地区の光景が偏っているのに気づいた。これまでも何度か紹介したドゥオーモとジョットの鐘楼はいろんなアングルで撮り収めているのに、サンタ・クローチェ地区やメディチ家ゆかりのサン・ロレンツォ地区の写真はきわめて少ない。サンタ・マリア・ノヴェッラ地区などは、前回滞在時にさんざんシャッターを押したので、今回はほとんど被写体になっていない。

 さて、アパートでの3泊を終えて対岸にある街の中心へ「お引越し」。荷物を引っ張ってぶらぶら歩いて15分、距離にして1kmあるかないかというところにホテルがある。そこは、観光客が必ず立ち寄るシニョリーア広場に面した一等地だ。この広場は、かつて自治都市だったフィレンツェの政治の象徴空間であり、13~14世紀の面影を残している。ネプチューンの噴水、ミケランジェロ作ダヴィデ像のレプリカ(本物はアカデミア美術館で所蔵)、そして今もなお市庁舎として使われているヴェッキオ宮。隣接してウッフィツィ美術館(uffiziとはオフィスという意味。当時は行政の合同庁舎だった)。

 広場を囲むルネサンス時代の建物にはホテル、銀行、事務所が入っている。一階部分にはバールやリストランテ。フィレンツェの広場はここだけではない。サン・ジョヴァンニ広場、レプブリカ広場、サンタ・クローチェ広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場など、名立たる教会の前方や近くには大小様々な特徴ある空間がある。

 荷物を持ってシニョリーア広場に着き、カフェで一休みしてホテルの住所を確認。ホテルはそのカフェの近くに違いないのだが、見つけるのは容易ではない。ホテルの入口が広場側にあるとはかぎらないし、広場から細い通路に入るとさらに狭い道に小分かれしていく。実際、このホテルの入口を見つけるには住所表示を確かめながらも数分かかった。

☆ ☆ ☆

Toscana1 158.jpgToscana2 076.jpg                     〔左〕シニョリーア広場に面するカフェ。イタリアではバールで立ち飲みすればエスプレッソ一杯が130円~150円。店内のテーブル席や外のテラス席で飲むと倍額になる。〔右〕隠れ家的ホテルの3階ラウンジから眺める広場の一角。右側の建物がヴェッキオ宮。   

Toscana1 255.jpg Toscana2 074.jpg Toscana1 269.jpg

〔左〕ホテルから見るドゥオーモ方向。〔中央〕ズームインすれば窓枠が額縁と化して絶妙の構図になってくれる。〔右〕シニョリーア広場に浮かび上がる夜のヴェッキオ宮。 

 

Toscana2 031.jpg Toscana1 164.jpg Toscana1 172.jpg〔左〕ジョットの鐘楼とドゥオーモ。〔中央〕鐘楼に上る。途中随所に覗き穴がある。〔右〕鐘楼の先端近くから見下ろすドゥオーモ広場。 Toscana1 174.jpg Toscana1 175.jpg〔上2点〕フィレンツェ市街地を一望。煉瓦色一色の街並みには歴史という名の秩序が横たわる。イタリアはどの都市も例外なく、景観を曇らせる一点の邪魔物をも許容しない。 

Toscana1 173.jpgToscana1 178.jpg〔左〕鐘楼の正面にはドゥオーモの巨大なドームが圧巻の存在を示す。〔右〕ドゥオーモ側からもこちらのジョットの鐘楼を眺めている。金網と手すりだけで、人がこぼれ落ちそう。鐘楼もドゥオーモも数百段の階段だ。上りの辛さに、遠足で来ているイタリア人小学生には泣き出す子もいる。 

 

少々の不便との共生

2008年9月18日 20:00

 数日前に発明発見の話を書いた。人類の飽くなき便利への歴史。便利の恩恵で自分の生活が成り立っているとつくづく思う。他方、どこまで行けば気がすむのだろうと危惧もする。

 ぼくは同年代あるいは次世代の人々の中にあって、間違いなく一つ珍しい不便を受容してきた。自家用車を所有したことがないのである。というか、運転免許すら取得していない。これまでの人生のほとんどを公共交通機関の充実した都心部に暮らしてきたことも大きな要因ではある。だが、実は、二十歳になる前から車を必要としない生き方をしようと決意していた。人的な他力依存はともかく、物的な他力依存は極力避けよう、なるべく負荷を背負い込むのはやめようと考えてきた。

 どこへ行くにも徒歩か自転車か地下鉄か電車である。こんなとき車があればなあという場面にしょっちゅう出くわした。二十代後半から三十代前半にかけて、遅まきながら免許を取ってみるかと思ったこともある。しかし、耐えた。不便を受け入れた。そして、今に至っている。

 その時々に不便を感じてはきたが、今から振り返ってみれば、まったく後悔などしていない。車を持つことによる諸々の気がかり、たとえば駐車場の確保、ガソリン代の高騰、交通渋滞のイライラ、税金・ローン返済などとはまったく無縁でいられたのだ。車にまつわる手かせ足かせがまったくなかった分、ぼくはいろんな趣味に手を染めることができたし、電車の中で本をよく読むことができた。気づきにくいものを徒歩目線で観察することもできた。ライフスタイル的には収支は大幅プラスだと思っている。

☆ ☆ ☆

 身の回りを文明の利器で固めれば固めるほど、身動きが取れなくなる。便利は人間を快適にするかもしれないが、甘えかせもする。甘えれば知恵を使わなくなる。便利が度を越すと、手先も不器用になり、アタマを働かせる出番も少なくなる。

 人の暮らしを便利にするために生まれたコンビニエンスストア。その便利なお店は便利な街には存在するが、不便な土地では激減する。便利な自動販売機のおかげで商売人は客とのコミュニケーション機会を放棄した。便利と引き換えに失うものは決して少なくない。

 こんなことを思い巡らせていたところ、新商品「手の汚れない納豆」を見つけた。発泡スチロールに収まった納豆と上蓋の間のシートがない。醤油出汁の袋の代わりににこごり状のタレが容器の角のくぼみに入っている。容器を開けて、お箸でタレをつまみ、納豆のほうに移してかき混ぜればよい。手はまったくネバネバにならず納豆を食すことができる。

 納豆は食べたい、でも手が汚れるのが嫌な人が多いのだろう。しかし、もはやこれは便利の度を越している。慣れれば、あのシートは中央部分をつまんでくるめれば手を汚さずにすむ。タレも切り口のところに溜まっているのを少し押し下げておいたら、切ってもこぼれない。「いや、そんなにうまくはいかんだろう」と言われるかもしれないが、仮に汚れたからといって何が問題であり不便なのか。濡れフキンでひょいひょいと手を拭けばすむことではないか。

 納豆があまり好きでない人にはいいかもしれない(そんな人が、こんなに便利になったからといって突然好きになるとも思えないが・・・・・・)。さて、ここまで便利に生きてきたわれわれだ。いきなりの大いなる不便はつらいだろう。だが、納豆を食べる際の少々の不便くらいには目をつむるべきだ。手が汚れる不便くらい納豆といっしょに飲み込んでしまえばいい。

パラレル読書術

2008年9月17日 21:00

 テープレコーダーの話を持ち出すと、「古い!」と片付けられそう。ぼくが二年半前に買ったミニコンポはCD/DVD、MD、カセットテープ対応。別にDVD専用機があるので、このミニコンポの主な用途はCDである。MDもカセットテープもめったに使わない。

  つい15年くらい前まではカセットテープで何でも収録していた記憶がある。それ以前に主宰していた勉強会の講座はほとんど録音してあるが、すべてカセットテープ。保存はしているが再生したことがないので劣化しているかどうかもわからない。

 カセットテープのように、時系列で記録するのを「シーケンシャル」という。片面30分のテープで話を収録した直後に巻き戻して、たとえば最初の5分間を再生してから10分間をとばして次の5分間を聞こうと思ったら、早戻しや早送りを何度か繰り返さなければならない。CDやDVDにすっかり慣れてしまった今ではかなり面倒な作業だ。

 脳はCDやDVDと同じくランダムアクセスな機能をもつ。それをカセットテープのように順序制御中心の使い方をしていては損である。情報を取り込むにしても活用するにしても、あちらこちらへとジャンプして記録・再生するのが望ましい。このことは読書にも当てはまる。

☆ ☆ ☆

 一冊の本、たとえばAを完読する。次いでBという本を読了する。さらにCへと移る。この読書行為はカセットテープの機能によく似ている。三冊の本、A、B、Cはテープに読んだ順序で記録される。Aの情報のみ残像となってBやCの読書に何らかの影響を及ぼすが、Aの本を読んでいるときは、Bの内容もCの内容もAに影響することはない。Aを記録しているときは、BについてもCについても読者にとってはまったく未知の状態だ。

 ぼくはこの読書の方法が機会損失だと考える。仮に一週間か10日間で三冊の本を読むのなら、A⇔B⇔C⇔A・・・・・・というような相互に関わる読み方をしたほうがいい。つまり、三冊並行して読むのだ。そうすれば、A、B、Cの三冊の内容が互いに影響を及ぼし合って、情報の「相乗効果」が生まれる。まさに脳の並行処理機能に自然な知識の形成や融合、編集が可能になるのだ。こういう読み方を「パラレル読書術」とぼくは呼んでいる。

 読みたい本を選んだまではいいが、一冊最後まで読むだけのテンションを保てない内容のものだってある。そんなとき、飽きれば別の本を読めばいい。A→B→Cをしっかり読むよりも、行ったり来たり拾い読みするほうが定着も活用もうまくいく。ぜひ試していただきたい。但し、小説などの読み物やストーリー性の高い書物はこのかぎりではない。 

週刊イタリア紀行No.9 「フィレンツェ(3) 南岸と橋と料理」

2008年9月15日 21:00

 ミケランジェロ広場から街の景観を楽しみ、直線なら250メートルほどの川岸までジグザグ状に下っていく。振り向けば要塞へと続く城壁跡や門が見える。アルノ川沿いの通りを西へ歩くと、グラツィエ橋。ここからさらに400メートルのところにヴェッキオ橋が架かっている。フィレンツェを訪れるすべての観光客は必ずこの橋を渡る。日が暮れたあと、西200メートルのところに架かるサンタ・トリニタ橋を眺める。ライトが川面に溶け込んでほどよく滲む夜景にしばし立ち止まる。

 「食とワインはトスカーナにあり」と称してもいいだろう。トスカーナの州都フィレンツェは旨いものへの期待を裏切らない。逆に言えば、食、とりわけ肉料理に好き嫌いの多い旅人にとってはフィレンツェの値打ちは半減する。牛、豚、鶏は当然として、サラミと生ハムのアンティパスト(前菜)はほとんどすべての店で定番。羊、ハト、ウサギ、ヤギもある。

 街中には屋台がある。そこで売っているのは「トリッパ(trippa)」(牛の胃袋ハチノス)の煮込み。これをパニーニにはさんで頬張る。味付けはトマトソースとバジルソースの二種類があり、いずれもニンニクがたっぷりきいている。このような屋台出身のオーナーが始めた「トスカーナ風ホルモン料理店」をランチタイムに訪ねた。「トリッペリーア(tripperia)」と呼ばれ、文字通り「牛の胃袋料理専門店」という意味である。乳房のグリル盛り合わせやホルモンの熱々コロッケなどの店自慢の料理を数種類。個人的には臓物は大好物で、クセがあっても平気だが、この店の料理はとても洗練された味に仕上がっていた。食べるのに夢中で写真を撮り忘れたのが残念。

 しかし、何と言ってもフィレンツェ随一の名物は「Tボーンステーキ(bistecca alla fiorentina)」だ。重さ700グラムなど当たり前で、店によっては1キロという大迫力もある。二人や三人で頼むと、これ一品でおしまい。他の料理には手を出せなくなってしまう。というわけで、肩ロースを焼いて少量をあらかじめスライスしてある「タリアータ(tagliata)」をレアで頼む。ちなみに、レアはイタリア語で"al sangue"。これは「血のしたたる」という意味である。

☆ ☆ ☆

Toscana1 059.jpg

Toscana1 065.jpg

〔左〕ミケランジェロ広場から川岸へ下る途中、丘陵地帯を振り返ると、かつての要塞へと続く城壁跡が見渡せる。〔右〕地元の人がよく通うトリッペリーア"Il Magazzino"。ずばり「店」という名前の店。

Toscana1 190.jpg

Toscana1 191.jpg

Toscana1 068.jpgのサムネール画像

〔左〕北岸から眺めるヴェッキオ橋。たしかに橋なのだが、店舗が入った建物の構造になっている。〔中〕川岸の飾り柱に旅行者が記念に錠をかけていく。〔右〕ヴェッキオ橋から西へ二つ目の「カッライア橋」。滞在中はこの橋を使って歴史地区へ足を運んだ。

Toscana1 153.jpg

Toscana1 143.jpg Toscana1 341.jpg 〔左〕トスカーナ料理を堪能した"Il Guscio"。〔中〕ポテトを添えたステーキのスライス。現地では「少量」だが、ボリュームたっぷり。〔右〕ヴェッキオ橋から眺める黄昏時のサンタ・トリニタ橋。

 

Toscana1 151.jpgのサムネール画像 Toscana1 146.jpgのサムネール画像 〔左〕アパートからすぐ近くの城壁跡。朝の散策にはもってこいのロケーション。〔右〕アパート前の道を進むとサン・フレディアーノ門。夜間の人通りは少ないが、バイクがビュンビュン飛ばしていくので要注意。

もし~がなくなったら・・・・・・

2008年9月12日 07:00

 いま手元にエドワード・デ・ボノ編『発明発見小事典』という、初版が昭和54年の古い本がある。本棚の整理をしていたら見つかった。愛読書というわけではないが、マーケティングの講義で製品事例を取り上げるときに時々参照させてもらった。巻頭で監訳者が、この本の原題にもなっている「ユリーカー!」について書いている。一部だが、そのまま引用してみよう。

 「この王冠は純金なのかそれともにせ物なのか」という王の質問にたいし、アルキメデスは、湯ぶねにつかったときからだが浮き上がった瞬間に正解を得たのであった。そのとき彼の叫んだ言葉が「ユリーカー!」である。「わかった」とか「できた」とかいう意味で、アルキメデスは、はだかのまま「ユリーカー! ユリーカー!」と叫びながら王宮にむかって駆け出したという。

 「水中の物体はその物体が押しのける水の重量だけ軽くなる」という、よくご存知の『アルキメデスの原理』の誕生秘話である。これは発明ではなく発見ということになるのだろうか。なお、この「ユリーカー」ということばは、正確に言うと「私はそれを見つけた」という意味で"eureka"と綴られる。発音は諸説あって、「ユリイカ」「ユーリカ」「ユーレカ」をはじめ、そのままローマ字読みする「エウレカ」というのを目にしたこともある。

 人類史上最初の発見ではないが、ユニークな発見として語り継がれてきた。その後の発明発見の歴史の華々しさ・加速度ぶりには目を見張る。ことごとく紹介すればキリがないが、同書のア行の「あ」で始まるものだけで、アイスクリーム、アーチ、圧力釜、編み機、アラビア数字、アルミニウム、安全カミソリ、安全ピンがそろい踏みする。

☆ ☆ ☆

 発明されてから今日に至るまで現存し進化してきたものは何らかの必要性に裏打ちされている。おそらくその他の無数の発明品は需要されなくなり、見向きもされなくなり、やがて消えてしまったのだ。昔はあったけれど今では一般家庭とは無縁になった品々を博物館や古物展などで目にすると、ちょっとしたノスタルジーに浸ってしまう。

 ぼくが小学生のとき、爺さんは煙管(きせる)に煙草を詰め、一服しては火鉢の枠をカンカンと叩いて灰を落としていたものだ。その煙管、今では時代劇にのみ小道具として登場し、鉄道の切符の料金をごまかす「キセル」ということばとして残る。切符や定期の電子化にともないキセルという概念も消える運命にあるのだろう。実際、このことばを使って、「それ、何ですか?」と聞かれたことがある。

 さて、煙管がまだ日常的であった時代に遡って、うちの爺さんらに「もし煙管がなくなったら、どうでしょう?」と尋ねたら、「そりゃ困るよ」と答えるに違いない。徐々に使用頻度が低くなりやがてなくなってしまうのなら困らない。しかし、必要性の絶頂期に毎日使っているモノが忽然と消えてしまっては不便この上ないだろう。

 「もし~がなくなったら」と、「~」の部分に愛用品を入れてどうなるかを推測してみる。今この部屋にある携帯電話、PCUSBメモリ、メガネ、壁時計、カレンダー、居酒屋のポイントカード、広辞苑、ペーパーウェイト、のど飴・・・・・・。すぐ目の前の窓の外には、自動車、コンビニ、ラーメン店、自動販売機、交番、信号、いちじくの木・・・・・・。なくなったら困るものもあるが、当面少しの不便さえ我慢すれば消失に慣れてしまえそうなものもある。「もし~がなくなったら」と問いかけて、「少し不便だが別に困らないかも」と思えるものを近いうちに身辺から一掃してみようと考えている。

 「もし~があったら」という願望を叶えるために発明されてきた文明の利器に感謝を示しつつも、「ユリーカー!」と叫ぶことばかりに躍起になってきた生活スタイルも見直すべきときが来た。なくても困らないものを見直し、少々の不便に寛容になる生き方を学習してみたい。

マンネリズムとの付き合い方

2008年9月10日 12:00

 いつの頃からか「継続は力なり」が金言のようにもてはやされるようになった。

 何の工夫もなく新鮮味もなく一つのことをずっと続けたって力になんかならない、という皮肉った見方もできる。いやいや、それとは逆に、何の工夫もなく新鮮味もなくひたすら一日のうち小一時間ほど会社と自宅を徒歩で往復すれば、車で通勤する人よりも足腰に力がつくだろうし、ガソリン代を浮かせて年末には手元に小銭を残せるかもしれない。

 「継続は力なり」。言い換えれば、「マンネリズムとの共生」である。マンネリズムとは「ある一定のやり方をいつも繰り返すだけで、新鮮味がまったくないこと」。こんな辛いことに専念できること自体、すでに強靭な神経の持ち主であることの証明だ。ある意味で、マンネリズムと仲良しになれる人は「力のある人」かもしれない。

 ところが、「石の上にも三年」の辛抱が実ることもあれば、三年も同じところに留まっていては昨今の急速な時代変化に取り残されることもあるだろう。「転がる石には苔がつかない」という意味のイギリスの諺 "A rolling stone gathers no moss." は、古来からの日本人の価値観に近い。職業を頻繁に変えたり次から次へと新しい場に活動を求めていたりすると、蓄財はもちろん功績も残せない、という意味だ。

 しかし、この諺にはまったく別の解釈もある。「転がっている石ほど苔みたいな変なものはつかない」、つまり「どんどん新しい方面に活動していれば、地に墜ちることはない」というとらえ方だ。

☆ ☆ ☆

 気になることや思いついたことを日々ノートにしてきた。もうかれこれ30年になる。『発想ノート』と題して続けてきた。今の仕事に、日々の着眼に、人との対話に有形無形のプラスになっていると自覚している。まさに「継続は力なり」を思い知る。

 しかし、同時に「日々新た」でなければ、ノートをとるという同じ行動を続けることなどできない。執拗なまでにあることを継続するためには、目先を変え新しい情報を取り込み、昨日と違う今日を追い求めていかねばならないのだ。まさにマンネリズムとの格闘でありマンネリズムの打破である。逆説的だが、飽きることを容認しないかぎり、人はひたすら継続することなどできない。そう、飽き性は物事を成し遂げる上で欠かすことのできない「空気穴」なのである。

 「継続は力なり」を検証もせずに座右の銘にするのは考えものである。最大級の賛辞で飾ったり金科玉条として崇めたりするのは危険である。継続が惰性になっていては力になるどころか、単なる脱力状態だ。マンネリズムに飽きる―これが継続へのエネルギーであることを忘れてはならない。

幸せな気分になる話

2008年9月 9日 10:00

 微細なところまで正確には覚えていないが、ユダヤにこんな笑話があった。

 貧しい家族がある。狭い家屋に大所帯。我慢が限界に達して主がラビ(ユダヤ教の聖職者)のところに相談に行く。ラビは言う、「明日から家の中に騾馬を入れなさい」。どう考えても解せない助言だったが、主はこれに従い、一週間ばかり騾馬との生活に耐えた。案の定、耐えきれない。再びラビのところに赴き、「家族だけでも大変なのに、騾馬との生活なんて無理です」と吐露した。「では、騾馬を家の外に出しなさい」とラビは助言した。言われた通りの生活を送り、しばらくして主はラビを訪ねた。「ラビさま、ありがとうございます! 家族だけの幸せな生活が取り戻せました。」

 うまくいって当たり前なはずなのに、ひょんな悪運や失敗からうまくいかない。うまくいかないから落ち込んでいると、何かの拍子にうまくいきはじめる。感激して喜ぶ。ユダヤの別の笑話に、「貧乏人は、落としたお金を見つけて、それを拾ったときに大喜びする」というのもある。貧乏人でなくても喜びはひとしおだろう。

「一万円札を落とす(マイナス)、それを見つける(プラス)」で実はプラス・マイナス・ゼロなのに、「一万円札を落とさずに財布に入っている状態」よりも喜ぶ。正しく言えば、喜びではなく安堵なのだが、ショックと安堵との大きな落差が幸福感を増幅させる。

ノーアウトでランナー一塁。次打者がバントをするも投手がすばやくさばいてランナーが二塁でホースアウト。その一瞬、観客は「あ~あ」とため息混じりに落胆。しかし、ダブルプレーを狙って二塁手が一塁へ悪送球。ボールが転々とする間にバントをミスったバッターが二塁へ。この瞬間、観客は一転して歓喜する。その歓喜ぶりは、バントを成功させてランナーを二塁へ送るときの声援どころではない。

☆ ☆ ☆

 快適性や幸福感にどっぷり浸かる日々。日常の当たり前がいかに感受性を鈍らせているかという証である。もう一つは「地獄で仏」や「ピンチはチャンス」や「結果オーライ」という自浄作用だ。「不運の後の幸運」を収支トントンではなく、「幸福の黒字」と錯覚できるように人間のメカニズムは働くのだろう。その代わり、「幸運の後の不運」も収支トントンや赤字どころか、「幸福の倒産」にまで落ち込んでしまう。

 柔道やレスリングでは、敗者復活戦を勝ち抜き三位決定戦に勝利する者は「銅メダル」を手にする。早々に負けて泣き、やがて「勝利して銅メダル」。ところが、ずっと勝ち続けて決勝戦まで進んで惜敗する者は「負けて銀メダル」。銅メダリストより上位の銀メダリストに笑顔はない。幸福な人生はバランスシートで説明できないのだろう。連敗の後の一勝をありがたいと感じ、「終わりよければすべてよし」と思いなすのだ。

ちなみに、最近のぼくは、小さなメモを見つけたときに幸せな気分になる。それは自分自身のメモでありながら、そこにはまったく記憶から抜け落ちている内容が記されている。「ふむふむ、なかなかいいことを書いているもんだ」と十数年前の自分を賞賛するとき、気分は最高潮に達する。「それって、ただの自己陶酔ではないか!?」と言うなかれ。幸福には錯覚と陶酔が不可欠なのである。

週刊イタリア紀行No.8 「フィレンツェ(2) アルノ川対岸散策」

2008年9月 7日 15:00

 イタリアの他都市――たとえばミラノやローマ――からフィレンツェに入るには鉄道がいい。列車はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着く。この中央駅からチェントロと呼ばれる歴史地区内のホテルへは、たとえ大きな荷物を持っていても歩くのがベスト。ミラノやローマと違ってフィレンツェは治安がいいので、見た目に明らかに観光客であっても心配はない。もちろんたくさん路線のある市内バスなら5分~10分でどこにでも行けてしまう。

 ぼくは空路フランクフルトからフィレンツェ空港に降り立ち、アルノ川対岸のサン・フレディアーノのアパートにタクシーで向かった。所要約30分。アパートで受け取った鍵は4種類あり、玄関の門、中門、3階通路の門、部屋の扉の鍵が束になっている。その束の重いことといったら、腕時計4個分と同じくらいだ。宿泊期間中は自己責任で管理する。したがって、外出時は半コートの内ポケットにずっしり忍ばせて歩かねばならない。

 午後7時の到着。ちょうどいい時間である。食事処の夕刻の開店はおおむね午後7時~7時半。一番賑わう時間帯は9時~10時だ。アルノ川沿いの通りから一本内側へ入ったサント・スピリト通りへ出て、いかにも老舗っぽいリストランテに入って定番のハウスワイン、サラミの盛り合わせ、パスタの食事をした。この一帯は歴史地区ほどの賑わいはなく、ツアー客もほとんどやって来ない。しかし、地元の常連が通うトラットリアやリストランテが点在している。

 翌朝。アパートなので朝食がついていない。近くのバールでカプチーノを注文し小さなパンで腹を満たす。さて、散策スタート。アパートから約600メートルの位置にあるポンテ・ヴェッキオの橋から南の丘陵へ。なだらかなサン・ジョルジョの坂を進むと、道すがら丘陵地帯独特の空気が漂ってくる。かつての要塞跡そばのサン・ジョルジョの門からさらにサン・レオナルド通りへ入り、そこを左折していくと高台にサン・ミニアート・アル・モンテ教会が佇む。アルノ川を挟んで市街地が一望できる絶好の場所である。この教会の下に別のサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会があり、そのすぐ眼下にミケランジェロ広場がある。広場まで下れば観光客がたむろしているが、そこからわずか300メートル上の高台は閑散としている。

☆ ☆ ☆

Toscana1 032.jpg

Toscana1 038.jpg

〔左〕対岸から望むポンテ・ヴェッキオ。向う岸右側の建物が有名なウフィッツィ美術館の一部。       〔右〕丘陵へ抜ける小径。市街地の建物とは違い、低層の瀟洒な住宅が続く。 Toscana1 041.jpgのサムネール画像 Toscana1 040.jpg

〔左2点〕アルノ川からほんの15分歩けば風景が一変してくる。 Toscana1 044.jpgToscana1 062.jpg  

 

Toscana1 055.jpg〔左上〕中心街のランドマーク「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」のクーポラが見える。まもなく春を迎えようとする緑の濃淡の綾が目にやさしい。

〔上〕さらに進むと、左右の大きな木に挟まれて、密に凝縮された借景のように街が浮かぶ。

〔左〕サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会の前に出た。えらく質素な教会という印象のまま通り過ぎた。後日旅行ガイドを見たら、「美しい田舎娘」とミケランジェロが称したというエピソードを見つけた。ミケランジェロ大先生、絵筆やノミさばきだけでなく、ことばのさばき方も超一級である。

〔下〕サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサードは雅なロマネスク様式。〔右下〕約800年前の祭壇。大理石の象嵌装飾が荘厳な雰囲気を醸し出す。

Toscana1 047.jpg Toscana1 054.jpg 

 

                                         

雨のち蓮根、晴れ時々蓮根

2008年9月 6日 12:00

 旬の野菜や果物は格別である。舌鼓を打つのは言うまでもなく、「今しかない」あるいは「今が一番」というタイムリーな価値にわくわくする。

  毎年6月下旬になると、山形のMKさんがサクランボを送ってくださる。十年程前まではめったに口に入らなかった代物だが、今ではちょっと贅沢に頬張らせてもらっている。佐藤錦や紅秀峰という品種の名前も覚えた。少し多めに食べるときには、腹を下さないために塩をつまんで舐めるという地元の習慣も知った。

 今年は縁あって、二種類の旬の野菜に恵まれた。金沢で開催している私塾の塾生のお一人からの「産地直送」だ。偶然だが、この方もMKというイニシャルである。何となくぼくの「また(M)ください(K)」という下心(?)に呼応しているみたいだ。

 春は筍だった。宅急便で届いたが、キッチンに運ぶのに腰が抜けそうになった。開けてみれば、前日に朝掘りした、とてつもなく大ぶりな筍が約20本! いやはや、MKさん、ありがとうございますと感謝。とりあえず土がついたまま数本を知り合いにお裾分けした。

 さて、残る十数本。持ち合わせの知識にウェブの情報を補足したうえで、包丁でさばきアク抜き。大鍋、パスタ用の深い鍋、中華鍋などを総動員した。湯気と筍特有の匂いが家じゅうに広がった。調理というよりも、専門店の厨房における仕事のように思えてきた。

 しかし、その仕事はほんの序章にすぎなかった。その日からの約10日間、仕事は格闘と化した。筍づくしの日々を闘い抜くことになったのである。やわらかいところを刺身にしたのを皮切りに、土佐煮、筑前煮、天ぷら、若竹煮、きんぴら、ちらし寿司、筍ごはん、中華風炒め物・・・・・・とありとあらゆるレシピを試み、来る日も来る日も筍を食べ続けた。

 筍は傷むのが早いだろうという見込みとは裏腹に、新鮮な水に浸して冷蔵庫で保存すれば日持ちするものだ。その一部をさらにお裾分けしたり、料理にして親類にも持って帰らせた。しかし、もしかして冷蔵庫の中で増殖しているのではないかと疑うくらい、いっこうに減ってはくれない。MKさんへの当初の感謝の気持が薄れ、イジメにも似た心理にさいなまれていく。そういう趣旨のメールをギャグっぽく伝えたら、「連絡いただき次第、第二弾がスタンバイしています」との返信。やっぱりイジメだ。

☆ ☆ ☆

 とはいえ、やっぱりぼくは筍が好きなのだ。最近食べていないので、懐かしささえ感じてしまう。そんな折り、三日前にMKさんから蓮根が届いた。加賀野菜に認定されている小坂蓮根という種類だそうだ。一本が丸々三連のまま採れたての状態で数本。見るからに新鮮で、レシピを頭に浮かべればすでに垂涎状態である。

 筍の教訓を生かそうと思い、半分の量を知り合いにお裾分けにすることにした。これで、日々蓮根漬けにならなくてすむだろう。いただいた初日は天ぷらに。翌日は野菜炒めに。そしてきんぴらをすればいい。筍のときは、「筍のち筍、筍時々筍」だったが、今回は「雨のち蓮根、晴時々蓮根」というローテーションでいけそうだ。

 ところが、さっき台所をのぞいてみたら、今夜で終わってしまうほどの数量しか残っていないではないか。新蓮根の旬は9月初旬。もう少し残しておくべきだった、ちょっと気前よく振る舞いすぎたかと複雑な心境だ。おっと、これは「MK」というサインではない。何事も度を越えてはいけないことくらい承知している。年末の蓮根も美味らしい。それに期待することとしよう。

ことばの揚げ足をとる

2008年9月 3日 11:00

 昔の漫才ネタで、「屁理屈を言うな」に対して「屁は理屈は言わん」という切り返しがあった。「電話をとる」に対して「電話はとらん。とるのは受話器」というのも、「鍋が煮えた」に対して「鍋は煮えん。煮えるのは具」というのも、ことばの揚げ足とりである。揚げ足とりは愉快である。ことば遊びには欠かせないし、この種のツッコミにめくじらを立てることはない。

 慣用化が進むにつれ、ことばというものは省略され誇張され意味が転移したりする。そこに誤解や誤用が生まれ、ことば遣いが笑いのネタになったり新しいものの見方につながったりしてくれる。ぼくは、そんな「ことばのプチ哲学」が好きだ(ぴったりのことばを探そうと文章を書いているときに、あることばが気になっていろいろと考えてしまい、よく寄り道してしまう)。

 先週は「五十歩百歩」という表現で、寄り道どころか大脱線してしまった。「五十歩を以て百歩を笑う」という言い方もあって、これが「目くそが鼻くそを笑う」にそっくりである。

 中国の寓話ということは知っていたが、出典を確かめてみた。孟子の『梁恵王上』である。我流で解釈すれば、「臆病心から戦場で五十歩逃げた兵がいた。別の兵が百歩逃げた。五十歩逃走兵が百歩逃走兵を臆病者と言って笑いののしる。おいおい、五十歩さんよ、お前だって逃げたじゃないか。退散したことには変わりはないぞ」というようなことになる。

 よく似た類語には「似たり寄ったり」がある。「PCなんて使ってみればどれも五十歩百歩だよ」という表現は、「PCなんて使ってみればどれも似たり寄ったりだよ」とほぼ同じニュアンスだ。しかし、「PCなんて使ってみればどれも目くそ鼻くそを笑うだよ」にすると、何か変。

 そういえば、ぼくは以前から「目くそが鼻くそを笑う」という成句を変だと思っていた。目くそと鼻くそは五十歩百歩なのだろうか。成人が人前で目がしらの目やにを小指の先で払うのはよくあるが、堂々と面と向かって人差し指で鼻くそをほじくるのはめったにない。生理的インパクトからすると、鼻くそは目くその比ではない。目くそは「目やに」という言い換えもできるが、鼻くそを「鼻やに」とはふつう言わない。そう、目くそと鼻くそは似たり寄ったりではなく、カテゴリー自体が違うのである。正しくは、「目くそが鼻くそをシカトする」か「鼻くそが目くそをねたむ」でなければならない。

 よくよく考えれば、「五十歩百歩」も変に思えてきた。たしかに広い戦場では五十歩と百歩は僅差だろう。しかし、短距離走なら大差がつく。決して似たり寄ったりではない。

 参考にした辞典には、「どの意見をとっても五十歩百歩だ」という用例が紹介されている。敏感な人ならわかるだろう。意見にはニュアンスがある。こだわる人にとってはそれが重要だ。だが、五十歩百歩には「小さな相違はさておき」という前提がある。「小異はあるだろうが、マクロ的に見ればどれもこれもよく似ている」という含みだ。こういう使い方ができる人間はそのグループのトップに違いない。

 もう一つ用例がある。「千円の損も二千円の損も五十歩百歩だ」。これで完璧に明らかになった。五十歩百歩は金持ちのことばなのだ。何十里・何百里という戦場を基準にしているからこそ、五十歩百歩が成り立つのである。同様に、千円と二千円が似たり寄ったりと言える人間は、何十万・何百万円を基準に置いているのである。時給800円のフリーターはこの用例を使えない。

 以上から、五十歩百歩をめぐるプチ哲学の結論―これは、組織のトップの地位にあって金を持っている人間、すなわち「勝ち組」が使う表現である。 

矢印(→)の便利と強引

2008年9月 2日 11:00

 行き先を矢に似せたデザインで示してくれる「矢印」。地図上の目当ての場所に向けて「←ココ」と記してあるととてもわかりやすい。目的地に接近すればするほど、矢印のピンポイント効果は高くなるようだ。

 ところが、たとえば駅構内の矢印はどうだろう。「地下鉄中央線→」などという表示はきわめて漠然としていて、一応矢印の方向に歩を進めるものの、迷わずに辿り着ける保障などない。とりわけ上向き(↑〉や下向き(↓〉にはよくよく注意したほうがよろしい。これらベクトルが示すのは、それぞれ「階上」「階下」という抽象概念にすぎない。そこに至る手段がエスカレーターかエレベーターか階段か、はたまた飛び上がるのか飛び降りるのかは不明である。

 矢印の行き先を突き止めるだけの精神力と体力のない高齢者が右往左往している場面によく出くわす。当然駅員に尋ねることになるが、駅員の説明の随所に人差し指を使った矢印が登場するのである。壁に貼られた矢印の表示が指によるライブの矢印に変わるだけだ。結局駅員はお年寄りをかぎりなく目的地に近いところまで連れていくことになる。

☆ ☆ ☆

 資料に目を通したり本を読んでいたりするとき、小さなチャートの中に矢印が散りばめられているのに気づく。「ターゲット設定→強みの訴求→顧客満足」などと矢印が概念をリレーしている。油断すると、すっと流れていく。いかにも理路整然とつながっているように通り過ぎてしまう。

 しかし、ちょっと待てよ。矢印がバトンだとすれば、そのバトンリレーはうまくいっていないぞ、ということに気づく。バトンが落っこちているじゃないか! 

 「PDCAサイクル」というのがあって、PLANDO→CHECK→ACTと仕事や業務のサイクルを回せと教える。矢印は同じ長さで表現されているのだが、よく観察すれば、PLANからDOの矢印が実はもっと長~いものであり、CHECKからACTへの矢印が一本とはかぎらないことがわかってくる。

 自分のことを棚に上げて論うつもりはない。ぼくもテキストやレジュメやパワーポイントで矢印をふんだんに使い、その便利さの恩恵を受けている。しかし、知らず知らずのうちに矢印を牽強付会気味に使っていて反省しきりである。だから、「A→B→C」と書くときに、なるべく矢印のスムーズさに気をつけるようにし、Aが原因でBが結果であるとか、実際はこんな一本道で脈絡がついているのではないとか、口頭で補足するようにしている。

 矢印には「勝手にそうなる」「必然の結果として」というマジカル効果がある。便利だが、緻密な思考を省略してしまうので、できる人はゆるゆる論理を見抜いてしまう。

プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

検索

月別アーカイブ

最近のコメント

タグクラウド

Powered by Movable Type 4.21-ja