知らないだろうという想定

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 出張でホテル生活。二泊になると夕食の選択に迷う。二回くらい何を食べてもよさそうなものだが、今は違う。というのも、8月に5kg体重がオーバーしていたのが判明し、朝食を野菜ジュースだけにしているから(ホテルのビュッフェスタイルは今のぼくにとってきわめて危険な舞台装置だ)。加えて、ストレッチ体操と足腰の鍛錬で現在どうにかこうにか元の体重に戻せた。リバウンドしたくないのはもちろん、あわよくばあと2kgは落としたい。昼食は研修先で出てくるので選択の余地なし。こういう経緯上、出張時に自己判断で決められるのは夕食のみなのである。

 とてもせこい話になるが、外食すると自腹を切ることになる。宿泊しているホテルで食事をすれば部屋ヅケできる。毎度毎度ホテルでは食傷気味になるので、2回に1回は外に出掛ける。昨夜は外に出たので、今夜はホテルで食事をすることにした。

 これまたせこい話だが、チェックイン時に「ご宿泊のお客様限定」と銘打った割引券をもらった。その名も"Drink Ticket"だ。指定されたレストランで食事をすれば、食後にコーヒー、紅茶、オレンジジュース、一口ビールのいずれかをサービスしてくれる。このチケットを使わない手はない。

 券面の説明を読む。「パスワードでお食事されたお客様にお飲み物をサービス致します」と書いてある。パスワード? これは何だろう。どこかに書いてあるパスワードを注文時に伝えれば、サービスにありつけるのか? なぜこのチケットだけではダメなんだろう? こんなふうに不思議がりながら、宿泊カードを見てみた。パスワードが書いてあるのならそこだろうと見当をつけたが、部屋番号以外に数字らしきものはない。パスワードはアルファベットの可能性もあるので、探してみた。パスワードだけに部屋のどこかに秘密の記号みたいに隠されているのか? まさか!?

 本来単純明快であるはずのことをなかなか解せないというのはストレスが溜まるものである。一つのことばから何かを感じたり勘を働かせたりするのは得意なほうなのだが、研修の疲れもあって思考停止状態であった。あれこれパスワードに思いを巡らしてしばしの時間が経つ。判明した! 一杯のコーヒーのために情けない探偵ごっこをしたものだ。

 『パスワード』はホテル1階のカフェの店名であった。「パスワードでお食事をされたお客様にお飲み物をサービス致します」―とても明快である。明快であるが、パスワードが「ホテルズカフェ」ということを客が承知しているという前提に立っている。「パスワードと言えば、何のこと?」と連想クイズを出されたら、今時はネットがらみの事柄に思いを馳せる。あるいはJALやANAの暗証番号。ついこのあいだネットでJALのチケットを購入するときに、パスワードが思い出せなくて苦労したばかりだ。どこの誰がご丁寧にも「パスワード? それはこのホテルのカフェです」と連想できるのか。

 講演や研修の際に、ぼくは自分に戒めていることがある。それは、「受講生がぼくの言っていることを理解してくれていると安易に思い込まない」というものだ。つまり、他人は自分がわかってくれるだろうと思うほどにはわかっていないという想定である。他人の理解力に関しては、過大評価ではなく過小評価するほうが、念には念を入れて話をするようになる。

 ぼくの勘も鈍ったものだが、ホテル側も「当ホテル1階のカフェ『パスワード』で・・・・・・」と念には念を入れるべきだ。カフェの名前が『アンジェラ』や『サン・ジェルマン』であったならば、ぼくも瞬時に飲み込めたはずである。いずれにせよ、謎は解けた。今から機嫌を取り直して、その『パスワード』に夕食に出掛ける。一杯の無料コーヒーのために・・・・・・。  

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プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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