パリからミラノのマルペンサ空港に着いたのは2006年10月4日。その四年半前、この空港で退屈な時間を過ごした。その時はナポリへの乗り継ぎのため、便を待つこと4時間。もちろん、空港からは一歩も外に出ていない。だから、ミラノの市街へ入るのは五年半ぶりだった。
初めてミラノに滞在した7年前、ぼくは置引きに遭った。宿泊したホテルは貧弱、行く先々での食事はまずかった。街のそこかしこに目立つ大胆な落書き。これが新旧アートの誉れ高きミラノか・・・・・・と溜息をつき落胆した。そんなマイナスの印象が依然残っていたので、ミラノはパスして、パリからヴェネツィアに直行する計画だった。しかし、ミラノに滞在することに決め、インターネットでホテルを4連泊予約した。ミラノを拠点にすればジェノバ、トリノ、ベルガモへの一日旅行が楽になるという思惑ゆえである(ベルガモとスイスのルガーノには行ったが、ジェノバとトリノへのチャンスはなかった)。
しかし、7年前の芳しくない思い出には続編があったのだ。マルペンサ空港からリムジンバスでミラノ中央駅に着いた。乗客が全員まだ席についているのに、バスの側面の扉が早々と開く。突然、バスの停車場で待機していた不審な男が走り気味に近づき、旅行鞄の一つを持ち逃げしたのだ。そのラゲージが自分のものだと気づいた乗客が「あいつを捕まえてくれ!」と叫ぶ。運転手の遅々とした反応(泥棒と仲間だと思われてもしかたがない)。乗客が追い通行人も加勢したかに見えたが、視界から消えた。うかうかしていると自分のラゲージも危ない。ミラノはいきなり旅人を疲れさせる。
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中央駅そばの地下鉄駅から三つ目がホテルへの最寄り駅だ。直感的に地下鉄をやめて、路面電車でブエノスアイレス大通りへ。そこで降り、地図を頼りに夕闇迫る見知らぬエリアをホテルに向かった。ホテルにチェックインして荷物をほどいてやっと動悸が治まる。気が付けば、異様なほどの空腹。服も着替えずに外に出た。ホテルの目の前にグレードの高そうなレストラン。ここは明日の楽しみにしておこうと思い、とりあえず下町の裏道を歩くことにした。
いくつかの店を品定めしたあと、家族経営っぽい庶民的なピザ屋を見つけた。大阪の庶民的なお好み焼店の雰囲気だ。その店の食事、数え切れないほど食べてきたイタリアン食事史上で最低だった。半生のような分厚い生地のピザ。作り置きしていて温めなおしたスパゲティ。ミラノの隠れた名物であるはずのライスコロッケは大味。涙が出そうになったが、懐かしいモノクロのイタリア映画のシーンと登場人物で重ね合わせて、愉快がることにした。そうでもしないと、これからの4泊5日が呪われるような気がしたのである。
ゴシックの最高傑作ドゥオーモと最後の晩餐に象徴される歴史的遺産。ミラノ・ファッションに代表されるトレンディーな流行発信基地。そこにぼくの体験を織り込んでみると、街の文脈がまったく見えなくなってしまう。ミラノとはいったい何なのか? 奇をてらわず、凡庸な旅人になって定番観光に徹しようと決意した。その出発点に選んだのが、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡのガッレリアである。
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ホテルから地下鉄1線で4駅目にドゥオーモがある。(左)ドゥオーモ広場北側の入口からスカラ座までが「ガッレリア」。カフェ、レストラン、書店などが立ち並ぶ商店街アーケードだ。(右)ガッレリアからスタートしたこの日、方々を散策してドゥオーモ広場に戻ると大勢の若者で異様な賑わい。右の建物のバルコニーに現れたイケメンのタレントがお目当てだった。
(左)ガッレリアの巨大な入口。(中央)アーケードは1877年に完成。聳えるようなガラス天井。(右)舗道にはこれでもかとばかりにタイルとモザイク模様の装飾が凝らされている。
(左)華麗なモザイク床を土足で歩き放題。目の色変えてショッピングに精を出さなくても、歩くだけでも贅沢な気分になれる。(下2点)高級ブランド街は少し離れた通りに群を成しているが、ここガッレリアにはプラダ本店が鎮座。ルイ・ヴィトンも店を構える。日本人女性が客の大半であることは言うまでもない。
(左)ガッレリアを抜けるとオペラの殿堂「スカラ座」。第二次世界大戦後に建て直したので、古典色はない。パリのオペラ座に比べても質素な印象だ。




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