一昨日初回の書評会が終わって、大いに成果のある試みと判断している。同じ本を読んで「同感、同感」と納得するのではなく、みんなが違う本を読んで臨むのがミソである。書評会の後の食事会でも軽く質問したりジャブを打ち合うとさらにおもしろい。
準備のためには、本を買う、本を読む、本を選ぶ、抜き書きする、まとめたり再編したりする、検証する、書評を書くなどの作業があり、当日には発表する、書評を聴く、書物間に対角線を引く・・・・・・まあ、思いつくだけでこのくらいの多彩な知的活動を伴うわけだ。ある意味、仕事より大変である。自分が選んだ一冊の書評開示もさることながら、他に6冊の書評を吟味する。わずか2時間。これは高密度な脳活性であると同時に、とても効率のよい啓発機会でもある。
口頭説明としては大阪の地名について「講釈」したK氏がすぐれていたが、書評会は話術の会ではない。読書をして書評をペーパーで表現してプレゼンテーションすることに意義がある。ペーパーに記録が残っているから、評者さえ間違いなく引用したり的確にコメントしてくれていたら、そのまま使ったり、「いかにもその本を読んだかのように」振る舞うこともできる。
K氏の話はおもしろかったが、一ヵ月後には忘れてしまっているかもしれない。だが、よき教訓になった。ぼくは、研修でも講演でも配付資料・掲示資料ともに質量両面で充実させ、つねに最新の話題を盛り込んで刷新するよう努めている。だが、時間との格闘に疲れ果てると、資料を一切使わずに「喋りオンリー」でやってみたいと思うことが時折りある。実際、そういう時代もあったし、今でもやればできると思っている。しかし、聴きっぱなしはやっぱりダメである。一回きりでは深い記憶領域まで情報は届かないのだ。後日資料を振り返ることによって刷り込みが可能になる。K氏の愉快でわかりやすい話しぶりは、逆説的に言えば、アタマのいい聞き手かメモ魔によってのみ成立するのである。
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読書にまつわるおびただしい格言がある。手元の名言・格言辞典を覗いてみた(思想的背景とは無関係にことばだけ拾うので、誰の弁かは伏せておく)。
「読書は量ではなく、役に立つように読むことが問題である」。そうそう、教養だけでなく、どこかで活用しようと企んでいるのならば、自分の不足を埋めるように読まねばならない。「本はくまなく読んでも不十分で、読んだことを消化するのが必要である」。これもよく似たメッセージと言えるだろう。
「君の読む本を言いたまえ、君の人柄を言おう」。読書好きの知人も同じようなことを言っていた。「誰かのオフィスに行くだろ。応接室か会議室に通される。書棚の背表紙をざっと見れば、思想から性格まで見通せるよ」。同感である。但し、書棚を埋め尽くしている書物は複数の人間が読んだものを並べているかもしれないので、勇み足をしないよう。
他に、書物に対する批判的な教えに、「書物から学ぶよりも、人間から学ぶことが必要である」や「新しい書物の最も不都合な点は、古い書物を読むのを妨げることだ」などがある。ぼくは常々「人は人からもっとも多くを学ぶ」と思っているので、前者に賛成である。ただ、人からの学びは偏愛や畏敬の念をベースにすることがあるので、幅広く書物を読んで偏りを是正することも必要だ。後者は、目先のベストセラーや話題・時事を追いかけすぎて、読もう読もうと思っている古典に親しめないということ。最近は痛切にそう感じている。




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