2009年2月アーカイブ

「絵になる話」のための演出

2009年2月27日 15:00

 初めての試みだったそうである。ぼくにとっても初めての体験だった。昨日の講演は美術館。場所は栃木県の文化の森に建つ宇都宮美術館だ。階段状の講義室が会場で、演台の置かれたステージが一番低い構造になっている。上目線ではないので、話しやすく聴いてもらいやすいしつらえになっている。

 美術品を蒐集する美術愛好家ではない。だが、なまくら四つではあるものの美術一般に惹かれて生きてきたぼくである。館内に足を踏み入れた瞬間、わくわくし始めた。十年ほど前、研修が明けた翌日にこの美術館に連れてきてもらった。都会の雑踏を完全に遠ざけているので、アート鑑賞とちょっとした散策にはもってこいの立地である。

 講演が終わって、講演内容に後悔はしていないし大きな失点もなかったと自己採点している。しかし、いつものように「もっと工夫する余地はなかったか?」と自分に詰め寄れば、ないことはない。環境、アプローチ、ファサードと近代美術館にふさわしい舞台だったのだから、もう少し絵になる演出ができたのではないか。いや、ハードウェア的には無理。だが、「絵になる話、話し方」ができたかもしれないと振り返っている。

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 演題は『マーケティングセンスを磨く』。愉快ネタや美学的タッチも仕掛けてあるのだが、やっぱり実学的テーマである。ノウハウ系の話は、どちらかと言うと「ドキュメンタリー写真のような構成」になりがちで、なかなか「絵になる構図の話」にするのが難しい。会場が美術館らしいということは承知していたが、駅まで迎えに来てもらえるので、さほど意識がそこに向いていなかった。これからはTPOをもっと要チェックだ。

 絵を描くための材料とマーケティングツールの対比、絵画技法とマーケティングの方法論、キャンバスと市場、構図と戦略、額縁と囲い込み、作品と広告、鑑賞と価値創造・・・・・・100%即興では無理かもしれないが、一週間前にこのような類比(アナロジー)をしておけば、もっと色彩感が横溢する空気を醸し出せただろう。実学マーケティングも、アートとのコラボレーションによって親しみやすくなる可能性はある。

 「話が絵になる」―これには二通りの意味がある。話の中身・話し手・立ち居振る舞いや小道具・照明など演劇的印象を与えるというのが一つ。もう一つは、音の組み合わせであることばが文になりストーリーになり、やがて絵になって見えてくるという効果。講演における来場者を、聴講者、聴衆、受講者などと呼ぶが、「講演を観てもらう」という「観客」としてもポジショニングしてみたいと思う。

差異と変化について考える

2009年2月25日 15:30

 えらく硬派なテーマである。本を読んでも人の話を聞いても知り合いのブログに目を通していても「変化」という文字がやたら目につく。ぼくも講義でしょっちゅう使っている。「変化とスピード」をクレド(経営信条)として掲げている得意先もある。他方、格差や差別や分別など、一言で「差異」とくくれる概念も目立つ。先週のマーケティングの講演で「差別化か、さもなくば死か」という、ジャック・トラウトの物騒なテーマも取り上げた。人は差異と変化によって成り立っている―これが、ぼくが導こうとしている主張である。

 差異。差異があるから比較したり対立させたり、いずれかを選択したりできる。一番近い本棚に『政策形成の日米比較』という10年前の本があるが、比較するのはそこ(日米間)に差異があるからである。社会の中から自分だけを切り取って語るのは難しい。自分とは他人との差異によってはじめて語るに値する存在である。得は損によって、夢は現実によって、善は悪によって明確になる。二項以上が並立したり対立するのは差異ゆえである。

 初めて誰かを見たり接したりする。たとえばRさん。このときあなたがRさんに持つ印象は、Rさん本人だけからやってこない。それはSさんやTさんとの差異に基づくのであったり、あるいは一般的な人間の尺度との差異による印象であったりする。これは人にかぎらない。ふきのとうの天ぷらを苦く感じたのならば、それは苦くない他の食材との差異ゆえである。何かと対比しなければ、苦さすら感じないのだ。これは食材だけにかぎらない。ことばも概念も同じだ。「今日」ということばは「昨日」と「明日」との差異によって成り立っている。「まぐろ」を注文して「はまち」や「よこわ」が出てこないのは、客も寿司職人も差異がわかっているからである。

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 この差異に加えて、変化ということばをぼくたちはどのように使い分けているのだろうか―こんなことを数日前から考えていた。

 列車の旅をしていて、P村からQ町に近づく。切れ目なくアナログ的に窓の外が移ろうので、このときは「風景が変わる」というように「変化」という表現を使う。ところが、飛行機に乗りM国からN国へ向かう。機中で寝ているうちに到着する。ある意味でデジタル的なワープがそこに起こっているので、M国がN国に変化したのではなく、M国とN国との(突然の)差異に気づくのである。

 連続するものに「変化」を用い、非連続なものに「差異」を使っているのかもしれない。おたまじゃくしは蛙に「変態」する。メタモルフォーゼは同一固体における外形・性質・状態の変化である。これを「おたまじゃくしから蛙に差異化した」とは言わない。

 K君と初対面。「太い」という印象を受ける。このとき、ぼくたちは特定のL君や一般的な尺度との差異を見て太いと感じる。二度目にK君と会う。このときも、たしかに「やっぱり太い」という差異を認めるが、新たにK君における変化をも見る。三日前のK君と今日のK君の体重の変化を感じている(「こいつ、また太った」)。こうしてK君と長く付き合っていく。そうすると、他者との差異には鈍感になっていき、K君自身における変化のみに敏感になってくる。これは体重だけではない。顔つき、服装、能力、立ち居振る舞い、趣味などありとあらゆる面の変化を嗅ぎ取るようになる。

 「個性をつくれ」は差異であり、「能力を伸ばせ」は変化である。他人と違う発想をもつ―これは差異だが、標準から逸れるのを恐れる日本人にとっては結構難しい。しかし、もっと難しいのは、昨日の自分の発想から離脱する変化である。「変わりたい、でも変われない自分」がいつもそこにいるからだ。

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 イチローのTVコマーシャルを思い出す―「RVは変わらなきゃ」。しかし、翌年か翌々年には「変わらなきゃも変わらなきゃ」に変わった。変化してほっとしていてはいけない。変化はエンドレスなのだ。「変化しなければ生き残れない」―その通りである。しかし、このコンセプトを固定させてもいけない。毎度毎度変化を実践している者にとっては、「変化しないでおこう」という選択の変化もありうるのだ。アタマが混乱してしまいそうだが、差異と変化は不思議でおもしろい。

時間、寛容、自由の三点セット

2009年2月24日 15:00

 つい「もったいない時間を過ごした」とつぶやいたが、まんざら悪い気もしていない。今朝、本来なら30分で済んだかもしれない打ち合わせが3時間になってしまった。脱線、見直し、小言などであっという間に時間は経過した。半時間で終わる予定が3時間になった―3時間要してしまったのだが、見方を変えれば、3時間注げる余裕があったということでもある。別の約束があったり期限を妥協なく設定しておけば、予定通りに終わった、いや終えることができたはずである。

 サラリーマン時代の話。もう25年くらい前になるだろうか。縁故で商談に出掛けていた上司が帰社してぼくにこう言った―「紹介してもらった人は部長だったけど、2時間も話を聞いてくれた。たぶん、あまり仕事のできない、閑職にある人なんだろう。暇人でなければ、そんなに時間は取れないからな」。会ってくれた相手にそんな言い方はないだろうとぼくは思った。その部長は多忙にもかかわらず、寛容の精神で接してくれたかもしれないではないか。風呂敷のたたみ方を知らぬ上司のほうこそ仕事のできない暇人ではなかったか。

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 暇人だから時間に融通がきくとはかぎらない。たしかにそんな御隠居さん的ビジネスマンもいる。しかし、「忙中閑あり」も真実だ。人は多忙だと思っているわりにはゴミ時間も消費している。逆に、時間がたっぷりあると油断していると、あっという間に一週間や一ヵ月が過ぎてしまう。忙と閑をうまく使い分けて時間管理をきちんとしていれば、時間に対して寛容になれる、つまり「あなた時間でいいですよ」と言えるようになる。

 アポイントメントを取るとき、月日は双方合意で決めるのは当たり前。その後の時間決定の段になると、ぼくは原則として相手に時間指定権を譲る。こちらから出掛けていってお邪魔するときも、相手に来てもらって迎えるときも同じである。「その日は終日空いています」とか「夕方以外は午前、午後いつでもいいです」というふうに自由に時間を選んでもらう(もともと欲張って分刻みの約束はしないし、できるかぎり一日のアポイントメントは一件、せいぜい二件までにしている)。

 「あなた時間」で決めたからといって自分が束縛されたり窮屈になるものではない。「あなた時間」に「自分時間」を合わせることができる―これこそが真の自由時間だと思っている。暇であるか多忙であるかという状態と、時間が自由であることはあまり関係がない。先行して段取りさえしておけば、多忙であっても自由時間は持てる。後手後手に回ると、暇であっても時間は自由にならない。

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 時間だけではない。時間以外の諸条件も相手の主張をできるかぎり呑むことによって自由が生まれると思っている。自由が欲しければ、まず寛容にならねばならないのだ。

 「時間? お任せしますよ」と言えるようになってはじめて、時間をコントロールできたことになる。いつでも自分時間で動けるのは、一見マイペースのように見えるが、「その時間帯」以外が窮屈ということだ。「この時間でなければならぬ」という人物は、可哀想に自由がないのである。その人たちの手帳は屑みたいな約束とゴミ時間の印で埋められていることが多い。

週刊イタリア紀行No.31 「フェッラーラ(2) 肩肘張らない世界遺産」

2009年2月22日 07:30

 「次回のイタリア紀行はどこですか?」 一ヵ月ほど前、この紀行が一週間とんでしまった。そのときにある人が聞いてきたのである。「フェッラーラのつもりだけど・・・・・・」と答えた。なぜ「だけど・・・・・・」かと言うと、フェッラーラのネガフィルムがデジタル変換できておらず、間に合うかどうかわからなかったからだ。案の定、一週間空いてしまった。おまけに、取り上げたのはフェッラーラではなく、ピサのほうであった。

 尋ねた彼はフェッラーラの場所をよく知らなかったが、「あ、『フェッラーラ物語』という映画がありましたよね」と、さもぼくがその映画を知っているかのようにことばをつないだ。ぼくはイタリア紀行などというものを書いているものの、さほどのイタリア情報通ではない。まず映画そのものをあまり見ない。イタリア映画もよく見逃している。1987年の映画で彼自身がストーリーをほとんど覚えていない。調べてみた。『フェラーラ物語 / 金縁の眼鏡』というタイトルである。あらすじだけからの想像だが、この映画を観てからフェッラーラを訪ねていたらだいぶ印象が変わっていたに違いない(観ていなくてよかったし、今から観たいという気分にもならない)。いつも思うことだが、旅の予備知識の有無あるいは多寡は悩ましい。

 悩ましいと言えば、海外地名の表記だ。"Ferrara"を「フェラーラ」と表記するか、本ブログのように「フェラーラ」とするかの選択に悩む。上記の映画の邦題もウィキペディアでも「フェラーラ」だが、手元のガイドブックをはじめ専門書や紀行文では「フェッラーラ」が多いのでそれに従った。イタリア語では同じアルファベットが二つ連続するときは、直前の音に「小さなツ」をくっつけて拗音化すると現実の発音に近くなる。"Ferrara" は "rr" と続くので、直前の "Fe" を「フェ」と発音する。"Cavallo" (馬)は「カヴァロ」、"Spaghetti" は「スパゲティ」になる(「走る」に「た」がついて「走た」になる日本語の音便と似てなくもない)。

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 この日は月曜日だった。カテドラーレや広場はまずまずの賑わいを見せていた。ここは自転車の街と聞いていたし、駅前でも溢れんばかりの台数を目撃していた通り、歩行と走行が入り混じる。しかし、中心からほんの少し離れたりちょっと横道に入ったりすると一気に閑静な趣に変わる。時折り颯爽と通り過ぎていく自転車。身のこなしがかっこよく見えるのは、舞台装置のせいか。

 これまでの紀行で繰り返し「中世の面影」や「時代の香り」や「文化の名残り」をはじめ、これらに類する表現を多用してきた。そういうことばをこのフェッラーラに流用できないこともない。しかし、「ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」が世界遺産登録されているフェッラーラに「古色蒼然」は感じられない。ここは古代色や中世色の濃厚な他のイタリア都市とは違って、近世的に洗練されている印象を受ける。そして、それが現代にも連なっていて、肩肘を張らない日常生活光景と上手に共生しているように思われる。いい街―それは"decente"という形容詞が近かった。「ほどよく抑制のきいた」というニュアンスである。 《フェッラーラ完》

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  fe (15).JPG fe (6).JPG fe (2).JPG fe (9).JPGのサムネール画像fe (11).JPGfe (10).JPG  

(上4点)商店街を抜けて住宅街へ。実に落ち着いた街路の遠近感ある構図が気に入っている。歩いた通りを地図上でずっと確かめていたが、5年前の記憶は簡単にはよみがえらない。通りごとに道の色合いが微妙に変わる。(左2点)鉄道駅までの帰路。豪邸あり、しゃれたバールあり、さりげなくしつらえられた路肩あり。

 

(下2点)エステンセ城から南へほんの100メートル歩くと、トレント・トリエステ広場に出る。市庁舎、大聖堂(カテドラーレ)、ドゥオーモ美術館が建ち並ぶ。fe (1).JPG fe (3).JPG fe (25).JPG fe (27).JPG

(左上)なんともゆったりした広場の石畳を人が歩き自転車が自由に走る。(右上)大聖堂(カテドラーレ)のファサードはロマネスクとゴシック様式が混在するデザイン。教会の軒下を利用して商店が並んでいる。

過去との対話で気づく新しさ

2009年2月20日 16:30

 本ブログは7つのカテゴリに分かれている。当然、それぞれのカテゴリには名称に見合った「意図」がある(少なくとも当初はあった)。

 「視線と視点」では持論を綴るつもり、「IDEATION RECIPES」ではアイデアの出し方を紹介するつもり、「ことばカフェ」はことばに関するもろもろの雑感のつもり(コーヒーは出ないが)、「五感な街・アート・スローライフ」はぼくの趣味や理想の暮らし方のつもり(現在はイタリア紀行に集中しているが)、「温故知新」は昔の自分のメモの再解釈のつもり、「Memorandom At Random」は日々の気づきを書いているつもり、「新着仕事 拾い読み」は最近の仕事の話のつもり・・・・・・。

 こうして一覧すると、「温故知新」が、当初の「つもり」とだいぶ路線が違ってしまっている。ここでの「古きをたずねて」の「古き」は自分自身が過去に書いたメモ帳、「新しきを知る」の「新しき」は現在のテーマのつもりであった。だが、だいぶ変容してしまっている。人はおおむね昨日よりも今日、今日よりも明日成長するという楽観的前提で生きているが、もしかして昨日のほうがいいことを考えていたのではないか、もしそうならば時々過去の自分と対話してみるべきではないか―こんなふうに考えて「温故知新」というカテゴリを設けたはずだった。

 一番最近の「温故知新」の記事など、大それた時代論になっているし、むしろ「五感な街・アート・スローライフ」のカテゴリに振り分けるべきだったかもしれない。ちなみに、この「温故知新」をぼくは"Forward to the Past"と英訳している。もちろん"Back to the Future"との対比のつもりで、「過去へ進む」というニュアンスを込めている。これからは大いに反省をして、本来ぼくが思惑とした原点に戻ろうと思う。

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 ディベート指導を頻繁にしていた1994年のノートに本の抜き書きメモがある。

 騙されるということは、どの点とどの点が、どのように違うのか、対象をきちんと摑まえていなかったために起こるのである。「己れを知り、敵を知らば、百戦危うからず」である。そのため、ギリシャの弁論術から、われわれは自己と対象を客観的に眺める、"つき放しの精神"を学ぶことが大切である。(向坂寛『対話のレトリック』)

 最近ことばの差異、商品・サービスの差異、情報や記号の差異について考えている。類似よりも差異に意識が行っている。考えてみれば、ディベートは極端な差異を扱う論争ゲームである。だから疲れる。そう、差異を理性的に見極めるのは大変なエネルギーを必要とする。「みんな同じ」と考えるほうがよほど楽だし目分量で片付けられる。

 つい親しくなると突き放せなくなる。親しくなると議論しにくくなるという意味である。もし、親しくなかったらノーと言っているはずなのに、ただ彼を知っているという理由だけでノーと言わなくなる。親密度と是非はまったく別のものだ。ノーと言ってヒビが入るような人間関係なら、もともと砂上楼閣だったわけである。

 信頼していた人物が失墜した、あるいは絶賛した商品が欠陥品だった、支援したイベントがインチキだった・・・・・・こんな話が目白押しの昨今、プラスからマイナスに転じた対象だけを咎めるのではなく、己の側に突き放しの精神が欠けていたことも猛省すべきだろう。たしかに騙されたかもしれないが、理性不足であり見る目がなかったとも言えるからである。先の抜き書きは次のように続く。

 ユーモアやアイロニーは、このように客観的にコトバと自己とをみつめる余裕から生まれたのである。これは甘えの精神と相反するものであるだけに、われわれにとって大いに自覚して努力することが肝要であろう。

 愉快精神と批判精神の足りない時代だと嘆いてきたぼくにとって、久々に視界が開ける過去のメモになった。これが温故知新の効用である。    

ツケの大きい先送り厳禁

2009年2月18日 16:00

 今夜、今から3時間後にマーケティングについて2時間弱の講演をおこなう。この内容についてすでに三週間前に資料を主催者側に送り、準備万端であった。ところが、講演で使用するパワーポイントを今朝チェックしていてふと思った―あまり早く準備するのも考えものだと。

 全体の流れや構成は全部アタマに入っている(自作自演するのだから当たり前だ)。しかし、集中して編み出したアイデアやディテールについては、別にダメだなどとは思わないが、時間の経過にともなってピンと来ない箇所があったりする。「これ、何を言おうとしたのかなあ?」という、瞬間の戸惑いだ。それも無理はないと自己弁護しておく。話であれ書いたものであれ、話して書いた瞬間から賞味期限が迫り、やがて切れていくのだから。

 しかし、効率という点からすれば、講演なら一週間くらい前に準備してアタマに入れておくのが、ちょうどいい加減なのかもしれない。そんなことを午前中につらつらと考えていた。

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 「先手必勝」や「善は急げ」や「機先を制する」などという言い伝えと同時に、「急がば回れ」や「急いては事を仕損じる」などの価値が対立する諺や格言が存在する。いずれにも真理ありと先人は教え諭してきたのだろうが、凡人にとってはどちらかにして欲しいものである。つまり、急ぐのがいいのかゆっくりがいいのか、あるいは、早めがいいのか遅めがいいのか―ズバッと結論を下してもらったほうがありがたい。すべての諺を集大成すると、堂々たる「優柔不断集」になってしまう。

 だが、ぼくは自分なりに決めている。自分一人ならゆっくり、他人がからむならお急ぎである。講演は他人がからむ、資料は他人に配付する。だから早めに準備しておくのが正しい。二度手間になってもかまわない。できるときにしておくのがいい。善は急げとばかりに、さっき一ヵ月後の研修レジュメをすでに書き上げスタンバイさせた。

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 膨大な企画書を何十部もコピーしてプレゼンテーションしなければならない。そんな企画書が提案当日の午前にやっと出来上がる。プレゼンテーションはお昼一番だ。一台しかない複写機がフル稼働する。ランチをパスしてホッチキス留めして一目散に得意先に向かう。何とか三十分後に到着し、無事に会合に間に合った。しかし・・・・・・

 企画書を手にした部長が一言。「この企画書、まだ温かいね」。そう、鋭くも的確な皮肉である。「この企画はたぶん熟成していない。したがって、検証不十分のまま編集されたのだろう」と暗に示唆するコメントであった。ご名答! である。ぼくの体験ではない。若い頃に目撃した、ウソのようなホントの一件である(実際にコピー用紙は温かかったのだ)。仕事の先送りは、熟成を遅らせることであり、ひいては検証不能状態を招くことなのだ。

 グズだから怠け者だから先送りするのだろう。しかし、生真面目な人間であっても、ついつい先送りを容認して習慣化していくと、グズになり怠け者になっていくのである。ぼくは、その両方のパターンを知っている。その二人とも働き盛りなのに、ツケの返済に日々追われて創造的な先手必勝の仕事に手が届かない。 

二十四節気のごとく時は移ろう

2009年2月17日 12:15

 指摘されて気づいたことがある。「最近、営業マンや店員のネタが少ないですね」。そう言われれば、そうかもしれない。指摘した彼は、ぼくのブログの営業マンや店員の話がお気に入りだそうである。ところが、ここしばらくぼくのテーマが小難しくて理屈っぽくなってきたと言うのである。

 自分で書いているのだから、思い当たらぬこともない。昨年末からすれば今年、今からすれば3月、4月に向けてだが、ぼくはいろいろと考えているのである。つまり、現在は「観察モード」の時期ではなく、「思考モード」の時期なのである。いや、観察もしているのだが、目ぼしい観察対象に恵まれないし、ハッとする気づきもさほど多くない。感受性の劣化と言われればそれまでだが、ネタ(テーマ)がそこらじゅうに転がっているようには思えない。だから、ネタを考えて編み出さねばならない―そんな気分になっている。

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 年単位の発想が春・夏・秋・冬という四半期単位になり、最近では月単位、いや場合によっては、さらに単位を細かくして折れ線グラフの変化を見なければならなくなった。マクロなGDPから身近なレシートに至るまで、油断することなく上下変動に目配りする必要がある。かつて四季折々の気候や風情を表現した二十四節気という「目盛」をご存知だろう。

 【二十四節気】 立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒。

 人間社会が仕掛けた政治や経済現象が、人間が想像し予測する以上のスピードで、四季の単位では計れない移り変わりを見せている。じっくり腰を落として観察していては間に合わず追いつかないかもしれない。二十四節気の移ろいを肌で感じていた、かつての「動体体感」なるものを取り戻さねばならないのか。

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 また理屈を書いてしまった。要するに、ブログの記事内容に変化が生じたのは、観察環境が変わったからである。つまり、ここ二、三ヵ月の間に営業マンが飛び込みでやって来なくなった―ただそれだけのことだ。食事で店に行っても、店員の数が減っているような気がする。それが少数精鋭化を意味するのかどうかはわからないが、ぼくのネタになる失態や不躾にとんと出くわさなくなっているのである。

 確約されたはずの仕事が翌週には「なかったことにして」となり、アポイントメントが当たり前のようにキャンセルされ、たしか先週そこにあったはずの店が今日は閉まっている。定休日だからではない。店を閉めたのだ。時が慌しく刻まれつつある。ボヤボヤしていてはいけない。感度のよいセンサーを増やさねばならない。しかし―だからこそ、目先の変化に一喜一憂しない「思考モード」があってもいいのではないか。たぶん、これからもしばらくの間は、小難しい理屈をほざくかもしれない。

ノルマという強迫観念と習慣形成

2009年2月16日 17:00

 親愛なる読者の皆さん、どうか透明な心でお読みいただきたい。ぼくにはまったく悪意などないし、誰か特定の方々に向けて嫌味を言うのではない。ブログでは当たり前のことだが、もし気に入らないくだりに差しかかったら即刻退出していただいて結構である。今日のテーマは、ブログに関する「観念と習慣」の話。

 気が向いたら毎日、そうでないと一ヵ月も二ヵ月も空くブログ。こんな気まぐれと付き合う気はしない。規則正しい頻度なら週刊でもいいが、月刊は間が長すぎる。「待ちに待った」というほど読者は期待していないだろう。

 この「Okano Note(オカノノート)」は、自分なりにはリズムはあるものの、不定期更新である。しかし、月平均20日くらい更新しているので週に5日の頻度で記事を書き公開し、一ヵ月のうち60~80%「埋めている」ことになる。書くテーマがあっても書く時間がないときがあるし、時間がたっぷりあってもテーマがさっぱり浮かんでこないこともある。もちろん、テーマ・時間ともに豊富であっても「その気」にならないこともある。ぼくに関して言えば、テーマも時間もないのに自分だけが「その気」になって書くことはない。

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 「毎日ブログを書く」にもいろいろある。数日間更新しなかったが、後日まとめて記事を書いて抜けた日々を埋めていくやり方―この場合、更新されたその日の分はしっかり読んでもらえるかもしれないが、その二日、三日前のはざっとしか目を通してもらえない可能性が高い。毎日日付が入っているという意味では「日々更新」というノルマは達成されてはいるが、意地と強迫観念が見え隠れする。

 毎日一つの記事を更新する―これが純正の「日々更新」なのだろう。強迫観念だけではやり遂げられるものではない。もはや朝の歯磨きに近いほど習慣が完璧に形成されていないとできない。ある意味で、歯磨き以上の習慣力が必要だ。なぜなら歯磨きは3分間で済むし、毎日異なったテーマを求めてこない。ブログのエネルギーは歯磨きの比ではない。

 数日間空いたのを後日穴埋めすることもなく、毎日更新する―それは感嘆に値する習慣形成である(たとえば、テレビでお馴染みの脳科学者・茂木健一郎のブログ「クオリア日記」がそれだ)。

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 昨年6月からブログを始めたが、ノルマを公表しなくてよかったとつくづく思う。ぼくは三日坊主の性分ではないが、毎日と決めるとアマノジャク的に嫌になってしまう。「気の向いたときに書いてみよう」という軽い動機くらいのとき、ぼくは結構マメにこなす。さほど暇人でもなく出張が多い身で、週4、5回更新していたら一応合格ではないかと思っている。

 ここで話を終えてしまうと、「なんだ、やっぱり毎日更新しているオレに対する嫌味じゃないか!?」と思われてしまう。そうではない。ブログは一種の観念であり習慣であり、場合によっては意地であり修行である。そんなブログを毎日更新している方々に敬意を表しておきたい。マラソンにたとえると、ぼくの前を走るペースメーカーのようだ。背中を見ていると何とかついていけそうな気がする。しかも、強迫観念の風はぼくには当たらないのが何よりである。 

週刊イタリア紀行No.30 「フェッラーラ(1) ルネサンス期の宮廷都市」

2009年2月14日 19:00

 五年前のことである。ややハードな旅程を組んだ。関西空港からオーストリア航空を使い、ウィーンに2泊、空路でローマへ行き2泊。そこから鉄道でペルージャ(1泊)、フィレンツェ(4泊)、ボローニャ(3泊)へ。復路はボローニャからウィーン、そして関西空港へ。機内を含めて13泊。フィレンツェ滞在中にシエナとピサへ日帰り旅行した。今回のフェッラーラへはボローニャ滞在中に出掛けた(フェッラーラはボローニャからはとても便利で、ヴェネツィア方面に列車で半時間ちょっと)。

 当時知人がローマに住んでいた。在住30年の日本人男性である。その彼が親切にも全旅程のホテルを予約してくれた。ローマで彼に会い、お礼にランチをご馳走させてもらった。その後に向かうフィレンツェのお薦めレストランやシエナの情報を教えてくれた。ついでとばかりに、ボローニャ近郊の日帰り旅行について尋ねてみた。「パルマかフェッラーラのどちらかに行くつもりにしている。どちらがいいだろうか?」

 生ハムのブランド「クラッテロ」やパルメザンチーズで世界に名を馳せるパルマに以前から心を動かされていた。しかし、機内でガイドブックをめくり読みしているうちに、パルマの知名度の足元に及びもしないフェッラーラに、無知ゆえの好奇心が芽生え始めていた。知人はまったく逡巡することなく、「二択ならフェッラーラでしょ。いい街です」と答えた。この即答とさりげない一言で行き先は決まった。

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 「すごい」に類する感嘆とは無縁だったが、いい街だった。しかし、さらりと「いい街」と言ってのけられる街などそんなに多くはない。ルネサンスはフィレンツェの専売特許のようによく語られる。だが、フィレンツェにメディチ家というパトロンがいたように、当時のイタリアの他の都市にもそれぞれ有力者がいて独自のルネサンス文化の発展を支えていた。フェッラーラにはエステ家が1264年から1597年まで三百年以上君臨していた。

 「最もルネサンス的な都市と言われているのは、フェッラーラ公国であって、フィレンツェではない」と『イタリア・ルネサンス』(澤井繁男著)には書かれている。さらに、同書はスイスの歴史家ブルクハルトの言も引用して「フェッラーラがヨーロッパ最初の近代的な都市」とも付け加える。帰国してから知ったことだが、「いい街」は「どえらい街」だったことがわかり、そぞろ歩きと軽めのランチをしてさっさとボローニャへ帰ってきたのが惜しくなった。二都を追いかけると必ず心残りのツケが回ってくる。

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fe (14).JPG fe (12).JPG(左)何の変哲もない駅前光景。おびただしい自転車が目立つ。(右)市街に向かうカヴール通りは並木道。

fe (18).JPG fe (19).JPG fe (21).JPG (左3点)エステ家の居城「エステンセ城」。現在は市庁舎。堀に囲まれ4本の塔が建つ。空中庭園もあるが、他所の絵画館や美術館同様、あいにくの月曜日につきお休み。 fe (0).JPGfe (26).JPG fe (24).JPG

(左)柱の装飾。「お疲れさま」と声を掛けたくなる。(中央)レストランでラヴィオリを食べながら窓外の騎馬像に目をやる。(右)中心街は道幅が広く、人と自転車が行き交う。

「はい!」―元気な返事は要注意

2009年2月13日 14:15

 自分が「はい!」と元気よく反応することもあるし、相手がこちらに対応して「はい!」と元気な場合もある。ぼくはめったなことでは調子よく愛想を振りまかないが、「来週に大阪? じゃあ、食事に行きましょう」と軽やかに条件反射することはある。しかし、「は~い! ぜひぜひ!」と愛想よく返事をする人と実際に食事をすることはきわめて稀である。逆も真なり。「近々相談に乗ってくださいよ」に対して「はい!」とぼくが元気に答えるときも、めったに仕事成立には至らない。

 元気な返事が一種の虚礼であり社交辞令であり人間関係の潤滑油であることを知ったのは、十年くらい前。ずいぶん晩熟(おくて)だったものだ。それまでぼくは、「はい」とは承諾であり賛成であり実現に向けて努力をする意思表明であると純粋に考えていたのである(「はい!」と元気よく返事されたら、ふつうは性善説に傾くだろう)。だが、ぼくはもう騙されない。考えてみれば、「はい」で会話が終わること自体が不自然なのだ。実行に至るのなら、どちらか一方から「では、日時を決めましょう」となるはずである。

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 事はアポイントメントにおける「はい」だけに終わらない。「例の案件、考えてくれた?」に対する「はい!」にも気をつけるほうがいい。経験上、「考えた?」への「はい!」は十中八九考えていないし、「分かった?」への「はい!」も99%分かっていないし、「できる?」への「はい!」は「できないかも」と同義語である。最近のぼくは「はい!」は"イエス"ではなく、「とりあえず返事」であることを見抜いている。だから、「はい」で会話を終わらせてはいけない。コミュニケーションが少々ギクシャクしても、"5W1H"のうち少なくとも二つくらいの問いを追い撃ちしておいたほうがいい。ついさっきも、元気な返事の欺瞞性を暴いたところだ。

 夕方4時半に来客がある。コラボレーションでできるビジネス機会について意見交換をする。担当のA君に内線で確認した。「何かテーマなり提案内容を考えてる?」と聞いたら、「はい!」と返事が元気である。言うまでもなく、この開口一番の「はい」は「考えていない」ことを示す兆候だ。「たとえば?」でもいいのだけれど、あれこれと取り繕う可能性もあるので、ちょっとひねって「考えたことを紙に書いた?」と、逃げ道のない追い撃ちをかけた。「いえ、書いてはいません」と彼。この後、考えていないことが暴かれていった二分間の経緯は省く。

 ソシュールを乱暴に解釈すれば、書いたり話したりするなど言語化できないことは「アタマの中でも考えていない」ことになる。ことばを発して初めて思考は成立する。「口に出したり書いたりはできないけれど、ちゃんと考えていますから」はウソである。「考えてはいるけれど、うまく言えない」というのもコミュニケーションの問題ではなく思考力の問題である。うまく言えないのは語彙不足だからであり、語彙不足ならば理性的思考はしづらいだろう。厳しい意見になるが、「うまく言えないのは、考えていないから」なのである。

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 「はい!」はぼくへのウソであると同時に、自分への偽りだよ―と、A君に言った。人間は自分が考えていると思っているほど考えてはいない、とも言った(ぼく自身の反省でもある)。最後に「このブログに『A君につける薬』という新しいカテゴリを作ったら、『週刊イタリア紀行』よりも人気になるかもしれないな」と言ったら、「いや、それはご勘弁を」と平身低頭。「ネタは無尽蔵なんだけどなあ~」とぼく。いずれ本にして出版してもよい。すでに「あとがき」までできている―「書物に、実社会に、人間関係にと、A君につける薬を求め続けたスキル探訪の旅は終わった。結局、そんな薬はなかった。最後の頼みは、A君自身の毒を以って毒を制すことである」。 

余計なことを考えたり口に出す精神

2009年2月12日 16:00

 まったく縁のない話は、いくら想像を働かせてもまったくわからない。まったくわからないことに絡んだりツッコミを入れたりすることは不可能である。その話題や事柄と接点がなければ、批判すらできない。批判精神を高尚なるものと思いがちだが、そんな大それたものではない。すでに知っているか、何らかの関心があることに対して「ちょっと待てよ」というのが批判精神だ。その批判精神が「余計なことを考えさせたり、一言口に出させたり」するのである(言うまでもなく、知らないことや関心のないことは賞賛も批判もできないし、するべきでもない)。

 一昨日ある格言(諺?)を初めて知った。「碁に負けたら将棋に勝て」がそれだ。ほほう、こんな言い回しがあるのかと淡々と吟味してみた。ぼくは碁は知らない。周囲に碁打ちがおらず、いっさい学ぶ機会がなかった。将棋は二十代の頃に二年間ほど嵌まった。基本は独習したが何度かプロにも教わったし、道場にも通った。実戦機会が少なく「ペーパー四段、手筋三段、実力二段」などとからかわれた。おもしろいことに、道場ナンバーワンのアマチュア四段に勝ったこともあれば、中学一年の三級に惨敗することもあった。波は激しいほうだが、決してヘボではないと自覚している。

 さて、「碁に負けたら将棋に勝て」。碁を知らなかったら、そもそも碁を打たないだろうから、碁に負けることはない。その彼が将棋を知っているにしても、「碁に負けたら」という仮定が成り立たない。次に、碁は知っているけれど将棋は知らないという別の彼にも当てはまらない。「碁で負けた。ちくしょう、次は将棋だ」と矛先を変えることができないからである。もうお分かりだろう。これは碁と将棋の両方をたしなむ人に向けられた格言なのである。

☆ ☆ ☆

 ところで、あることで負けたけれど別のことで勝てば相殺できるのだろうか。「幸福度ではお前に負けるが、頭の良さでは勝つぞ」と言ってみたところで、単なる負け惜しみではないか。賢さなどよりも幸福のほうが絶対にいいとぼくは思う。もっと言えば、幸福でありさえすれば、他のすべてが連戦連敗でもいいのかもしれない。

 以前NHKの衛星で藤山直美と岸部一徳が対談をしていた。一言一句まで正確には覚えていないが、舞台で失敗して憂さ晴らし云々と語る岸部に対して、藤山が「舞台で失敗したもんは舞台で取り返さなあかん!」とたしなめていた。十以上も年上になかなか飛ばせない檄である。こういうのを最近は「リベンジ」ということばで済ませるのだが、誰か相手がいて仕返しをしているわけではない。ダメだ失敗だと思うたびに対象を変えたりレベルを落としていては、永久にプロフェッショナルにはなれないだろう。

 昨日、日本対オーストラリアのサッカーの試合を観戦した。ワールドカップドイツ大会の借りを返すだのリベンジするだの騒いでいたが、舞台違いじゃないかとぼくは思っていた。負けたのはワールドカップの本場所だ。今回はアジア予選だ。「世界で負けたらアジアで勝て」などということは、アジアの偏差値が世界を逆転してから言うべきだ。結果、引き分けだった。「世界で負けてアジアで引き分け」では格好はつかない。

☆ ☆ ☆

 碁と将棋の話に戻る。あなたが完敗に近い形で碁で負けたとする。悔しいあなたは負けた相手に「ようし、今度は将棋だ!」と挑戦する。相手は困惑気味にこう言う―「あのう、私、将棋は指せないんです」。将棋で勝つどころか、将棋で戦えないのだ。さあ、あなたはどうする? 将来彼を倒せるようになるまで碁を猛勉強するか、それとも彼に将棋を教えて早々に勝利の美酒に酔うか。      

大差のようで僅差、僅差のようで大差

2009年2月11日 09:30

 今週金曜日に第2回の書評会がある。残念ながら、ぼくが取り上げた本の書名は現時点で公開できない。少しだけ紹介すると、「350万冊の蔵書がある図書館」の話が出てくるくだりがある(ちなみに国会図書館はこの倍数あるそうだ。拙著の二冊も収めてくれているらしい)。今日は、この図書館の話から触発されたぼくの連想を綴ることにする。

 この天文学的な蔵書数を分母に見立ててみる。一冊読んだ時点で350万分の1の知を得るというわけだ。奇跡的な一日一冊という超人的読書家は想定しない(だいたい超人なら本など読まなくていいだろう)。現実的に考えると、週に一冊読む人は熱心な読書家であり、しかもしっかりと精読している可能性すらある。年に50冊を70年間続けると、生涯読破本は3500冊になる。これは驚嘆してもいい数字だと思う。さて、もう一人想定しておく。読書はあまり好きではないが、年に一冊くらいなら読むという人。読書人生70年として70冊になる。

 偶然にして暗算可能な数字になったが、念のために電卓ではじいてみる。読書家は当該図書館の蔵書の0.1%の知を獲得した。もう一方のあまり読まない人で0.002%である。少々乱暴だが、小数点以下切り捨てなんてことを適用すると、いずれもゼロになってしまう。図書館をビュッフェスタイルのホテルレストランにたとえれば、世界各国から選りすぐった百種類の料理を出したところ、二人とも一種類の料理の匂いだけを嗅いだだけだった―そんな感じである。二人に歴然とした差はない。森羅万象の知の前では、よく読んでもあまり読まなくても同じようなものなのだ。

☆ ☆ ☆

 すべての人類は、ありとあらゆる書物に対して「ほとんど非読・未読の状態」に置かれている。みんな「読んだ」とは言うが、まさか「読んでいない」とは吹聴しないだろう。生涯、万巻の書など読めやしないのである。知というものは、よく究めても全知の1%にも満たない。そういう意味では、人間はみんなその1%未満の知の世界にあって僅差でしのぎ合い折り合っているものだ。格差社会とは無縁の、平等な世界に見えないこともない。

 しかしながら、察しの通り、以上は都合のよい推論である。実社会では僅差のような知の格差が大差となって表れる。なぜだかわかるだろうか。上記の3500冊氏と70冊氏を比較するとき、わざわざ分母を350万冊にする必然性などない。つまり、二人とも読んでいない大多数の書物について両者は知の多寡を競うことなどできないのだ。両者の読んだ本が重複してようがしてまいが、3500冊氏が圧倒的優位に立っていることは容易に想像できる。

 神や観音や天才を引き合いに出したら、みんな同じ知力になるだろう。この視点では、「知っていること」と「知らないこと」は大差なようで僅差なのだと謙虚に自覚しておく。しかし、現実は二人なりグループなりの、当面のメンバー間での「知っている・知らない」が尺度になる。そこでは、紙一重が知らず知らずのうちに大差になってくる。小さな知識をゆめゆめバカにしてはいけないと、これも謙虚に自覚しておく。言うまでもなく、無知のままではいずれの謙虚な自覚にも到ることはできないだろう。

知っていることと知らないこと

2009年2月10日 11:30

 仲間が七、八人集まっているとする。その席で誰かが「ご飯を食べたり、お酒を飲んだり」まで言いかけて少し間を置いたときに、その中の誰かが「ラジバンダリ」と後を継ぐ確率はどのくらいあるだろうか? 「食べたり」を「タベタリ」、「飲んだり」を「ノンダリ」と、それぞれ外国人または合成音のように発音してみたら、「ラジバンダリ」が出現する確率はアップするだろうか? あるいは、このブログのここまでの書き出しを読んで、必ずしも笑ってもらう必要などないが、何かにピンときた人はどのくらいいるものだろうか?

 お笑い好きにとって、自分の周囲で今が旬のお笑いネタが通じるかどうかは気になるテーマらしい。「このメンバーだと、あれは使えそうかな」という具合に場の空気を読んでギャグを使わねばならない。使いたいけれど、通じそうにないときは「こんなギャグを知ってる?」と確かめてから披露することになる。わかってもらうためだけならば、「古い!」とののしられることを覚悟で、二年くらい前に旬を過ぎたネタを使えばよい。

 集まりの席に「笑いの波長の合う人間」が一人でもいたら、気分は余裕綽々。一人が反応して爆笑してくれさえすれば、披露したネタなりギャグがかろうじて滑らなかったことを示すからである。場合によっては、笑わなかったその他大勢を「無知ゆえに笑えなかった」とか「センスがないから笑えなかった」と見下すことさえできるだろう(一昨年まで主宰していたぼくの勉強会で塾幹をしてくれていたS氏が、笑いの波長についてブログを書いている)。

 自分を中心として形成される人の輪にはそれぞれ独自の喜怒哀楽の波長があるように思われる。その自分が別の輪では脇役だったりする。そこではまったく別の波長が支配する。いずれにせよ、一番むずかしい波長が笑いだ。「ぼくの周囲の〈ラジバンダリ度〉はイマイチだけど、〈吟じます度〉は結構高いよ」とか、「うちの仲間うちでは、〈でもそんなの関係ねぇ度)がまだそこそこのテンションを保っている」なんて会話がありうる。ここまでの話、まだ何のことかさっぱりわからない人にわかってもらう術はない。また、わかる必要もないかもしれない。但し、輪の種類が違うことは歴然だろう。もちろん、輪が異なっているからといって村八分にされるわけではないが・・・・・・。

☆ ☆ ☆

 流行、事件、話題など、毎日空恐ろしいほどの情報が発信され飛び交っている。何をどこまで知っておくことが「常識」であり、話題をどの程度共有しておくことが「輪の構成員」の条件を満たすことができるのか。「やばい」が「犯罪者が使う用語で『危ない』」という意味であることを心得ていても、「このケーキ、マジやばくない?」という輪に入れない中年男性がいる。しかし、あなたはその男性に「やばいというのは若者用語で『うまい』とか『やみつきになる』という意味です」と教えてあげるべきか悩むだろう。「マジやばの輪」に入りたいか無縁でいたいかは、その男性が決めることなのだ。

 ある本を読んでいたら、テーマとは無関係にいきなり「ブリトニー・スピアーズ」の話が出てきた。「ハバネロソースは好きか?」と聞かれたりもする。「ご想像におまかせします」は聞いたことがあるけれど、「ご想像力」などという、人を小馬鹿にしたようなコトバは初耳だ。目からも耳からも知らないことがどんどん飛び込んでくる。

 知らないことがどんどん増えていく時代に、人間がそれぞれの輪をつくってかろうじて生き延びているのは、お互いにほんのわずかに知っていることを共有し基本にしているからだろう。 《この話は、たぶん明日に続く》

週刊イタリア紀行No.29 「ピサ(2) 揺るぎない都市ブランド」

2009年2月 8日 22:00

  どんなにありきたりな連想であっても、ピサと言えばやっぱり斜塔なのである。それは、パリと言えばエッフェル塔であり凱旋門であるように、あるいはローマと言えばコロッセオでありトレビの泉であるように、たとえ御上りさんとからかわれようと、やむをえない観念連合なのだ。日光の東照宮、奈良の大仏も同様である。

 マルチタレントでありながら、一芸に秀でると他の一流の芸が陰に隠れてしまって機会を損失する。有名観光地にはこんな贅沢な悩みがつきまとう。傾いた一本の塔のせいで、観光客は一時代を画した海洋都市の側面に、あるいはヨーロッパでも名立たる学園都市の側面に目をやるのを忘れる。何を隠そう、このぼくがそんな典型的な旅人だった。フィレンツェ発の列車に乗り遅れ一時間ロスしたとか、雨が強くて歩けなかったとか、いろいろ言い分もあるが、何をさしおいても「斜塔さえ見ておけば」という心理が働いていたのは事実である。

 ジェノバやヴェネツィアの海軍に勝利したほどのピサだ。世界最強とまで謳われた海洋都市の名残が街の随所で見られるらしい。それらのことごとくをぼくは見逃している。また、ピサは大学の街でもある。ボローニャ大学(1088年)やパリ大学(1100年代)よりも時代は下るが、1343年ピサ大学が創立された。ガリレオ・ガリレイは17歳で入学し、25歳の時に母校で数学の教鞭を執っている。

 トスカーナの都市の写真をふんだんに掲載しているガイドがある。その中のピサのページを見るたびに、鉄道駅と斜塔の往復にバスを使ったのを悔やんでしまう。混みあったバスの車窓から垣間見るだけでわくわくしたのも事実だ。だが、歩くべきだった。旅の記憶は脳だけではなく、足底から身体全身にも刻んでおかなければならない―そう痛切に思う。

 最後にミラコリ広場の建造物の話に戻る。あの広場、そして洗礼堂、大聖堂、鐘楼のある斜塔の配置は当時のピサの格と富裕度を如実に示している。これまで取り上げてきたシエナのゴシック建築やフィレンツェのルネサンス建築と並んで、「ピサ様式」は建築の世界に独自の地位を築いた。最先端の建築・土木技術によって傾斜する世界遺産が保たれているが、あと三百年は大丈夫との推定だ。珍しくもピサでは斜塔にも市庁舎の塔にも登らなかった。多種多様な都市の断面に触れていない分、傾く斜塔が目に焼き付いている。 《ピサ完》

☆ ☆ ☆pisa (18).JPG  pisa (19).JPG

(左)城壁跡が残るミラコリ広場の一角。(右)同じく広場の別の一角には土産の屋台が立ち並ぶ。すべての土産物が 斜塔をモチーフにしていることは言うまでもない。

ミラコリ広場模型.JPG

pisa (7).JPG(左)土産店で買った、手のひらに乗るサイズのミニチュア。どこででも売っているキーホルダーよりましだと思った。この時以来、行く先々でこの種の模型を買うことにしている。もちろん、この模型の距離関係はでたらめである。(右)ドゥオーモ(大聖堂)。右後方に斜塔、左側に離れて礼拝堂がある。実物はもっと白っぽいが、雨でグレーに変色して見える。

pisa (8).JPGpisa (25).JPG

(左)斜塔は撮影する場所によっては「傾いていない」。こうして見れば、威風堂々、どっしりと直立不動する塔である。(右)小雨の合間に広場周辺の街並みを足早に見て回る。

pisa (26).JPG(左)バス通りから眺める礼拝堂。後景に歴史、前景に現在というこの構図がとても気に入っていた。後日、その理由の一つが『「絵になる」まちをつくる イタリアに学ぶ都市再生』(民岡順朗著)で判明した。引用すると―

 「過去=背景」「現在と未来=前面」という関係が成立している。時間と空間の関係が常識に適(かな)っているのである。こうした状況に置かれたとき、私たちは、「美」や「落ち着き」「居心地のよさ」を感じるのではないだろうか。 

 街が絵になる決め手はキャンバスにあり。「歴史のキャンバス」と「可変の現在」の組み合わせが価値を生むのだ。

検索上手とコジツケ脳

2009年2月 6日 12:15

 「XXXについて調べる」とはどういうことか。たとえば、そのXXXが「ホルモン鍋」だとしたら、「ホルモン鍋について調べる」とはいったいホルモン鍋の何を調べるのかということになってくる。「調査」がリサーチ(research)で、「一般的に広く」という感じがする。これに対して、ホルモン鍋の「レシピ」「旨い店」「由来」などの「検索」がサーチ(search)。リサーチもサーチも何かを探しているのだが、サーチライトということばがあるように、検索のほうが「狙いを絞って具体的に照らし出す」という意味合いが強い。

 自分の脳以外の外部データベースに情報を求める場合、有閑族は調べようとし、多忙族は検索しようとする。しかし、多忙族の「速やかに」という思惑とは裏腹に、検索の絞り込みが曖昧だと、知らず知らずのうちに大海原での釣り人と化し、まるで暇人のように時間を費やしてしまうことになる。検索のコツは分母を大きくしないことである。それは欲張らないことを意味する。絞った狙いの中に見つからないものは存在しないと見なすくらいの厚かましさが必要である。

 あきらめて、自分で考え始めたら(つまり、自分のアタマを検索し始めたら)、な~んだ、こんなところで見つかったということが大いにありうる。だから、ぼくはいつもくどいほど言うのである―検索は自分のアタマから始めるのが正しい、と。次いで身近にいる他人のアタマを拝借し、その次に手の届く範囲にある本や新聞や百科事典や辞書を繰る。それでダメならインターネットである。この順番がいつもいつも効率的なわけではないが、脳を錆びさせたくなかったらこの手順を守るべきだ。

☆ ☆ ☆

 自分の脳を検索する。それは仕入れた(記憶した)情報を再利用することであり、同時に、あれこれと記憶領域をまさぐっているうちに創造思考をも誘発してくれるという、まさに一石二鳥の効果をもたらす。例を示そう。「もてる男の三条件を見つけよ」。

 インターネットから入っていくと、検索が調査になってしまいそうなことに気づくだろう。検索分母が途方もなく大きすぎて、三つの条件に絞れる気などまったくしない(仮に絞れていけたとしても、どうせいろんな人間がああでもないこうでもないと主張しているので、まとまることはありえない)。

 だから自分のアタマを検索する。ぼくなら三つの条件を、たとえば「お」から始まることばにしてしまう。五十音から探すのではなく、一音からだけ探す。そう、無茶苦茶強引なのである(だって、検索というのはお急ぎなのだ)。すると、「おもしろい」「お金がある」「思いやりがある」「男前」「お利口」などが浮かんでくる。さらにもう一工夫絞り込んで三つにしてしまう。

 もっとすごいコジツケがある。「リーダーシップを五つのアクションに分けよ」。これなど「リーダーシップのさしすせそ」と決めてしまうのだ。「察する(気持を)、仕切る(段取りを)、進める(計画を)、攻める(課題を)、注ぐ(意識を)」で一丁上がり。あとでじっくり検討すればよい。考えてみれば、調味料の「さしすせそ」だって強引ではないか。「砂糖、塩、酢、醤油、味噌」だが、塩と醤油が同じ「し」なので醤油のほうを「せうゆ」とは苦しい。味噌も「み」なのに「そ」に当てている。これなど絶対にコジツケで「さしすせそ」にしたに違いない。調味料にみりんが入っていないのも不満である。

☆ ☆ ☆

 語呂がいい愛称や略語の類はほぼ以上のような手順で編み出されていると思って間違いない。何カ条の教えや法則も同様である。官民を問わず、大阪人が何かをネーミングするときは、何とかして「まいど」や「~まっせ」を使ってやろうとする。「人工衛星まいど1号」はその最たるものだが、他にも類例はいくつもある。

結果論から学習すべきこと

2009年2月 5日 17:45

 有名タレントを起用してさんざんコマーシャルを流してきたけれど、今期にかぎって言えば、ほぼすべての有力家電メーカーは赤字計上することになる。テレビ画面の美しさを訴求してきたカリスマロック歌手もカリスマ美人女優も、コマーシャルメッセージがここまで色褪せるとは想像しなかっただろう。変調経済は因果関係を狂わせる。

 「しこたま金をつぎ込んでバカらしい。タレントのコマーシャル効果について見直すべきだ。企業は大手広告代理店に踊らされている」という具合に、結果論を繰り出すのは簡単である。言うまでもなく、結果論とは原因を無視することだ。なぜそうなったのかを棚上げにして、いま目の前にある現実のみを議論する。因果関係の「因」を無視して「果」のみを、すごいだとかダメだとか論うのである。

 結果論は楽な論法である。「結果論で言うのじゃないけれど、金本は敬遠すべきだったねぇ~」とプロ野球解説者がのたまう―あれが結果論。人は結果論を語るとき、「結果論ではないけれど」と断る習性を見せる。

☆ ☆ ☆

 結果論から言えば、タレントに巨額のコストをかけてもムダだったということになる。くどいが、繰り返すと、原因と結果の関係を無視して、結果だけを見るならば、大物歌手も大物俳優も宣伝効果がなかったことになる。こうした結果論がまずいのならば、いったいどんなすぐれた別の論がありうるのかをぜひ知りたいものである。結果論で裁かれるのもやむなしだ。

 ぼくは大企業、中堅、中小企業のすべての規模の企業に対して、広告やマーケティングや販売促進の仕事をしてきた(話を簡単にするために、まとめて粗っぽく「広告」と呼ぶ)。時代がいい時も悪い時も、つねに感じていたことが一つある―それは、広告費は効果とは無関係に膨らむということだ。「消費者への情報伝達機能」としてすぐれた広告にするための知恵は投資に見合う。それ以外はすべてコストなのである。

 知名度が導入時や一時的な客寄せパンダ効果につながることは認める。しかし、よくよく考えてみれば、知名度を利用する広告ほど知恵のいらないものはない。ほんとうの広告の知恵とは、無名タレントで有名タレント効果を生み出すことであり、極力コストを抑えて広告費を消費者に押し付けないことなのだ。有名タレントのギャラの十分の一、いや百分の一の費用で編み出せるアイデアはいくらでもある。

 結果論による批判を真摯に受け止めようではないか。かつての「負けに不思議の負けなし」にすら疑問を投げ掛けねばならなくなった時代だ。そう「勝ちも負けも不思議だらけ」。人類の洞察力の危うさが問われている。結果論から学習すべきこと―それは、いつの時代も、知恵でできる可能性を一番に探ることだろう。 

「何々屋」の誇らしげな眼差し

2009年2月 4日 18:30

 昨日は軽い風邪だった。大事をとって在宅勤務とした。体調不良のせいか、集中力に欠けブログも尻切れトンボだった。告白すれば、まだ書き続けるつもりだった。かつての「代書屋」、そしてぼくの提唱する当世「企画修繕屋」と「文書推敲屋」から、実は「何々屋」という話へと展開したかったのだ。あまりにも話が長くなるのでいったん終えた。今日も在宅。昨日の風邪を、やや悪い方向に引きずっている。別の日に書いてもいいのだが、もうアタマの中で話が出来上がっている。

☆ ☆ ☆

 「風呂屋」、「散髪屋」、「金物屋」、「駄菓子屋」などの「何々屋」が現代人の耳にどう響いているか。見下したようなニュアンスがあるのか。呼び捨てにしてはいけないから「さん」でも付けておこうかという感じか。言っておくが、「さん」を付けても尊敬の念が込められるわけではない。「馬」→「お馬」→「お馬さん」と同様、「風呂屋」→「お風呂屋」→「お風呂屋さん」という順番で愛嬌が増し、可愛く聞こえるだけである。

 「何々屋」についてぼくは次のように考えている(過去形で書かねばならないのがつらい)。かつて何々屋は町内に密着していた。住民は親しみの眼差しで接し、何々屋は誇らしげな眼差しで応じた。さすが職人という、技と個性が見えた。お客さんの無理を聞き、信頼関係が生まれた。何々屋は原則として町内に一職種一軒であった。いや、一職種一人というのが正しい。何々屋は店ではなく職人そのものだったのだ。

 それだけではない。何々屋は街並みに風情を添えた。仕立屋、庖丁屋、道具屋などが軒を並べていると落ち着くものだ。自然に乏しい密集地の路地であってもかまわない。視線の先にある軒先の屋号や看板が、職人のいい仕事ぶりの代名詞であると同時に、絶妙の格好をつけていたのである。

 まだある。「エコ」という便利なことばのお陰で環境へのマクロな関心は高まったかもしれない。だが、地球をどうするか以前の身近なエコは、かつて何々屋がお手本を示してくれていた。何々屋は、新品を売ったり注文に応じてくれもしたが、同時に修理屋として古物屋としても機能していた。「これはまだ使えるよ」―このことばが商いの節度と理性を表していた。

☆ ☆ ☆

 ここからは一つの仮説である。商売を承継しなくなった風潮を背景に、便利のみを求める住人が何々屋を潰してしまった。「屋」が「店」と呼ばれるようになり、その「店」が会社組織になった頃から、「町内経済」が狂い始めた。一職種一軒の原則が崩れる。商売人どうしが共生論理から競争論理に走る。かけがえのない職人が消え、いつでも交代可能な人材で店が構成される。「酒屋」は自動販売機を設置する。酒のみならず、商品一般や暮らしの知恵にまつわる会話を交わさなくなった。何々屋が消え外来種の資本が幅をきかせるようになり、地域社会の生態系に狂いが生じ、まったく異質のものになってしまった。

 フィレンツェの「蛇口屋」には何百何千という、中世から今日までの水道蛇口が在庫されていた。懐古的な蛇口のモデルに固執する客も客だが、品揃えしている職人も職人である。イタリア半島の踵にある街レッチェで「仕立屋」をガラス越しに覗いたら、「ウゥ~、ワン!」と犬のマネをして睨みつけられ、あっちへ行けと手で追われた。偏屈なオヤジなんだろうが、眼鏡の奥の目は誇らしげに笑っていた。何々屋の復権。まずは自分自身からなのだろう。 

企画と表現のリノベーション業

2009年2月 3日 11:00

 アメリカ大統領のスピーチ原稿ライターで思い出した。看板は一度も掲げたことはないが、ぼく自身も企画書の代筆をしたりプレゼンテーションの代行をしたりしたことがある。

 どんな提案項目を含めればいいのか、どのように構成すればいいのかがわからないという外部のプランナーが助言を求めてくる。但し、助言でどうこうなるものではないので、場合によっては「一から書きます」ということになり、小一時間ヒアリングをして資料をもらって書き上げる。まだパソコンを使っておらず、書院というワープロでペーパーを仕上げていた。もう二十年も前の話である。

 もちろん報酬はいただいた。その報酬が菓子の詰め合わせやディナーのこともあった。関西ではよくあることだ。報酬が金銭であれ菓子であれ食事であれ、れっきとした「企画書代行業」であった。注意していただきたい。これは「企画書」の代行業であって、「企画」の代行業ではない。

 そもそも企画と企画書は似て非なるものである。企画は発想や教養や情報や才覚などの総合力だが、企画書のほうは純然たるテクニックだ。そして、不思議なことに、企画よりも企画書のほうが金額設定はしやすいのである。企画は下手をするとタダにさせられてしまうが、企画書をリライトしたり編集したりすれば、値切られたり菓子で賄われたりするものの、報酬は期待できる。

☆ ☆ ☆

 世間は企画書という「型と形」を有するものには予算を用意するが、企画という「無形のアイデア」への出費を渋る。以前大手薬品会社の研究所長が「ディベート研修の相談」でアポイントメントを取り、わざわざ来社された。しこたまヒアリングされ3時間。その所長の大学ノートにはメモが何十ページもびっしり。「当社でぜひ研修を導入したいと思う」とおっしゃってお帰りになった。それっきりである。アイデアはミネラルウォーターよりも安い。というか、タダになることさえある。

 落語にも登場するが、「代書屋」というれっきとした商売があった。識字率の低い時代、口頭で伝えて書いてもらう。おそらく字が下手な者にとっては「清書屋」の役割も果たしただろうと想像できる。ぼくに関して言えば、講演や研修の閑散期に、提案書やカタログやパワーポイントの資料をチェックして欲しいと依頼されることがある。これまで無償でおこなってきたが、考えようによっては、看板を上げてもいいのではないか。たとえば、「企画修繕屋」とか「文書推敲屋」はどうだろう。

 アイデアのある企画で食えないのなら、誰かの企画を修理するほうが手っ取り早いのではないか。自分でオリジナルの文章を工夫して書き下ろすよりも、下手な表現や壊れた文法を見直すほうが報われるのではないか。もちろん本意ではないが、そういう可能性も検討するのが自称「アイディエーター」の本分である。    

週刊イタリア紀行No.28 「ピサ(1) 傾斜角3.97度の実感」

2009年2月 1日 09:00

 田舎からやってきて都会にたまげるのが「御上り(おのぼり)さん」。だから、御上りさんということばは、大都会の大阪からトスカーナの人口9万人弱の街を訪ねる人間には、本来なら当てはまらないはずだ。

 しかし、都会度を示す指数は人口だけにとどまらない。ぼくの知るかぎり、イタリアの人口10万都市よりも日本の人口5万都市のほうがはるかに都会度が高い。つまり、ほとんどの日本人観光客の目には、イタリアの有名観光地は「こじんまりとしたアコースティックな街」に映っていなければならない。にもかかわらず、日本人の誰もが小さなイタリアの街にあって御上りさん気分にさせられてしまうのはどういうわけか。

 ぼく自身も、絵葉書や書籍などで見慣れた名所旧跡を眼前にして御上りさんに変身していくことがある。その名所旧跡に入ると、魔法にかけられたように中世やルネサンス期にタイムスリップしてしまう。そして、いったん時代を遡ってしまうと、イタリアの街は歴史的に成熟した都会に見えてくる。ピサもそんな街の一つだ。そのうえ、ここには見覚えあるすごいのが建っているのだ。驚嘆の声を発したのち、斜塔を支えるポーズで写真に収まりたくなる御上りさんの気持はよくわかる。

☆ ☆ ☆

 残念ながら、ぼくが撮った写真に人間と斜塔のお茶目なコラージュはない。当時は大ぶりの一眼レフを愛用していたし、おまけにその日は強めの雨が降っていた。数年ぶりにアルバムを見たら、被写体のバリエーションの少ないこと! 撮り収めた写真のうち半分が斜塔ではないか。やっぱり御上りさんと化していたようだ。

 バスで10分くらいのところだったらいくらでも歩く。鉄道駅からピサの斜塔までもちょうどバスで10分。だが、バスに乗るともったいないほど、雰囲気のある道すがらの市街地だ。「どこかで見た覚えのある川だ」と思ったら、それがフレンツェを上流にするアルノ川。もう一本、セルキオ川がここに合流して、リグリア海につながる。ピサは海に面した街であり、古来から軍事的・商業的海洋都市としての栄えある歴史が長い。

 フィレンツェから列車でピサへ向かったその日、イタリア滞在通算二十数日目にして初めて経験する雨だった。駅で降りてバスを待った。あいにくの雨、バスもやむをえない。不安そうにぼくの前を行き来する夫婦。夫のほうが「このバス停はタワー行きか?」と英語で尋ねてきた。「タワー」、もちろん「斜塔」のことを言っている(塔はイタリア語では「トーレ」という)。こっちだって、初めて来た街、待っているバス停が正解という確信などない。が、不思議なものだ、自分より不安そうな異国の人が聞いてくると、結構自信が湧いてくる。「ええ、ここです。ぼくも乗ります」と答える。十数分後、無事ドゥオーモ広場前に到着した。

☆ ☆ ☆

pisa (0).JPG pisa (1).JPG pisa (17).JPG(左)ピサーノ親子が設計に携わった洗礼堂。少し先の斜塔の影響で撮影の構えが斜めになっている。(右2点)実物を見るのは初めてだが、見慣れた懐かしさがこみ上げる。pisa (9).JPG pisa (11).JPG pisa (12).JPG(左3点)荘厳な大聖堂内部。10世紀のパレルモ海戦の戦利品で装飾(斜塔に登るつもりも、塔内見学は一回40人ずつ。一時間以上の待ち時間を告げられあきらめた)。   pisa (21).JPG pisa (4).JPG  

(左)洗礼堂のドーム上部へ上がり、雨中の大聖堂と斜塔を眺める。(右)斜塔は想像以上に傾いているように見えた。釣られて身体もカメラも傾くので、実際の傾斜角3.97度の倍くらいに思える。じっと見つめていると、脳が錯覚を修正しようとしてざわめき、少し乗り物酔いしたような気分になる。

プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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