ブランド信奉の反省

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 まったく他人のブログをチェックしていないが、天まで届くほどの記事がすでに書かれ、現在書かれつつあり、そして明日も明後日も書かれるのだろう。すでに先週の時点でYou Tube検索三千万件という。

 そう、すでにご存知だろう、あのスーザン・ボイルの仰天歌唱力の話である。「人は第一印象で決まる」とか「人は見かけがすべて」という類いの主義主張をよく耳にし、その種の本もちらほら目にするが、急激に曇った自論に少しばかり反省を加えておくべきだろう。ブランド信奉者、いや狂信に近いブランド絶対主義者に対しては、心中静かに「ざまあみろ」と囁いておくことにする。

 番組の中で女性審査員がいみじくも吐露したように、誰もが風貌、立ち居振る舞いから彼女を小馬鹿にしていた。レ・ミゼラブルの『夢やぶれて』を彼女が数秒歌った直後、会場の空気と観衆の価値判断は一瞬のうちに「コペルニクス的転回」を遂げた。価値―そんなものは存在に帰属する絶対的なものではないことを証明してくれた、最近めったにお目にかかれない恰好の事例ではある。

 同時に、潜在するものは凡人などには見えないことも明らかにしてくれた。人はどんなにすぐれた価値にも、それが潜在しているかぎりめったに気づかない。情けないことに、"ブランド"なりの顕在化した現象(=表象的な記号)によってしか本質をつかめないのである。歌声を発する直前までのスーザン・ボイルにブランドは付与されていなかった。彼女が潜在的に有していた価値は、あの時点では無価値だったのである。裏返せば、本物ならば、したたかな価値が備わっているならば、記号としてのブランドなど不要なのである。ブランドは、自分の眼力に自信を持つことのできない人たちが求める道しるべにすぎない。

 実力がありながら、過小評価に苦しんでいる人にとっては勇気と自信に火を点してくれた一件ではある。刻苦精励して本物を目指している人、わずかな照明が当たるのを辛抱強く待とうではないか。いや、少しでも機会があるのならば、それを生かそうではないか。もし本物ならば、他者はブランドを超越した評価を下してくれるものだ。『無名の本物は過大評価のブランドを凌駕する』―ぼくにとって新しい格言が生まれた。結局自分自身に言い聞かせているのだろうが・・・・・・。

 (今日の私塾でデカルトの「懐疑論」を取り上げた。そのせいか、神経がピリピリしてちょっと疑い深いアンテナが立っている。万に一つもないだろうが、スーザン・ボイルのあの歌声がクチパクでないこと、英国人特有の巧妙な何かの仕掛けでないことを、切に願う。)

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プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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