2009年5月アーカイブ
週刊イタリア紀行No.43 「ローマ(1) サンタンジェロ地区のアパート」
2009年5月31日 23:00
昨年3月、パリに8日間滞在した後、ローマへと向かった。四度目のローマだ。それまでの訪問で名立たる観光地のほとんどに足を運んでいたが、何となく消化不良に終わっていた(自分が決めた予定にいつも急かされていた)。それで、ゆっくり7泊することにした。ヴァチカンに近いサンタンジェロにいいアパートが見つかったので、そこに3泊。その後の4泊を市街地のほぼ中心にあたるヴェネツィア広場近くのホテルで過ごすつもりだった。予約は出発前にインターネットで済ませていた。
フィウミチーノ空港からレオナルド急行でテルミニ駅へ。スリの出没で悪名高いバス路線を遠慮して、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの路線を走るバスで終点ピア広場まで。そこから徒歩約10分のクレシェンツィオ通りに面してアパートがある。サンタンジェロ城と最高裁判所のすぐ北側という好立地だ。出迎えてくれたのはフランチェスコという四十歳前のオーナー代理人兼管理人。実はこのアパートの他の全室はすべて住居。一階のこの一部屋のみが連泊希望の観光客にレンタルされている。オーナーはフランチェスコのお兄さん。
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リビングに広い寝室、キッチン、シャワールーム。日本式なら1LDKになるのだが、廊下もあり天井も高く、何よりも70㎡あるのでゆったり広々としている。ここで3泊とはもったいないと内心思いながら、フランチェスコの説明を聞き滞在費用をキャッシュで用意しかけた。すると、彼のほうからこう尋ねてきた。「ローマの後はどういう予定なんだ? 日本へ帰るのか?」
少しばつが悪かったが、このアパートを出てからまだ4日間ローマに滞在すると正直に答えた。「どこのホテル? 料金はいくらか?」とさらに聞いてくる。「アパートで3泊、ホテルで4泊」にさしたる理由がなかったから、淡々とぼくは説明した。彼は「気に入ってくれたのなら、残りの4泊もここにすればいいじゃないか。キャンセルは簡単だ。『シニョーレ・オカノのローマの友人だが、オカノは都合でローマに来れなくなった』とホテルにぼくが電話してあげよう」。そう言うなり、半ば強制的にぼくに「オーケー」を求め、すぐに携帯を取り出すとキャンセルしてしまった。ちょっと危ない人ではないか・・・・・・。
宿泊約款により、一週間以内のキャンセルのためキャンセル料は1泊分。昨年はユーロ高だったので、2万円近くになる。少し落胆していると、「その損失分を値引きするから心配なく。狭いホテルよりこのアパートのほうが絶対にいい」とフランチェスコが言う。勝手なもので、なかなかいい人に思えてきた。オーブンや洗濯機、シャワーの使い方を説明し、彼は「今夜食事に出るなら・・・・・・」と言って、パルラメント広場近くのトラットリアを紹介してくれた。
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ローマでのアパート生活の始まり。(左)ホテルならスイート並みの広々とした居間。(右)ダイニングキッチンには食器や什器のすべてが揃っている。
アパート裏のサンタンジェロ城。(左)サンタンジェロ橋から。(右)テヴェレ川対岸からの夕景。
サンタンジェロ城から。(左)白亜の建物は最高裁判所。(右)ヴァチカンのサンピエトロ寺院全景。
(左上)フランチェスコ一押しの"ジーノ"は庶民的で親しみやすい雰囲気だった。後日ランチ時にも行った。(上)お任せの前菜。これだけで腹八分目に達する。(左)特製の手打パスタ。この黄みは見たことがない。まるでソース焼きそばの麺のよう。アルデンテとはまた違う独特の歯応えがあった。
読書の方法と揺れ動く心
2009年5月30日 16:20
過去に大した読書習慣を持たなかった人が一念発起して本を読もうと決意した。しかし、その気になったものの、どんな本をどのように読めばいいのかさっぱりわからない。そこで手始めに読書術や読書論に目を通すことにした。読んでみると、何だかわくわくしてくる。本をこんなふうに読めばさぞかし楽しいだろうと、いよいよ「その気」になってきた。ところが、読書の方法と推薦図書の書名に精通してきたものの、いつまでたっても読みたい本に手をつけられない。気がつけば、読書術と読書論の本ばかり読んでいた・・・・・・。
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よく似た話に、「〇〇入門」ならあれこれと手広く読むくせに本家本元の「〇〇」の著作を一度も読んだことがないというのがある。たとえば「カント入門」や「よくわかるカント」の類いに目を通し、『純粋理性批判』や『啓蒙とは何か』は読んだことがない。というよりも、これらのカントの哲学書に挑戦するために入門書や指南書を読んでいるわけでもなさそうなのだ。いずれにしても、誰かがカントについて書いたものとカント自身が書いたものは同じではないことだけは確かである。
読書の方法を説く書物はおびただしく、ぼくの書棚にも古くは『読書について』(ショウペンハウエル)から最近の『多読術』(松岡正剛)まで十数冊が並んでいる。ただこれらの本の数ほどぼくは熱心な読書術の読者ではなく、誰かの意見を参考にすることはあまりない。二十代まではいろいろと漁って読みはしたが、記憶に残っているのは、若かりし加藤周一が昭和三十年代にカジュアルに書いた『読書術』のみ。そして、文庫本を買うことと、本を読まずに済ませる方法の二つを学んだ。ぼくにとって偉い人たちが書く読書術の大半は、ぼくの方法を客観的に検証するチェックシートにすぎない。
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読書の本ではないが、「読んだ本から山のような抜き書きをして、それに『注釈』めいたものを書き連ねることをやめて伸びやかになった」(鷲田小彌太)などの、読んだものは忘れていいという潔い考え方もある。膨大な知識や情報をアタマ以外のところに蓄積できるようになったから、こういう思い切りのいいことが言えるようになった。アタマは記憶のためにではなく思考のために使え、というわけである。
この考えに与(くみ)しないわけではないが、メモや抜き書きには効能もある。熱心な読書家でもないぼくなどには成果の確認という意味もある。それに、思考中心にアタマを使うといったところで、思考には知識が欠かせないわけだから、アタマの中に何らかの読書した情報を蓄えておいて悪いはずがない。
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かつて速読術がはやり、昨今では併読術に多読術だ。これらすべてを今も実践しているが、誰かから学ばなくても、読書をしていれば誰だって速読、併読、多読に辿り着く。同時に、これらと相反する読み方、すなわち精読や熟読や寡読の良さにも気づいてくる。こちらの読み方の延長線上には、必然的に「本を読まずに済ませる方法」も浮かんでくる。
先のショウペンハウエルの本には次のような一節がある。
「本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだんに失われてしまう。」
さもありなん。ゆめゆめ書物の批評家や職業的読書家や書誌学者のような読み方に影響されてはいけない。一日に一冊読んだとしても、そのこと自体何の自慢にもならない。知を蓄えるためという、ごく当たり前のような読書の位置づけすらたまには疑ってみるのもいいだろう。読んだ本の中身を若干アレンジして披瀝するのか、あるいは書物を固有の思考のための触媒にするのか―この分岐点においておそらく読書のあり方は決定的に違ってくる。
「10分進めています」
2009年5月28日 18:45
出張中は歩くことも少なく過食気味になる。今回は月曜日から金曜日までの4泊5日。いつものように食べているとメタボを加速させる。というわけで、ホテルでの朝食ビュッフェはパスして、朝は野菜ジュース2杯でしのいでいる。今朝は一杯のコーヒーを求めて会場近くの喫茶店に寄った。ほとんどのお客さんがモーニングを食べている。モーニング付きもコーヒー一杯も値段は同じ400円。トーストとゆで卵に触手が伸びかけたが我慢した。
喫茶店に入ると壁に掛かっている時計を何気なく見てしまう。万が一遅刻すると大変なので普段以上に時刻に神経質になっているせいだ。今朝の店の時計は正確だった。腕時計とも携帯の時刻表示とも完全に一致していた。ふと同じような雰囲気の大阪のとある喫茶店のことを思い出す。その喫茶店もモーニング目当てのサラリーマンで朝が賑わう。
その喫茶店では時計の針を10分進めている。サラリーマンが遅刻してはいけないという配慮からである。だが、一見(いちげん)さんは、その時計を見て「あれっ?」と一瞬ドキリとし、慌てて自分の腕時計の「正確な(?)時刻」を確認することになる。そして、念のため「あの時計、時刻は合ってます?」と尋ね、「いえ、10分進んでいますよ」と聞いてホッとする。こうなると、わざわざ10分進めている理由がよくわからない。
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別の喫茶店。時刻が正確かどうかを聞くお客さんが増えたのだろうか、その店では時計の下に貼紙がしてあった。なんと「10分進めてあります」と書いてあるのだ。これにはたまげた。とても不可思議である。時計を進めた本来の目的が意味を成さなくなっているではないか。時刻を10分進めたのは、会社にせよ電車にせよ、お客さんが遅れないようにという意図だったはず。そこに注意書きがあって「10分進めています」と種明かしをしてしまったら、もはや「正確な時刻」を告げているのと同じである。
常連さんは時計が10分進んでいることをみんな知っている。だから誰も店の時計に目もくれない。つまり、常連さんにとっては時刻の狂いは想定内。ということは、一見さん向け? いや、一見さんに関しては先に書いたような反応を示すから、「お急ぎを」と促してもしかたがない。ぼくとしては、逆に時計を遅らせておき、「この時計は10分遅れています」と小さな貼紙に書いておくほうが、お客さんを慌てさせる効果があると思う。もちろん、怒らせることになることも覚悟せねばならないが・・・・・・。
救いがたいほどの"センス"
2009年5月27日 18:50
先週の土曜日である。出張のため朝8時半頃最寄駅から地下鉄に乗った。マスク着用の乗客がちらほら見えるが、土曜日のせいか車内は空(す)いている。ここ三年間職住接近生活をしているので、出張以外はあまり地下鉄に乗る機会はない。たまに乗れば混んでいるので車内の広告にまで目が届かない。その日はゆったり座って車内吊りポスターをじっくり「品定め」することができた。
いったいどうしたんだ、大阪市交通局! 思わず内心そう叫び呆れ返った。シイタケとリンゴを擬人化したイラストが描かれた「座席の譲り合いマナー」を促すポスター。そこにはこんな見出しが書かれてあった。
互いに譲って うれシイタケ!
「どうぞ」の笑顔で すっきリンゴ!
これではまるで「おぼっちゃまくん」ではないか。「そんなバナナ」や「おはヨーグルト」を思い出した。いや、こんな言い方はおぼっちゃまくんには失礼だ。おぼっちゃまくんにはダジャレという売りのコンセプトがあった。譲り合いマナーになぜシイタケとリンゴなのか―必然性が見えないから、単なる思いつきのダジャレなのだろう。一方がキノコで他方が果物というミスマッチも相当にひどい。
正確に言えば、こういう類いのことば遊びはダジャレとは少し違う。技としてはダジャレよりもうんと簡単で、一文字だけ合わせたら一丁上がりだ。これがオーケーなら、「うれシーラカンス」でもいいし「すっきリスザル」でもいい。要するに、「シ」と「リ」で始まる単語なら何だって成立してしまう。
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シイタケとリンゴが大阪市の名産品なら理由もわかる。地下鉄のどこかの駅でシイタケとリンゴの物産展があるのなら、短期の季節キャンペーンだろうとうなずける。だがそんな深慮遠謀はまったく感じられない。誰がどのような経緯でシイタケとリンゴという案に辿り着いたのか―ぼくの思いもよらぬ狙いがあったのならぜひ聞かせてもらいたいものである。
ポスターでここまで救いがたいほどのセンスを暴露しながら、車掌は「インフルエンザ予防のためにマナーとしてマスクを」と生真面目に車内放送していた。トーンが合っていない。そのポスターを見ながらマイク放送を聞いて、同一の発信源とはとても思えなかった。まあ、こんなことはどうでもいい。何よりも、財政難の折、一人前の大人にマナーを促すようなPR活動にお金を投じるのは即刻やめるべきだろう。
ブログ記事とカテゴリ選択
2009年5月26日 18:20
このタイトルの記事をどのカテゴリに収めるか、少し迷った。迷った挙句、とりあえず「ことばカフェ」というカテゴリに入れた。書こうと思っている記事の概略はすでにアタマにある。このテーマは結局「ことば」の問題になるだろうと見立ててのことだ。しかし、最終的には変更することになるかもしれない。今はまだわからない。
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みんなどうしているんだろうか。迷ったら「その他」という万能カテゴリに放り込むのだろうか。あるいは、ブログの記事を書き終えてから、そのテーマにふさわしいカテゴリを選ぶのか。それとも、ひとまずカテゴリを決めてから、今日はこんな内容のことを書こうと決めるのか。ぼくの場合は、ある程度書いてカテゴリを選び、また書き続けてからもっともふさわしそうなカテゴリに落ち着く。ただ、ぼくのブログのカテゴリには「その他」はない。便利な「その他」がないのは、正直なところ、悩ましい。
悩ましくないのは「週刊イタリア紀行」のみ。このタイトルで書く記事は自動的に「五感な街・アート・スローライフ」に分類する。思案の余地なしだ。現地からではなく、ふだんの仕事と生活をしながら過去の旅を振り返りつつ綴るので、必然アートや街の話になる。このカテゴリ以外だと「看板に偽りあり」ということになってしまう。
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今日から企画研修で出張中。企画研修では便宜上ざくっとしたテーマとタイトルを決めてもらう。それから素材を集め分析しアイデアをふくらませ構成していく。最終的な企画の構成案をもう一度検証し、タイトルを見直す。広告ならどうだろう。見出しづくりにさんざんアタマを捻ってから本文を書くのか。しかるべき本文を書いてから、それに見合ったヘッドラインを仕上げるのか。ぼくの場合は、いつも見出しの試案が最初にあった。
文章を書いて題をつけるのか、題を考えてから文章を書くのか。どっちでもよさそうなものだが、いずれにしても、ふらりと気ままな旅に出るのとはわけが違う。題や文章、タイトルや記事に先立って、必ずテーマというものがあるはず。テーマを「指向性あるコンセプト」とするならば、それを凝縮したメッセージを題名なりタイトルとして仮に定めておくのが筋だと思う。その筋に沿ってのみ文章や記事が書ける。適当に考えて適当に後付けされたタイトルでは無責任というものだ。
アイデアというのも同様で、テーマへの指向性が弱ければ浮かぶ頻度が低く、量もわずかで質も落ちる。見当をつけておかないとなかなか湧いてくれないし、湧いたところで意識が薄ければ通り過ぎてしまう。ゆえに、《タイトル試案→記事作成→カテゴリの仮選択→文章推敲→タイトル見直し→カテゴリ決定》という流れが妥当なのではないか。これが結論。そして、この記事は「ことば論」ではなく、「構成手順にかかわる発想ないしアイデア」なので、カテゴリは「ことばカフェ」ではなく、「IDEATION RECIPES」(アイデア化レシピ)がふさわしいということになった。ともあれ、テーマはカテゴリに先立つことは間違いなさそうだ。
週刊イタリア紀行No.42 「アッシジ ~ 丘陵の聖都」
2009年5月25日 11:00
一般にローマと言うとき、それは人口270万人の「コムーネ(comune)」としてのローマを指す。いわゆる「ローマ市」の感覚に近い。そのローマ市を包括する「ローマ県」もある。コムーネというのは地方自治体を指すことばだが、日本の市政概念とはだいぶ違っていて市町村すべてに使う。だから単純に行政規模の大小を類推できない。
このイタリア紀行における「街」や「都市」の視線は、県にではなく、終始一貫コムーネに向けている(しかもほとんど徒歩圏内の地区)。アッシジはすでに取り上げたウンブリア州ペルージャ県のコムーネの一つ。大都市ローマもコムーネなら、人口は約2.5万人の小村アッシジもコムーネである。アッシジの「サンフランチェスコ聖堂と関連遺跡群」は2000年に世界遺産に登録された。その翌年、ぼくはアッシジを訪れた。
バスは緑に溢れる平野を抜けて丘陵地帯へと向かう。修復工事以外に目立った開発が一切ありえない土地ゆえ、自然の一部を建物が拝借しているという風情である。だからこそ、聖地たりえるのだろう。コムーネ広場からほどよい距離を歩くとアッシジ生まれの聖人フランチェスコゆかりのサンフランチェスコ聖堂に着く。
フランチェスコはイタリア男性に多い名前だ。アッシジの守護聖人でありイタリアの国の守護聖人でもあるフランチェスコ(1182?~1226年)は、裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。生地だから当然なのだが、こんな絶好の立地はない。世界遺産や聖人フランチェスコだけではなく、ロケーションもアッシジ人気の理由の一つだと思う。
聖堂で希少なフレスコ画を見てフランチェスコの墓のある地下室へ。過酷な修道生活の日々が浮かんでくる。キリスト教や聖書についてまったく無知ではないが、信仰者でないぼくでも敬虔にならざるをえない。修道院の中庭や回廊である「キオストロ(chiostro)」はたまげるほどのスケールだが、何かにつけて瀟洒で質素にこしらえてある。それがいっそう「聖なる」空気を充満させているのだろう。 《アッシジ完》
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(左4点) 小ぢんまりした市街のどこにも「現代」が見当たらない。
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(左)遠近法に忠実なキオストロと呼ばれる歩廊はどこまでも続きそうに見える。(右)サンフランチェスコ聖堂のファサード側全景。
(左)聖堂の中庭と修道院。(右)聖堂のある高台から見晴らす周辺の風景。
タブー命題を封印してはいけない
2009年5月22日 11:00
誰から教わったのか覚えていないが、青年期から「政治と宗教」の話はタブーだと心得てきた。けれども、親しい友人となら平気でテーマにするので、いつでもどこでも絶対禁忌(きんき)と見なされているわけではない。政治や宗教とは無関係な冠の、いろんな人々が集まる場や会合では話題にしたり言及しないほうがいい、暗黙のうちにそうなっているのだから・・・・・・というわけだ。議論やお喋り好きにとっては、舌に軽はずみをさせぬよう言い聞かせておくべき「禁じられたテーマ」ではある。
つまり、政治と宗教の両方に関わらない人たちにとって、「何かの席上」で論じることがタブーとされているのだ。ところが、議員が政治と無関係の人たちに「政治」を語ることがタブーではなく、また僧侶が宗教と無関係の人たちに「宗教」を語ることもタブーではない。政治家にとっては「宗教問題」だけがタブー、また宗教家にとっては「政治問題」だけがタブーになっている。なぜぼくたちは、いずれのテーマもタブーとして封印しなければならないのか。
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十数年前、ディベートの論題を決める際に以上のことが問題になった。政治や宗教の論題はやめるほうがいいというのが多数であった。多数意見を前にすると俄然ノーを突きつけたくなるぼくだ。「ディベートは『論争のシミュレーション』、誤解を恐れずに言えば、ある意味で『議論ごっこ』なのだから、目の色変えて本気になってもらっては困る。アメリカでは『堕胎の是非』や『黒人生徒への学校の開放』のようなテーマだって取り上げていた。極論すれば、どんなテーマでもよいはずだ。」
誰に睨まれようと、今もこの考えに変わりはない。タブー性の高い命題を互いに了解したうえで、議論好きの親しい人間どうしが集まり、たとえ口論寸前の過激なムードになっても咎められることはないはずだ。それがオープンなディベート勉強会という形になって、何かの拍子で第三者や報道関係者に公開されることになったとしても、ぼくは「見えざる世論」に遠慮することはないと思っている。
政治と宗教のみならず、タブーとしていったん「禁」のラベルで封印されると、どんな話題も公然と論議のマナイタに載せにくい。腫れ物に触らぬよう扱われているうちに、やがて社会的良識から乖離して「治外法権」へと逃げていく。もとより論議という関与しかできないぼくたちにとって、治外法権という温床に鎮座する禁忌命題はまったく手に負えなくなってしまう。そしてより深刻なのは、健康、病気、身体的特徴などタブー命題コレクションがますます増えつつあるという事実なのだ。クールに凝視して取り上げ、時には怒りながら、時には嗤(わら)いながら、論うことを忘れてはいけない。
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油断していると、タブーは日常茶飯事の領域にまで忍び寄ってくる。タブーを侮ってはいけない。人間はタブー発言を耳にすると結束する習性を備えているのだ。「マスクなんてしなくてもいい」とか「マスク求めてドラッグストアに並ぶ連中の気が知れない」とか「インフルエンザに罹(かか)ったら罹ったでしかたがない」とか、ゆめゆめ公言してはならない。世論が一斉にある方向に向かっているときは流れに逆らわないのが賢明なのだ。そして、やがてこんな弱腰が「異様なほど生真面目でおもしろくない社会」をせっせと築いていくことになる。世界から「ニッポンの常識は世界の非常識」とまたまた揶揄される(さきほど、ある英文ニュースで「日本は戦争中だ。敵は新型インフルエンザ」というのがあった。案の定だ)。
オイルショック当時、トイレットペーパーを買い漁る連中をバカにしたら何十倍もの非難を浴びせられた。後年、誰が愚かであったか、いずれに理があったかが自明になった。「言うべきこと」と「言うべきでないこと」を現在進行形の渦中で判断するのはむずかしい。しかし、結果がどうであれ、何でも言っておくことがマイナスになるとは思えないのだが、この考えは危険なのだろうか。
出る杭とアンチテーゼ
2009年5月21日 10:00
ごくわずかな人たちを除いて、ぼくの回りで「過激発言する人」がめっきり減ってきた。ちょっと過激で「ピー」の音を被せなければならないときは、シモネタ系に限られる。テーマが時事であれ教育であれビジネスであれ、あるいは人物や思想の話に及んでも、なかなかハッとする見方に出くわさない。さらに、意見や価値観の衝突を未然に避けるので、争点の起こりようもなく議論にすらならない。要するに、対話をしていてもあまりおもしろくないのである。
まあ、五十の大台に乗ったのなら意見が少々控え目に傾くのもやむをえないだろう。だが、その意見がこれまた無批判に同調されるとなると、まったくアンチテーゼが出てこない環境に置かれることになる。歳を取れば過激度は自然に薄まるもの。しかし、それでもなお、回りがそこそこに安全圏に留まろうという気配を感じたら、年配者だからこそ、意に反しながらも「デビルズ・アドボケート(devil's advocate)」として登場せねばならないのだ。敢えて苦言や反対意見を唱える「悪魔の提唱者」、くだけて言えば「アマノジャク」の役割のことである。
二十代、三十代でありながら「よい子」に収束しようとする心意がぼくにはわからない。わからないけれども、その世代にしてアンチテーゼの一つも唱えないようなら、四十代、五十代になったら絶望的なほど無思考人間に成り果てるだろう。若い頃に下手に成熟するのではなく、しっかりと若さゆえの役割を演じておかねば、反骨エネルギーはこれっぽちも残らないだろう。そんなもの残らなくていいではないかと反論されるかもしれないが、反骨エネルギーこそが新しい発想やアイデアの源泉なのだ。老齢を避けることはできないが、「老脳」はテーゼに対するアンチテーゼ精神によって遅らせることができる。
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古典に属する考え方で申し訳ないが、テーゼとアンチテーゼの関係は弁証法的展開には欠かせない。正統と異端もしのぎを削る。与野党の関係もしかり。すんなりと何かが決まり大勢が一つの色だけで染まるのが組織の老化現象の原因なのである。ディベートにしても肯定側(テーゼ)と否定側(アンチテーゼ)との間の意見交流だ。そのディベートという一種のゲームにおいてさえ、アンチテーゼがきわめて脆弱で腰抜け。ゆえにサスペンスも感動もない。若い人ほど情報に依存するあまり、ありきたりの検証に終始する。
血気盛んとまではいかないが、ぼくのような万年青二才からすれば、ぼくよりも二十も三十も年下の人たちがとてもお利口さんに見える。人間関係上の衝突を未然に避ける術を身につけている。だから、打たれないなと判断すれば杭を出すが、危ないと見るや杭は決して出さない。しかし、こんな小器用な調整作業を繰り返しているうちに、しっかりと出る杭になるチャンスを逃してしまう。「出る杭」とはアンチテーゼ能力である。その能力を凌ぐと自負するテーゼ人間が杭を打ってくれる。大いに打たれて鍛えてもらえばいいのだ。
ところで、何がテーゼで何がアンチテーゼかは一筋縄では語れない。ひとまずぼくは先行発言や先行価値をテーゼと位置づけ、それらに「ちょっと待った」というのをアンチテーゼと呼んでいる。したがって、アンチテーゼのほうがいつも過激というわけでもない。テーゼが過激かつ異端的で、それに穏健なアンチテーゼが絡んでもいいわけだ。とはいえ、アンチテーゼはアマノジャクでなければ迫力に欠ける。そう、アンチテーゼの原点にある意気込みは、「丸く収まってたまるか」であり「他人と同じ発想をしてたまるか」でなければならない。
少々デフォルメがちょうどいい
2009年5月20日 13:00
四十歳前後の頃に顔面の三分の一くらい髭を生やしていた頃がある。二年くらいは続いただろうか。ある日剃った。いつもと違う気分で出社した。スタッフの誰も何も言わない。ふだん通りに仕事が始まった。おもしろくないので、女性スタッフの一人をつかまえて、「何か変わったことに気づかないか?」と人差し指を顔に向けて聞いてみた。しげしげとぼくの顔を見たあと彼女はこう言った、「メガネ、変えました?」
自分が自分を意識するほどには他人は意識してくれない。自分という存在は、他の誰にとっても光景の中の一対象に他ならない。そこに存在の軽重はあるだろうが、人間も机の上の手帳も路肩の郵便ポストも同列の対象として見えている。ドキドキするくらい派手なピンクのネクタイを締めていったものの、誰からもノーコメントだったということも毎度のことだ。
無難に常識的に生きようとすれば、無難以下常識以下の人生に終わる。そこそこの仕事、まずまずの品質は、他人の目には「冴えない仕事、粗悪な品質」として映る。インパクトをつけたつもりが、その隣りにそれ以上のインパクトのあるものが並べば、もはや衝撃的な存在ではなくなる。すべての人、物事は別の誰か、別の何かとの比較の上で評価される、相対的関係性における存在なのだ。
☆ ☆ ☆
他に類を見ないのなら、ことさらデフォルメするには及ばない。それ自体の品質、特徴、便益がすでに「比較優位性」を備えているからだ。意を凝らさなくても、自然体のデフォルメ効果がすでに演出されている、というわけである。力強い事実は誇張を必要としない。無難に、常識的に訴求すればよい。ところが、そんな優位性がなければ、印象は客観に委ねられる。たとえば、Aという広告。Aを単独で見る、Aを見てからBを見る、Bを見てからAを見る、AとBを同時に見る・・・・・・同じAであるにもかかわらず、Aが人に訴求するもの、人がAに抱く心象はすべて異なってくる。
優れた特性を備えながら地味な存在(人、もの)がある。情報洪水の時代では、いぶし銀と褒められて喜んでばかりはいられない。存在感を意識してアピールしなければ存在そのものが認知されないのである。過度の背伸びや売り込みを好まないぼくでさえ、少々のデフォルメやむなしと考えている。さもなければ、一瞥もくれない、記憶にも残らない存在として闇に消えてしまう。
前例を踏襲するだけの無策に甘んじてはいけない。極論すれば、頑として「非凡」を目指すべきなのだ。非凡を心掛けて実践しても、やっとのことで「平凡よりちょっと上」なのだ。ただ、平凡で地味な存在がいきなり非凡へと方向転換できないだろう。だからこそ、とりあえず「少々デフォルメ」を意識してみる。但し、デフォルメを虚飾や上げ底と勘違いしてはいけない。デフォルメには、品質なり力量なりの裏付けが不可欠である。
ウィルスより怖ろしい潔癖連鎖
2009年5月19日 08:30
イタリア紀行でレストランの話を時々取り上げている。厨房の裏の裏まで覗いたわけではないので衛生管理の詳細はわからない。ただ、日本で当たり前のおしぼりやお手ふきの類いは出てこない。そのままの手が嫌なら、従業員にトイレの場所を尋ねて手を洗うしかない。トイレの場所を聞かねばならないのは、男女の人形(ひとがた)を示すピクトグラムも場所を示す矢印も店内ではふつう表示されていないからだ。
テーブルチャージに相当するコペルト(coperto)として、バスケットに盛ったパンが出てくる。コペルトは200円か300円くらい。前菜かパスタなどの第一の皿が出てくるまで客はパンを手でつかみワインを飲む。ぼくがこれまで目撃したかぎり、イタリア人は手を洗ったりウェットティッシュを使わない。ぼくも、よほど気になる場合は手洗いに立つが、たいていは気にせずにそのままパンをつまむ。
そのコペルトのパン。四、五人用のテーブルならてんこ盛りなので、メインの第二の皿の頃には誰も手をつけなくなる。そう、数切れまたは数個残る。残ったパンをすべての店がそのまま捨てることはない。テーブルナプキンなんぞでパンの表面をさっとぬぐい別のパンといっしょに次のお客さん用に盛り付けなおす。つまり使い回し。「まさか! うそ!」と思われるかもしれないが、ぼくはそんな光景を何度も見ている(誤解があってはいけないので、いさぎよく捨てる店もあるかもしれない、と申し添えておく)。
☆ ☆ ☆
世界から見れば、わが国の人々は常日頃から異常なほど潔癖である。ぼくには納豆やバナナを求めた心理とマスクを求め装着する生理が同根に思えてしかたがない。しかも、その潔癖さは賞味期限の年月日やらウィルス除去率何パーセントやらうがい回数何回などの「権威筋の数値」に依存している。「これは大丈夫、これはたぶんダメ」という動物的自己防衛機能はまったく作動していないのだ。
添加物を徹底マークして避けていた男がいた。弁当が出てもチェックして怪しければ食べない。にもかわらず、そいつは決して健康ではなかった。すぐに風邪を引く。過度の潔癖症は周囲の人間を不機嫌にしてしまう。そいつとは相席したことはないが、働き始めた頃、ぼくはよく大阪・鶴橋の屋台でホルモンを食べたものだ。一串20円か30円。豚足などはオバチャンが手も洗わずに手際よく割いてくれた。小ぶりなゴキブリが走る。皿に盛ったキャベツはもちろん手洗いしていない素手で口に運んだ。
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さて、新型インフルエンザの疫学調査。感染拡大を防ぐため、患者の行動を過去にさかのぼって追跡するという。感染者が乗車した地下鉄、飲食した場所、足跡などの一週間分が判明したとしても、居合わせた他人や彼らとの距離は追跡不可能である。農産品のトレーサビリティよりももっと難度の高い課題なのだ。府域・県域一斉休校にするくらいなら、何よりもまず満員電車の一斉ストップではないのか。
確かなことは、人間の行動とウィルスの感染はグローバル規模でもローカル単位でもシンクロしているということだ。人が飛行機に乗ればウィルスも乗る。地下鉄にも無賃乗車する。学校の授業にも出る。ウィルスの感染を抑えるには人間の行動を束縛し、人間そのものを完全隔離するしかない。とうていそれは無理な話である。授業が滞るくらい何でもない(いつでも挽回できる)。しかし、仕事を一斉にストップさせるわけにはいかないではないか。厚生労働省では、「感染拡大期」を「地域でどんどん患者が増え、もはや疫学調査が有効でなくなる段階」としている。その事態は不可避だし、実際そうなってしまっている。不可避だからといって、経済活動をすべて停止して引きこもるわけにはいかない。情報に一喜一憂して浮き足立っているわけにはいかないのだ。
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その昔、鼻づまりがひどかったので薬を使った。やめると以前よりひどくなる。結局使う頻度がどんどん高まり手放せなくなってしまった経験がある。便利を手に入れたらリスクもついてくる。人工的な衛生環境に慣れすぎたら免疫力は落ちる。極度な潔癖性分はとても危なっかしい。今日は午後から京都で私塾。大阪からやってきた、招かれざる塾長にならぬよう気をつけよう。また、6月に入るとすぐにアメリカに行くことになっている。十日間滞在して帰国したら、非国民か国際テロリストのような扱いを受けるのだろうか。
週刊イタリア紀行No.41 「ボローニャ(3) 暮らしの息づかい」
2009年5月17日 19:20
トスカーナ州(州都フィレンツェ)と並んで、ここエミリア=ロマーニャ州も肉類やチーズなどをふんだんに使った郷土料理で有名だ。とりわけボローニャは、パスタの「ラグー」、つまりミートソースの本家本元である。このミートソースが"ボロニェーゼ"と一般に呼ばれるもので、パスタにはタリアテッレまたはフェットチーネという手打ちの平麺が使われる。肉汁が濃厚できしめん状の麺によくからむ。
口にした牛肉のことごとくが昔懐かしい野趣に富んだ味がしたが、あながち気のせいではなかったと思う。斜塔近くのマクドナルドのハンバーガーにしても「牛肉本来」の味がした。牛肉本来がどんな味かよくわかってもらえないだろうが、とにかく日本のそれとは違うのだ。そう言えば、トスカーナ地方ではキアーラという銘柄の牛肉が食べられるが、こちらも素朴でストレートな味を特徴としている。
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ボローニャはイタリアにあっても主要な商工業都市の地位にある。経済を牽引しているのは伝統的な手工業や中小企業である。街の風情の見かけとは違って、国際絵本展などの「超」のつく国際イベントや国際見本市が活発だ。とりわけ3月~5月と9月~11月は目白押し。ぼくが滞在したのが3月上旬で、予約を買って出てくれたローマ在住の知人はホテル探しに大いに苦労したらしい。幸い、斜塔近くの好立地のホテルを3泊予約できたが、ドキッとするほどのハイシーズン料金だった。
街のとりどりの表情に向けてシャッターを押したつもりが、手ぶら散策の時間も楽しんだので、撮り収めていない、ちょっと残念な場所もある。初老の男性が親切に案内してくれたアルキジンナージオ宮の写真は一枚もない。中庭があって二階部分が当時の名残りを色濃く象徴する回廊になっている。実は、ここは旧ボローニャ大学で、世界初の人体解剖で名が知れている。当時の様子がそのまま残っている解剖学大階段教室にも案内してもらった。
城塞跡への行きと斜塔への帰り。ぶらぶら歩いた通りの名前は覚えていない。イベントや観光のシーズンに入った直後にもかかわらず、団体客と遭遇することもなく、ほとんどの通りは人影がまばらで閑散としていた。ところが、通りと通りが交叉する地点や放射状の通りの基点にやってくると、ふいに人々が行き交い賑わってくる。出発前日、土産用に手打ち乾麺のパスタや生ハム・サラミやチーズを市場で買う。観光客相手ではないので、すべてお買い得な「住民価格」だった。
ボローニャには他のイタリア都市との共通点ももちろんたくさんある。ただ、ここでは絵はがきで見覚えのある光景に出くわすことはない。たとえばローマのコロッセオ、ヴェネツィアのサンマルコ広場、フィレンツェのドゥオーモに対峙するときのような高揚感には達しない。そう、他のイタリア観光地とは違って、ボローニャでは「無条件にはしゃぐ」ことはありえないのだ。それだけになおさら人々の暮らしの息づかいが伝わってくるのである。 《ボローニャ完》
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(左)街外れの城塞跡。この外には幹線道路が走っている。(右3点)城塞跡からの帰り道。黄昏の時間になるまでは静まり返っている。
(左)マッジョーレ広場の大道芸人。(中央)広場をそぞろ歩きする家族。(右)ボローニャ在住の知人が薦めてくれたトラットリア。ボローニャ風ラグーの平麺は絶品の一言。ペンネに代えてもおいしい。
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(上3点)斜塔近くの市場通り。公設市場のような区画もある。ボローニャにはアドリア海の魚貝が届くらしい。ちなみに「カエル」は鮮魚店が扱っている。
(左)市場通りの光景。(右)ディスプレイの「ナカタ」。この年、中田英寿はボローニャに所属していた。
情報欲の皮が突っ張る
2009年5月15日 18:00
運よくうまいものに巡り合えた人間は、その運のよさに感謝して一品を心ゆくまで味わえば十分に満足できるはずである。ところが、人は運のよさのことを忘れてしまい、さらに多種大量を貪ってしまう。腹いっぱい、酒いっぱい、金いっぱい、遊びいっぱい・・・・・・欲望は尽きることはない。
いつになったら、あるが上にも欲しがらないようになれるのか? ギャル曽根百人分の食欲と胃袋でも手に負えないほどの食糧を眼前に積み上げられたら、おそらく降参するに違いない。いや、もっと簡単な方法がある。いっそのこと身体を壊してしまえばいいのだ。壊れた身体の一部の欲の皮だけがもはや突っ張ることはあるまい。
食に関しては卑しいところが残っているが、昔に比べれば少しは節制できるようになってきた。酒や金や遊びはもうすっかり枯れた境地である。ただ一つ、欲の皮が突っ張ってしかたがない対象がある。そいつにだけは卑しくなったり貪ってはいけないとアタマでは重々承知しているし、他人にまでそのことを示唆しているにもかかわらず、それをついつい求めてしまう。それは、情報だ。情報依存症になってはいけないと、自他ともに言い聞かせているくせに。
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光る情報が欲しくなるのだ。この「情報欲」というのは一種のメンタルな病だろうと思う。資料はもう十分なのである。当初構想したものはちゃんと出来上がっているのである。もうストップすればいいはずなのだ。にもかかわらず、落ち着かない。一日に一つ、いや、週に一つでも二つでもいい、光る情報に接しないと不安になってくるのである。
ここまで自戒の念に苛まれなくてもいいのかもしれない。プラス思考で考えてみれば、あと一つの情報を欲張るのは、固定化しつつある知のネットワークに一条の光を照らすためだろう。くすぶっていた視界がパッと開けるような効能もあるに違いない。
しかも、大量の情報を求めているのではなく、きらりとした一点情報なのだから触媒としてはほどよいのではないか。それをゆっくり噛みしめればゆゆしき問題ではない。と、ここまで書いてきたら、冒頭の文章につながってくるではないか。わかっているつもりのことなのに、どこでどう狂って貪欲への一線を越えてしまっているのだろうか。しかし、わかった。
ユーレカ! と叫んで、ハダカで風呂から飛び出すほどの大した悟りではない。要するに、あと一つの情報を楽しく求めてみて、なければないで情報探索を潔く切り上げて自力思考にシフトすればいい。そんな環境を作るのはさしてむずかしくはない。書物や辞書やインターネットをしばし遠ざければ済む話である。
考えるきっかけになるネタ
2009年5月14日 11:00
考えるためにはアタマをつねにスタンバイさせておかねばならない。スタンバイには、逆説的だが、「何も考えない」状態も含まれる。哲学では、このような思考の空白状態を"タブラ・ラサ(tabula rasa)"ということばで表わす。しかし、「この何も考えられない状態がタブラ・ラサなんだ」と高尚ぶって自分を慰めてみても、何も考えられない状況が続くのはやっぱり苦しい。精神力で歯の痛みを軽減できないように、根性を逞しくしてもアイデアは沸々と湧いてはくれないのである。
自動販売機のウーロン茶のボタンを押せばウーロン茶が出てくるが、アイデアはそのようなアルゴリズムに忠実ではない。アタマという自販機では、お金を入れてボタンを押してもめったに何も出てこないのである。たまに出てきたと思ったら、オレンジジュースを押したはずなのにコーラだったりする。ぼくたちが日々付き合わねばならない首の上の「そいつ」は、まるで詐欺師みたいなのだ。ところが、何ヵ月か何年かに一度、突如として気まぐれな大盤振る舞いをしてくれる。百二十円しか入れていないのに、缶コーヒーだのお茶だの天然水だのが何本もいっぺんに出てきたりする。
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世に数ある発想法というのは、上記のようなアイデアのバーゲンを強制的に可能たらしめるべく開発された。人間誰しも、思考の空白や停止が続くことがある。さっぱり何も考えられない、何も浮かんでこないという時間帯や時期があるものだ。そんなとき、ぼくは過去に記したメモを読む。メモが目次の役割を果たして脳内のデータを呼び出してくれることがある。次に、辞書も適当にめくる。ことばとの偶然の遭遇がヒラメキにつながるのを何度も経験している。
過去のメモと辞書に共通するのが、慣用句や諺との出合い(または再会)である。実は、ぼくのノートの三分の一くらいを表現や格言や諺が占めている。諺の、とりわけ比較文化的吟味がぼくの考えるきっかけになってくれることが多い。
たとえば「早起きは三文の徳」。この「徳」を「得」とする俗解もある。いずれにしても、何かいいことがあるという意味。しかし、同時に「三文」はつまらぬものの代名詞でもある。つまり、「早起きしても、メリットはたかが知れている」とも読めるのだ。いや、「早起きしていると、小さいけれど徳が生まれる」と素直に読むのが正解か。
わが国では直截に人間のことを語っているが、英語になると"The early bird catches the worm."と「鳥」が主役になって、「早起きする鳥は虫を捕まえる」と意味を変える。たいていの鳥は早起きだと思うので、虫を捕まえる鳥とそうでない鳥が出てくるではないかと心配する。三文の徳と虫の値打ちは比べにくい。精神を取るか、虫という朝飯を取るか―前者が「徳」で、後者は「得」になるのだろう。
イタリア語では"Chi non dorme piglia i pesci."となる。「眠らぬ者は魚を捕まえる」だ。主体が人間になり、虫が魚になる。「早起き程度で何かにありつくなど甘い考えだ」と言われているような気がしないでもない。たしかに「眠らない者」は「早く起きる者」よりも優位に立つに違いない。並大抵の覚悟ではないだろうが、報われれば、虫どころではなく魚にありつける。ちなみに、英語の虫は単数形で一匹だが、イタリア語の魚は複数形で表されている。
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ぼくには本題と違うところからネタを探す習性がある。本題にズバリ入ると思考が活性化せず、逆に縁遠そうな情報のほうが考えるきっかけになってくれる。考えに行き詰まったらテーマの足元を去り、ことばの世界を逍遥してみるのがいい。
対話に「あれもこれも」は禁物
2009年5月13日 10:35
「インターネットで飛び交う情報は過去のものばかり」と主張する場面があった。なるほどその通りだろう。しかし、もし「だからインターネットの活用には限界がある」と続けたら、これは勇み足になってしまう。議論における主張をどこで締めくくるかというのはかなり重要だ。調子に乗って弁舌を走らせてしまうと切り返されてしまう。
冷静に考えてみれば、インターネットに限らず、情報はすべて過去のものであることがわかる。書物だってそうだ。会話など交わされた直後に過去形に転じる。経営方針などの計画や天気予報や競馬の予想を未来形の情報のように錯覚してしまうが、未来をテーマとして扱っている過去の情報にすぎない。
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閑話休題。昨日、第2回のディベートカフェを主宰した。第1ラウンドが「朝青龍のガッツポーズの是非」。この論題を1対1で議論する。第2ラウンドは3対3で議論する「脱インターネット宣言」(こちらのディベートで冒頭の主張がひょっこり顔を出した次第である)。
いずれも即興である。午後5時に論題を発表、若干の資料も配付。その場で発表されたチームの中で小一時間作戦を練る。ディベートフォーマットは肯定側の「立論」で始まるが、即興ディベートではこれを中途半端に作ってしまわずに、論点だけをメモしておく程度がいい。なぜ即興でやるのかにはいろんな理由があるが、第一義は「よく交叉接合する当意即妙の議論」を楽しみたいからである。
ところが、ディベートカフェのメンバーはほとんど即興ディベートの経験がない。数ヵ月前に論題を公示され、その論題に関して肯定側と否定側の立場から調査して証拠を集め、事前に肯定側の立論をきっちりと構成したり否定側の反駁戦略を立てたりしてディベートに臨んでいたのだ。このような「正規のディベート」では議論を「あれもこれも」と欲張り、論点が多岐にわたることが多くなる。議論も複雑になる。
かぎりなく生きた対話を目指す即興ディベートでこの癖が出るとまずい。即興には幕の内弁当は向かないのだ。むしろ、「あれかこれか」で一品を選ぶアラカルト型が好ましい。余計な枝葉を捨て去り、複雑な搦(から)め手も避けて、単刀直入に論題に切り込むのがわかりやすい。「見方によって違う」とか「ケースバイケースだ」などの姑息な答弁は減点対象にしなければ、即興ゆえの議論のスリルが湧き上がらない。
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第3回は8月に半日ほどかけて実施する予定である(開催地は大阪)。「ディベート脳」については賛否両論あるが、「死んだ演説」ばかりではなく、時には「生きた対話」に向き合ってみるべきだろう。初参加の方も歓迎する。
食材を送ってくれる人はいい人
2009年5月12日 12:20
『徒然草』の七段にある「命長ければ恥多し、長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」は、兼好の本心か。「長生きしたら恥をかくことが多くなる」という説にはうなずける。しかし、「目安として四十歳までに死んでおくのがいい」が本気なら、ずいぶん勇気のいる極論だ。兼好自身がこの随筆を書いた時点で不惑にはなっていなかったようなので、たぶん冗談半分に違いない。ちなみに、生年・没年ともに不詳ながら、兼好は七十まで生きたと伝えられている。
誰かが書いた文章をどう解釈するかは読者の勝手である。とりわけ、学者でもないぼくたちが、何百年もの後世になって徒然なるままに古典を読むに際しては、神経質なまでに厳密に解釈しなくても許されるだろう。ぼくごときのブログ記事と『徒然草』を同列に並べるつもりはないが、ぼくとしては愚直なほどまじめに書いているつもりのブログ記事が、意に反してギャグや極論として読まれることがあっても文句は言えない。逆に、ギャグのつもりがホンネで伝わってしまってもいかんともしがたい。
吉田兼好が『徒然草』に記したことを真に受けるか軽く読むかによって賛否も分かれる。たとえば、兼好は「物をくれる人、医者、知恵のある人」をよき友のベスト3に挙げる。これに対して、医者と知恵者はさておき、物をくれるからいい友だちなどというのはけしからんという批判が下る。心でひそかに思うのならともかく、公然と唱えるとは厚かましいにもほどがある、というわけだ。はたしてこのイチャモン、適切なのだろうか。正直なところ、ぼく自身は物をくれる人をいい人だと信じて疑わない。
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物をくれる人がいい人とは言っているが、「ゆえに、物をくれない人は悪い人」だなんて言ってはいない。それどころか、「物をくれる」はもらう人から見た客体の行為だが、同時に客体からすれば「物をあげる」行為なのである。つまり、「物をくれる人」は「物をあげる人」なのであるから、施しの精神の備わっているという賞賛にもなりうる。兼好の「良友論」は、決して己だけが得すればいいというエゴイズムではないのだ。
いや、そんな生真面目な考察などどうでもいい。これはきっとセンス・オブ・ユーモアなのだ。この随筆を真っ先に読んだのはおそらく兼好の友人たちであり、次いで有閑階級の人々であっただろう。徒然草は、物をくれる友人、医者、知識人らを読者として想定していた。この読者想定の心理は手に取るようにわかる。医者を強く意識したことはないが、ぼくのブログは、ぼくと付き合いのある人、ぼくの話を聞く機会のある人、知的好奇心の旺盛な人らを読者対象にしている。そして、兼好同様に、想定する読者にはぼくに物をくれる人(くれた人)も含まれている。
連休に入る前から立て続けに物をいただいた。まず朝挽きの新鮮な豚肉。とても食べ切れない量なので半分ほどを塩漬けにした。次いで徳島から「たらいうどん」が届いた。賞味期限まで時間があるので、吉日にいただくつもりにしている。この連休中には筍と蓮根のスペシャリストMK氏から筍を頂戴した。親切にも「筍を送ります」との電話。昨年は大量の筍に夢でうなされ、毎日レシピを変えながら10日間食べ続けた。まるで苦行する僧侶のような気分だった。「今年は少なめで・・・・・・」とお願いした。届いた筍は昨年の三分の一ほどだった。「ちょっと少ないな・・・・・・」とぼく。身勝手なものだ。
豚肉、たらいうどん、筍・・・・・・くれた人たちには感謝している。みんなほんとうにいい人たちなのである。
週刊イタリア紀行No.40 「ボローニャ(2) 広場、斜塔、街並み」
2009年5月10日 08:50
「やみくもに走り抜いて成長や発展へと向かわなくても、再生や改造を通じて街は豊かに安定できるはず」―これが、ボローニャ方式が挑んだ命題であり、世界の先進都市に一つの理想モデルを示すことになった。職人企業連合をはじめ、ぼくの生半可な知識でも書き尽くせないほどの創意工夫がこの街にはある。
ポルティコのある景観だけでも生活の快適性につながっているのは間違いない。だが、特筆すべきは、市民が利用できる文化芸術関連の公共施設だ。人口40万人の都市とは思えぬほどの圧倒的な質と数を誇る。美術館・博物館37、映画館50、劇場41、図書館73という数字だけを見ても、わが国の人口百万都市でさえボローニャの足元にまったく及ばない。
ぼくは日本全国でさまざまなテーマを掲げて話をさせてもらっている。行政を対象にした政策形成やまちづくりの研修機会も増えてきた。決して事例主義者ではないのだが、指導させていただく手前、街づくりについてそれなりの勉強もし知識も更新する。
ただ、ここ十年ほど注目を浴びてきた「創造都市」、とりわけ"クリエーティブ"という用語の、度を過ぎた一人歩きが気になっている。何でもかんでもクリエーティブという集団シュプレヒコールは、創意工夫からもっとも縁遠いものではないか。名立たる世界の都市が道を誤り軌道修正に悶々としているのに対して、ボローニャが本来あるべき街づくりに目覚め、常軌を逸しないように努めている―このことが創造的なのだとぼくは考えている。
ほんの3、4日滞在しただけの一観光客ではあるが、生意気を言わせてもらうならば、「歩きやすい街は生活しやすい街」というのは真理だ。ボローニャは歩きやすい。入り組んでいても迷わない。ネットゥーノ広場前のネプチューンの噴水からマッジョーレ通りを東へほんの300メートル行くと、二本の斜塔が立つポルタ・ラヴェニャーナ広場に達する。この通りがゴシック建築といい風情といい、歴史を漂わせる。宿泊したホテルが斜塔の裏手だったこともあり、何度も行ったり来たりのそぞろ歩きを繰り返した。
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(左)マッジョーレ広場の入口にはネプチューンの大噴水。(右)ポデスタ館前にはカフェ。
(左)重厚感漂う市庁舎(コムナーレ宮)。(中央)市庁舎の中庭。建物にはボローニャ出身の画家モランディの作品を集めたモランディ美術館が併設されている。(右)広場で憩う人たちが絶えない。
(左から)ネットゥーノ広場側から見るボローニャの斜塔、高さ97メートルのアシネッリの塔。ピサの斜塔のように傾いている。 ☆アシネッリの塔の隣りが、やや背の低いガリセンダの塔。傾き度が大きくて危険なため上れない。 ☆ホテルの窓から見る斜塔の借景。 ☆アシネッリの塔の最上階までは498段の階段がある。上り下りすれば軋(きし)む古い木製。木は相当擦り減っており、勾配は急なしつらえだし、人が一人やっと通れる狭さだ。高所恐怖症ならずとも足は必ずすくむ。
「わかる」ということが、実は「よくわからない」
2009年5月 8日 09:00
「クラシック音楽はわからないから、つまらない」。たしか先週だと思う、つけっ放しのテレビからこんな音声が聞こえてきた。小学生のつぶやきだった。わからないから、つまらない・・・・・・なるほど、そうだろうなと暗黙のうちに同意していた。
ところが、ぼくは大人である。「わからないからつまらない」と簡単に物事を片付けるわけにはいかない。大人だからもう一歩踏み込んでみなければならぬ。そこで自問してみた。わかれば楽しくなるのだろうか? 「クラシック音楽はわからないけれど、なんだか楽しい」は成り立たないのだろうか? そもそも「わかる」とはどういうことで、「わからない」とは何を意味しているのだろうか?
自宅の本棚に目をやって、しばし何段か追ってみたら、「わかる」をテーマにした本で以前ざっと読んだのが四冊並んでいる。ずばり『「わかる」とは何か』、その隣に『「わからない」という方法』、そして『「わかる」技術』に『わかったつもり』だ。よくもまあ、うまく揃っていたものである。これら四冊の本の目次はほとんど覚えていないし再読したわけでもないので、どんな切り口で書かれているのか知る由もない。
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それにしても、考えれば考えるほど、「わかる」が結構むずかしいテーマであることに気づく。「クラシック音楽はわからないから、つまらない」―小学生の男の子に一度は共感したが、ちょっと待てよ、音楽というものは、それがクラシックであれ童謡であれジャズであれ演歌であれ、鑑賞すればいいわけで、わからなくても問題ないのではないか。もし「わかる」が「理解する」という意味ならば、それこそそんな論理的了解の必要などさらさらないはずだ。
音楽がわかることと算数がわかることは、たぶん違う。算数で謎が解けたり道すじが見えたりするのと、鑑賞者として音楽がわかるのとは根本的に違うはずである。音楽鑑賞や美術鑑賞に際して、詳しい知識を身につけているからといって「わかる」ようにはならない。たしかに「わからない」よりも「わかる」ほうがいいに決まっている。だからと言って、芸術鑑賞において「わからなければならない」必要性やノルマなど一切ない。「こんなもの、わかるってたまるか!」という反発や居直りさえあってもいい。
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もしかして学校教育は「わかる」ことを当然のような前提にして成り立っているのではないか。どんなことにも答えがあって、その答えを見つけたら「わかった」と見なし、答えが見つからなかったら「わかっていない」と判定を下す。こんな調子で、「わからないことはつまらないこと」と決めつけるような空気を充満させて、つまらない教育を膨らませているのではないか。
「わかる」の対極に「わからない」があって、その二つの状態しかないのであれば、まるでON/OFFのデジタル処理みたいではないか。そんなバカな話はない。「わかる」にはいろんな程度の「わかる」があり、「わからない」にもいろんな程度の「わからない」がある。人によって度合が異なるものなのだ。「それなりにわかる」という、きわめてファジーな了解の仕方すらある。「わかる」と「よくわかる」の差が、実はよく「わからない」のである。
もしあることについて「完全にわかる」ことがありえないのだとしたら、ぼくたちはたぶんすべてのことについて「あまりよくわからない」状態に置かれているに違いない。そして、たいせつなことは、あまりよくわからないからつまらないと刷り込みをさせず、むしろあまりよくわからないからこそ楽しいのだという方向へ子どもを導いてあげることだろう。
今日の話、わかったようでよくわからないという印象をお持ちになったのであれば、お詫び申し上げる。
歩いて知ること、気づくこと
2009年5月 6日 21:00
長期連休あり、渋滞あり。長蛇の順番待ちあり、閑散としたレストランあり。悲喜こもごものゴールデンウィークである。他人が出掛けるときは出掛けない流儀なので、ぼくがぶらぶら散策するコースは交通量も少なく人出もほとんどない。大阪を南北に走る主要な谷町筋や堺筋はある種の歩行者天国である。御堂筋ですら、信号無視気味に横断できた。
堺筋本町から北浜へとゆっくり北上。堺筋の東側を歩くか西側を歩くかによって景観はまったく異なる。「あ、あんな店が・・・・・・」という場合は、たいてい道路を挟んだ反対側を見ていての発見だ。店の前を歩いていても看板が目線より高いと見過ごしてしまう。
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北浜の交差点南西角に碑が建っている。このあたりを通って中之島界隈までよく歩くので、記念碑の存在は以前から知っていた。しかし、いつも交通量の多い場所だから、碑の前でひたすら信号待ちしてひたすら公会堂、市役所方面へと歩を進める。今朝は立ち止まって読んでみた。「大阪俵物会所跡」とある。延享元年(1744年)にこの会所がスタートしたという。長崎と中国(当時は清)の海外貿易時に金銀銅が大量に流出するため、当時の輸出特産品である俵物を代用にあてたという旨が書かれている。
その俵物が、フカヒレ、干しなまこ、干しあわびと知って驚いた。こんな昔から中国で日本の乾燥海産物が珍重されていたのだ。三百年近くもブランドを保持しているとは・・・・・・。高品質がブランドイメージを随えることの何よりの証明である。
肥後橋まで歩いていくと、橋の真ん中まで堂島から長い列ができている。連休最終日、ロールケーキ目当てに朝から並ぶ忍耐と根性はどうだ。噂にちょくちょく聞いていたし目撃もしていた。口にしたことがないので何とも言えないが、ぼくには考えられない「待ち」である。ことグルメ系の食べ物に関して列を成してまで並ぶ必要性をまったく感じない。それがどんなに美味であれ、誰かに頼まれたにせよ、何時間も待つ価値を見出だすことはできない。空腹で死にそうなときに炊き出しに並ぶとは思うが、ロールケーキを求めて並ぶことは絶対にない!
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『安藤忠雄建築展 2009―水がつなぐ建築と街・全プロジェクト』の割引き優待券があったので一枚もらってきた。安藤忠雄に文句はない。しかし、チラシのタイトル「対決。水の都 大阪vsベニス」は滑稽である。「対決」と「vs」を生真面目に考えずに受け流せばいいのだろうが、対決させてどうなるんだと皮肉りたくなってしまう。大阪とベニスの航空写真を上下に並べて類比しているつもりなのだろうが、水路があるという事実以外に両者には類似点など一切ない。大阪は現代的な車の社会であり、ベニスは近世を残す人の社会である―この一点の理由だけで、両者を「対決」や「vs」で向き合わせたりきわどいアナロジーに持ち込むには無理があるのだ。
水都大阪プロジェクト、大いに頑張っていただきたい。だが、何十年経っても、大阪はベニスにはなれないだろうなと確信した。ベニスになるためには、江戸時代末期の風景をそのまま残しておかねばならなかったのだ。それは叶わぬ夢である。それでもなお、秩序なく林立する高層ビルと、その谷間に申し訳なさそうに生き長らえる大正・昭和の古い建造物と、独特の水路系が織り成す大阪を歩く。週末にこの中途半端な街を散策するのが嫌いではない。
週刊イタリア紀行No.39 「ボローニャ(1) ポルティコという知恵」
2009年5月 4日 10:40
ペルージャから鉄道でフィレンツェへ。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の敷地に接するホテルに滞在、毎日「耳元で」鐘を聞いた。フィレンツェには3泊のつもりだったが、4泊すれば4泊目が無料になるサービスがあった。つまり、3泊しても4泊しても同じ料金なのだ。ならば、当然4泊を選択するものだろう。フィレンツェでは毎夜違うリストランテやトラットリアに通い、美食三昧の日々を過ごした。そして、この旅の最終目的地であるボローニャへと旅立った。
日本からのパッケージツアーにボローニャはまず入らない。だからと言って、見所が少ないわけではないのだが、ボローニャで過ごすのが半日ならマッジョーレ広場とその周辺を観光すれば十分、などと旅の本には書いてある。その記述、ボローニャに対してとても失礼である。ぼくは3泊も滞在して余裕綽綽で街歩きもしたのだが、帰国後にいろんな「見学漏れ」に気づいた。主たる市街地が2km四方とはいえ、ボローニャは特徴が高密度に集中する街なのである。安直な街歩きで済ませていたら、見えていたはずの光景が実はまったく見えてはいなかったということが後日判明する。
ボローニャについて何を書こうかと思案するとキリがない。けれども、「ビジュアル的最大特徴」は、チェントロ・ストーリコ(歴史的市街地)をくまなく巡るポルティコ(柱廊)で決まりだ。この街では、建造物と通りの間の歩道がほぼ完全にアーケードで覆われている。全長で約40キロメートルあるらしい。ポルティコの二階部分は建物が3メートルほどせり出すよう増築されている。
ヨーロッパ最古と言われるボローニャ大学(1088年創立)には、現在ももちろんだが、16世紀頃までに大勢の学生たちが欧州各地から留学にやってきた。『ボローニャ紀行』(井上ひさし)によれば、当時はまだ校舎らしい校舎もなく、また狭い街では学生を収容するだけの住居も足りなかった。そこで、留学生のための貸間の普請と私道のポルティコへの改造が進められていったらしい。
ぼくが訪れたのは3月上旬だったが、到着の前日か前々日には大雪が降ったと聞いた。ポルティコは遊歩や店先の景観に華を添えるが、同時に雨風や雪をしのぐのに恰好の避難通路にもなる。ポルティコは場所によって装飾や建築様式が変化する。歩くにつれて街角の表情が質素になったり高貴になったりして飽きることはない。夕方のそぞろ歩きにはもってこいの舞台装置だった。
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(左)中央駅近く、高台の公園から見た街角。(右)インディペンデンツァ通りのポルティコ。
(左から)マッジョーレ広場まで1キロメートル延びるポルティコのある通り。☆裏通りを歩いてもポルティコ。表通りの喧騒とは打って変わる。☆天井に古い木造部分がむき出しになっているポルティコ。☆レストランであれどんな店であれ、店舗前の歩道をアーケードが覆っている。
情報を選び伝えるマナー
2009年5月 1日 14:15
定期的であるはずもないが、時折り思い出したかのように書きたくなるテーマがある。「なくてもいい情報」の話である。昨年の6月にも書いたのを覚えていて、さっき読み返してみた。変な話が、自分で書いておきながら大いに共感した次第。先週、同じような体験をした。饒舌な情報に対するぼくの批判精神は相変わらず健在である。
先週の金曜日、出張先は高松。新大阪発ひかりレールスターに乗車予定。すでにホームには列車が入っており、各車の扉付近に清掃中の表示がかかっている。待つこと数分。ホームにアナウンスが流れる。
「折り返し運転のための清掃が終わりました。」
この後にもいろいろプラスアルファの情報が耳に届いた。「清掃が終わった」という情報にひねくれてはいない。それはオーケーだ。「待たせた」と「まもなくドアが開く」という情報もあった。いずれもなくてもいいが、まあ問題ない。要するに、「清掃が終わった、待たせてすまなかった、すぐにドアを開ける」という案内はぼくには不要だが、他の誰かのためにはあっても悪くはないだろうと思う。
だが、「折り返し運転のための」は必要不可欠? 清掃して車庫に直行するわけがない。新しい乗客を乗せて運転するのだから清掃していたわけだろう。だいいち、その列車が博多から新大阪にやって来て、しばしのクールダウンと清掃の後に博多へ折り返していくという情報を乗客に伝えることに何の意味もない。これは駅員どうしの確認で済ますべき話だ。このアナウンスと同時にホームにやって来た乗客には、「折り返し運転のための」と聞いて、何事かあったのかと怪訝に思う人がいるかもしれない。
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この種のメッセージをぼくは「目的内蔵型報告文」と勝手に名づけている。要するに目的部分は自分に言い聞かせる確認情報なのである。「腹を満たすためのランチに行く」と同様に、「折り返し運転のための清掃が終わりました」も冗長である。「書くための水性ボールペンを貸してください」も「頭を鍛えるための脳トレーニング」も目的部の情報は不要である。
「まわりのお客さまの迷惑となりますので、携帯電話はマナーモードに設定したうえ、通話はデッキでお願いします」などを字句通りに外国語に翻訳できないことはない。だが、ほとんどの国ではそんな言わずもがなのことを言わないのだ。「通話はデッキで」くらいは言ってもいいかもしれない。だが、座っている席で通話すると他人の迷惑になるというのは、余計なお節介、いや「オトナの幼児的扱い」に他ならない。
よきマナーへの注意を呼びかけるアナウンスにも、最低限のマナーが求められる。必要な情報を選択してきっちりと伝えきるマナーだ。最近、アナウンスが流れない4号車両「サイレンスカー」が消えたらしい。アナウンスがないために不安になる乗客が多く不評だったのか。こうなると、鉄道会社の饒舌な情報発信を一方的に咎めることもできない。責任の一端は乗客の情報依存症にあるようだ。



