2009年6月アーカイブ
「ためになる話」など、ない!
2009年6月30日 09:30
そんなバカな、と思われるかもしれないが、「ためになる話」などないのである。読んだり聞いたりした話は、「ためになる」ことが確定してから書かれたり話されたりしたのではない。この意味で言えば、ためになる話もないが、ためにならない話もないということになる。話はもともと毒でも薬でもないのだ。
繰り返すが、「ためになる話」はない。「話がためになる」のである。いや、場合によっては、「話がためにならない」のである。決して禅問答をしているのではない。どのように考えたって、話は話以外の何物でもないのである。こういう考え方を進めていくと、「恐い話」も「おもしろい話」も「つまらない話」もない、ということになる。すべて、話が恐い、話がおもしろい、話がつまらないのである。
話でなくても何でもいい。「修飾語+名詞」という構文で表現される「修飾語」は「名詞」の絶対的特性であるはずがないのだ。「堅い」や「やわらかい」は煎餅の特性ではなく、経由した人間の諸感覚を通じて煎餅が「堅い」あるいは「やわらかい」と認識されているだけである。つまり、人間を経由してはじめて、物象や事象や概念は何らかの特性を負うにすぎない。
☆ ☆ ☆
別にこんなに難しく論じることもなかったと、少し反省する。だが、どう考えても、何事かに価値があるかどうかは、何事かが決めているのではなく、人が決めているのだ。冒頭の「話」に話を戻せば、どんな話であっても、聞き手が感受性を鋭敏にして大いに触発されるべく向き合えば「ためになる」ものなのである。「ためにならない」と判断できることさえ「ためになった」と言ってもよい。くどいが、「話があなたのためになるか、その他の別のものになるか」は、話が決めるのではなく、あなたが決める。
ぼくたちは「豚に真珠」とか「馬の耳に念仏」とか「猫に小判」などと動物に対して失礼な言を吐く。ぼくたち人間は「美しい真珠」とか「ありがたい念仏」とか「値打ちのある小判」などと、真珠や念仏や小判に絶対的特性を勝手に付与している。しかし、豚は真珠よりもトリュフに鼻をピクピクさせ、馬は念仏よりも物音に耳をそばだて、猫は小判よりもイワシの煮付けに舌なめずりをする。
人間よりも豚と馬と猫がえらいと結論を下しているのではないが、彼らの諸感覚が素直で合理的であることを認めざるをえない。動物たちが諸感覚を通じて素直に対象を吟味するのに対して、ぼくたちは誰かによる評価に左右されている。対象に先行する修飾語なくしては、もはや物事を判断できなくなるほど危うい状態にある。情報や意見について、こうした「権威による評価」への依存症はますます蔓延しているように思われる。うぬぼれてはいけないが、少なくとも自分と権威の意見は互角でもいいはずではないか。
週刊イタリア紀行No.44 「ローマ(2) サンタンジェロ初入城」
2009年6月28日 10:20
これまで何度もサンタンジェロ城のそばを通り過ぎてはいた。しかし、ローマに滞在した過去三度は、いずれの機会も日程に制約があった。時間がなかったら、こちらよりもヴァチカンの博物館かサン・ピエトロ大聖堂を選ぶのが定跡だろう。たっぷり8日間取れた今回、とうとう初めて「入城」する機会を得た。しかも拠点のアパートのすぐ裏手、歩いて5分のこの名所を見逃していては、もう二度とチャンスはない。
映画を観ていないが、この城は近作『悪魔と天使』の舞台の一つになっている。サンタンジェロ城とサン・ピエトロ大聖堂が秘密の通路でつながっているとか・・・・・・。ローマには骸骨寺のような地下墳墓があるし、「もしかすると」の方向へ想像をたくましくするのもうなずける。また、ほぼ東西一直線で1km弱の距離だから現実味も帯びる。さあ、実際はどうなのか? 正解は、「(避難通路が)ある」。
サンタンジェロ城はテヴェレの川岸に面している。航空写真を見ると、公園になっている敷地が変則の五角形であることがわかる。城はウェディングケーキのような丸い形状。古代をレトロ調に再現したように見えなくもないが、正真正銘、2世紀に建てられた霊廟である。ハドリアヌス帝の命で建立され、続く古代ローマの歴代皇帝をここに埋葬した(記録では浴場で有名なカラカラ帝までが葬られたようだ)。しかし、後年に改築され要塞色を強めていく。もちろんすぐそばのヴァチカンを守る役割だ。危機を逃れるため法王が城へ避難して篭城し続けたという話もある。
城の内部は国立博物館として公開されている。冷んやりとして暗いらせん状のスロープを下っていく。複雑な構造になっていそうで、おもしろい。何ヵ所か牢獄跡が見える。外に出ると、当時使われた兵器を展示してある「天使の中庭」。この風情もいい。壁や地面、そこかしこから古代の色が滲み出る。回廊からはローマ市内の四方八方をすべて見渡せる。
ちなみに、観光客が「ローマ」と呼ぶ地域は意外に狭くて、このサンタンジェロ城から南東の方向にあるコロッセオまでは直線で2kmちょっとである。ほぼ主要な名所旧跡は3~4km四方にあるので、健脚なら歩いても一日で見学できる。うまく地下鉄とバスを利用すればさらに容易だ(但し、コムーネという独自の行政体感覚があるので、実際のローマ市という概念はもっと広い)。
☆ ☆ ☆
回廊から見渡すパノラマ。(左)テヴェレ川とサンタンジェロ橋。
(左)ジグザグの階段。(右)城の中心部にある「天使の中庭」。
(左)砲弾を遠くへ飛ばす装置。(右)砲弾は大理石でできている。
(左)「井戸の中庭」の井戸。凝ったレリーフを施してある。(中央)水飲み場。(右)ライトアップされたサンタンジェロ城の夕景。テヴェレ川対岸から。
コマーシャルの変化(へんげ)
2009年6月26日 10:00
制作意図は大まじめなのだろうが、ついつい笑ったり呆れたりするテレビコマーシャルがある。なかでも「変化物(へんげもの)」には失笑してしまう。いや、失笑が失礼なら、徒然なるままにアップするブログのネタを提供してくれる、と言い直そう。
変化物は、最初に人物が実体とは違う化身として登場し、30秒後に本性を現わすという構造をもつ。最近では武富士のコマーシャルで内田有紀が化身の役を演じている。内田は、誰がどう見たってフローリストである。そう、花屋さんなのである。男性客に対して笑顔で「いらっしゃいませ」と言ってるのだから、花を買いに来た人ではなく、花屋にいて花を売る人なのだ。とても他の職業に就いているという設定ではない。お客である男性は「彼女の部屋を花でいっぱいにしたい」とか何とか言って、花が所狭しと咲き誇る部屋をイメージする。
内田は「かしこまりました」と応じる(ほら、やっぱり花屋だ)。大まじめなコマーシャルなので、お笑い芸人のように「かしこ、かしこまりました、かしこ~」などとふざけない。だが、相手のニーズに「かしこまりました」とイエスの返事をしておきながら、内田が差し出すのはサッカーボールくらいの大きさに揃えた花。男性客が「部屋じゅういっぱい」と希望を伝え、なおかつ内田も「かしこまりました」と返事したにもかかわらず、いっぱいとは程遠い両手サイズの花を手向けたのだ。もちろん彼はそのギャップに「えっ?」と驚く。いや、彼だけでなく、視聴者も驚く。「これって、顧客不満足じゃないの!?」
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ここで終われば「変化物コマーシャル」とは呼べないが、話は続く。彼の「えっ?」という反応にまったく動じる様子もなく、内田は続ける。「この花、確かな計画性という花言葉があります。ムリしすぎちゃダメですよ。自分に合った計画を立ててくださいね」てなことを平然と言ってのける。「確かな計画性」―いやはや、現実味を帯びた、夢のない花言葉ではある。それにしても、失礼なフローリストではないか。「ムリしすぎちゃダメ」は上からの目線。おまけに「自分に合った計画」は安月給のサラリーマンと決めかかっているようでもある。男性は、もしかすると、大富豪の息子かもしれないのに・・・・・・。
しかし、そうではなさそうで、内田は眼力のある美人フローリストのようである。そして彼は「このほうが彼女も喜ぶかも・・・・・・」と内田の提案を受け入れる(ものすごく素直な男性だ)。彼の彼女は「確かな計画性」という花言葉に小躍りするタイプなのだろう。まあ、それもあるかもしれない。
いよいよコマーシャルのクロージングだ。冒頭の「いらっしゃいませ」を発したときと同じ笑みをたたえて、内田は「ありがとうございました」と客を見送る。そして、最後の最後に(たぶん客が次の角を曲がって消えた頃に)、「♪ た、け、ふ、じ~」と口ずさむのだ。この瞬間、「花屋と違うんかい!」とツッコミが入ってしまいそう。そうなのだ、ここにきて内田の実体が、武富士の社員か身内か、あるいは何らかのステークホルダー(利害関係者)だということが判明する。フローリストは化身だったのである。
時間の不足、発想の転換
2009年6月25日 13:30
わが国の教育ディベートに「旬」の時期があったのかどうか知らない。あったとしても、元来がニッチだからピークそのものが聳えるほどであったとは到底考えられない。ぼくの経験では20年程前と10年程前にディベート研修の依頼が多かった。年中全国行脚していた。ニーズも多様化して様々なバージョンのプログラムも準備した。ディベートの本も書いた。だが、最近ではロジカルコミュニケーションやロジカルシンキングがディベートを逆転していた。
昨日の夕刻は久々のディベート講演だった。20名弱の少人数を対象に1時間話をして、即興ディベートを1時間体験。ディベート経験者の知人が二人いてくれたので、ぼくのサポート役として初心者をうまく「その気」にさせてくれた。ありがたい。
依頼があった時点では、聴き手にとってまったく不案内なテーマを60分枠で話すのは難儀だと思った。過去に2、3時間のディベートセミナーというのは何度か経験したが、さすがに1時間という短時間で話した記憶はない。講師業というのは、当たり前のことだが、経験を踏むにしたがって知識が深まり広がる。独自のノウハウも身につけるから、盛り込みたいことや伝えたいことは年々増えていくものだ。つまり、おおむねあれもこれもと欲張りになっていく。
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ところが、欲張りは資料のページ増と講義の長時間化につながる。これは明らかに時代の要請に逆行している。分厚いテキストと豊富な持ち時間が、決してコンテンツと講義品質の向上につながるわけではないのだ。丸一日の研修を6時間に、6時間を4時間に削られると、講師は不安になるもの。内容と時間の濃縮によって「ネタ漏れ」の不安がよぎってしまう。逆に、「水増し」ならいくらでもできる。
講師心情を吐露したような格好になったが、要するに、潤沢な講義時間が講師の能力や技術を高めるわけではないということだ。むしろ、今回のように1時間だけと過酷なまでに裁量を制限されるほうが、潔く発想を転換できる。半日枠で基本と思っていた内容が、1時間になるとまったく別物として再構築される。
ぼくの中では足りないことだらけ。なにしろ、サービス精神旺盛な足し算発想から、情報のケチケチ引き算発想に変えねばならないのだ。ここまで削ぎ落としていいのだろうか。これをディベート入門と呼んでもいいのだろうか。そんな後ろめたさとは裏腹に、どっこい講演はうまくいく。初心者は好感度で話を聴き、「ディベートはおもしろい」と言ってくれる。不可思議である。だが、時間の不足を嘆くことはない。むしろ、短時間が強いてくる創意工夫へのきっかけを喜ぶべきだろう。
問いの意味と意図
2009年6月23日 18:30
先週の書評会では『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』という本を取り上げた。その中に『「問い」と「なぞなぞ」』という随想があり、次のようなくだりが興味を惹いた。
「問い」の意味は分かっていて、その「答え」を求めるというのが、普通の「問い」の場面である。しかし、なぞなぞの方は、まず「問い」が何を聞こうとしているのかが、よく分からない。いや正確に言うと、「問い」の表面的な意味(字義通りの意味)は分かるのだが、それがさらに何を意味しているのかが、よく分からない。意味の意味が不明なのである。なぞなぞでは、「答え」を探す前に、まず「問い」の意味を考えてみる必要がある。
発した問い自体がよくわからないというのは、なぞなぞにかぎった話ではない。問うている本人自身が何を聞いているのかをよくわかっていない―そんなことはよくある。なぞなぞでは答える側が問いの意味を出題者に聞くことはめったにないだろうが、ふだんの生活や仕事では「意味不明な問い」に義務的に答える必要はなく、意味がわかるまで聞き返すなどして確認すればいい。
意味と同等に大事なのは、問いの意図だろうとぼくは考える。問いの意味はわかる。しかし、意表を衝かれてうろたえたり、瞬時に動機がわかりかねる。そんなとき「この人、なぜこのことを問うているのだろうか?」と一考してみるべきだと思う。ついつい反射的に答えを出そうとしてしまうのは、問われたら答えるという幼児期からの学習癖のせいか、あるいは即答によって賢さと成熟を誇示しようとするせいなんだろう。問いの意味と意図の両方がわかるまで、問いへの答えを安受けしてはいけない。
☆ ☆ ☆
ギリシア神話に出てくる巨躯のアトラス。両腕と頭で天空を支える図を見たことがあるかもしれない。戦いに敗れたアトラスがゼウスによって苦痛に満ちた罰を与えられる。世界の西の果てで蒼穹(そうきゅう)を支え続けなければならないのである。経緯はともかく、アトラスがそういう状況にあることを想像していただこう。そこで、次なる、別の本からの引用。
「アトラスが世界を支えているのなら、何がアトラスを支えているの?」
「アトラスは亀の背中の上に立っているのさ」
「でも、その亀は何の上に立っているの?」
「別の亀だよ」
「それじゃ、その別の亀は何の上にいるの?」
「あのね、どこまでもずっと亀がいるんだよ!」
この話はぼくがアメリカで買ってきた本の冒頭に出てくる(いずれ完読したら書評会で取り上げようと思っているので、書名は伏せておく)。「アキレスと亀」は有名な話だが、これは「アトラスと亀」なのでお間違いなく。ギリシア神話ゆかりのアトラスを引っ張り出して、ここに世界を支える亀を登場させると、なんだかインドの宇宙観に近いものを感じてしまう。
それはともかく。問いには答えられないものや、上記の例のようにキリのないものもある。「何が支えているか?」「何の上に立っているか?」などはとても意味がわかりやすい質問だ。だからと言って、真摯に必死で答えていくと、このやりとりは応答側に天空の重さの負荷をかけてしまうことになる。けれども、問いの意図を推し量れば、若干の好奇心に動かされた程度のものか、または、無理を承知のお茶目な悪戯心のいずれかだと値踏みできる。意図を見極めておきさえすれば、やがて答えの風呂敷を畳(たた)める。上記の例に一応の終止符を打つには、「亀がずっと続く」とするしかなかったに違いない。
問答が延々と続く「無限回帰」とも呼べる作業を、哲学の世界では古来からおこなってきたようだし、現在に生きるぼくたちもそんな状況に陥ることがよくある。だが、趣味ならばともかく、仕事にあってはいつまでも問いと答えを続けるわけにはいかない。どこかで問いを打ち切らねばならないのだ。この打ち切りを別名「潔さ」とか「粋」と呼ぶ。「どこまでもずっと亀がいるんだよ!」と答えるのもいいが、「アトラスの下に亀がいて、その下にも亀がいると答えた。もうそれで十分ではないか。それ以上問うのは野暮というもんだ」と答えてもいいのである。
数字がかもし出す奇異
2009年6月22日 10:00
「イタリアからアメリカへ行って、もうイタリアには戻らないのですか?」
ふつうのことばだが、よく練られた文章である。これは、おおむね日曜日に更新してきた『週刊イタリア紀行』がNo.43のローマ(1)を最後に途絶えていることへの問い合わせである。もちろんローマには戻る。まだまだ素材もある。ただ残念なことに、一年三ヵ月前の写真をセレクションする時間が少し足りない―ただ、それだけ。
☆ ☆ ☆
今日午後一時から京都で私塾。そのパワーポイント資料の最終編集がさっきやっと終わったばかり。あまり仕事上で追い込まれることはないのだが、久々に期限間際の集中と緊張を味わった。期限に追われている人たちは毎度こんな調子なのか。それはそれで、一撃の鞭の効果もあるに違いない。
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閑話休題。
今日の講座には、悪しき文化と良き文化の話が入っている。連想するのは、「グレシャムの法則」だ。ご存知の「悪貨は良貨を駆逐する」というもの。単純に悪貨が良貨より強いという意味ではない。人は良貨を貯めこもうとする。また、(たとえば銀貨を)溶かして物に流用する。あるいは、そっくりそのままどこかの外国に転売する。そのため良貨が金融市場から消えて、悪貨ばかりが流通する。こういう話である。良き文化の香りを少しでも失うと、企業は「金儲け主義」という悪しき文化へと向かう。良き文化は自己抑制として機能する。
先週だったろうか、テレビでバーゲンだかアウトレットだかの特集をしていた。つい昨日まで定価5万円だったバッグが、今日から「な、な、なんと70%オフ!!」と叫んでいた。そう、一晩明けて5万円から1万5千円に。店側はこれを「お買い得」とアピールする。すなわち昨日買った客にとっては「お買い損」。
ぼくの見方はシニカルで、「昨日まで70%上乗せしていた」と考える。「本来なら」「元々は」「実際には」云々で表現される価値とは何ぞや? 価値について人間はよくわからないから、尺度の一つである価格で判断する。「用の不用、不用の用」をしっかり考えよう。
「経営者なら数字に強くなれ」というのもあるが胡散臭い。これは「商品の値段に強くなれ」と教えているのに近い。重要なのは、「経営に強くなれ、商品に強くなれ」である。だが、いずれも「見にくい」から、「よく見える数字」に視点をすりかえる。力のある人はのべつまくなしに「数値目標」とか「数字で証明」などと言わないものである。
続・「カンタンな仕事」はタブー
2009年6月19日 08:00
次のようなスパムメールがぼくのところに来たが、他の人たちのアドレスにも届いているのだろうか。
「ほぼサルでもできる軽作業で副収入が月10万円~」
ここまでしかわからない。件名だけは見えるが、本文を開いていない。また、読む気もない。だから、その「ほぼサルでもできる軽作業」がいったい何なのかがわからない。しかしだ、この件名のコピーに関して言えることがある。すなわち、この件名コピーは挑発的でありながらも、一部の受信者たちに「いったいどんな軽作業なのか?」と思わせる訴求力を持っているのだ。それでも、ぼくは読まない。その代わり、このスパムでちょっと遊んでみることにした。
「ほぼサルでもできる」のなら、わざわざ人間のところに迷惑メールを送りつけることもないだろう。サルにお願いすればいい。そうすれば月に10万円の報酬を払わなくても、3万円くらいの餌代で済むではないか。だが、こんな難癖をつけようものなら、メールの送り主はニタリと笑ってこう続けるはずだ。「ちょっと待ってくださいよ。わたし、サルなんて断言していません。『ほぼサル』でして、『サル』ではないんです。」
さらに耳を傾けるととんでもないことになる。「サルでも7、8割はできるんです。でもね、あとの2、3割はどんなに訓練してもダメ。だから『ほぼサルでもできる軽作業』なんですな。つまり、2、3割は人間の力が必要。ほんとうにカンタンな軽作業なんだけど、サルではやっぱりできないんですよ。だから、サルではないあなたの力が必要なんです。」
☆ ☆ ☆
話は変わるが、「猫の手も借りたい」と言う。多忙な仕事があるのだが、人手が足りない。だから、猫の手でもいいからレンタルしたいということだろう。もちろん手だけをレンタルするという都合のいい話はないから、生きた猫をレンタルすることになる。あっ、「生き物にレンタルとは何たることだ」と叱られそうなので、「猫を雇う」と訂正しておきたい。
「猫の手も借りたい」と嘆いている人にも「ほぼサル」メールが届いているかもしれない。大いにありうることだ。「ほぼサル」に失敬な! と怒りながら、一方でご自身は人間の仕事を猫の手で何とかしようと考えている。「猫の手も借りたい」というのも、ある意味で人間に失礼な話ではある。一般的にサルのほうが猫よりもIQが高いらしいので、猫の手を借りたい職場の仕事は、「ほぼサルの軽作業」よりもカンタンな超軽作業なのに違いない。
そこで妙案がある。軽作業であれ超軽作業であれ、いっそのこと思い切って人間をリストラしてみてはどうか。そして、猫とサルによる作業コラボレーションを実験してみるのである(「犬猿の仲」ではないから大丈夫だろう)。猫の手はだいぶ昔からニーズがあるようだから、あとは「ほぼサル軽作業」をサルができさえすれば、コラボは成功する。そうすると人件費はまったくいらなくなる。やがて世の中は、猫の手とサルだけでこなせるカンタンな仕事で溢れるようになる。
ちょっと待った! リストラには断固反対! こうおっしゃる方がいるかもしれない。それなら、さらなる妙案がある。人間と猫、人間とサルのワークシェアリングをすればいいのだ。この制度を採用すれば、バカにされそうな「カンタンな仕事」を「ほぼカンタンな仕事」にグレードアップすることもできる。
受注するにせよ発注するにせよ、カンタンな仕事にはタブーがつきまとうものである。
「カンタンな仕事」はタブー
2009年6月18日 16:30
会社を創業したのは1987年12月。オフィス探しと同時に、定款や登記の準備に追われたのが前月。すでに起業していた大学の後輩に税理士さんを紹介してもらった。さらに、その税理士さんが司法書士さんを紹介してくれた(これ以降は面倒なので、「さん」づけをやめる)。
何の書類か忘れたが、手書きの原稿か何かをその司法書士に渡して仕事を依頼した。「ちょっと急ぎなんで・・・・・・。すみませんね」と言うと、「いえいえ、ワープロに書式が入ってますから、事務所に帰ってパパッとすれば簡単です」と対応された。これには驚いた。これではまるで「はごろもフーズのパパッとライスこしひかり」と同じではないか!? いや、それよりも簡単な作業に聞こえた。そのときの「簡単」は、カタカナの「カンタン」と表記されるべき響きであった。
ぼくもその一人だが、弁舌や文章を生業とする人はこれを教訓にしなければならない。具体的にアドバイスを三つ差し上げよう。
一、めったなことで「カンタンです」と口に出してはいけません。たとえ依頼されたその仕事がカンタンであっても、一度は苦渋の表情を浮かべて見せるように。
二、要する時間を一日、いや数時間くらいかなと見積もっても、遠慮がちに「あの~、数日ほどいただいても大丈夫でしょうか?」と小声で尋ねること。つまり、相手に骨のある課題であるように感じてもらうのです。
三、オーケーが出て納期が決まったら、表情を笑みに変えて「満足していただけるよう頑張ってみます」と答えましょう。
具体的なモノを扱わず、ノウハウと知識という、他者からは見えない資源を使い、これまたすぐに消えてしまう音声と、吹けば飛ぶよなペーパーを納品形態とする職業人―それがあなたです。「カンタンな仕事です」と告白するのは自害にも等しいことをお忘れなく。
(続く)
「なぜおまえはこんなに苦心するのか」
2009年6月17日 17:30
表題は手記に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチのことばである。正確に記すと、「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」だ。前後の文脈からは意図がよくつかめない。ここから先はぼくの類推である。
ダ・ヴィンチが生を受け天才ぶりをいかんなく発揮したのは15世紀半ばから終わりにかけての時代。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)は13世紀から続いてきたレヴァント(東方)貿易の集大成であった。ダ・ヴィンチが一世を風靡した時代、画家や彫刻家のほとんどは十代の頃に工房に属していた。親方の指導のもと教会や有力パトロン(たとえばメディチ家やスフォルツァ家)からの依頼に応じて作品を制作していた。
当時はみんな職人で、まだアーティストという概念などなかった。ダ・ヴィンチは生涯十数点の絵画しか残していない。この数字は、天才にしては寡作と言わざるをえない。七歳年長のボッティチェリや二十三歳も年下のミケランジェロは仕事が早かったらしいが、ダ・ヴィンチは絵画以外のマルチタレントのせいか、あるいは生来の凝り性のせいか、筆が遅かった。筆が遅いため納期を守れなくなる。実際、納期をめぐって訴訟も起こされた記録が残っている。世界一の名画『モナ・リザ』も、元を辿れば納品されずに手元に残ってフランスに携えていった作品だ(だから、経緯はいろいろあるが、パリのルーヴル博物館が所蔵しているのである)。
☆ ☆ ☆
手記の冒頭をぼくなりに要約してみる。
「私より先に生まれた人たちは、有益で重要な主題を占有してしまった。私に残された題材は限られている。市場に着いたのが遅かったため、値打ちのない残り物を買い取るしかない、まるで貧乏くじを引いた客みたいだ。だが、私は敢えてそうした品々を引き取ることにする。その品々(テーマ)を大都会ではなく、貧しい村々に持って行って相応の報酬をもらって生活するとしよう。」
天才はルネサンスの時代に遅くやってきた自分を嘆いているようだ。明らかに拗(す)ねている。しかし、これでくすぶったのではなく、前人未到の「ニッチのテーマ」―解剖学、絵画技法、機械設計、軍事や建築技術など―を切り開いていく。天才をもってしても「苦心」の連続だったに違いない。それにしても、自身の苦心を可哀想にと嘆くのはどうしてなのか。おそらくこれはダ・ヴィンチの生活者としての、報われない悶々たる感情であり、同時に「まともに苦心すらしない愚劣な人たち」への皮肉を込めたものなのだろう。
孤独な姿が浮かんでくる。だが、他方、ダ・ヴィンチは「孤独であることは救われることである」とも語る。ひねくれて吐露したように響く「なぜこんなに苦心するのか」ということばも、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」という手記の別の箇所を見ると、多分に肯定的な思いのようにも受け取れる。
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ダ・ヴィンチほどの天才ですら、好き勝手に絵を描いたのではなかった。注文を受けて困難な条件をクリアせねばならなかったのである。
誰からも指示されずに、自由に好きなことをしたいというのは自己実現の頂点欲求だろう。しかし、もしかすると、こんな考え方は甘いのではないか。いくつもの条件が付いた高度な課題を突きつけられ、何かにつけてクレームをつけられたり値切られたり・・・・・・案外、そんな仕事だからこそ工夫をするようになり技術も磨かれるのではないか。どことなく、フィレンツェの工房がハイテクに強い下町中小企業とダブって見えてきた。近世以降、画家たちのステータスが職人から芸術家へと進化したのは、間違いなくダ・ヴィンチの功績である。最大の賛辞を送ろう。但し、天才の納期遅延癖を見習ってはいけない。現代ビジネスでは命取りになる。
来週の月曜日、京都の私塾で以上のような話を切り口に、今という時代のビジネスとアートの価値統合のあり方を語る。塾生がどう反応しどんなインスピレーションを得てくれるのか。ダ・ヴィンチ魂を伝道するぼくの力量が問われる。
熟年の敵は億劫にあり
2009年6月16日 15:00
面倒臭いに邪魔臭い。仕事が煩雑になればなるほど、あるいは自宅の整頓が乱れるほど、立ち向かおうとする動きが鈍る。億劫。もともと「長時間かかるためすぐにできないこと」を意味する。ご存知の通り、手足を動かすことやアタマを働かせることが面倒になり、何もできない、何もしたくないという気分のことだ。
中年や熟年の定義はさておき、五十歳―場合によっては四十歳―を前にして体調異変に陥っている人が最近やたらに目立つ。あまり養生していないからと言えばそれまで。それを差し引いても、ちょっとしたことで風邪を引いたり腰を痛めたりしているのだ。そこまでの体調不良ではないが、ぼくもしっくりいかないことがよくある。だが、そこはまあ、ぼくの場合はあと二年で還暦ということを考えれば、まずまず健康なほうだと思う。
老成した人物の目線のようになるのを恐れずに言えば、「億劫にならない」―これこそが仕事と生活の要諦をとらえていると思う。年齢相応に仕事や生活を変えるのを厭ってはいけないのだ。たとえば、これまでの食習慣を変えてみる、とりわけ午後八時以降の食事を避ける。やむなくそうするときは腹八分目にする。あるいは若い頃と違う酒の飲み方にシフトする。そのためには人付き合いのパターンも変えねばならない。億劫がらずに、とにかく変化する。
☆ ☆ ☆
熟年になったからこそ、仕事を迅速にこなす。うだうだくどくど御託を並べずにさっさと何事かに着手する。決して慎重さを優先させてはいけない(慎重さが極まると面倒臭くなるものだ。スーツや靴の買物に迷っているうちに、「今日のところは、やめておくか」となることがよくあるはず)。ぼくの場合、講演レジュメや研修テキストを書く機会が多いが、下手な考えに没頭するよりもとりあえず一語でも一行でも書き始めるようにしている。タイミングを逸すると億劫虫が這い始めるからだ。
億劫になってスロースタートを切り時間が切迫してくると、マメさが消えてくる。きめ細やかどころではなくなってくる。もちろん、あと一つ凝ってみようという気も失せる。こうなると、ミスは増えるわ疲れは溜まるわ脳が働かないわと、すべて情けない連鎖を誘発する。
熟年を生物的年齢で示すことなどできない。熟年を表す単位は「億劫度」なのである。「面倒臭い、邪魔臭い」と一日に何回つぶやき、何回そう感じるかが億劫度であり、億劫度が大きいほど加齢が進んでいると考えてよい。「細かいことはどうでもええやん」と言い出したら要注意の兆候。そんな連中は二十代、三十代にして熟年ゾーンに足を踏み入れている。
今日の午後六時、二ヵ月に一回の書評会がある。これぞという本を読んでレジュメを作って一人ずつ書評する。根気もいるし神経も使う「面倒臭い勉強会」だ。しかし、メンバーは大いに楽しんでいる。ぼくも含めて生物的熟年世代が何人かいるが、億劫虫という敵の封じ込めに成功しているようである。
過去は現在に選ばれる
2009年6月15日 16:30
ぼくの私塾の塾生であり読書会やディベートカフェのメンバーでもあるTさんが、過去と未来についてブログに書いていた。この主張に同感したり異論を唱えたりする前に、まったく偶然なのだが、このテーマについてアメリカにいた先週と先々週、実はずっと考え続けていたのである。明日の夕刻の書評会で「哲学随想」の本を取り上げるのだが、これまた偶然なことに、その本にも「過去と未来、そして現実と仮想」というエッセイが収められている(この本は帰国途上の機中で読んだ)。
未来とは何かを考え始めるとアタマがすぐに降参してしまう。Tさんのブログでは「未来は今の延長線上」になっているが、仮にそうだとしても、その延長線は一本とはかぎらない。未来は確定していないのだから(少なくともぼくはそういう考え方をする)、現在における選択によって決まってくるだろう。その選択のしかたというのは、それまでの生き方と異なる強引なものかもしれないし、過去から親しんできた、無難で「道なり的な」方法かもしれない。未来はよくわからない。だからこそ、人は今を生きていけるとも言える。
では、過去はどうだろうか。ぼくはカリフォルニア滞在中に学生時代に打ち込んだ英語の独学の日々を再生していた。その思い出は、アメリカに関するおびただしい本やアメリカ人との会話を彷彿させた。もちろん何から何まで浮かんできたわけではない。過去として認識できる事柄はごくわずかな部分にすぎない。しかし、なぜあることに関しては過去の心象風景として思い浮かべ、それ以外のことを過去として扱わないのか。ぼくにとっての過去とは、実在した過去の総体なのではなく、現在のぼくが選んでいる部分的な過去なのである。
☆ ☆ ☆
現在まで途切れずに継承してきた歴史や伝統が、過去に存在した歴史や伝統になっている。現在(その時々の時代)が選ばなかった歴史や伝統は、過去のリストから除外され知られざる存在になっている。別の例を見てみよう。自分の父母を十代前まで遡れば、2の十乗、すなわち1024人の直系先祖が理論上存在したはずである。だが、ぼくたちは都合よく「一番出来のいい十代前の父や母」を祖先と見なす。ろくでなしがいたとしても、そっち方面の先祖は見て見ぬ振りしたり「いなかった」ことにする。自分を誰々の十代目だと身を明かすとき、それは過去から千分の一を切り取ったものにすぎない。
過去の延長線上に現在があって、現在の延長線上に未来がある―たしかにそうなのだが、それはあくまでも時間概念上の解釈である。タイムマシンは無理かもしれないが、人は過去と現在と未来を同時に行き来して考えることはできる。生きてきた過去をすべて引きずって現在に至ったのかもしれないが、その現在から振り返るのは決してすべての過去ではない。現在が規定している「一部の過去」であり、場合によっては「都合のよい過去」かもしれない。
過去のうちのどの価値を認めて、今に取り込むか。どの過去を今の自分の拠り所にするのか―まさにこの選択こそが現在の生き方を反映するのに違いない。現在が過去を選ぶ。この考え方を敷衍していくと、未来が現在を選ぶとも言えるかもしれない。こんな明日にしたいと描くからこそ、今日の行動を選べているのではないか。いずれにしても、現在にあって選択の自由があることが幸せというものだろう。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑦ ロデオ・ドライブ
2009年6月14日 07:45
関西空港の検疫、入国、税関を通って2階から出て外気に触れた瞬間、ムッとした湿気と23℃の気温で汗ばみはじめた。この十日間、カリフォルニアも最高気温はたぶん同じくらいだったと思うが、湿度がまったく違う。サンフランシスコの朝夕は気温が下がり強い寒風も吹いていた。ロサンゼルス郊外のパロス・ヴェルデスと近くのビーチも底冷えに近い感じだった。ただ、体感温度というものは人それぞれなようで、半袖半パン姿もいれば冬装束もいたのがおもしろい。
長らく聴き話す英語から遠ざかっていたため子どもや訛りのある英語は少し聞きづらかったが、話すことに関してはほとんど苦労はなく快適だった。気候も食材もいいし、カリフォルニアワインも(日本で飲む以上に)赤・白ともにおいしかった。カリフォルニア米も「サシの入っていない重厚な牛肉」も気に入った。けれども、自動車がないと身動きの取れない社会。ぼくにとってはサバイバルしにくい地域ではある。手軽に散策したり自在に街の路地を歩いたりできないのがやや辛かった。もちろん、それは風土の責任ではなく、ぼく自身の生活スタイルから派生する不便である。
若い頃から大勢のアメリカ人と公私ともに接してきた。そして、あらためて痛感し再認識したことがある。それは、日米最大の相違にして、わが国が未だ道険しい状況にある対話能力なのである。彼らはどんなに小さなコミュニケーションでも口先でお茶を濁さない。誰かと話をすることは、極端に言えば、真剣勝負なのである。外交辞令的に場をしのいでいる人間のメッキはすぐに剥がれてしまう。たとえば、二人が会話しているとき、勝手に割って入ってはいけないというマナー。逆に、二人で会話をしているとき、一人がよそ見をしたり中断して他の誰かに話し掛けてはいけないというマナー。日々この二つのマナー違反に苛立つことが多い。会話の不用意な中断を自他ともに許してはいけないのだ。
さて、ハリウッドは車でざっと通るだけにして、滞在最後の午後の散策にはビバリーヒルズを選んだ。ロデオ・ドライブも歩いてみた。この種の観光スポットから受ける印象は、たいてい往来の人数によって決まる。人出に絶妙の匙加減が必要なのだ。どんな匙加減かと言うと、団体ツアーの観光客はやや少なめ、それより少し多めの個人観光客、そして同数の地元住民が散歩するという具合。これらがほどよい印象をもたらす。この日の正午前はちょうどそんな配分だった。 《ロサンゼルス完》
(左2点)ロデオ・ドライブの目抜き通り。ドライブとはdrivewayのことで、小さな道を意味する。
(左2点)知る人ぞ知るPRADAだから店名を掲げる必要もないのだろう。スーツケースは箱で作ったディスプレイ。
(左3点)ロデオ・ドライブの一角。小道の左右にカフェやジュエリーの店が並んでいる。
(左)世界の有名デザイナーのブランドが集まる一角のカフェ。(右)ロデオ・ドライブのこの一帯が特に「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるところ。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑥ ビバリーヒルズ
2009年6月13日 07:30
別に予定をびっしりと立てていたわけではない。しかし、限られた時間では何かを捨てなければならない。なにしろ車という「軸足」が人頼み。ダウンタウンの様子は車の中からシティウォッチングするにとどめた。車を止めて、ビバリーヒルズ方面を少々散策。豪邸区域、すなわち億万長者たちの住む市街だけに、住宅価値を減じるものはすべて排除されているように思える。美しい街並みを維持するために、住民と市当局による環境保全への取り組みと情熱は並大抵のものではなさそうだ。
警察署の前にシティホールがある。1932年に建設された8階立ての建物だ。庁内を見学させてもらうことにした。一階と二階は自由に移動でき、建設局の部屋にも入れる。相談光景の撮影は控えたが、市民相談の窓口付近には一切書類や書棚は見えない。一対一でじっくり座りながら話をしている。何だかコンサルティングオフィスのようだ。人口の数が違うとはいえ、日本の市役所の味気なさと雑然としたさまとは対照的である。
ぼくはふだんから車に乗らないので、都心の、なるべく便利な住みかにはこだわってきた。たとえば駅から徒歩数分以内とか。しかし、住居空間や住宅様式に関するその他のこだわりはまったくない。だから、机と本棚さえ置けるスペースがあれば小さなアパートの一室でも平気である。そんなぼくが、自分の生活様式とは無縁の超高級住宅街を車内からゆっくりと見て回る。
ビバリーヒルズの豪邸巡りをするとき、いったいどんな視点をもって観察し、どのような感想を漏らすべきだろうか。月並みかもしれないが、この種の邸宅は間違いなく己のために建てられ構えられたものではないと思う。人は自分のためだけにこれだけの広さの土地にこれだけの豪奢な館を築くはずがない。強く他者や社会を意識しないかぎり、ここまでの贅を尽くそうとはしないだろう。なるほど、そういう意味では、ヨーロッパ中世の貴族たちも現在のビバリーヒルズの成功者たちも「権威の発揚」と「見せびらかしの心理」という点ではあまり大きく変わらないように思えてきた。
(左2点)映画やドラマのシーンによく出てくるビバリーヒルズ警察とストリート。
(左)ビバリーヒルズ界隈の入口(?)にあたる公園。(右)ビバリーヒルズのシティホール(市役所)。
(左)市役所エントランスの天井。凝っている。(右)清潔でデザイン性にすぐれた(?)男性トイレ。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑤ 食の愉しみ
2009年6月12日 15:00
「食は何とかにあり」とはよく聞く言い回しだが、食材の豊富さだけが食の本分ではない。それぞれの土地で評判になっているものを口にする―それが基本だろう。食材の豊富さ、料理のバリエーション、味や凝り方に関しては、日本が世界の最高水準であることに疑う余地はない。
しかし、比較してはじめてわかるうまさなどどうでもいい。半月前に大阪で食べた寿司と数日前にカリフォルニアで食べたペルー料理の旨さを比較することにほとんど意味はない。今こうして食べている料理が、その場にいる自分にとってうまいかどうかがすべてなのだ。空腹度、体調、ひいては屋外か屋内か、何と一緒に食べるかなどによって味は見事に変わる。
郷に入っては郷に従え―これぞ食の原点。ぼくは何でも食べる。いったん食べようと決めたら、太るとか健康によくないとか考えないことにしている。そう思うときは最初から口にするべきではない。ロサンゼルス③で紹介したレアステーキ。450グラムと書いたが、実は550グラムだった。高級ステーキハウスで食べれば少なく見積もっても3万円くらいするのではないか。これが一枚8ドルと聞いて、腰を抜かす。これを完食したぼくにも座布団一枚だろう。もう霜降り幻想を捨てたほうがいい。
(左)近くの土曜マーケット。(右)ペルー料理の屋台。二番人気のチキン焼きめしを賞味。
(左)メキシコ産のなすび。40~50cmの驚きの大きさ。(右)見慣れない野菜もちらほら。
(左)1.5ドルのホットドッグ。食べ応え十分。(右)豊富なフルーツ。特に桃の品種が多い。
COSTCO(コストコ)の陳列はすべてダイナミック(左上)。(中央上)レジを通過した直後の壁に貼ってある「会員サービス優秀従業員一覧」。(右上)レジで処理する個数、スピード、ミスの少なさなどに基づいてランキングを毎日更新して発表している。
(左2点)モールのカーニバルフェア(夏祭りみたいな感じ)。アメリカ人と言えば「ポップコーン大好き」というステレオタイプな印象があるが、まったくその通り。一人で洗面器一杯分を食べている人がそこらじゅうにいる。
(左)ビバリーヒルズで食べたハンバーガー"クラシック"。(右)手前がベーコン添え。右がオニオンリング。
(左)バーガーショップのカウンターに置かれたジュークボックス(3、4台置いてある)。音楽はここからではなく、店内のスピーカーから流れる。60年代の曲が多かった。ニッケル(5セント硬貨)一枚で一曲。興味を示していると、店長が硬貨を数枚置いてくれた。つまり、ただということだ。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス④ 透明な空気
2009年6月11日 18:00
いつぞや書いたことがあるが、聖書やキリスト教について無知なほうではない。歴史についても少しは勉強してきた。だが、クリスチャンではない。そのぼくが旅行のたびに教会を訪れるのは、山がそこにあるから登るように、そこに教会があるからだ。決してギャグのつもりではない。教会があるから教会を訪れる―これは、欧米の地では教会を避けて街歩きしたり佇んだりすることが不可能であることを意味している。とりわけ教会を中心に都市構造が形成されているヨーロッパでは、教会を抜きにしては街への理解は進まない。
日曜日、ローリング・ヒルズの教会(Rolling Hills Covenant Church)に行ってみた。もちろん教会だから多少の儀式色はあるが、空気はフランクである。ペテロの第一の手紙第3章の7「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、・・・・・・」に始まり、途中エペソ人への手紙第5章の22「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」から33「いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」までの話を関連づける。
空気を変えるのは場か、自分自身か、他人か、それとも自然か。いや、これらだけでもない。時間というのもあるしテーマもある。しかし、その教会でぼくが感じた空気の変化は明らかに牧師(pastor)のことばによるものであった。スピーチではなく語りかけである。強弱もあり緩急自在。総じて早口なのだが、絶妙に理性と感性を織り交ぜた話しぶりだ。頭脳明晰、ユーモア、教養はことばに現れる。誰かに何かを説くことに関して新たな勉強になった。
写真撮影を控えたので教会の写真はなし。その代わりというのも変だが、車で15分圏内のマリンランドとその近郊のシーンを見ていただくことにする。お世話になっていたパロス・ヴェルデスの住宅街にはあちこちに白い柵があり、馬道がつくられている。乗馬センターの馬ではない。このあたりの住民は自宅で馬を飼っているのだ。写真を撮りそびれたが、道路を渡るときの信号押しボタンも、歩行者用の位置と馬上から押せる位置の両方にある。
(左)壁が住宅地一帯を囲む「〇〇が丘団地」。Gated Communityと呼ばれる。(右)馬のお散歩。
(左)近くのモールの書店。これはキッズコーナー。バーゲン棚が充実している。全ページ総カラー512ページの"The Every Day CHICKEN Cookbook"(毎日のチキン料理集) と、これまた総カラー544ページの"501 Must-Read Books"(501冊の推薦図書)を買った。前者が5ドル、後者が10ドル! 合計重量3キログラム! (右2点)土・日曜日のカーニバルフェアのために駐車場に特設される遊園地。子どもだましではなく、本格的なものだ。
(左2点)クジラがやって来るマリンランドの岬と灯台。海の青が濃い。
(左2点)マリンランドから少し北へ。遠くに見える海岸線を辿っていくとサンタモニカに達する。
(左)岸壁から数十メートルのところに高級住宅地が居並ぶ。やや懐古趣味的な住宅(左)とガラス張りのモダンな家(右)が一本の木を挟んで対照的だ。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス③ 青空とステーキ
2009年6月10日 13:30
滞在しているのは日本人の従妹の住まい。彼女は大学卒業後にUCLAに入学して著名な会計監査法人などの勤務を経て、現在ホンダ・アメリカの財務部の要職に就いている。ご主人も同じ会社のIT部のスタッフだ。敷地内に入りオフィスの中まで見学させてもらった。社長や役員用の個室はない。みんな"フラット"である。デスクはパーティションで区切られ、マネジャー職以上のスペースはやや大きいものの、自由闊達な空気を感じる。本田式ワイガヤ会議も活発だそうだ。敷地内にはセルフのガソリンスタンドがあって、公私を問わず満タンにし放題とのこと。
二人には六歳になる三つ子がいる(プライバシーの問題があるので写真を見せないほうがいいだろう)。今年9月に小学一年生になるこの子たち―男の子二人と女の子―は、ものすごくエネルギッシュで忙しい。月曜日から金曜日までは、9時から5時まで義務教育の幼稚園に通っている。ふつうは2時頃までらしいが、両親が働いているので5時まで面倒見てくれるそうだ。土曜日には日本の学校法人が経営する日本語学校へ。そして日曜日は10時半から正午過ぎまで教会の日曜学校だ。
住居は住宅街のど真ん中。住宅以外は学校と教会と医院があるばかりで、コンビニもショップも何もない。一番近いモールまで徒歩30分。誰も歩く人はいないが、ぼくは歩いた。歩くしか手段がないからだ。自転車はあるが、坂道なので、行きはよいよい帰りは恐い。とはいえ、夕方から夜にかけてジョギングや速歩をしている人たちもいる。とにかく景観がいいので、ジョギングにも散歩にも最適な環境だ。
ロサンゼルスの中心街から南へフリーウェイで約50分、国際空港からは30分くらいのロケーション。海辺までは少し距離があるが、高台なので海岸もよく見える。日曜日の昼に庭でバーベキューをしてもらった。こちらに来る前の想定通り、今日まで肉食中心の生活になっている。体重は2、3キロ増えたに違いない。陽射しは思ったほど強くはないし、日中も暑さを感じない。その証拠に、ぼくはずっとフリースの裏地がついたウインドブレーカーを着ている。
現在6月9日午後9時30分。明日の朝8時30分にロサンゼルス空港を出発してサンフランシスコでトランジット。そこから関西空港へ。プラス一日して6月11日の午後3時半頃到着予定。というわけで、現地からのブログはここまで。帰国してから、あと二話か三話書き継ぐつもりである。
家の近くの遊歩道から見下ろす岬の住宅(左)と海岸近くの住宅(右)。
(左)遊歩道のあちこちに野生のサボテンが棲息。(右)リアス式のような海岸。
(左)周辺の住宅街。北海道を思わせる。(中央)象徴的な「この木何の木」。(右)自宅のバーベキューコーナー。
(左2点)自宅の庭。ソファ式のブランコで揺られると、うたたねしてしまう。
(左)庭から見る自宅の裏側。(右)ブランコに座ると、海の水平線が見える。
バーベキューパーティー。(左)一枚約80グラムの骨付きカルビ。(右)手のひらサイズのキノコとエビの串焼き。
(左)ついさっきご馳走になったレアのステーキ。右上のワインのコルク栓と比較すれば大きさがわかる。これが一人前。たぶん450グラムくらい。どうにかこうにか完食した。お礼にシーフードのお好み焼きを三枚焼いた。子どもたちに「やみつきになるおいしさ」と褒めてもらった。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス② 夜のビーチ
2009年6月 9日 12:00
ロサンゼルスから海岸を南へ下ると有名ビーチが目白押し。サンタモニカ、マンハッタン、エルモサ、レドンドと続き、岬を東へ折れてからロイヤル・パームズへ。その次が都市名にすらなっているロングビーチ。すべて観光地で全米はもとより海外からの来訪者が絶えない。6月の今頃はまだハイシーズンではないが、学校が休みに入る中頃からは賑わいを見せる。
レドンドビーチに連れて行ってもらった。もうだいぶ暗くなっていたので海の色もわからない。シーフードレストランが軒を連ねて並んでいる。よく見ると、コリアン風やジャパニーズ風という店もある。ジャパニーズ風には当然のように"SUSHI"という表示がある。Old Tony'sという店に入った。生ガキにカニコロッケ、それにサンフランシスコでも食べたカラマリ(小イカのから揚げ)も試してみた。実はすでに自宅で夕食を済ませてから出たので、これは夜食ということになる。
ちなみにカリフォルニアロールはサンフランシスコ空港で出発待ち時間に食べてみた。まずまずの味で合格点をあげてもいい。いま手元にレシートがある。値段は5.95ドルで6切れ。「お~いお茶」のペットボトルが驚きの3.75ドルなので、巻き寿司がまあまあの値段に思えてくる。このお茶に天ぷらうどんに寿司の盛り合わせを食べているビジネスマンがいたが、30ドルくらいのランチになっていたはずである。
レドンドビーチに行った翌日には、ラグナビーチまで足を運んだ。サンディエゴ方面でおよそ60マイル(約100キロ)のところ。このビーチ近辺には芸術家が住んでいるそうだ。通りに沿ってアートギャラリーも目立つ。カフェレストランやバーも意匠を凝らしてある。海外からの旅行者向けの観光地ではなく、地元住民が集うスポットとのこと。アメリカ人らしくなく(?)ドレスアップしている若者たちもいる。
レドンドビーチ(Redondo Beach)
(左)5秒間露光で撮った夜景。(右)夜釣りを楽しむ人たち。聞けば、子サバを釣っているという。
(左2点)シーフードを食べた店。夜景を楽しめるよう店内を思い切り暗くしてある。
(左)カニは好物だが生きたまま群れていると食欲は高まらない。(右)ボートが繋留されている桟橋近く。
ラグナビーチ(Laguna Beach)
サンセット間近。海の東側(左)と西側(右)でこんなに明暗が違ってくる。
(左)日没直後の海岸線のシルエット。(右)土曜日の夜、賑わうストリート。
(左2点)数あるシーフードレストランから選んだ店。この店も照明が暗い。
(左)レドンドではうまくいかなかったストロボが機能してくれて、写真が撮れた。これはいわゆる「海鮮盛り合わせ」。三種類のタレがついてくる。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス① ドジャー・スタジアム
2009年6月 9日 10:45
ロサンゼルスは日本時間から16時間遅れている。たとえば6月9日(火曜日)の午前10時45分は、こちらでは8日(月曜日)の午後6時45分。ロサンゼルス郊外というか、市街から南へ約1時間、海岸沿いにあるランチョ・パロス・ヴェルデスにいる。あと2泊。あっという間だ。ところで、時系列でロサンゼルス滞在を再生していくと、とてもではないが時間が足りない。旬から順番に拾っていこうと思う。
昨日、こちらの6月7日(日曜日)午後5時、ドジャー・スタジアムに出掛けた。言うまでもなく、ロサンゼルス・ドジャースのホームグラウンドである。対戦相手はフィラデルフィア・フィリーズ。途中、バスケットボールのファイナルの会場前を通ると、レイカーズファンでごった返している。ほぼ同時刻のスタートなのでどっちを観戦するか迷ったファンもいるだろうが、レイカーズのほうは数万円にまでチケットが跳ね上がっていると聞いた。
さて、スタジアムで陣取った席はドジャース側、つまり三塁側ブルペンの少し上。一塁側だと直射日光を浴びるが、ちょうど陰になった直後の場所で5イニング頃からは冷えてきた。3イニング終了時点で名物のホットドッグ「ドジャードッグ」を頬張る。ロサンゼルスに来て過食気味なので夕食はこれとコーラだけ。ぼくの前の列の四人家族などは試合もそっちのけで、次から次へと飲み食いしていた。
野次はそこそこあるが、「かっとばせ~、〇〇」というのがない。一球ごとに電子オルガンが鳴ったり拍手が起こることもあるが、一投一打の一瞬はシーンとする。おまけに申し訳程度のバックネットが少しあるだけで、ネットはまったくないのでぼんやりしているとファウルボールが危ない。甲子園のようにファウルグラウンドが大きくなく、観客席のすぐ前に三塁コーチが立っているほどの接近感。ファウルボールは日本の二倍は飛んでくる。
3回裏に数メートル左手にファウルボールが飛んできた。一人がはじき、そのはじいたボールを取ろうとした直前の列、すなわちぼくと同列の三、四人向こうの男性がこれまたはじき落とす。その落としたボールがバウンドせずにちょうどぼくの足の下に転がってきた。もちろんこのチャンスを見逃すはずもない。立ちもせず、足元のボールを拾うだけなのだから。日本から旅行で来た者にこんな漁夫の利があっていいものか。
年間チケットを購入するほどのドジャースファンで二十年来通い詰めても手に入れていない人がいるらしい。試合後にオフィシャルショップでシャツか帽子でも買おうと思っていたが、そんなものどころか、千載一遇の宝物となった。
(左)駐車場からのスタジアム。(右)外観同様、球場がコンパクトに見える。ファウルグラウンドが狭いせいだ。
(左)フィリーズ側に若干空席があるが、ほぼ満員。(右)絶好の席に陣取るもチケットは75ドル。
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(左)レフト側のビジョン。(右)KISS CAMタイムには画面に映った人がキスをする(ことになっている)。
(左上)チャンスが到来すると、一斉に立ち上がることもある。(中央上)ドジャースはヒットを量産するものの、手に汗握る場面はなかなかやって来ない。(右上)敗北濃厚ゆえ、9回には出口側へ移動して観戦。ここもなかなかの位置どりだ。 (左)これが、希少な記念品になった、微妙な汚れのついているファウルボール。
ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ⑤ I left my heart . . .
2009年6月 8日 16:30
6月4日(現地時間)の夕方からロサンゼルスの郊外に移動して親戚の家にお世話になっている。それでもまだサンフランシスコについて書いている。ひとまずサンフランシスコは今日で最終回。引き続きロサンゼルスと近郊について綴るつもりだが、滞在はあと二日半。帰国してからも書くことになりそう。「滞在記」の意味があまりない。
何から何まで写真に収めているわけではないが、ユニオン通りやサクラメント通りなどの代表的なストリートは歩いてみた。ゴールデンゲートブリッジの近くには行っていない。少し離れた所から撮影したが紹介できる出来ではない。サンフランシスコ近代美術館も近くまで行ったが、入館も外観見学もできなかった。
数ある名所の中から最後に選んだのがアラモ・スクエア(Alamo Square)。午後4時頃、まずノブヒルのホテル前のカリフォルニア通りからケーブルカーとバスを乗り継いでシビックセンター(Civic Center)へ。ここは市役所などの行政関連のビルが群を成す官公庁街。地図ではここから西側にアラモ・スクエアがあるが、バス乗り場が見つからない。だいたいの見当をつけて2キロメートルほど歩くことにした。途中のヘインズ通りがヨーロッパの街並みに似ている。イタリアンの店のお兄さんは「ボナセーラ(こんばんは)」と声を掛けてくる。
この道でいいのかと不安になりつつも、やっとスタイナー通りへ。ここがアラモ・スクエア。ここが名所になった理由の一つはビクトリア朝様式の家が建ち並ぶからだ。ただし様式であって、古い家々ではないし、これだけなら名所にはなりえない。これらの家々の背景に、まるで映画のセットのようにサンフランシスコの現代が控える構図がおもしろいのである。ガイドブックにはまるで「絵はがき」と書かれているが、まさにその通り。ぼくの写真もそうなっているだろうか。誰でもこの程度の写真は撮れるだろうが、午前や午後の早い時間は逆光になるためうまくいかない。晴天の夕方前がベスト。
出発の朝、せっかくなのでノブヒルの一番高い位置まで散歩した。坂のある風景を見晴らす絶好の締めくくりとなった。《サンフランシスコ完》
(左)市役所(City Hall)。(右)シビックセンター周辺は木も芝生も緑にあふれ、よく手入れされている。
(左)ヘインズ通りの家並み。住宅と坂の構図が絶妙。(右)アラモ・スクエア近くの交差点。
(左2点)住宅と高層ビルの対比。前景と後景を合成したように見える。
(左)最終日の朝。メジャーリーガー、レフティ・オドールゆかりのカフェ。ボリュームたっぷりの朝食メニュー。
(上)ダウンタウンの中心ユニオン・スクエア。南北戦争時の北軍(ユニオン)支持派の集会が開かれたことにちなむ。公園の地下を駐車場にしたのは、ユニオン・スクエアが世界初と言われている。
(左)サンフランシスコで一番高いノブヒルから臨む海岸。まるでジェットコースターのような趣である。
ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ④ 曲がりくねる坂
2009年6月 8日 16:00
ガイドブックを頼りにハイド通りをハァハァと息を切らせながら上がってきた。人だかりしているその場所がロンバード通り。ここはあまりにも傾斜がきついので、1920年代に意識的に道をくねらせたのである。どうくねらせたかと言うと、5メートル下っては道を曲げ、また5メートル下っては道を曲げた。これを何度か繰り返して勾配を少しでも緩やかにしたのだ。
勾配はゆるやかになったものの、車は曲がった直後に次の急カーブに備えねばならない。この曲線の坂を下るすべての車は歩くより遅い。赤いレンガを敷き詰め、カーブを描く道路に沿って色とりどりの鮮やかな花々が花壇を飾りたてている。この一画に住んでいる人の車の往来も見かけたが、観光で訪れている大勢のドライバーたちがここを通りたがる。運転をしながらも、前の車がつかえるとすぐさまカメラを構えているドライバーもいる。
ぼくはカメラを構えながら、ゆっくり急勾配の階段を下りては立ち止まりして写真に撮った。家にも工夫がされており、眼下に海岸が見晴らせて住むには恰好のロケーションだと思う。しかし、観光シーズンはさぞかし迷惑なことだろう。意識して観光スポットにしたわけではなく、住民便宜のための工夫だったはずだから、自宅周辺を観光客がたむろするとは思わなかったに違いない。
上の6点の写真はロンバード通りを坂上から下る途中の光景。左が下まで降りきってから見上げた写真。花壇の合間を縫うようにくねくねと道が折れている様子がわかる。ここを車が徐行する。
ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ③ 青い明光
2009年6月 7日 00:09
サンフランシスコと大阪は姉妹都市関係にある。当たり前だが、姉妹都市だからといってどこかしら雰囲気が似ているなどということはない。しかし、この街にさほど違和感を感じないのは、通りや賑わいや店舗の数など日本の大都市構造と共通点があるからだろう。もしサンフランシスコに坂とケーブルカーがなかったら、どこにでもある街並みになっていたかもしれない。地形と、その地形に合った乗り物がこの街の生命線になっている。
海岸線も特徴の一つだ。ピア39にやってくると、この街が神戸に酷似しているように見えてくる。正確なことはわからないが、神戸のモザイクがここを真似たに違いないと確信してしまう。この確信が間違っているのなら、サンフランシスコのピア39が神戸を真似たに違いない。しばし目を閉じてから再び開けてみると、神戸にいるような錯覚に陥る。
昨日パスした屋台でシーフード料理を食べる。大人の片手より一回り大きいパンの塊をくり抜き、その中に具だくさんのクラムチャウダーを注ぐ。もう一品、イカ("caramari"という)のガーリック風味のから揚げ。二つで18ドルくらい。「うまいかまずいか」と二択で聞かれれば、うまいの欄にチェックを入れる。だが、「安いか高いか」だと、よくわからない。うまいかもしれないが18ドルなら当然だろうという感じ。日本人は食に貪欲だとつくづく思う。フィッシャーマンズ・ワーフの名物料理でも費用対効果は「ふつう」になってしまうのだから。
少し沖合いにアル・カポネが収容されていた監獄の島アルカトラスがある。遊覧して上陸できるが、所要4時間と聞いてやめる。当初の予定通りに海岸沿いを歩き、ハイド通りに入ってブエナ・ビスタ・カフェ(Buena Vista Cafe)の前に出る。アルコールの入ったアイリッシュコーヒーで有名な老舗店だ。競馬ファンならずとも聞き覚えがあるかもしれない。今年の桜花賞とオークスの二冠に輝いた最強牝馬の馬名がスペイン語で「すばらしい景色」を意味するブエナビスタである。
この店の前をさらに上がっていくとリーヴンワース通りと交差する。ここまでの道は冗談抜きに心臓破りの坂である。その坂から左を見下ろせばロンバード通り。ここが「世界で最も曲がりくねった通り」と呼ばれる曲者の坂。ここからは次回。
(左2点)"ピア39"には、迷うほどの土産店やシーフードレストランがある。
(左)ピア39のヨットハーバー。(右)沖合いおよそ2キロメートルのところにあるアルカトラス島。![]()
(上)海岸の道路に埋め込まれているトレイルコースの標識。(左)手前がクラムチャウダーの大。パンはやや酸味が強い。向こう側がカラマリのから揚げ。チリソースとタルタルソースがついていた。(左下)ケーブルカーにはいろんな種類があり、イタリアやオーストラリアでお払い箱になったものが使われている。(右下)ハイド通りとビーチ通りの角にブエナ・ビスタ・カフェがある。
(左)ブエナ・ビスタ・カフェの建物。(右)ハイド通りを上り振り返る。なるほど、急勾配が"ブエナ・ビスタ"を演出している。
ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ② ドロレス伝道院
2009年6月 6日 05:10
「ゴールデンステート(Golden State)」はカリフォルニア州の愛称。アメリカの全州にはこのような愛称がついている。学生時代にいくつか覚えた。たとえば、ニューヨーク州が「エンパイアステート(Empire State=帝国の州)」、フロリダ州が「サンシャインステート(Sunshine State=日光の州)」。一番おもしろいと思ったのがミズーリ州。この土地の人たちは疑い深いということになっていて、誰かが何々を持っていると自慢でもしようものなら、「じゃ、見せてくれよ」と言うので、「ショーミーステート(Show Me State)」と呼ばれる。「アロハステート(Aloha State)」ならハワイ州というわけ。さしずめ「県民性コンセプト」といったところ。
初日の夕方はケーブルで近くのスーパーへ買い出しに。行きが急坂なのでケーブルに乗る。チキンのローストとサラダとパン。食後にカリフォルニア通りの坂を下って東側の海岸へ。下りだからぶらぶらと30分くらいは歩ける。途中、中華街も見たが横浜のほうが大規模で活気があるように思った。さらに下ると、オフィス街。そこを抜けて周回バスの乗り場を探したが、あいにく地図を持って出なかったのでわからず。誰かに聞けばそれまでだが、なるべく自力で探し当てるのがいい。気ままにフェリーターミナルまで歩いた。
☆ ☆ ☆
二日目の朝。時差ボケはない。近くのカフェでモーニングスペシャルを注文する。コーヒーは自由。トーストと卵2個のスクランブル。「るるぶ」的なものへの憧れがほとんどないので、歴史探訪することにした。まずはドロレス伝道院(Mission Dolores)へ。ホテルからはケーブルでパウエル駅を経由して地下鉄で4駅目。後でわかったことだが、地図に間違いがあったため、方向を誤って歩き始めていた。やむなく通行人に尋ねたが、スペイン語の単語のアクセント位置がよくわからない。「ミッション・ドロレス」と発音したら首を傾げられ、言い直して「ミッション・ドローレス」で通じた。場所は探すまでもなく、目と鼻の先だった。
カリフォルニアにはこのようなミッションが21あるらしい。ここが州内最古の建物で、もらったリーフレットには年代的には1791年完成とある。但し、この地に入植しミッションが始まったのは建国年の1776年に遡る。あまり細かなことはわからない。白壁の装いからスペインの影響を見て取れる。伝道院から徒歩、ケーブル、バスを乗り継ぎ、再度フィッシャーマンズ・ワーフを目指す。ピア39(39番埠頭)からの話は次回。
(左2点)フェリーターミナルの海岸通り。夜は10℃を切り、冷たい風が吹く。6月に冬装束でも不思議でない。
(左)駐車状態から坂の勾配が半端ではないことがわかる。(右)朝のカフェ。"モーニング"は日本同様だが、卵料理が選べる。
ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ① ケーブルカー
2009年6月 5日 16:00
リアルタイムで綴ろうと思っていたけれど、ホテルのインターネット接続料が一日13ドル。高くはないのだろうが、ぼくの知るかぎり、日本のホテルはすべて無料である。まあ、使えなくてもいいかと断念。今日からロサンゼルスに移動してネットが使えるようになった。
サンフランシスコに到着したのは、現地時間6月2日の午前11時半。名物の坂は予想以上に勾配がきつく、タクシーは勢いよく駆け上る。市街のもっとも高い丘の一つであるノブ・ヒル(Nob Hill)の一角にあるホテルにチェックイン。荷を解いてすぐに近場を散策。続いてケーブルカー乗り場へ。とりあえずフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman's Wharf)を目指そうとしたが、待つこと10分、15分、20分・・・・・・やって来ない。待つ人が増えてくるが、ケーブルカーが上ってくる気配はいっこうにない。
痺れを切らして、10分ほど坂を歩いて下り発着駅へ行ってみた。何か事故があったようで、乗客が長蛇の列をつくっている。ケーブルカーも何台も連なって発車待ちの状態。ランチを食べていないのに気づき近くのショッピングモールへ行く。ホットドッグとプレッツェルのシナモンスティックで腹ごしらえして戻ってきたら、ケーブルは動き始めていた。
乗車料金は一回5ドル。やや割高感があるので、18ドルの3日間チケットを購入。これを使えば、ケーブルカーも市内の地下鉄、バスにも乗り放題だ。パウエル駅からノブ・ヒルへ上がり、坂を下りながら海岸へ。思ったほどの賑わいではない。日本人らしき観光客は何組かいるが、団体客のツアーが皆無。そう言えば、残席わずかと急かされたユナイテッド航空の関空発の便はガラガラだった。インフルエンザの影響だったのかもしれない。
フィッシャーマンズ・ワーフは次の日にじっくり見るつもりだったから、中途半端に見学せずホテルに戻ってきた。ホットドッグのせいもあってカニやエビの海鮮屋台にも食指は伸びなかった。気がつけば、日本時間なら午前9時。もう24時間以上寝ていないことになる。
(左)ホテルから見るノブ・ヒルの光景。(右)中央の星条旗のある建物がホテル。到着日の午後は好天だが、風が強く寒かった。
(左)発着駅に入ってきたケーブルカー。(右)木製の円盤の上に車両を載せて手動で回転させて向きを変える。
(左2点)フィッシャーマンズ・ワーフ。特有の海の匂いがほとんどしない。
それでも差異はつくられる
2009年6月 2日 08:00
「メニューの全品280円」を売りにする居酒屋をテレビが紹介していた。ビールも一品料理もすべて280円という。この値段をどう見るか。誰も高いとは言うまい。ならば、安いかリーズナブルか? コストは、味という"パフォーマンス"によって人それぞれが感じるものだろう。
変えてはいけない(変える必要がない)価値と、積極的に変えねばならない価値を見極めるのが商売の心得。料理店にとっても、ここが腕の見せ所だ。その店は「今のところ」繁盛している。その店では廃業したテナントが残していった什器や備品で使えるものはそのまま流用している―これが不変の価値。と同時に、何でも280円というのは、かつての百均革命に相当する、異端領域への踏み込みである―これが変化の価値。
「居酒屋は安くて旨ければそれでよし」と、満足げな常連たちが異口同音に評価しているらしい。家族で来ていたある主婦は「食べるために来ているのだから、雰囲気は関係ない」と、暗に雰囲気がイマイチであると匂わせながらも、この店のやり方に賛辞を送っていた。賑わっている、客の評価も良好、わかりやすくて安い価格・・・・・・これらのことから、居酒屋は「形より中身」と結論づけてよいか。「旨ければ付加価値はいらない」を普遍的な公式にしてもよいのか。あいにくなことに、話はそんなに簡単ではない。
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ノーと力強く叫ぶ自信はないが、さりとて手放しでイエスとも言い切れない。優柔不断だが、半分イエス、半分ノーである。半分イエスの根拠は「オール280円の低価格」と「過剰投資をしないインテリア」。この二つは一つのビジネスモデルになりうる。安くて旨いものに憧れる人間心理は、おそらく十中八九不変だろう。
しかしながら、半分ノーにも有力な根拠がある。この280円路線と低コスト内装を他の居酒屋がマネて「売りの目玉」にしはじめたとき、店選びは偶然に委ねられるのだろうか。いや、そうではない。先発・後発とは無関係に、店と店の間にまったく別の差異化ポイントが生まれることになる。安いだけではない何か、旨いだけではない何か、雰囲気以外の何かを求めて人々は店の選択を検討するようになるのだ。
人は飽きる。新しいもの、よりよいものを求めるのが人間の本性である。それゆえに市場価値は巡り巡る。売る人と買う人はいずれもよりすぐれた価値へと向かう。差異化の成功は「次なる淘汰試験」の始まりであり、片時も成功に安住することはできない。昨日の席次一番が、翌日落第の憂き目に遭うかもしれない。異質から同質へ、同質から異質へ・・・・・・この繰り返しは終わりのない差異化競争を生む。そして、その競争はますます熾烈になっている。


