2009年7月アーカイブ
知ると知らぬは紙一重
2009年7月30日 07:30
先週「なかったことにする話」を書いてから、しばらくして「ちょっと待てよ。もしかして誤解されているのではないか」という思いがよぎった。実は、何かをなかったことにする裏側には、何かを重宝がるという状況があることを言いそびれてしまった。たとえば、「なかったことにした情報」の対極には「偶然出合った情報」がある。ぼくたちは、日々膨大な量の情報をなかったことにし、ごくわずかな情報だけに巡り合っている。
出張でホテルに泊まる。チェックイン時にフロントで「朝刊をお入れしますが、ご希望の新聞はございますか?」なんて聞かれることがある。ぼくの場合、自宅やオフィスで購読しているのと違う新聞を指名する。一昨日の夜もそう聞かれたので、ある新聞を指名し、その朝刊が昨日の朝にドアの隙間から室内に届いていた。そこにおもしろい記事を見つけた。そして、ふと思った―「今日自宅にいたら、この情報とは出合わなかったんだなあ」と。
こんなとき、ぼくは情報との縁を感じる。いや、そう感じるように「赤い糸」を撚(よ)ってみる。この一期一会の瞬間、大海を成すようなその他の情報はどうでもよくなる。もちろん、こんな感覚は次から次へと読書をしているときには湧き上がってこない。仕事で情報を追いかけねばならないときは知に対して貪欲になっているから、情報の希少性が低くなってしまっている。やや情報枯渇感があるからこそ、一つの情報に縁を感じるのだ。欲張ってはいけない。情報を欲張りすぎても、つまるところ、個々の情報の価値が薄まるだけなのだろう。
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一昨日新幹線で読んだ本の一節―「言葉をないがしろにすれば、そのしっぺ返しがくるのは当然 (・・・中略・・・) 貧しい仕方でしか言葉と接触しなければ、『ボキャ貧』になるのは当たり前」。これがぼくの持論と波長が合ったので下線を引いておいた。
8月と9月に私塾で「ことば」を取り上げるので、上記の一節は身に沁みる。特別な努力を払わなくても、誰もがことばをそこそこ操れる。これが、まずいことになる。何とか使えてしまうから、ことばをなめてしまうのである。それはともかく、このことをずっと考えながら、昨日の夕方に書店に立ち寄り、ことば論とは無縁の、ふと手に取った一冊の本の、これまたふと捲(めく)ったページの小見出しに「言葉の不思議な力」を見つけてしまったら、縁の糸が真っ赤に染まるのもやむをえない。立ち読みせずに買って、いま手元にある(縁で巡り合ったが、何度も読み返せるのでもはや一期一会ではないが)。
隣りの一冊を適当に繰ってみたら別の情報が目に飛び込んできたのだろう。もしかすると、そこにも別の縁があったのかもしれない。新聞にせよ本にせよ、ある情報を知るか知らぬかは、文字通り紙一重だ。間違いなく言えることは、知りえた情報は存在したのだが、知りえなかった情報はなかったことにするしかない。なかったことにする潔さが、紙一重で知りえた情報を生かすことになる。個々人における知の集積は、気の遠くなるような無知を後景にした、ほんのささやかな前景にすぎない。縁の情報がその前景に色を添えてくれる。
打たれ強い無難主義
2009年7月29日 07:30
先週末の私塾のテーマは『解決の手法』。そのテキストの第2話「現実、理想、解決型思考」の冒頭を次のように書き始めている。
漠然と考えたり意識が弱かったりすると、問題に気づくことなく、無難に日々を過ごしてしまう。ゆえに、そういう人は問題解決の経験が少ないため、方法を変えることもない。現代人は目先にとらわれた、単発で短期的な思考に偏重している。時代を象徴する新しい問題や状況に対して、人間らしく対応することができない。(後略)
迅速に意思決定をしたり問題解決をしたりするのは「ある種の戦闘」だと思う。もちろん戦闘には規模とリスクの大小はある。たとえば、洋服のボタンが一つ取れた程度の「マイナスの変化」を、迅速な意思決定の対象とし、なおかつその変化を「ゆゆしき問題」と見なしてタックルすることはない。だが、理不尽なクレームを突きつけられたりしたら本能的に戦うべきだろうし、負けないための戦術も練らねばならない。意思決定から逃げてペンディングにしても問題は勝手に解けてはくれない。
☆ ☆ ☆
巣立ちをして社会に飛び出すのを躊躇したり遅らせる人たちをモラトリアム人間と呼んだ時代があった(1970年代後半)。この頃に大学生をしていた連中がいま五十歳前後である。彼らがモラトリアム世代と呼ばれたフシもあったが、わが国ではいつの時代のどの世代でもモラトリアムは多数派を占めている。ぼくよりほんの三歳ほど上の団塊の世代にだってモラトリアム人間が大勢いる。世代ごとに特徴はあるのだが、日本人には無難主義の精神が備わっており、その精神はすべての世代に浸透している。
企画研修で演習をおこなう。現実離れをしてもいいから、思い切った企画案(問題解決案)を期待するが、十中八九無難に終わる。やさしいテーマと難しいテーマがあれば、ほぼ全員が前者を選ぶ。問題と向き合わない、睨(にら)み合いしない、したがって戦うことはない。まるで「かくあらねばならないという絶対的な知の法則」に支配されているかのようだ。
学校時代に一つの正解を求めなければならない難問に苦しめられたために、実社会ではアポリア(解決不可能に思える超難問)を避けてしまうのか。あらゆる妙案も打たれ強い無難主義の前では無力の烙印を押されてしまう。誰もが無難であることに気づいていないから、その無意識の強さは鉄板のごとしだ。「マイナスの変化」にプラスのエネルギーを注いでやっとプラスマイナスゼロなのに、無難主義はマイナスの大半を受容してしまう。その変化の次なる変化は次世代へと先送りされる。
「その他ファイル」の長短
2009年7月28日 07:30
PC上ではファイルという概念をうまく利用しているつもりである。しかし、実際のペーパーをファイリングすることはめったにない。実際、いろんなファイルを買って工夫してやってみたこともあるが、しばらくすると元の木阿弥。すべて無分類状態に戻ってしまう。周囲には資料をきちんとファイルに分けている人がいる。几帳面さに敬意を表するものの、そんなことをしていったいどうなるものかと思ったりもする。
結論から言うと、ぼくは「なまくらファイリング」が一番いいと考えるようになった。至近な活用目的のためには暫定的なファイリングが便利であり、長い目で知を創造的に生かそうとするならばファイリングなど四角四面にすべきではない―これが「なまくらファイリング」。定義というか、説明をしてみると何ということはない。いずれにしても、整理するだけで二度とお目にかからない資料ならファイリングは不要である。ファイリングをするのは、将来使うことを前提にしているからだ。その使うときのために検索しやすくするのがファイルの目的だろう。
一冊の本を例にとればよくわかる。五年ほど前に読んだ本だが、再読しようと思ってすぐそばの本棚に置いてある。『「心」はあるのか』という書名だ。この書名を「ファイル名」としよう。このファイルには「サブファイル」がある。目次だ。大きく三つあり、人は「心」をどう論じてきたか、「心」を解く鍵、「心」の問題を解き明かす―これらがサブファイル名になっている。
ところが、これらのサブファイルの中を渉猟すると、書名からは見当もつかない「ドキュメント」が出てくるのである。たとえば、言葉はなぜ通じるのか、言語ゲームとは何か、愛と性を考える、言葉と論理、美の感動と言葉・・・・・・。これは、再読しようとした本だから、ある程度中身がわかっている。しかし、通常、ファイルには大きな概念のタイトルがついている。そのファイル名の下にどんなサブファイルを置きどんなドキュメントを含めるかは大変な作業だ。つまり、検索するのも大変なのである。
☆ ☆ ☆
ファイルがある。きちんとカテゴリーの名称がついている。その名称に近いか、その名称に関連する属性になりそうな情報をぼくたちは振り分ける。どのファイルにも属さない情報をどうしているか。その情報に見合った新しいファイルを作ることもあるだろう。一つのファイルに一つの情報という状態もありうる。これがムダなのは自明なので、とりあえず「その他ボックス」に放り込むことが多くなる。住所不定の情報や、気にはなるが持て余し気味の情報はすべて、この無分類を特徴とする「その他」に入る。
時折り「その他ボックス」を開けてみると、これらの情報が、摑みどころがないものの、おもしろいエピソードとして力を貸してくれることがある。無分別、未加工、無所属、雑多と呼ばれる「その他」に身を潜めた情報、恐るべしである。ところが、「その他」をこんなふうに上手に使いこなしている人にはめったに出会わない。相当な怠け者でも情報に関しては分別心が働くようなのだ。
情報の数だけファイルを作ったら情報を分けた意味がない。だからファイルの数は必ず情報の数よりも少ない。少ないというどころか、何十何百という情報が一ファイルの傘下に分類される。しかし、「その他」を有効に活用しようとすれば、いつもアタマの中に情報のロケーションマップを広げておかねばならないのだ。そう、見た目に無分類で「その他」扱いされている情報群をよりどりみどりで活用するには、情報のありかを記憶しておく必要がある。
情報なんか忘れろ、アタマを使えという説が有力すぎて困るのだが、PCであれ図書であれ自前のファイルであれ、見覚えのある情報をもう一度探し出すにはとてつもないエネルギーを要する。どうでもいい情報はすぐに探せるのだが、真に求める情報ほど見つかりにくい。ファイリングに長所と短所があるように、ファイリングしない「その他」にも長短がある。ボーダーレス情報を使いこなすには、それらの戸籍をアタマで覚えておかねばならないのだ。
週刊イタリア紀行No.48 「ローマ(6) カトリックの総本山」
2009年7月26日 20:30
ヴァチカンの表記もそうだが、ヴァチカンを象徴する表現も多彩だ。今回のタイトルのように「カトリックの総本山」もある。「ローマ法王庁(教皇庁)」という言い方も可能だし、観光で来れば「サン・ピエトロ大聖堂に行こう」でもオーケーだろう。外交的には、たとえば「ヴァチカン市国および日本両国は・・・・・・」という具合になるかもしれない。
航空写真でないとわかりにくいが、サン・ピエトロ大聖堂とその広場周辺は「円形劇場」の様相を呈している。実際、ここではカトリックの儀式が最大30万人という多数の信者を集めて執り行われる。前回紹介したコンチリアツィオーネ通りからサン・ピエトロ広場に入る。広場は楕円形で、北側と南側にそれぞれコロネード(柱廊)がある。ドーリア式の円柱が全部で284本あるという。広場中央にはオベリスク(方尖塔)が聳え、その北側にマテルノの噴水、南側にはベルニーニの噴水を配している。
正面に構えて威風を周囲に払っているのがサン・ピエトロ大聖堂。大ドームはミケランジェロが設計し、1590年に完成した。ファサードに行くまでにバッグの検査を受けて大聖堂の内部に入る。カトリック信者であるかそうでないかによって印象も見るところも大いに異なるのだろう。ほとんど事前学習せずに見学するぼくには、恋焦がれるように総本山にやってきた信者のこころの振幅はわからない。
イタリアのラクイラ・サミット終了後の去る7月10日、オバマ大統領がヴァチカンにローマ法王ベネディクト16世を表敬訪問した。二人は何を語ったのだろうか。たまたま昨日の毎日新聞に関連記事を見つけた。大統領の1月の就任演説の一節が紹介されていた。「我々はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者(non-believers)の国なのだ」がそれ。実は、この後、「我々は、地球上のあらゆる場所から集まってきて、あらゆる言語や文化で形作られている」と続く。
ぼくの視点の先は「あらゆる言語や文化」に向くのだが、ローマ法王は「無宗教者の国」というくだりに視線が延びて「内心穏やかでなかったはずだ」と、その記事には書かれている。リベラルなアメリカの社会政策と硬派な倫理・道徳観という構図なのである。ちなみに、アメリカのカトリック信者は人口の24パーセントを占めている。カトリック総本山からの一言一句には、ぼくたちの想像以上の重みがあるに違いない。
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(左)広場側から臨むサン・ピエトロ大聖堂。(中央)ローマ法王庁の警備にあたるスイス衛兵隊。軍服をデザインしたのはミケランジェロと言われている。(右)大聖堂入口近くの「聖なる扉」。
(左)大聖堂内の正面。奥行きが200メートルあると聞けば、その空間の圧倒ぶりが想像できるだろう。見所が多すぎるのと、傘とバッグを手にした状況で撮影もままならず。半分くらいの写真がピンボケで、ミケランジェロ作「ピエタ」も残念ながらボツ。(右)精細な細工ぶりまでよく見えるクーポラ(円蓋)。天井部の大きな円の部分がドーム、その下の帯の部分がドラム。
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(左)ベルニーニ作「聖ロンジーノの像」。(中央)聖ペテロの椅子。(右)聖堂内の床は目を見張るような大理石で埋め尽くされている。
「なかったことにする」処し方
2009年7月24日 08:00
先週の講演で表題の「なかったことにする」が何を意味するのかを話したら、想像以上にウケがよかった。かぶりつきに座っていたT氏は特に気に入ったようで、懇親会での中締めの挨拶でこの言い回しを使われていた。先週書いたブログでも選択肢の一つとしての「なかったことにする」という話を取り上げた。
市場分析や他社分析と言うが、いったい何に関してどれだけの情報を集めてどのように読めばいいのか。誰もその解答を持ち合わせてはいない。たとえば顧客のニーズは知りえるのか? 顧客はニーズが何であるのかをことばによって第三者に伝えようとするだろう。しかし、認識しているそのニーズとそれを表現することばはほんとうに整合しているだろうか。それは誰にもわからない。ぼくたちは「辛口」とか「甘口」 と使い分けてカレーライスを注文するが、こうしたことばは人それぞれの味覚をアバウトにしか表現できていない。ゆえに、甘口を頼んだのに「意外に辛いじゃないか」という人もいれば、「想像以上に甘いなあ」という人もいる。自分が想定した甘口にぴったりはまる人はむしろ少ないかもしれない。
繰り返すが、いったい何に関してどれだけの情報を集めてどのように読めばいいのか。誰も答えることはできないが、一つだけ確実に言えるのは、期限が許すかぎり読めばいい、ということだ。裏返せば、どうあがいても期限には逆らえない。期限内に収まらなかった情報の分析は「なかったこと にする」しかない。分析できなかった情報や、マナイタに乗せたまではいいが、使いこなせなかった情報に未練を持ち続けても仕方のないことである。それは妄想だ。妄想とサヨナラする、つまり「莫妄想(まくもうぞう)」のためには、潔さを受容せねばならない。
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ぼくは原則として理性的な判断や論理的思考を尊重すべきだと思っている。しかし、永遠にそんなことばかりもし続けられない。ぼくたちには仕事がある。そして、所定の期限までに何がしかの成果を生み出さねばならない状況にいる。もしも意思決定が長引いて期限を脅かしはじめたら、別の処方を講じるべきではないか。世界が複雑だから単純化のために「二項対立」が生まれたのだが、さらなる単純化をしてみる。「不二(ふじ)」、すなわち選択を一つにしてしまうのだ。
選択すべきAとBの間に大きな差があれば迷いなどしない。しかし、AとBが拮抗すると悩む。いずれにも捨てがたいほどの良さがあり、僅差も僅差、判断しかねて立ち往生する。ところが、冷静に考えてみれば、甲乙つけがたいのなら、どっちを選んでも同じではないか。ありきたりな言い方をすれば、一か八か天に託すしかないのである。
そう、迷いに迷ったら、思い切ってオプションの一つを消してみるのだ。三つの選択肢があったら思い切って二つ消してみる。正しく言うと、消すのではなく、はじめから「なかったことにする」というわけである。自分には一つの道しか与えられなかった、他の道をねたんだり欲しがったりしても叶わない。なぜなら、そんなものは「なかった」からである。選択肢は一つあるのみ。それを選んで潔くいい仕事をしようではないか。「なかったことにする」処し方をすると、そこにある種の運命すら強く感じるようになって、仕事にも力が入る。情報や選択肢が増えすぎてしまった時代だからこそ、「なかったことにする」という処し方が意味を持つ。
否定の否定は肯定?
2009年7月23日 08:45
「これはおいしい」の否定は「これはおいしくない」。そのまた否定は「これはおいしくないではない」。変な日本語になってしまった。もっとわかりやすい説明をしようと思ったら記号論理学の力を借りねばならない。そうすると、わかりやすくしようという意図が裏目に出る。ほとんどの人たちにとって逆に不可解になってしまう。
「A」の否定は「not A」。これはいいだろうか。「not A」の否定は「NOT not A」だけれど、この大文字の「NOT」が小文字の「not」を打ち消しているので、差し引きすると、「A」の否定の否定は「A」になるというわけ。「犬である」の否定は「犬ではない」。この否定は、もう一度打ち消すので、「ない」が取れて、「犬である」に戻る。
日常の二人の会話シーンを想定するなら、「犬だね」→「いや、犬じゃないぞ」→「いや、そうでもないか」という流れになって、「うん、やっぱり犬だ」という肯定に回帰する。しかし、ちょっと待てよ。「否定の否定」はほんとうに「肯定」になるのだろうか。論理学では、あることを否定して、さらにそれを否定する人間の心理をどう考えるのだろう。書物の中で翼を休める論理学と、現実世界で翼を広げて飛翔する実践論理が同一のものであるとはぼくには思えない。
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誰かが「Aである」と言って、それに対して「Aではない」と別の誰かが異議を唱えるとする。つまり一度目の否定。このとき「Aである」と最初に主張している人の心理に変化が起こるはずである。「Aではない」と否定した人も、Aに対して何らかの心理的・生理的嫌悪が働きはしなかったか。
否定にも、アドバイスのつもりの善意の否定と、論破目的だけの悪意の否定もあるだろう。たとえば、「この納豆はうまい」に対する小学生の「ノー」と大人の「ノー」は質が違うはずである。心理と生理に引っ掛かる度合いも当然異なっているだろう。
「納豆はうまい」という命題をいったん否定して、さらにもう一度否定すれば、まるで手品のように命題の肯定に戻るというのは書物内論理学の話である。「納豆がうまい? とんでもない! 納豆はうまくない」と否定しておいて、この言を舌の根が乾かないうちに否定して「(やっぱり)納豆はうまい」を還元するのと、最初から素直に「うまい」と肯定するのとでは、「納豆に対する嗜好の純度」が違う。納豆党からすれば、すんなり肯定されるほうが気分がいいのは言うまでもない。
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ところで、自民党の否定は「反自民」なのだろうか、それとも「民主党」なのだろうか。自民党の否定の否定は「自民党」なのだろうか。自民党支持の否定は「自民党不支持」。その否定は「自民党不支持ではない」。これは最初の自民党支持と同じなのだろうか。論理学は時間の経過を考慮しないかもしれないが、命題を否定して再度否定しているうちに現実には時間が経過する。自民党の否定の否定は、もしかすると「投票棄権」の可能性だってある。
差異は類似によって成り立つ
2009年7月21日 21:30
類似は「よく似ていること」を表わす。「違いがわからないほどとてもよく似ていること」を酷似と言ったりもする。さて、ここで了解しておくべきことがある。類似や酷似ということばを使うかぎり、いくら頑張っても「同一」ではないのである。似ていることは認めるものの、ごくわずかながらも差異があるということだ。
自社の商品が他社の商品と同一視されたり混同されないために、特徴に固有の工夫を凝らしたりマーケティング上の訴求点を変えたりすることを「商品の差異化」という。言うまでもないが、誰も好んで短所によって差異化しないだろう。他商品にない優位性によって差異をつけなければならない。
しばし商品から離れて、ことばの差異を考えてみる。ことばの差異はもはや古典的な哲学命題になるのだが、いま存在して使われていることばの間には差異がある。いろいろな概念や事物も、それらが存在しているのは別の何かで代替できないからだ。ことばには同義語や類義語がおびただしいのだが、たとえ言い換え可能な表現があっても、意味もニュアンスも重なることはない。仮に二つのことばが完全に重なり、いずれかの頻度が異様に高くなれば、もう一方が存在している必要はない。やがて消滅することになるだろう(ことばはこのようにして生成消滅を繰り返してきたはずだ)。
☆ ☆ ☆
商品の差別化に戻る。ある洋菓子店〔A〕のケーキが優位で、同じ町内の別の洋菓子店〔B〕が苦戦しているとする。わざわざ想定しなくても、実際によくある話である。B店がケーキで競合するのをやめて、和洋折衷の新しい菓子を作れば、これは差異化と言うことができる。しかし、この差異化、勝負を避けた差異化である。そして、類似点のきわめて少ない差異化なのだ。これも差異化には違いないのだが、カテゴリー違いの差異化で競合はしないかもしれないが、ケーキでの劣勢は相変わらず続く。
なぜ差異化ということばでなければならないのか。カテゴリーはもちろんのこと、商品もA店とB店で酷似しているからこそ、差異に意味があるはずだ。類似したり共通したりする特徴が多いからこそ、ほんのわずかな差異が優劣を決するのである。
B店が和洋折衷の菓子で地元の市場を創れれば、それはそれでよし。しかし、A店が類似商品でその分野に参入してくるかもしれない。結局は逃げることができないだろう。同じ洋菓子店として、生きるか死ぬかは大げさだとしても、日々一喜一憂の勝ち負けを体験し続けなければならない。
あまり似ていない兄弟だが、たとえば眉毛の形がそっくりという類似を発見したことがあるだろう。但し、こういうのをあまり差異化とは言わない。むしろ、うり二つで見分けのつかない双子の間に、一点決定的な違いを見つけるほうが真性の差異化なのである。
週刊イタリア紀行No.47 「ローマ(5) 雨のヴァチカン市国」
2009年7月19日 14:30
ローマで大雨に打たれたことはまったくなかった。大雨どころか、小雨が降った記憶さえなかった。ところが、今回は一週間のうち三日間が「雨のち雨」という天候。しかも、時折り歩けないほどの土砂降りに出くわす始末。もちろん、散歩や観光には晴れた日がいいに決まっている。けれども、古代や中世の建築物は、濡れると「遠過去の色」を見せてくれる。しっかりと陽光を吸収する光景とは違い、雨の日は情緒纏綿(てんめん)の風景に変化する。
雨の降りしきるヴァチカンも、ふだんより粛然とした趣を見せた。色とりどりに開く傘の花も邪魔にはならない。ところで、ヴァチカン、バチカン、それともヴァティカン? ぼくのイタリア紀行ではヴァチカンと表記してきた(つもり)。もっとも"Vatican"に忠実な発音は「ヴァティカン」だろう。観光ガイドの類いはこのように表記している。ほぼこのまま発音すれば通じるので、ガイドブックとしては正しい選択だ。しかし、「バチカン」も見慣れた表記だから悪くない。発音は滅茶苦茶になるが、見た目はわかりやすい。
何でもかんでも広辞苑で調べるというのも芸がないのを承知の上で引いてみた。「バチカン」の項には「⇒ヴァチカン」と書いてある。ぼくの表記と一致した。それで、「ヴァチカン」の項へ移動すると、三つの定義を挙げている。①ローマ市西端ヴァチカノ丘にある教皇宮殿。②ローマ教皇庁の別称。③ローマ教皇の統治するローマ市内にある小独立国。一九二九年成立。ヴァチカン宮殿・サン・ピエトロ大聖堂を含む。面積〇・四四平方キロメートル。人口八二二(二〇〇六)。ヴァチカン市国。
今日のこの紀行文では、この③の意味でヴァチカンを書いている。さらに詳しく言うと、一般的なテーマパークよりも少し大きめのこの市国の「領土」には、宮殿・大聖堂以外に博物館、システィーナ礼拝堂、広場、法王の謁見ホールなどがある。独自の切手を発行しており、その切手を絵はがきに貼ってここで投函すれば、ヴァチカン市国の消印が押される。広場の左右に土産物店のような郵便局があり、敷地内には印刷所もある。
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ヴァチカンもサン・ピエトロ大聖堂もぼくの中では同義語だ。「ヴァチカン市国」と呼んではじめて、大聖堂を含む大きな概念になる。さっき、この国の小ささを示したが、決して小馬鹿にしたのではない。なにしろこのヴァチカン内にある博物館には大小合わせて十以上の美術館や博物館や回廊や間(ま)がある。八年前、ぼくはこの博物館を見学中 、楽しみにしていたラファエロの間を目前にして忽然と自分自身の「居場所」を見失った。見学者でごった返す博物館の中の図書館やギャラリーをくぐり抜けてシスティーナ礼拝堂に戻ったものの、結局ラファエロの間を再度目指すも叶わず、疲れ果ててサン・ピエトロ広場に出てきた。
そのサン・ピエトロ広場と大聖堂は次回紹介しようと思う。しかし、いったいこの紀行文と次回の紀行文の間にどんな違いを描き出すことができるのか自信がない。大聖堂と広場や周辺をカメラで収めたらヴァチカン市国になり、カトリックの総本山だけに向けてシャッターを切れば、それがサン・ピエトロ大聖堂になる。写真を選んでいたら、何だか写真の見せ方だけの違いのように思えてきた。
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(左)ヴァチカン近くのテヴェレ川。(右)右端にサン・ピエトロ大聖堂を望むヴァチカン一帯。
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(左)サン・ピエトロ広場から大聖堂へのアプローチ。ヴァチカン、あるいはローマ全体がそうだが、晴れでも雨でも観光客の賑わいに差はない。団体ツアーはつねに「雨天決行」だ。(右)雨の中、大聖堂に入るのに30分くらいは並んだだろうか。博物館なら2時間待ちは当たり前のようである。広場に面した回廊にはドーリア式の円柱が284本建っている。
(左)サンタンジェロ城の前から「コンチリアツィオーネ通り」を西へ行くとサン・ピエトロ広場に。コンチリアツィオーネ(conciliazione)は、調停や和解という意味。本文の広辞苑③にあるように、1929年イタリア政府とヴァチカン市国の間で交わされたラテラーノ条約の締結にちなんで命名された。(右)雨上がりの広場。噴水は対になるよう二ヵ所に造られている。
選択の向こうにある選択
2009年7月18日 09:00
別に難しい話を書くつもりはないが、難しい話になりそうな予感もある。
出張に行くとき、二冊の本のどちらを持っていくか―悩むほどではないが、少し迷う。しかし、そんな迷いに意味がないことがすぐにわかる。文庫本ならどちらも鞄に入れればすむからである。次に店に入る。A定食かB定食か。まったく内容が違っていれば迷うことはない。しかし、焼鳥店のランチで8種類も鶏料理の定食があると選択は容易ではない。それでも、迷わない方法がある。メニューの最上段のみがこの店の定食であって、残りの7種類を「なかったこと」にすればよい。
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一昨日松江で講演して、夜遅くに米子に入り深夜まで気心の合う人たちと談笑した。翌日、午前10時前にスコールのような集中豪雨があり、駅に行けば特急が20分遅れているという。岡山で乗り継いで新幹線で新大阪へ帰るつもり。岡山での乗り継ぎ時間が10分ほどなので、手持ちの切符ののぞみには間に合いそうもない。
ここで一つ目の選択の岐路に立つ(ちょっと大げさか)。どうすればいいか? この米子駅で駅員に尋ねるか(A)、それともそのままにしておくか(B)。特急が遅れているから時間がある。〔A〕を選択した。「岡山発ののぞみには間に合わないが、別の列車の指定に変更してもらえるのか」と。若い駅員は「はい」と答え、「特急が何分遅れるかわかりませんから、とにかく岡山に着いてから変更手続きしてください」(C)と付け加えた。そうすることにした。
名物あごの竹輪を二本買ったものの、手持ちぶさたなので改札を通ってホームに入った。ホームの最後列に行くと、遅れている特急にこの駅から交代する車掌が立っていた。念のためにこの人にも聞いてみた(この人に聞くか聞かないかも選択の一つ)。同じような答えならそれでよし。ところが、「支社が違うので連絡や調整に時間がかかる。岡山での乗り継ぎ列車もすぐには決まらない。まだ特急が来ないから、今すぐ岡山-新大阪の切符を変更されたほうがいい」(D)と、まったく別のアドバイスが返ってきた。
ここで二つ目の二者択一の岐路。岡山で手続きするか(C)、それとも今すぐに変更するか(D)。〔C〕だと変更を先送りすることになる。〔D〕なら余計な心配は無用だ。しかも、さらに遅延するようなことがあっても、もう一度岡山で変更することもできる。〔D〕は〔C〕の対策をも含んでいる。ゆえに〔D〕を選択した。改札を出させてもらい、みどりの窓口で変更手続きをした。もちろん、同じ特急に乗車する人たち全員がその選択をしたわけではない。
結論から言うと、どっちの選択でもまったく問題はなかったのである。倉敷あたりで車内放送があり、乗り継ぐ新幹線の列車が告げられた。その列車はぼくが変更したのと同じであった。新大阪には当初予定よりもおよそ30分遅れで到着した。
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別に命にかかわるようなことでもないのに、いったい何を選択しようとしていたのかと、ぼくは考えたのである。あることをを選択して別のことを捨てるのは、何か根拠があってのことだ。切符変更を今すぐにするのか、あるいは乗り継ぎの時点でするのか―この選択にあたっての根拠は何だろう。安心? 面倒回避? 時間があるから? いや、そもそもこの二つの選択に対峙するのは、いったい何のためなのか。この選択の結果、ぼくは「どんな未来を選択」しようとしたのか。気恥ずかしくなるような表現だが、ちょっとでも先の未来を考えるからこそ人は選択するのだろう。
実は、「遅れるのはやむをえないが、なるべく早く大阪には戻りたい」という目的をぼくは選んだのだ。そんなことは当たり前のように思えるかもしれないが、「遅れてもいいか。岡山でメシでも食って帰ればいい」という、表に出てこなかった選択だってありえたのである。そして、「なるべく早く大阪に戻りたい」という選択の向こうには、おそらく何らかの思惑なり目的があって、その思惑や目的も別の選択肢を捨てて選ばれたものに違いない。こうして、選択の連鎖は続く。ちょっと先の視点からぼくたちは現在を選んでいるのである。
とても滑稽な台詞
2009年7月16日 08:30
もうギャグとしか言いようがない。どうしようもなく滑稽なのである。あまりにも滑稽なので、もはや笑うことすらできない。油断すると呆れることも忘れる。いや、下手をすると息をするのも忘れてしまいそうだ。何とも言えない感情に襲われて、ただただ冷ややかに「こ、っ、け、い」とつぶやくしかなかった。
政治家という職業人の舌がすべることに関しては、ぼくはあまり気にならない。勢い余っての失言や無知ゆえの失言や厚顔ゆえの失言は、ギャグにもならず滑稽とも形容できない。気にならないというよりも、強いアテンションの対象にならないというのが当たっている。ある意味で、政治家という職業人に失言はとてもよくお似合いだから、不自然なミスマッチとは思えないのである。
政治家のパロール(話しことば)は独自の体系をもつ。つい昨日まで普段着のことばで喋っていたあの人もこの人も、まさかあなたは絶対に言わないだろうというその人も、政治家になったその日から「~してまいりたいと存じます」と、言語ギアをセピア色した前時代バージョンへと切り替える。そして、誰かの不可解な発言や納得のいかない対応を取り上げて、ついに彼らは、「いかがなものか?」という常套句の常習者になる。
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職業とパロールは密接な位置関係にあるのだろう。ナニワ商人の「まいど!」やサムライの「拙者」と同じくらい、政治家の「いかがなものか?」が定着してしまった。これほどではないが、政権奪取を目指す側の前党首の「なんとしてでも」というのも、あの人にはよく合っていたような気がする。しかし、真性のどうしようもない滑稽は、似合ってるとか似合ってないという次元を超越する。
ユーモアセンスがあっておもしろい知人の男性が、ある会合の開会の冒頭で大真面目に式次第を読み上げたとしたら、それが、「まさか!?」と同時に湧き起こる「どうしようもない滑稽」である。あるいは、ぼくをよく知る人たちが、ぼくの「ただいまご紹介いただきました岡野と申します」を聞いて、「まさか!?」と耳を疑い、「どうしようもない滑稽」を感じるだろう。残念ながら、この種のパロールがぼくの口からこぼれることは絶対にない!
さて、冒頭の話に戻ろう。政権党の重鎮が発した「男の花道を飾る」というパロールのことだ。一瞬、ぼくは清原だと思ってしまったくらいである。前の前の前の首相時代に「劇場」とよく形容されたが、政治の舞台は時代劇色だとかねてから思っていた。だが、「男の花道を飾る」と聞けば、出し物は時代劇から演歌ショーに変わったと考えざるをえない。いやはや、盛夏を迎えて、連日暑苦しい演歌を聴かねばならないのか。はたして新曲は聴けるのか。音程は大丈夫なのか。えっ、そんなデュエットあり? まさか! どうしようもない滑稽だけは勘弁願いたい。
学習偏向と「免疫」の関係
2009年7月15日 08:30
三十歳を少し過ぎた頃、免疫研究の専門企業の広報を手伝ったことがある。研究の様子や試薬製造の現場も見せてもらい、専門家にヒアリングして免疫についていろいろと教わった。詳細はすっかり忘れてしまったが、まったく無知だったぼくには抗原と抗体のメカニズムの話はインパクトがあった。強いインパクトを覚えたポイントは今も記憶に残っている。
外部からウィルスが身体に侵入しようとする。この攻撃に対して人間側ではリンパ球やマクロファージなどの軍隊を編成し外敵をやっつける―おおよそこんなふうに理解している。もう少し正確に言うと、ウィルスという抗原に対して、リンパ球やマクロファージが抗体をつくって、抗原の作用を排除したり抑制するのである。これが免疫システム。「病気にならないように抵抗力をつける」というのが普段の表現だ。ぼくがもっとも関心を抱いたのが、免疫システムが「自己」と「非自己」を識別するという点である。
自己を強く守れば守るほど非自己への「沿岸警備」はいっそう厳しくなるんだろうな、と考えたりした。「知」になぞらえたら、自分好みの同種の知を蓄積すればするほど、異種の知への風当たりが強くなり免疫反応を示すようになるのだろうか―とも推論してみた。フロイトの防衛機構論的に言えば、現実を歪曲したり誤解したり否定したりすることにつながりはしないか、と案じたりもした。
☆ ☆ ☆
やがて知の世界にも強烈な免疫システムがあると確信するに至った。肉体の免疫は低下していくが、こっちの免疫は加齢とともに強化されることもわかった。免疫は学習においてもちゃんと機能する。「偏重して同種の知ばかりを蓄積し、同質思考を繰り返すと、異種の知や異質思考への防衛機能が強く働く」のである。そうなのだ、人は非自己と見なす「ウィルス的知性」を拒絶する。一定の成熟レベルに達すると、多くの人たちは新しい知や異種なる知に目を向けなくなる。やがて知の偏りが生じる。免疫過剰による滞りなのだ。
熟年になっても知のダイナミズムを衰えさせたくなかったら、ものすごくリスキーなことだが、意識的に防衛機能を甘くせねばならない。それは、自己内でほぼ自動的に形成される「知の抗体」を弱めて、新種かつ異種なる(もしかすると危険な)「知の抗原」を迎え入れる勇気である。もちろん勇気とリスクに見合ったご褒美も期待できる。自己と非自己を分別しない、開かれた知の世界である。
免疫と学習の構造は、もはや類似という段階ではなく、同一と言ってもいいくらいである。自分を高めようとして学習しているつもりが、実は料簡の狭い防御壁をつくり、安住の閉鎖空間に自身を追い込んでいるかもしれない、というわけだ。防衛機能に保護された学びは、やればやるほど排他的になる。結論を急いではいけないけれど、知の免疫における抗体は「専門自我」と呼ぶべきものだろう。実はその専門、すっかり閉じられた「偏学」に過ぎない。
ファックスと電柱の貼紙
2009年7月14日 08:30
こんなふうにタイトルをつけると、誰もが「ファックス」と「貼紙」の関係を連想しようとする。貼紙ということばからファックスのほうも用紙を想定するかもしれない。種明かしをすれば、他愛もなくことばを並べただけ。ファックスの用紙と貼紙が紙という共通点を持つのは偶然にすぎない。
行き詰まったらというわけではないが、時折り十年、二十年前のノートを繰ってみる。ぼくにとっては、沈殿した記憶の脳内攪拌みたいなものである。知新にならないことがほとんど。しかし、時代を遡って温故するのは、懐かしの路地裏散策みたいで眼を見開くこともある。走馬灯のように追いかけにくい幻影ではなく、案外くっきりと記憶の輪郭が見えてきて、一気に当時の臨場感に入ってしまったりもする。
適当に本棚から引っ張り出した一冊のノート。これまた適当に繰って指が止まったページ。そして、その直前のページ。この両ページを足すと「ファックスと電柱の貼紙」になった。統合ではなく、並列のつもりである。それぞれそっくりそのまま転記してみよう(およそ14年前の話)。
☆ ☆ ☆
ちょっとした報告。決して緊急ではないので、電話で相手の時間を拘束するまでもないと考え、まずファックスした。必要ならば、数分後に電話でファックス送付の件を伝え、補足するつもりだった。
ところが、電話しようとした矢先に先方から電話が入った。なんとお叱りのことばである。順序が逆だと言うのである。まず電話で今からファックスを送付すると伝え、それからファックスを送るべきだというのである。こんなビジネスマナー、聞いたことすらない。誰がつくったのか? 少なくともファックス発明後のマナーだろ?
ファックスの前はハガキか手紙を出していた。ぼくの相手のお叱りの趣旨をハガキに置き換えたら、「今からハガキを出します。明後日までには着くと思いますので、よろしく」と言え! ということになる。まったくお粗末なお叱りではある。マナーか何か知らないが、取るに足らない細部に分け入ることしか自分を誇示したり他人を制したりできない輩だ。こんな連中と仕事をするのは一回きりで十分。
それにしても、ビジネスマナーはビジネスとマナーの複合語だが、ビジネスが主ではないか。最近企業研修で、ビジネスを教えずにマナーばかり教えている愚はどうだ。マナービジネス(礼儀を商売にすること)にビジネスマナーを押し売りされてたまるもんか。
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電柱に「劇薬散布注意」という貼紙がしてあった。ずいぶん意味深である。
いったい誰が貼ったのか。まず、そのことが気になる。テロリストか、近所の誰かか、農園主か、「当局」か? それぞれに貼る意図があるかもしれないが、電信柱でなければならない理由が思いつかない。しかも、メッセージを伝えたい相手も特定しにくい。
テロリストなら「劇薬を散布した」と犯行声明を出すかもしれないが、ご丁寧に「注意」を呼びかけることはない。また、この町中に農園主はたぶんいない。いるとしても家庭菜園か植木の世話をしているご主人。自分のテリトリーに劇薬を散布したが、公道に飛沫したかもしれないので犬の散歩時に注意? かもしれない。農薬ではなく「劇薬」とした点が気にかかるし、自治会の住民向けにそんな挑発をする動機が見当たらない。「当局」はまずないだろう。ふつう当局は電柱にそんな貼紙をしない。回覧板を使うはずである。
もしかすると、近所の誰かが一番危ないのかもしれない。嫌がらせの始末が悪い。おっと、重要な点を見逃している。貼紙は漢文のように漢字だけで書かれている。この文章、「劇薬ヲ散布シタ。注意セヨ」なのか? それとも、「劇薬ヲ散布スル。注意セヨ」なのか? いずれも気味悪いが、電柱という異色な場所柄を考えると、後者のほうが「ぞっとする感覚」が強い。
週刊イタリア紀行No.46 「ローマ(4) パンテオンとナヴォーナ広場」
2009年7月12日 10:30
高密度で味わいのある空間。広場と教会が目白押しで、ぶらりと歩くだけでも楽しみの多い地区だ。パンテオンにやって来たのは6年ぶり。世界最大級のこの建築は、約1900年前に14代ローマ皇帝ハドリアヌスによって建造された。初代が焼失したので、現存するパンテオンは二代目になる。セメントと火山灰を成分とするコンクリートでできていて、ドームに代表される高度な建築技術は圧巻だ。
ギリシア語起源のパンテオン(Pantheon)は、"pan+theos"に由来する。「すべての神々」という意味で、パンテオンは「万神殿」と訳される。後世にはキリスト教だけを崇めるようになるが、当時は「神様のデパート」だった。ちなみにインフルエンザがらみで最近よく耳にする「パンデミック(pandemic)」もギリシア起源で、こちらは"pan+demos"。「すべての人々」というのがおもしろい。病は人々の間で蔓延する。
手元の資料によれば、パンテオン上部に設けられているクーポラ(円堂)の直径は43.2メートル。そして、おそらく計算の上なのだろうが、床からドームの尖端までの高さが同じく43.2メートルなのである。その尖端には「オクルス」という採光のための天窓があって、パンテオン内部の装飾をいかにも「神々しく」演出している。
☆ ☆ ☆
パンテオンから西へおよそ300メートル歩けばナヴォーナ広場に出る。古代ローマ時代の競技場跡だけに、特有の細長い形状の空間になっている。晴れた日には、オープンカフェに座って集まってくる人たちや噴水をぼんやりと眺めるのがいい。雨の日には人は少なくなるが、濡れた建造物の壁と広い空間が何とも落ち着いた空気を醸し出してくれる。
広場には三つの噴水がバランスよく配置されている。北に『ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)』、中央にオベリスクとともに『四大河の噴水(Fontana del Fiumi)』、そして南に『ムーア人の噴水(Fontana del Moro)』。いずれも噴水と呼ぶだけですまないほどの芸術性の高い彫刻で彩られている。肉体をくねらせた力強さと構図は、いくら眺めていても飽きることはない。
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(左)パンテオン前のロトンダ広場。(右)パンテノン正面の柱廊。
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(左)巨大な列柱。(中央)強くもなく弱くもなく、絶妙な採光を可能にしている天窓の明りを見上げてしまう。「オクルス」という名のこの天窓は「目」を意味する。(右)パンテオン内部。ルネサンス期の人気画家ラファエロの墓がある。
雨上がりのナヴォーナ広場。ムーア人の噴水(左)とネプチューンの噴水。
(左)よく晴れた日のナヴォーナ広場の朝。この日は空が澄みわたり絶好の観光日和となった。いずれ紹介するアッピア旧街道に出掛けたのはこの日だった。
考えが先か、ことばが先か
2009年7月10日 09:30
「考えること」と「ことばにすること」の関係についてはテーマとしてずっと追いかけている。「考えている?」と尋ねて「はい」と返ってきたからと言って、安易に「考えている」と信じてはいけないなどの話も2月に一度書いた。
「考えていることがうまく表現できない」「想いを伝えられない」などの悩みをよく耳にする。この発言は、間違いなく「考えていること」を前提にしている。私はよく考えている、思考も意見もある、ただ残念なことに「話す」のが下手なんです―ぼくにはそんなふうに聞こえる。皮肉った解釈をすれば、「高等な思考力はあるのだけれど、下等な(ペラペラと)ことばにする表現力が足りない」と言っているかのようだ。
冷静に考えてみればわかるが、発話したり書いていないときのぼくたちのアタマの中はどんなふうになっているか。考えの輪郭ははっきりしているか、思考はことばとしっかりと結びついているか、筋道や分類や構成は明快か、すべての想いが手に取るように生き生きとしているか・・・・・・決してそうではない。断片的なイメージや単語や文節が無秩序にうごめき、浮かび上がったり消えたり、互いに結びついたり離れたりしているものだ。少なくともぼくは、誰かに喋ったり書いたりしないかぎり、自分がいったい今何を考えているのかよくわからない。
☆ ☆ ☆
もし考えることがことばよりも先に生まれており、明快かつ精度が高いのであれば、わざわざ言語に置き換える必要はないではないか。思考それ自体が何らかの対象を認識して十分に熟成しているのならば、なぜ思考が表現の力を借りなければならないのか、その理由が説明できない。こんなふうに哲学者のメルロ=ポンティは「言語が思考を前提にしていること」に異議を唱える(『知覚の現象学』)。
考えている(つもりの)あなたは、その考えを自分に向かって表現する、あるいは誰かに語ったり紙に書いたりする。その時点で、思考がことばに翻訳されたと思うかもしれない。あるいは、あることばが口をついて出て来ないとき、それが単純に度忘れによることばの問題だと思ってしまうだろう。しかし、実はそうではないのである。話したり書いたりする瞬間にこそ、考えが明快になり輪郭がはっきりしてくるのである。話す前と話した後、書く前と書いた後のあなたのアタマの思考形成の状態を比較すればよくわかるはずだ。
ことばが思考を前提にせず、思考もことばを前提にしているのではないかもしれない。もしそうだとすれば、「想いがことばにならない」という言い訳は成り立たない。敢えて極論すれば、話す・書くことが思考の醸成につながるのである。思考を騎手とすれば言語は馬である。しかし、この人馬一体においては騎手が馬を御しているのではなく、馬のほうが騎手を乗せて運んでいるのかもしれない。そう、思考は言語によって遠くへと走ることができる。だからこそ、馬を強く速く走れるよう訓練しておかねばならないのだ。
「選択」という名の負担
2009年7月 9日 12:00
そのコマーシャルの完全版を見たような気がするが、あまり覚えていない。だが、新聞記事で見つけた。以前も紹介したが、そのニューバージョンである。
「長持ちキンチョールか、よく飛ぶジェットか。先生。おれは、どっちを選んだらええんや」
「そんなこと、どっちだっていいじゃない」
「そんな・・・・・・そんな正しいだけの答えなんて、ききたないんや!」
とてもおもしろいではないか。「どっちだっていい」を正しい答えとしているのである。そして、その答えは「正しいだけ」であって、それ以外には何の価値もないと吐き捨てている。
少しニュアンスは変わるかもしれないが、誰かに麺類をご馳走するとする。「うどんにしますか、ソバにしますか?」と尋ねる。ご馳走されるほうが、「お任せします」または「どちらでも結構です」と遠慮気味に言うこともあるだろう。「うどんかソバを選ばずに、どっちでもいい」というのが正しくて、しかも正しいだけにすぎない―こういう感じなのである。
☆ ☆ ☆
豊川悦司のこの正論にはほとほと感心する。先生といえども、二者択一は面倒なのである。いや、面倒だけではなく、責任も負わねばならないのでプレッシャーがかかるのである。ぼくはこれを「選択権の負担」と呼んでいる。二つに一つを選ぶときはもちろん、たくさんの選択肢から自由に選べる、好きなものを選べる、一番にクジを引けるなどの状況に置かれるのは、ありがたいようで、実は重荷になることがあるのだ(かつてこういうタイプの青年たちを「モラトリアム人間」と呼んだことがあった。最近ではさしずめ「草食系男子」となるのだろうか)。
定食屋に行って注文する場面。店員が先手で「Aランチにしますか、Bランチにしますか?」と聞いてきた。おおむね次のような対応がありうるだろう。(1) Aにします、(2) Bにします、(3) どちらでもいいです、(4) AでもなくBでもなく、別のものにします、(5) AとBの両方にします、(6) すみません、帰ります。以上の6つだ。
こうして比較してみると、なるほど(3)が無難で「正しいだけの答え」に見えなくもない。他のすべては何らかの意思決定が働いているが、「どちらでもいいです」は選択の負担から逃げている。いや、「どちらでもいいです」というのもある種の意思決定という見方もできるかもしれない。それでもなお、その選択には保険がかかってはいないか。
☆ ☆ ☆
提示されたものを選ばない、後で選ぶつもり、何でもいいです、お任せします―実に厄介である。選択権を放棄して逃げ道をつくる。「正しいだけの答え」を選択するくらいなら、間違っていてもいいから自己責任の取れる選択やドキッとする選択をしてみてはどうだろう。
いったい何が正しいのか?
2009年7月 8日 07:00
もう二ヵ月前のゴールデンウィークの話。高速道路の渋滞の様子をテレビで見ていた。まるで静止画面を見ているようだった。いや、対向車線が流れていたので、かろうじてそれが生中継であることがわかった。車を運転しない、というか所有していないぼくから見れば、渋滞することを100パーセント想定しながら、なぜそこに入ってしまうのか、不思議でならない。もしかすると、ドライバーにとっては行列のできるラーメン屋に並ぶ程度の覚悟で済ませることができることなのか。
どちらかと言うと、世相を批判的に見る傾向があるぼくだ。「この高速道路を走る、いや歩くように動く自動車のドライバーたちは、みんな間違っているのではないか。正しいのは渋滞する高速道路以外の道を走っている人たちであり、もっと正しいのは車に乗っていない人たちであり、さらにもっと正しいのはどこにも出掛けずにじっとしている人たちなのではないか、そしてもっとも正しいのはこのようなことを考えているぼくなのではないか」と、気がつけば、とても危険な独我的思考に陥りそうになっている。
自惚れ過剰に注意しながら冷静に考えてみる。「5月5日が帰省のUターンラッシュと聞いていたので、今日(5月4日)に帰ることにしたんです。そうしたら、この状態で・・・・・・」と、家族連れの三十代後半らしき男性がテレビのインタビューに答えていた。これは、やっぱり愚かしくはないだろうか。呆れ返るほどの愚かしさなのではないだろうか。
☆ ☆ ☆
彼の推論を推論してみよう。「5日に混む」と誰が言ったのか知らないが、たぶんテレビのニュースでそんなふうに報道したのだろう。それで、彼は「5日を避けるのが賢明だ」と考えた。彼だけがひそかにこの情報を小耳に挟んだのならばこれでいい。だが、情報源は公器たるテレビであった。大勢がこの情報を入手したに違いない。彼のみならず、その他大勢が「5日を避けて、4日に戻ったほうがいい」と判断するのは当然だ(6日も休日だったが、7日から仕事が始まるので、6日にずらすよりは4日に変更するのがノーマルな決定だろう)。
しかし、ここで推論をやめずに、もう少し続けてみればどうなるか。「ちょっと待てよ、みんなオレと同じように4日に早めようと思うから、4日が混むのじゃないか。それなら当初の予定通りに5日に戻ればいい」―こういう演繹的導出もできたはずである。5月5日で正解! 残念ながら、これも正解とは言い切れない。
なぜなら、その他大勢もここまで考えるかもしれないからだ。逆説的に事態を読み続けることはできる。しかし、どこかで読みをやめないかぎり意思決定などできなくなる。結果から言えば、4日が大渋滞になり5日はさほどではなかった。彼は予定していた5日を変える必要はなかった。だが、実際は変えた。他の大勢も(おそらく彼と同じような推論パターンを経て)変えた。変えなければよかったのに変えたしまったのが不特定多数の心理だったのか。真相は絶対にわからない。
☆ ☆ ☆
確実に言えることが二つある。一つは、上記のような推論ゲームにぼくが参加しなかったという事実。もう一つは、ゲーム理論では何をどこまで読むかを自分が決めなければならないこと。ジャンケンで相手が「グーを出すよ」と言い、それを素直に信じてパーを出したらあなたが勝つかもしれない。いや、そんなの信じられないと考えて、パーを出すあなたに対して相手がチョキに変えると予想し、ならばとあなたはグーに変化・・・・・・。この読みは無限に続く。「相手がグーを出すよという情報」があってもなくても同じだということがわかる。グー、チョキ、パーで勝敗が決まる閉じたゲームにもかかわらず、永遠に踏ん切りがつかない。どこまで読むかもさることながら、読むのか読まないのかに関してもいずれが正しいかはわからないのである。
♪ 想い出のサンフランシスコ
2009年7月 7日 07:00
あっという間に過ぎた。サンフランシスコの坂をケーブルカーで上り下りしながら、♪ I left my heart in San Francisco・・・と口ずさんでから一ヵ月が過ぎた。写真の整理をしていたら、ふとこのメロディが脳裏をよぎった。フランク・シナトラのCDを取り出して聴こうと思ったら、この曲が入っていない。そんなバカな・・・・・・。もしかしてと、トニー・ベネットのCDジャケットを見たら、ちゃんと入っていた。一曲目だ。正確に言えば、こちらのほうが本家ではある。
念のために調べてみたら、YouTubeでシナトラバージョンも聴けた。ついでに他にも探してみたら、歌詞と動画をシンクロさせているのもあっておもしろかった。少々こじつけっぽい箇所もあるが、許容範囲である。
下記に歌詞を掲載してみたが、最初の四行は歌っているようで歌っていないセリフ。実はこのセリフのようなイントロがあるからこそ、♪ I left my heart 以下に哀愁が漂う。字面に影響されぬよう意味を汲むが、なかなかこなれた日本語にはなってくれない。だが、とりあえず試訳してみようと思った。
The loveliness of Paris seems somehow sadly gay
The glory that was
I've been terribly alone and forgotten in
I'm going' home to my city by the bay.
パリの魅力はなぜか悲しげなまでに華やかで、
ローマがほしいままにした輝きも過ぎた日々。
孤独にさいなまれたマンハッタンを後にして、
いまわたしは湾のある生まれ故郷の街へ帰る。
一行目、二行目、四行目それぞれの最後の単語は、gay(ゲイ)、day(デイ)、bay(ベイ)と韻を踏んでいる。こう口ずさんでから耳に親しいあのメロディーで歌が始まる。引き続き日本語を付けてみた。
I left my heart in San Francisco
High on a hill it calls to me
(心残りだったサンフランシスコが
丘の上からわたしに呼びかけてくる。)
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars
(その街では小さなケーブルカーが
星へと向かって坂を登りつめる。)
The morning fog may chill the air
I don't care
(朝霧で空気が凍えても苦にならない。)
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
(愛しい人が待つサンフランシスコ。
風が吹きさらす青い海の上。)
When I come home to you San Francisco
Your golden sun will shine for me.
(故郷のサンフランシスコに帰るわたしに
黄金色の太陽が輝いてくれるだろう。)
最後の二行では、サンフランシスコが「あなた」と擬人化されている。「サンフランシスコというあなた」、「あなたの太陽」になっている。
☆ ☆ ☆
ここまで書いて、締めのことばが継げない。PCの電源を落として夕食を済ませ、9時頃自宅近くを散歩することにした。先週の土曜日のことである。いつも前を通りながら、一度も入ったことのないバーがビルの2階にある。行って見た。オーナーは日本人ではない(後の会話でわかったことだが、スパニッシュ系アメリカ人でニューヨーク出身と言った)。
ギネスビールを飲みナッツをつまみながら、「つい先月までサンフランシスコとロサンゼルスにいた」という話からアメリカ談義に及び、やがて彼が日本で店を始めた経緯へと会話が弾んだ。「故郷での疎外感がつらかった。だから日本へ来た」と彼はつぶやいた。それを聞いて、ぼくは夕方に訳していた歌詞の冒頭を思い出して、こう言った―「"I've been terribly alone and forgotten in
週刊イタリア紀行No.45 「ローマ(3) そぞろ歩き時々観光」
2009年7月 5日 16:30
この紀行シリーズで紹介しているローマの写真に不満足なわけではない。だが正直なところ、これらの写真よりも一番最初にローマを訪れたときの写真のほうがバリエーションに富んでいる。それもそのはず、それから後に何度かローマに戻ってくるなどとは思いもしなかったから、できるかぎり方々へ足を運んで見るものすべてをカメラに収めたのだ。当時の写真を繰ると、彫刻家ベルニーニの手になる噴水の作品やトレヴィの泉、スペイン階段などがアングルと構図を変えて何枚も何枚も出てくる。「おのぼりさん的観光」をしていたのは間違いない。
トレヴィの泉もスペイン階段もコロッセオももう十分、それよりもまだ足を踏み入れたことのない裏町や路地に行けばいい―もちろんこんなふうに思って街歩きに出る。しかし、観光名所の近くに差し掛かっているのに、脇目も振らずに一つ隣りの脇道にそれていくのはあまりにもひねくれてはいないか。過去に何度も見たからと言っても、あれから四年も過ぎている。足の向くまま気の向くままが「そぞろ歩き(passeggiata)」の原点なのだから、ついでに立ち寄ればいいと思い直したりした。
ローマにある7つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘に初めて上る。道なりになだらかに坂を上がっていくので、高い所に来たという実感が湧かない。ここからトレヴィの泉は目と鼻の先なので、寄ってみる。トレヴィ(Trevi)は「三つの通り」という意味で、三つの通りが集まった角地に泉がつくられている。雑誌の写真などでは、巨大な彫刻と噴水を囲むように大勢の人だかりを見せるが、実際は「あっと驚く狭さ」である。何度行っても、どの通りから入っても、予想外の狭くて高密度の空間だ。
めったに土産物の依頼を受けないが、知人に皮の手袋を頼まれた。ご指名の店は、スペイン階段の前にあり、イタリア人店員が全員日本語を話すという、露骨なまでに日本人観光客をターゲットにしている。ふつうはこの種の店で絶対に買物しない。でも、頼まれ物だから仕方がないと割り切ってスペイン階段方面へ歩を進めた。
カンポ・ディ・フィオーリへも初めて行った。この広場は名前の由来通り、もともとは花の市場だったらしいが、今では大半が八百屋、一部ハム・ソーセージ・チーズの店や乾物屋。花屋さんは少ない。素直に感想を述べれば、ローマの名門市場というには「がっかり」である。ただ、ここにある19世紀に建てられた像には注目だ。コペルニクスやガリレオと同様に「地球自転説」を唱えた哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600年)の像。司祭だった彼はカトリック教会を破門され異端審問を逃れるためフランスやドイツを転々とした後に、幽閉されて1600年2月にこの広場で火あぶりされた。
☆ ☆ ☆
人だかりのトレヴィの泉。実際に見ると、このスケール感はない。
(左)ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。(右)その記念堂の階段から見下ろしたヴェネツィア広場(七年前のスケッチ)。
(左)雨上がりのスペイン階段と、広場周辺の通りの光景(右2点)。
(上2点)カンポ・ディ・フィオーリの市場。パリのバスティーユの市などをイメージしていたので、期待外れだった。
(左)ジョルダーノ・ブルーノの像。火刑後280年の歳月を経て建てられた。元司祭だったが、天文学にも精通していて「地球外生命の存在」も主張していた。処刑を前にして、「真に恐れているのは、私ではなく、私を死刑にしようとしているあなたがたの方だ」と語ったという。
「動体知力」への意識
2009年7月 3日 08:00
知力の低下が叫ばれるものの、指標の定め方や統計のとり方次第で、昔に比べて知力がアップしているという説も浮上する。マクロ視点で日本人の知力を世代比較するのではなく、ここは一つ、自分の回りの人間をつぶさに観察してみようではないか。しばし自分を棚に上げて問うてみよう、「わたしの回りのみんなの知力、いったいどんな程度でどんな具合?」と。
過去に比べてどうのこうのと考える必要などない。当面の問題を上手に解決できる知力、想定外の難問に直面してその場で瞬時に対処できる知力、暗記した事柄を再生するだけでなく創意工夫もできる知力―こんな知力の持ち主が自分の回りにいるだろうか? ぼくの周囲には、定番のお勉強がよくできたであろう「静止知力型優等生」は五万といるが、変化に柔軟対応できる「動体知力」の持ち主は、いないことはないが、稀有である。絶滅危惧種にならぬことを祈らねばならない。
だが、そこまで絶望するにはおよばない。そういう人たちが顕在化していないだけかもしれない。あるいは、ぼくの見る目がないだけなのかもしれない。いや、実は、どんな人間にも部分的には動体知力が潜在しているのだが、それを発揮する環境に恵まれていないのかもしれない。そう、動態的な舞台とテーマを用意しなければ、動体知力を発揮する必要など芽生えてこないからである。
☆ ☆ ☆
だいたいにおいて、集団で学びながら身につける知力は、じっとしている亀の頭から尻尾までを定規で測るスキルのようなものだ。テーマも対象も計測器もすべて静止している。他方、入り組みながら飛ぶ鳥の数をすばやくカウンターで数えるようなスキルがある。鳥も動くが指もずっと動き続けている。あるいは別の例として、流れる時間を刻むために動き続ける時計はどうだろう。時が動き、同時に時計がそれを刻んでいく。一時も静止することがない。ぼくのイメージしている「動体知力」とはこんな感じなのである。
ぼくが大学生になった1970年代始めは、知と言えば、まだまだ"knowledge"(知識)のことで、"information"(情報)は目新しいことばだった。前者が"know"(知る)から、後者が"inform"(知らせる)から、それぞれ派生した名詞だ。この二つの英単語には決定的な差異がある。"Know"の主体は自分であって、「私が知る」―これが知識。自分の中にストックするものだ。ここに他人は関わってはいない。対照的に、"inform"は「誰かに知らせる」―つまり自分から他者へ、あるいは他者から自分へと流れる情報だ。知識が「ストックの知」であるのに対して、情報は「フローの知」なのである。
☆ ☆ ☆
自分があることを熟考しているうちに、時代は動いている。自分の中で仕事をいったん休止しているあいだも、その仕事に絡むさまざまな要因は変化している。国際化・情報化の時代は24時間社会のことなのだ。このような時代が動体知力を求めているにもかかわらず、相変わらず日本社会で訓練しているのは静止知力(知識の貯め込み)のほうなのではないか。一人静かに本を読み、読んだ本の話を誰にするともなく悦に入る。転がってきたボールはいったん足で止め、それから狙いを定めて蹴る。期限ゆったりの宿題は大好き、でも予想外の問題のアドリブ解答は苦手。
動体知力の特徴は、スピード、集中力、即興性、対人関係性、複雑系、臨機応変、対話的、観察的、異質性、超越的などである。いずれもマニュアルや指導要領ではいかんともしがたい特徴だ。しかし、基本は「動体への反応の速さ」である。すべての対象、テーマ、問題を止まったものではなく「ピチピチと動いているもの」と認識すればいい。鮮度を落とさずに手早く捌く経験を積むのだ。何年もかかるものではない。テキパキと何事にも対峙すれば、それまで静止していた知力が勝手に動き始めるのである。
理屈を超えるひととき
2009年7月 2日 08:30
出張が十日間ほどない。この間に研修や講座のコンテンツづくりとテキストの執筆編集をすることになる。先月の中旬から5本同時に取り掛かってきた。完全オリジナルが3本、あとの2本が編集とバージョンアップ。だいぶ仕事がはかどり、残るはオリジナルの2本。テーマは「東洋の古典思想から仕事をメンテナンスする話」と「問題解決の技法と知恵」の二つだ。自分で選んだテーマとはいえ、いずれも難物。もちろんわくわくして楽しんでいるが、理の世界につきものの行き詰まりは当然出てくる。
☆ ☆ ☆
こんな時、わざとテーマから外れてみることにしている。完全に外れるということではなく、テーマを意識しながら、敢えて迂回してみるのである。迂回の方法にはいろいろあって、読書で行き詰まったら人間観察に切り替える。構成がうまくいかなかったら、出来上がったところまでを一度分解してみる。文字通りの「遠回り」もしてみる。オフィスの近くに寺があるのだが、最近は反対方面にランチに行くことが多い。しかし、いったん寺の前まで出てから裏道を通ってお目当ての店に行ってみるとか・・・・・・。早速効果てきめん、その寺の今月のことばが目に入ってきた。
「善いことも悪いこともしている私。善いことだけをしている顔をする私。」
筆を使って読みやすい楷書体で書いてある。昔からある禅語録もそうだが、現代版になってもうまく人間の性(さが)を言い当てるものである。「これは見栄のことを言っているのか、それとも実体と表象の永遠のギャップを指摘しているのだろうか」などと考えながら、メモ帳に再現しつつ蕎麦を口に運ぶ。蕎麦を食べ終わり、次のようにノートに書き留めた。
「見栄というやつはよりよい人間になるうえで最強の敵なのかもしれない。ぼくたちは偽善的にふるまおうとし、己を正当化しようとし、非があってもなかなかそれを認めようとしない。人間だから手抜かりあり、怠慢あり、ミスもある。時には、意識しながら、してはいけない悪事にも手を染める。その実体のほうをしっかりと見極め認めること。『自分には善の顔と悪の顔がある』ことを容認する。これこそが人間らしさなのか。」
理屈を超えた文言に触れ、理以外の感覚を動かして、それでもなお結局は理屈で考えてしまうのだけれど、そのきっかけをつくる刺激の質がふだんと違っている。ここに意味があるような気がする。
☆ ☆ ☆
ぼくのオフィスと自宅周辺から南へ地下鉄を二駅分ほど下ると、谷町六丁目、谷町九丁目という界隈があり、何百という寺院が密集している。現代的なビルの装いをした寺もある。それぞれの寺が「今月のことば」を門のそばに掲げている。休みの日、寺内に入らずとも、散歩がてら文章を読むだけでもおもしろい。四月には次のようなものを見つけた。
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」
「花を愛で、根を想う。」
前者が「ギブアンドテイクのあるべき姿」、後者が「因への感謝」(と、ぼくはタイトルを勝手につける。これ、すなわち意味の抽象)。
ぼくのように伝えたいことを必死で言語化する「所業」を卑下するつもりはない(専門的僧侶でないぼくが言語から離脱して悟りの境地に到らなくても誰も咎めないだろう)。とはいえ、言語理性に凝り固まりがちなアタマの柔軟剤として、「意味不足の表現」や「行間判じがたい表現」に触れることには意味がある。「半言語・半イメージ」を特徴とする俳句などもそんな役割を果たしてきたのだろう。俳句に凝った十代の頃を懐かしく思い出す。
市場主義か商品主義か
2009年7月 1日 09:30
6月の京都での私塾の講義が15分程早く終わった。締めくくろうと思ったら、講義で取り上げた「経営主義」について論議が再燃した。決して喧嘩腰ではなく、「それはそうと・・・・・・」と誰からともなく問題提起があったのだ。みんな熱心な塾生である(大阪の塾生の一人もぼくとのマーケティング談話の翌日、このテーマについてブログで取り上げていた)。
企業が一つの経営主義だけを貫くことはありえない。どの会社も市場、商品、技術、収益、理念に目配りしながら、それぞれの特色を出すために比重を変え調和を図る。だから、正確に言えば、「市場主義か商品主義か」は二者択一ではないし、一方の選択が他方の排他を意味するものでもない。「どっちに重きを置くのか?」という話だ。
若干ニュアンスは違うのだろうが、敢えて言えば、市場主義が「マーケットイン」、商品主義が「プロダクトアウト」である。マーケットインは、市場をよく見渡して顧客のニーズを分析精査して、顧客の求める商品を作る考え方。ニーズを満たす商品づくりをするために市場を起点にするわけだ。これに対して、プロダクトアウトでは、企業の強みを生かした商品づくりをして、顧客に問うてみる。一種仮説的に商品を形にしてマーケットを掘り起こしていく考え方、と言えるかもしれない。
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市場主義の特殊で極端なものが受注型ビジネスになる。商品主義はおおむね見込型の形態になる。そこで、冒頭の論議である。これまで中小企業の多くは大手企業のカスタムニーズを完璧に満たす下請けをおこなってきて、今に至っている。このイメージが強いため、顧客が企業から一般消費者に置き換わっても、ニーズを拾い徹底分析しようとする本能が残っている。これこそが中小企業の弱みだと指摘して、塾生の一人はこう言ったのだ―「中小企業では市場分析に限界がある。中小企業こそ商品主義に拠って立つべきで、ニーズを掘り起こす商品開発に尽力すべきである。」
「いや、そうではない。ニーズを無視して勝手に商品を作っても、そんなものは売れない」という趣旨の反論があった。これに対して、「ニーズの無視などではない。ニーズが読みきれないから、自社にしかできない強い商品を絞り込んで開発すべきなのだ」と再反論があり、さらに「商品を絞り込む時点で、すでに市場ニーズを意識しているわけではないか」と再々反論が起こった。時々口をはさんだが、傍聴しているだけでも白熱したおもしろい議論であった。やや定義論に傾いたところでちょうど時間。後味の悪さもなくピリオド。続く懇親会でも熱が冷めやらず、ぼくも加わって議論は小一時間以上続いた。
業種によって比重は当然変わるから、もとより正解などない。しかし、ぼくは最初の塾生の意見に与(くみ)する立場をとる。わかりやすさのために極論すれば、市場主義色が強いと、疲弊する、顔がこわばる、笑顔が消える。商品主義色が濃いほうが仕事に遊び心が生まれる。もちろん、遊び心があって仕事が楽しくても収益が悪ければ話にならない。では、市場主義が堅実でより収益が上がるかと問えば、そんな保障はまったくない。ぼくの経験と事例研究に基づけば、いずれにも成功事例と失敗事例があって、甲乙はつけがたい。だからこそ、好きな商品を作って、それを知らせたい使ってほしいというエネルギーで市場へ提案すればいいのではないか。
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ぼくが主宰する私塾自体は飲食店にたとえたら「行列のできる人気店」ではない。かと言って、閑古鳥が啼いているのでもない。そこそこの常連さんと時々一見さんがやって来て、ボチボチという感じ。オリジナルなメニューを工夫して出し続けていれば、一気に客足が遠のくことはないと思っている。そのぼくは、あまり学習者のニーズ分析をしない。勝手に「言語力と思考力」がヒューマンスキルの最大公約数だと仮説を立てて、幅広く勉強して自分なりのコンテンツを組み立てる。
「どんな顧客に何ができるのか」というポジショニングの問いはどちらの主義にも不可欠である。だが、顧客のニーズというのはほんとうにわかりうるものなのか。「何が欲しいですか?」と尋ねて、顧客が「答えてくれたもの」がニーズなのか。まさかそんな単純な構図ではないだろう。仮に顧客ニーズが客観的に解析できるとしよう。そうすれば、そんなニーズに応えて作る商品にほとんど差異が生まれなくなってしまう。市場ニーズと連動しないほうが商品の固有色が強まることは明らかである(但し、成否を別として)。
市場主義が「ニーズの分析」をおこない、商品主義では「ニーズの想定」をおこなう。そして、少なくともぼくの場合、ニーズ分析の精度を上げるよりも、ニーズ想定の確からしさを高めるほうが俄然やる気が出る。やる気は集中力を生み、集中力は仕事を軽やかにしてくれる。そうなるとアイデアもよく出るようになるし直観力も高まる。仕事が楽しくてたまらなくなる。これが商品づくりにおいて好循環をもたらしているのは間違いない。


