2009年8月アーカイブ
プロ顔負けの健康談義
2009年8月31日 18:30
会読会が開かれる土曜日の午後、少し自宅を早く出て会場の二駅手前で地下鉄を降りた。古本探しのためである。二駅の区間を歩くというと驚かれるが、さほどでもない。ふだんの休みの日には自宅からこのあたり、さらにはもっと遠方まで歩くことがあるので、4、5駅分の距離を往復していることになる。古本屋でいい本を二冊見つけた。まだ時間がある。ぶらぶらと会場近くまで歩き、以前何度か来たことのある喫茶店に入った。自家焙煎の豆なので、ここのアイスコーヒーはコクがあって味わい深い。買いたての本を少し読み始めた。
ぼくの左手、テーブルを二つほど置いて一人の女性客がいる。男性が店に入ってきて、先に来てタバコをふかしているその中年女性の前に座った。後の会話でわかったのだが、夫婦である。いま「後の会話」と書いたが、別に聞き耳を立てていたわけではない。ぼくが手に取っている本の内容よりも、ご両人の展開のほうがずっとテンポよく、しかも遠慮や抑制もほとんどなく談義を進めていくので、こっちは読書どころではなくなったのである。
夫がコーヒーを注文し、まもなく会話が始まった(妻の前には一冊の本が置かれている。会話の流れから、それは健康に関する本に間違いない)。妻のほうが切り出した。「やっぱり、水。水が決め手」。「水を向ける」とはよくできた表現だとつくづく思った。この妻の一言が「誘い水」になって、健康談義は縦横無尽に広がった。もしかしてこの二人は夫婦などではなく、医師とサプリメントの専門家なのではないかと疑ってしまう始末だった。
☆ ☆ ☆
塩の話。かつて天然の粗塩を使ってきたのに、日本人が戦後摂取してきた塩はダメ。食塩の主成分である塩化ナトリウムがよくなかった。次いで硬水の話。さらにはマグネシウムの話。死にそうになっている金魚を起死回生で元気にさせる話。やがて「血管学」に至っては、もはや聞きかじりというレベルを超えた専門性を帯びている。この二人はつい最近何かのきっかけで健康に関心を抱いたのではなく、相当年季が入っていると見た。なお、二人ともあまり健康そうには見えない。
そう言えば、昔そんな人が一人いた。ある得意先での企画会議。会議がずっと続き、昼食休憩の時間も惜しいのでコンビニで弁当を買ってきた。ところが、話を続けながらも、一人だけ弁当に箸をつけない人がいる。外部スタッフの彼は、「この弁当の添加物はよくない」と言った。「健康のためですから・・・・・・」とも付け加えた。「健康のためなら死んでもいい」というギャグを思い出してしまった。手段と目的が混同し、本末転倒を招いてしまう何かが「健康問題」には潜んでいる。なお、この彼も健康とはほど遠く、病的であった。
さて、喫茶店の談義はさらに熱を帯びる。ときどき妻がテーブルに置かれた本を手にしてペラペラめくる。同意したり反論したりしながら、どうやら二人が落ち着いた先―健康の決め手―は硬水のようである。こういう会話の流れは何かに似ている・・・・・・しばらく考えて、わかった。競馬談義にそっくりなのである。あの馬だ、この馬だと議論し、専門的なデータを交換し、やがて二人はある馬を本命に指名する。めでたし、めでたし・・・・・・。ところで、「健康志向の強い人間はユーモア精神に乏しい」というのはぼくの確信である。
週刊イタリア紀行No.53 「ローマ(11) アルケオバス二周目」
2009年8月30日 17:00
アッピア街道を巡るアルケオバスは、停留所で手を上げて乗車し、降りたい場所をサインで知らせる、"Stop and Go"方式。サン・カッリストのカタコンベで下車して軽く見学。バスは20分毎に来る。再乗車してチェチーリア・メテッラの墓で下車する。復路はまったく同じではないが、牧歌的な風景の中、狭い道路も勢いよくアルケオバスは走り抜ける。このまま終点のテルミニ駅まで行くか、それともカラカラ浴場あたりでもう一度下車するか・・・・・・。
迷うまでもない。ポケットに入っているのは一日乗車券である。当時はユーロ高につき、バス代€13は2100円くらい。結構な料金である。アッピア街道を一周して、ハイおしまい、ではもったいない。というわけで、復路の途中、カラカラ浴場の停留所で降りることにした。テレビや雑誌の古代ローマ特集では必ず取り上げられる遺跡。カラカラ帝によっておよそ千八百年前に築造された。内部見学するかどうかしばし思案したが、意外に広大なのであきらめた。ややロングショットに眺めても見応え十分である。
ふと耳を澄ませば、遠くから鐘と太鼓の音が聞こえてくる。赤っぽい衣装に身を纏って行進する人たちが見えてきた。やがてカラカラ浴場外壁前の緑地帯までやって来て行進が止まる。どうやら小休止のようである。聞けば「ローマ文化保存協会」会員によるPR・啓発パレードであった。所望すれば、生け捕った敵に見立てて短剣を首に突きつけて撮影シーンを演出してくれる。
カラカラ浴場からアルケオバスに再乗車して、アッピア街道を見納めようともう一巡りすることにした。不思議なもので、一周目にはあまり目配りできなかった風景や、ロムルスの廟、チェチーリア・メテッラの墓などがしっかりと見えてくる。街道沿いの遺跡は半壊したり劣化しているが、チェチーリア・メテッラの墓はよく整った建造物の佇まいを今に残している。春を告げるミモザを眺め、さわやかな風を受けながらの二周目。復路は真実の口経由で終着点のテルミニ鉄道駅まで乗り続けた。
☆ ☆ ☆
(左)カラカラ浴場の外壁。(右)緑地帯を挟んで見渡す遺跡は古代を偲ばせる。
(左)沿道の光景。(右)マクセンティウス帝が息子ロムルスのために造営した廟。![]()
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(左)チェチーリア・メテッラの墓の前の街道。(右)中世に増築された建物。![]()
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(左)サン・ニコラ教会跡。(右2点)チェチーリア・メテッラの墓とミモザの木。3月8日の《女性の日》にはミモザの花束を贈る。
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(左2点)古代ローマ軍人や当時の市民の衣装を本格的に纏った保存協会員たち。
話すことと考えること
2009年8月28日 08:00
シネクティクスという創造技法がある。本格的な実施方法について語る資格はない。おおよそ説明すると、あるテーマについてコーディネーターが数人のメンバーを対象に質問を投げ掛け、「イメージ優先」でアイデアを引き出していく。まるで何のよう? と尋ねたり、それと反対のものは? と聞いてみる。参加者は前言者の意図を汲んだり、思い切ってジャンプしたりと縦横無尽・・・・・・。精度の高さを求めるような深慮遠謀を極力避けて、やや軽薄気味にアイデアの量を求める。
この技法を実践するにあたって、「考える前に話せ」という心得がある。《話す前に考えるのは批評のモットー、考える前に話すのが創造のモットー》というのがそれだ。もちろん、この話はシネクティクスだけに限らない。どこかの国の大臣のように、無思考で舌を滑らせるのは論外だが、「下手の考え休むに似たり」という謂もある。よい知恵もなくムダに考えるくらいなら、とにかく話してみようではないか―これがシネクティクスの精神。「下手なトークも数打てば当たる」に近い。
「話すと考える、どっちが先?」というテーマについては先月も取り上げた。このことに関しては定期的に書いて考えている。というよりも、そうせざるをえない状況に最近よく遭遇する。そもそも話すことと考えることを切り離すことはできないし、「後先の関係」に置くことすらできない。ことばに結晶化していないうちは、考えはボンヤリとして摑みどころのないものであって、ことばにして初めて概念や意味や筋道の輪郭がはっきりしてくる。つまり、ことばにするからこそ思考が体感できると言い換えてもいい。もちろん異論、異見はあるだろう。
☆ ☆ ☆
《クオリア》のような鮮明な感覚とは違って、脳内で生起しうごめいている思想や概念はなかなか顕(あら)わになってくれない。たとえば、ぼくは今キーボードを叩いて文章を認(したた)めている。すでにタイトル欄に「話すことと考えること」と書き入れた。だから書くべきテーマはわかっているつもりである。上記の三つの段落もだいたいイメージしていた通りに綴ってきて、この段落に至っている。但し、論理・筋道は、書く前よりも書き上がってからのほうが確実にはっきりしている。全文書き終わってから推敲してみるので、さらに自分の考えていることを明瞭に確認できるかもしれない。
話し書くことに高いハードルを感じている人たちがいる。能力があるのにもったいないと思う。話すことでも書くことでもいい、中途半端に考えている暇があったら、とにかく話し始め書き始めればいいと助言したい。少々の粗っぽさや言い間違い・書き間違いくらい構わないではないか。まず話し書くことの「フットワーク」を軽くしてみるのだ。音声にしても文字にしても不思議なもので、口をついて出る情報やペン先から滲み出す情報が思考を触発してくれる。それが稀ではなく、頻繁に起こる。
ネタがなければ考えられない。そう、思考の源泉は情報である。見たり聞いたりして外部から入ってくる情報が刺激を与えてくれる。しかし、情報のことごとくが外部からやって来るわけではない。自分のアタマの中にだって大量の情報がストックされている。だから、音声を発したり文字を書いてみれば、その行為が内なる情報を起動させ、その情報からことばが派生して思考を形づくってくれるものなのだ。無為に考えても時間が過ぎるばかり・・・・・・そんなとき誰かに話しかけてみる、あるいは紙にペンを走らせてみる。中毒症状が出てくるほど、「考える前に話し、考える前に書く」を実践すればいい。
読ませ上手な本、語らせ上手な本
2009年8月27日 07:30
去る6月16日に4回目を実施した書評会(通称"サビルナ")。今週の土曜日に久々の開催になる。およそ二ヵ月半ぶりだ。この間はまずまず本を読んでいて三十冊くらいになるだろうか。研修テキストの資料として読んだものもあるが、自宅か出張先や出張の行き帰りに通読したのがほとんど。総じて良書に巡り合った、いや、良書を選ぶことができた。読者満足度80パーセントと言ってもよい。
先週から9月下旬の大型連休まで多忙だ。だから、書評会のためにわざわざ何かを選んで読むのではなく、最近読んだ本から一冊を取り上げて書評をすればよいと楽観していた。ところが、書物には、《読ませ上手》と《語らせ上手》があるのだ。読ませ上手な本とは、読んで得ることも多かったが、別に他人に紹介するまでもなく、また、ぼくほど他人は啓発されたり愉快になったりしないだろうと感じる本。他方、語らせ上手な本とは、批判しやすい本、賛否相半ばしそうな本、読後感想に向いている本、一般受けする「さわり」のある本である。残念ながら、この二ヵ月ちょっとの間にぼくが読んだ大半は書評向きではなかった。
先々週に友人が"The Praise of Folly"という英書を送ってきて「一読してほしい」と言う。なぜ送ってきたかの子細は省略するが、これにしようかとも思った。種明かしをすると、この本はエラスムスが16世紀初めに書いた、あの『痴愚神礼賛』(または『愚神礼賛』)である(送ってきた友人はそうとは気づかなかったようだ)。この忙しい時期に300ページ以上の原書、しかも内容はカトリック批判(この解釈はやや微妙だが・・・・・・)。読みたくて読むのではないから疲弊する。だが、ぼくはこの本の内容をすでにある程度知っている。全文を読んだわけではないが、いつぞや和訳された本に目を通したことがあるからだ。A4一枚にまとめて10分間書評するくらいは朝飯前だろう。
☆ ☆ ☆
しかし、やっぱりやめた。わくわくしないのである。ぼくがおもしろがりもしない本を紹介するわけにはいかない。ふと、先々週に上田敏の『訳詩集』を久々に手に取って気の向くままに数ページをめくったのを思い出す。スタッフの一人に薦めて貸したのだが、尋ねたら、まだ読んでいないとの返事。いったん返却してもらうことにした。この詩集は英語を勉強していた時代に愛読していたもの。原文の詩よりも上田敏の訳のほうがオリジナリティがあって、名詩を誉れ高い語感とリズムで溢れさせている。なにしろロバート・ブラウニングの平易な短詩をこんなふうに仕上げてしまうのだから。
The year's at the spring, 時は春、
And day's at the morn; 日は朝(あした)、
Morning's at seven; 朝(あした)は七時、
The hill-side's dew-pearl'd; 片岡に露みちて、
The lark's on the wing; 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
The snail's on the thorn; 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
God's in His heaven― 神、そらに知ろしめす。
All's right with the world ! すべて世は事も無し。
上田敏を知っている人は少ないだろうから、代表的な訳詩を三つほど紹介して、ついでに英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語に堪能な語学の天才で、驚くべき詩的感性と表現力の持ち主であるとエピソードを語ればよし―となるはずだった。しかし、この本はぼくが決めたルールに抵触することに気づいた。書評会では文学作品はダメなのである。がっかりだ。
それで、二十年以上前に読んだ本を書棚から取り出して再読した。まだ書評は書いていない。この書物の価値は異端発想の考察にある。「一億総右寄り」とまでは言わないが、昨今の世情に対して少しへそ曲がりな発想をなぞってみるのもまんざら悪くはないだろう。いや、そんなイデオロギー的な読み方はまずいかもしれない。ところで、あと二日に迫った書評会だが、ぼくはほんとうにこの本に決めるのだろうか。もしかすると、仕事が順調に進んで時間に余裕ができたら、変えてしまいそうな気がする。
時間の不思議、不思議の時間
2009年8月26日 08:30
時計を見て、「午後3時」と確認する。別に何時でもいい。毎日何度か時計を見る。いったい何を確認しているのだろうと思ったりするときがある。そうなると少しまずいことになる。
二十歳前後を最初に、数年に一度の割合で「時間とは何か」に嵌まってしまう。誰もが一度は宇宙や人生に思いを巡らすらしいが、考えているうちに脳に何がしかの異変が起こるのを感じるだろう。あまり若いときに脳のキャパシティ以上の難しい命題を抱えこまないほうがいい。とか言いながら、若気の至りのごとく、ぼくはかつてその方面に足を踏み入れてしまった。そして、宇宙や人生以上にぼくのアタマを悩ませたのが、この時間というやつである。しかも、宇宙や人生とは違って、時間を意識することなしに日々を過ごせない。
時間は曲者である。歴史上の錚々たる哲学者が軒並み「不思議がった」のだ。ぼくの齧った範囲ではカントもフッサールもハイデガーも時間の不思議を哲学した。ずっと遡れば古代ギリシアのヘラクレイトスが、「時間が存在するのではなく、人間が時間的に存在する」と言った(これがまたよくわからない)。少し似ているが、人間が存在するから時間が存在すると、アリストテレスは考えた。そして、時間特有の自己矛盾のことを「時間のアポリア」と名づけた。アポリアとは行き詰まりのことで、難題を前に困惑してアタマを抱える様子を表わしている。それもそのはず、時間という概念は矛盾を前提にしているかもしれないからだ。
《今》はあるのだが、《今》は止まらない。感知し口にした瞬間《今》はすでにここにはない。では、いったい《今》はどこに行ってしまったのか(去ってしまったのか)。それは過去になったと言わざるをえない。では、過去とは何なのか、そして未来と何なのか・・・・・・という具合に、性悪な懐疑が次から次へと思考する者を苦しめる。途方に暮れるまで考えることなどさらさらない。だからぼくたちは疲れた時点で思考を停止すればよい。だが、世に名を残した哲学者たちはこの「臨界点」を突き進んだ。偉いことは偉いのだが、思考プロフェッショナルならではの一種の「意地」だとぼくは思う。
☆ ☆ ☆
ちっぽけな知恵で考えた結果、今のところ(と書いて、すでに今でなくなったが)、未来に刻まれる時間を感覚的にわかることはできないと考えるようにした。未来を見据えるときと過去を振り返るときを比べたら、やっぱり後者のほうが時間を時系列的に鮮明に感知できているからである。そして、どんな偉い哲学者が何と考えようと、ぼく自身は「時間は《今》という一瞬の連続系」と思っている。《今》という一瞬一瞬が積まれてきたのが現在に至るまでの過去。過去を振り返れば、その時々の《今》を生きてきた自分を俯瞰できるというわけだ(未来にはこうしたおびただしい《今》が順番に並んで待ち構えていると想像できなくもない)。
もちろん、感知できている過去は脳の記憶の中にしかない。記憶の中で再生できるものだけが過去になりえている。記憶の中にある過去に、次から次へと旬の《今》が送られていく。時間の尖端にあるのは現在進行形という《今》。それは、一度かぎりの《今》、生まれると同時に過去に蓄積される《今》である。ぼくたちは、過去から現在に至るまでの時間を時系列的に感知しながら生きていると言える。なお、記憶の中にある過去は体験されたものばかりではない。知識もそこに刻まれている。
もうこれ以上考えるとパニックになってしまう。だから都合よくやめて、ここまでの思考の成果を何かに生かそうと思う。《人生における今》は一度しかなく、誕生と同時に過去になる―これはまるで《歴史における人生》のアナロジー(類比)ではないのか。こう考えてみると、月並みだが「時間の価値」に目覚めることになる。いや、煎じ詰めれば《今》の意味である。つまらない《今》ばかりを迎えていると、記憶の中の過去がつまらない体験や情報でいっぱいになる、ということだ。
お愛想または軽はずみな同調
2009年8月25日 07:20
ずいぶん昔のことなので、誰かから教わったのか書物で読んだのかよく覚えていない。店で食事をして客のほうから「お愛想(あいそ)」と会計を求めてはいけないという話。その訳は「金を払うから、さあ愛想しろ」ということになってしまうから。つまり、お愛想は店側のことばであって、客側のことばではない。客は「ご馳走さま。お勘定してください」というのが礼儀である―このように聞いたか読んだかした。ぼく自身は、自前で外食をするようになってからは「お愛想」を使ったことがなく、いつも「お勘定してください」だ。
もともとは「お食事中に会計のことなど持ち出すのは、まことに愛想づかしなことですが・・・・・・」という常套句が転じて、会計のことをお愛想と呼ぶようになった―この由来は本で読んだ記憶がある。調べれば済むのだろうけど、取り上げたいのは寿司店や居酒屋でのお勘定マナーの話ではなくて、日々のコミュニケーションでの「相手の機嫌をとるためのお愛想」にまつわるテーマである。
誰かの「こうしたらどうだろう?」との提案に無検証のままイエス反応を示す「お愛想人種」が目立ってきた。いや、昔からこういう連中のことを「茶坊主」などと呼んで小馬鹿にしてきた背景もある。だが、茶坊主には目的があったと思う。そこには力関係のようなものが働いていて、意に反してでも人間関係を維持するために迎合役を演じていたような気がする。ぼくが気になっているお愛想人間は、まず無思考なのである。無思考ゆえに対話にすらならないのである。力関係などまったく働いていない―あるいは気にしなくてもいい―にもかかわらず、彼らはただ単に相手の機嫌をとり軽はずみに同調するだけ。そして、パブロフの犬のように無条件に反応するのみ。
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「同調」ということば自体に悪い意味はない。「調子や波長」を極力同じにしようと努めるのはコミュニケーション上決してまずいことではないだろう。だから「軽はずみな」と修飾しておく。軽はずみな同調とは、他人の意見に自分の意見を無理やり一致させることだ。本心はノーまたは「ちょっと待て」なのである。にもかかわらず、お愛想を振りまいてイエスで場を御座なりに過ごしてしまう。
イエスとノーが拮抗して選択の岐路で迷ったら、「とりあえずノー」の意見を表明して検証してみよとは、交渉や議論においてよく言われることだ。誰にも経験があるだろうが、軽はずみにイエスで安受けしたのはいいが、後日ノーに変えるのは大変である。イエスをノーに変えるエネルギーに比べれば、ノーをイエスに変えるのはさほど問題ではない。早めのノーはつねに遅めのノーよりも有効であり、免疫効果も高い。
もちろんノーには棘(とげ)がある。誰だって「ノー」と突きつけられて気分がいいはずはない。自分がそうなると嫌なので、軽はずみな同調者は棘を避ける。最初は人間関係に棘をつくりたくないと意識してお愛想をしていたはずだ。ところが、このお愛想を何年も繰り返しているうちに、棘を刺したり刺されたりの経験から遠ざかり、やがては無意識のうちに「はい」とか「いいですね」と無思考・無検証同調をしてしまうようになる。あとはダンマリを決めこむ。ダンマリの数歩向こうには黙殺・無視があり、棘どころではない苦痛をともなう残酷な人間関係が待ち受けている。そのことに彼らは気づいていない。
週刊イタリア紀行No.52 「ローマ(10) アッピア旧街道へ」
2009年8月23日 12:45
雨が多かったこの年のローマ。あまり天気予報も当たっていなかったような気がする。ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂見学の日は雨時々曇。コロッセオ見学の日も強めの雨。その翌日のオルヴィエートへの遠出は運よく晴天。でも、翌日の日曜日は雨。残る二日のうち月曜日にアッピア旧街道へ行くことにした。朝方に雨が降っていたようだが、好天になった。最終滞在日の火曜日は雨と雷で散々な日だったので、結果的にはラストチャンスだった。
アパートからゆっくり20分ほど歩いてナヴォナ広場へ。この一角に〔i〕のマークのついた観光案内所を探す。アッピア旧街道を巡るアルケオバス(archeobus)の切符を買うためだ。小ぶりなブースのような案内所にはすでに女性スタッフが一人いた。ドアには鍵がかかっている。ドアの前に立ったぼくに気づかないので、トントンと叩いた。こっちに顔を向けたので「アルケオバスのチケットを買いたい」と言おうとしたら、口を開こうとするぼくを制して、壁の時計を示し「まだ営業時間じゃない」とジェスチャー。「では、どこで買い求めればいいのか?」と聞こうとしても、あとは知らん顔で、取り付く島もない。
皆がみなこうではないが、公務員や観光関係にはつっけんどんな女性が目立つ。一見(いちげん)さんには愛想のよくない振る舞いをするという説、クールに規則に従っているだけという説、いやイタリア女性は見た目は強そうだが、実はシャイなのだという説・・・・・・いろいろあると聞いた。にこにこ顔のホスピタリティが目立ってしまうイタリア人男性だが、あくまでも女性と対比するからそう見えるのであって、イタリア人には男女ともに人見知りする傾向があるようにぼくは思う。
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しかたなくアルケオバスのルートになっているヴェネツィア広場の停車場へ行く。乗り放題一日券が€13(これが通常料金。ガイドブックには€8と書いてあったが、何がしかの優待カード所有者のみ)。しばらく待って黄緑色のバスが来た。乗車時に配られるイヤホンで8ヵ国語のオーディオガイドが聞ける。固有名詞チェックも兼ねて、とりあえずイタリア語にチャンネルを合わせた。アルケオバスは真実の口の広場からチルコ・マッシモを経てカラカラ浴場へ。乗車時に少し会話を交わしたぼくと同年代の日本人男性は早速ここで下車した。
彼のように丹念にバスの乗降を繰り返し、そこに旧跡見学と散策を交えるのが正しいアッピア旧街道の辿り方なのだろう。あるいは、思い切ってレンタサイクルを借りて、まだ石畳がそのまま残っている旧街道を巡ってみればさぞかし満喫できるだろう。ぼくはと言えば、地下墓地(カタコンベ)や教会・聖堂などよりも、原始的な街道を紀元前312年から改修し延伸して敷設したこの旧街道そのものをこの目で見たかった。だからバスの周回だけで十分だったのである。それでもなお、衝動的に何度か途中下車することにはなった。
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(左)カラカラ浴場前。(右)城壁のサン・セバスティアーノ門。ここがアッピア旧街道の起点。
(左2点)門をくぐるとローマ市内とは思えない牧歌的な風景が広がる。サン・カッリストのカタコンベ近く。
(上5点)アッピア旧街道の風景は変化に富んでいる。唐笠松の街道が続き、少しそれると糸杉の小径がずっと続く。
商店街の敗北が意味すること
2009年8月20日 19:00
仕事柄出張が多い。今でこそ、行動エリアは縮まったものの、数年前までは「北は北海道から南は沖縄まで」だった。二回に一回の割合で懇親を兼ねた食事会があるので、その後にホテルにチェックインする。余裕があれば別だが、翌朝はなるべく早い時間に帰阪する。二日とか四日間にわたって研修がある場合は、毎日の研修後はだいたいフリーである。いったんホテルに戻り、ぶらりと夕食に出掛ける。一人ではアルコールを口にしないので、食事のみ。ついでに軽く散策してみる。
十五年くらい前までは、珍しいご当地名産の土産を買っていた。しかし、荷物が重くなったり増えたりする。また、せっかく買って帰ったのに、よく似た物産が大阪でも売っていたということが後日わかる。どこの名産かは書かないが、ちょっと名の知れた珍味が住まいの近くのスーパーで売られていたときは、もう二度と土産を買うまいと誓ったものだ。自分で買うのは今では弁当だけになった。
便利な駅前のホテルに滞在するので、必然交通量の多い駅周辺を歩くことになる。そして、少し歩けば、どこの街にもたいてい「商店街らしき」風情が見えてくる。残念ながら、「これぞ商店街!」と格付けできる通りなり一角にはめったに出くわさない。たいていは「半商店街」であり、よく言われる「シャッター商店街」であり、まだ7時だというのにアーケードが薄暗い「消店街」である。「街」よりも「骸」と表わすほうがピッタリだ。
☆ ☆ ☆
商店連合会も個々の店の主人も好き好んで落ちぶれさせたはずがない。しかし、勝手に沈滞化したわけでもないだろう。近くにスーパーができたり、市街地から離れた郊外にショッピングモールが立地したという環境の変化は理解できる。だが、大手の競合他店が出店したから寂れたしまったなどという因果関係は成立しないし、そんな言い訳をしながらしかめっ面して商売してもマイナスオーラを醸し出すだけだ。外的不利係数をいつまでも放置しておくから、問題はいっこうに解決しない。
シャッター商店街は何に負けたのか? 別のプロフェッショナルに負けたのだが、実は「自分に負けた」。具体的に言うと、伝統的な「買物の楽しさと会話」が、現代的な「時間効率と無言」に負けたのである。相手が強くて負けたのではない。自らの強みを喪失してしまったのだ。それゆえに、この敗北は決定的な終焉を意味しない。つまり、首の皮一枚の危うさかもしれないが、再生可能なはずである。
スーパーやモールにないものを見直すべきなのだ。長く延びたアーケード、通路を隔てて左右に店舗が並ぶ。これこそが、巨大な立方体の空間を四角く区切った大型店にない構造である。この構造が原点だから、まずそこに戻る。しかし、最大の構造問題は店主である。商店街からスーパーやモールへとショッピング習慣を変えた人々は異口同音につぶやく・・・・・・「スーパーの品物と同じ、しかも割高」、「無愛想」、「品揃えがすくない」。ここにすべてのヒントがある。
商店主はこう言う、「お客さんが来ないから店を閉める(7時頃)」と。お客は言う、「(7時半頃に行ったら)すでに閉まっている」。選択は一つあるのみ。顧客の声を優先して店を開けておく。次に、スーパーにない商品を揃える(少々割高でもよい)」。自店の商品だけでなく、他店の商品も勉強する。そして何よりも、愛想と会話だ。高齢化など関係ない。愛想と会話が空気を変える。少数の元気な商店街はそうして生き残っているのだ。
想定が現実を待っている・・・
2009年8月19日 07:40
とても不思議な感覚を引きずっている。この違和感はぼくだけのものなのか、あるいはそんな印象を受けた人が他にもいるのだろうか。先週のあの静岡を襲った震度6弱の地震に関してだ。「これは東海大地震ではない」と専門家が言うのである、というか断言するのである。東海大地震はマグニチュード8を想定している、今回の地震はそんな規模ではない、ゆえに「東海大地震はまだ起きていない」。
現実に存在するかどうかわからないけれど、欲しいシャツがあり、そのイメージもはっきりしているとき、いま店で品定めをしているシャツを「これは違う」ということはありうるだろう。「理想があって、その理想に適わない現実」という構図ならうなずけるのだ。しかし、地震はシャツではない。「欲しいシャツ」を探すように、誰も地震を待望しているわけではない。未来に起こるであろう《X》の基準を人間が勝手に規定して、現実に起こっている《Y》がその基準を満たしていないから、このYは失格と言っているみたいに響いてしかたがないのだ。
「YはXではない」と聞けば、YをXに照合した結果、YがXに合致していなかった―このようにぼくは解釈する。このとき照合したXはふつう過去のデータでなければならない。簡単な例を挙げれば、「これはペンではない」と言うとき、展開は「これをいろんなペンと照合したけれど、ペンらしき痕跡はない、ゆえにペンではない」のはず。ペンは過去または現在に存在していなければ照合することができない。現実を未来と照合するなんて、ぼくのちっぽけな経験則をはるかに超越している。
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地震予知の世界ではこんなふうに表現するものかと納得するしかないのか。でも、くどいようだが、「東海大地震」を「ほぼ確実に想定できるゴール」として設定しているような気がする。そして、震度6弱のあの地震はまだゴールに達してはいないと聞こえてきてしかたがない。モノが字義に追いついていない、あるいは現実が想定に追いついていない。ひいては、想定のほうが先に行って東海大地震を待っている状況・・・・・・。
理念が行動を待っている。刑法が事件を待っている。予知が大地震を待っている。何か変ではないか。棒高跳びのバーが5メートルのところにあって、それを跳べなかったから「失格」みたいになってはいないか。棒高跳びのバーはぼくたちに見えているのだ。それがゴールであり一つの基準なのだ。だから、それをクリアしなければ当然失格―この言い回しには何の問題もない。
地震は見えない。しかも未来形なのである。それを予知して、その時点から逆算して、現実に発生する地震に「ブー」とハズレを示す。「来たぁ~、これだ、ピンポーン」といつかなるのだろうが、それは地震を予知できたことになるのか。現実が想定に追いついてピンポーンかもしれないが、関係者の予知に関しては「ブー」ではないか。思うに、「予知」に毒されているから、「これは東海大地震ではない」という違和感のある言い回しになってしまっている。ところで、こんな違和感を抱くのは、ぼくの感覚のほうが「揺れている」からだろうか・・・・・・。
マニフェストで見えないもの
2009年8月18日 08:20
政権公約よりも「マニフェスト」が常用語になった。流行語大賞に輝いたのが2003年。流行語だけに終わらず何とか定着したのをひとまず良しとすべきだろう。それでもなお、政党がマニフェストを公表したからと言って、大騒ぎするほどのことはない。政治を司るプロフェッショナルとして第一ステップをクリアしたという程度のことである。
企画の仕事をしていれば、「企画書」は一種の義務であり必須の提言である。なにしろ、企画書の一つも提出しないで仕事をもらえるわけがない。企画書は「これこれのプランを実施するとこれこれの成果が得られるであろう」という蓋然性を約束するもので、一種のマニフェストと呼んでもさしつかえない。あくまでもシナリオで、「こう考えてこう実行していく」という意思表明であって、「絶対成功」の保証はない。無責任な言いようかもしれないが、やってみて初めて成否がわかるものだ。
研修講師も、たとえばぼくの場合なら「ロジカルコミュニケーション研修」や「企画研修」の意図・ねらい(期待できる効果)・概要・タイムテーブルを事前に提出する。これも特定団体に向けたマニフェストである。空理空論はまったく通用しない。具体的に、二日間なら二日間の、講義と演習の想定プログラムをしっかりとしたため、それが円滑に進むべく運営しなければならない。政党と違って講師は一人だ。マニフェストと党員である自分の考えに「若干のニュアンスの違いがある」などと言って、逃げることはできない。責任者は自分だけである。ステージが違いすぎる? そんなことはない。何事も一人でやり遂げるのは尊いことだ。
☆ ☆ ☆
政権公約検証大会なるものが開かれて、8団体が議論をしてコメントを出した。小説や論文の「評論」みたいなものである。自民・民主ともに「構想力が欠如」と批判されている。団体のご意見を丸々素直に受け止めたら投票に出掛ける気にはなれない。いやいや、選挙民にとっては、両党プラス他党のマニフェストに目を通せばいいわけで、評論に敏感になる必要はない。何よりもまずぼくたちは原文の小説や論文を読むべきであって、最初に評論に目を通すべきではない。仕事上は上司や得意先の顔色を見なければいけないが、マニフェストの吟味は、誰の影響も受けずに自分の意見を構築できる絶好の機会ではないか。
しかし、マニフェストは政党の政権公約である。政権公約とは、政権を握るという前提の公約である。政権が取れなければ、大半の公約内容は実現しにくいだろう。政権党に反対しながら政権取りに失敗する党が公約を果たせるのは、その政権党と一致する政策においてのみという皮肉な結果になる。さらには、政党の公約であって個人の公約ではないから、マニフェストから個人の力量なり人物を判断するのは困難である。結局、政治家個人を知ることができるのは、従来からのファンであり、その個人に近しい有権者に限られる。
四年前の総選挙で敗れたある候補者。今日からリベンジをむき出しにして立ち向かう。その候補者の周辺筋から聞いたところによると、前回の選挙に負けた直後、大声で有力支持者を叱責した。「お前の運動が足らんから、こうなったんだ!」と怒鳴り倒したらしい。皆がみなそんな下品な言を吐かないと思うが、十人中二、三人はやりそうである。怒鳴るからダメと決めつけられないし、マキアヴェッリもつべこべ言わないだろうが、その程度の度量でも政治に携われてしまうのが情けない。マニフェストで見えない「人間」にどう判定を下すか―ぼくはこちらへの意識のほうが強い。
週刊イタリア紀行No.51 「ローマ(9) 古代ローマの時空間」
2009年8月16日 11:00
コロッセオから見ると、東にドムス・アウレア(皇帝ネロの地下黄金宮殿)、西にパラティーノの丘とフォロ・ロマーノ、北西に公共広場群のフォーリ・インペリアーリ、そして南西にはローマ時代の円形競技場チルコ・マッシモが広がる。チルコ・マッシモは映画『ベン・ハー』で知られた舞台。観客30万人を集めて馬車競走が繰り広げられた。ここから北西にすぐのところに有名な「真実の口」がある。
ローマにはそこかしこに古代遺跡が存在する。だが、極めつけはこの地域だろう。大半の建造物は半壊し劣化しているものの、どこかの国がロープを張って立入禁止にするのとは違って、この遺跡に足を踏み入れることができるのだ。周辺は交通量の多い喧騒通りだが、いったんこのエリアに入ってしまうと、静寂空間の中で古代ローマの息遣いが聞こえてくる。
コロッセオの入場券と共通になっているパラティーノの丘に入る。雨に濡れた遺跡が点在し、高台が何ヵ所かあり庭園もある。今では見る影もないが、古代ローマ時代には政治経済の力を握っていた貴族たちが居を構える「高級邸宅地」だった。遺跡になる前のフォロ・ロマーノやコロッセオやローマの街全体をこの場所から見渡せば、さぞかし壮観だったに違いない。いや、毎日眺めていたから飽き飽きしただろうか。
フォロ・ロマーノは古代ローマの中心地であった。「フォロ(Foro)」は英語の"forum"と同じで「広場」を意味する。だから、フォロ・ロマーノは「ローマの広場」である。ただ、そこらにある広場とは違い、祭事・政治・行政・司法・商業機能を一極集中させた公共空間だったのだ。商取引市場あり、神殿あり、議会や裁判所あり、記念碑あり。しかも、一般民衆と無縁の存在だったのではなく、市民広場としても活気を帯びていた。
カエサルが議員たちに語りかけた元老院議会場「クリア」は何度か建立され直したが、現在は復元されフォロ・ロマーノの一画にあって当時の政治熱をうかがわせる。共和政の特徴として、このクリア、市民広場、演説のための演壇場が三点セットになっていた。ちなみにクリア(Curia)はラテン語に由来し、「人民とともに」という意味である。これこそ共和政の精神。その名残りは、今もローマ市内で見かける"SPQR"の四文字に示されている。これもラテン語で"Senatus Populusque Romanus"を略したもので、「元老院とローマ市民」という意味である。
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(左)パラティーノの丘の入口。(右)フォロ・ロマーノ側から見た丘一帯。この奥に高台が広がる。
(左2点)パラティーノの丘から眺望するフォロ・ロマーノとさらに向こうの遠景。
(左)ティトゥスの凱旋門。紀元70年の戦勝を記念したもの。ティトゥスは当時のローマ皇帝。(中央)元老院議会場「クリア」。(右)サトゥルヌスの神殿。円柱が8本、その柱頭はイオニア式で装飾されている。サトゥルヌスは農耕の神。聖なる場所とされている。
(左2点)セヴェルスの凱旋門。大小三つのアーチが特徴。ここがローマの中心点とされた。
(左)このSPQRは、カンピドーリオの丘、あのミケランジェロが設計した広場の階段近くに掲げられている。古代ローマ共和政の成立を記念したことばで、現在はローマ市のモットーになっている。
曲解と虚偽の一般化
2009年8月12日 08:30
昨日のブログで「典型的な牽強付会(けんきょうふかい)の例を斬る」と意気込んだ。念のために、インターネットも含めていろいろ調べてみたら、「その例」をしっかりと斬っておられる方が大勢いるのを知って驚いた。正確に言うと、引用されるその権威者および実験内容に批判的な意見は少なく、ほとんどの批判は「引用に関しての曲解と虚偽の一般化」に向けられていた。おおむねぼくの意見も一致する。
多数派だからホッと一安心―そんな「長いものに巻かれろ」のスタンスはぼくの性に合わない。世間の誰がどのように唱えていようと、ぼくはある種の確信と良識的な見方によって、権威を引用してこじつける狡猾さを指摘しようと思っていた。その例とは、アルバート・メラビアン博士が実験を通じて導いた『メラビアンの法則』の都合のいい解釈のことだ。
マナー、コミュニケーション、コーチング、ファシリテーションなどを専門とする複数の講師が、メラビアンの法則を曲解してジェスチャーや表情の優位性を強調する一方で、言語を見下すような発言をしたのを何度か目撃している。この法則は、一対一の(インターパーソナル)コミュニケーションに限定して、話し手が聞き手にどんな影響を与えたかを実験して導かれたものである。
実験によって、影響に占める割合は、表情やジェスチャーが55%、声のトーンや大きさが38%、話す内容が7%ということがわかった。こう説明して、講師たちは「ことばはわずか7%しか伝わらない。コミュニケーションにおいてことばは非力なのだ」というような趣旨を、さも真理のごとく説く。これは、目に余るほどのひどい一般化なのであり、メラビアン博士を冒涜するものである。もちろん、こんな虚偽に対して免疫のない、無防備で純朴な受講生はものの見事に説得される。そして、講師によって引き続きおこなわれる、取って付けたような身振りやマナーや表情の模範例に見入ることになるのである。
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アルバート・メラビアン博士自身は、ちゃんと次のように断っている(要旨、原文は英語)。
この法則は「感情や態度が発する言行不一致*のメッセージ」についての研究結果に基づく。実験の結果、「好感度の合計=言語的好感度7%+音声的好感度38%+表情的好感度58%」ということがわかった。但し、これは言語的・非言語的メッセージの相対的重要性に関する公式であって、あくまでも「感情と態度のコミュニケーション実験」から導かれたものだ。ゆえに、伝達者が感情または態度について語っていない場合には、この公式は当てはまらない。 (*inconsistentを「言行不一致」と意訳した)
ぼくも曲解しないように気をつけて書くが、下線部から、言語的メッセージを伝えることを目的としたコミュニケーション実験ではないということがわかる。だから、回覧板には適用しない。読書にも適用しない。会議や対話にも当てはまらない。携帯電話で「明日の夕方5時に渋谷でお会いしましょう」という簡単なメッセージも対象外だ。要するに、ほとんどの伝達・意見交換場面には法則が当てはまらないのだ。ある種の顔の表情とジェスチャーを伴って単発のことばを発した場合のみ有効という、きわめて特殊なシチュエーションを想定した実験なのである(たとえば、コワモテのお兄さんがどんなにやさしいことば遣いをしてきても、顔ばっかりが気になってことばが耳にはいらないというような場合)。
もし本気でコミュニケーションに果たす言語の役割が7%だと信じているのなら、講師はずっと顔と身振りで思いを伝えればよろしい。それで93%通じるのだから楽勝だ。パワーポイントやテキストも作らなくていいではないか。いや、そんな皮相的批判をするのが本意ではない。言語理性の危機が叫ばれ、ボキャブラリー貧困に喘ぐこの社会をよく凝視し、「言語7%説」が日常化するのを案じて、「これはいかん、もっと言語の比重を高めなければ」と一念発起するのが教育者ではないか。
オカノの法則1 「講義中、居眠りをする受講生に対しては、言語・音声・表情のすべてのメッセージ効果がゼロになる。」
オカノの法則2 「パワーポイントのプレゼンテーションにおいて、掲示資料と口頭説明が合わないとき、人々は掲示資料に集中し、耳から入ってくる説明を聞き流す。」
都合よく感性に逃げる
2009年8月11日 08:00
十数年前になるだろうか、二部構成の講演会で、ぼくが第二部、「偉い先生」が第一部ということがあった。本来ぼくが「前座」だったのだろうが、先生の都合で入れ替わった。礼儀かもしれないと思って、先生の第一部を聞かせてもらった。「"ことば"じゃない、"こころ"なんだ」が趣旨で、要するに「理屈じゃなくて感性」という話である。ちなみに、ぼくのテーマは対照的なディベートであった。
どんな主張をしてもいいと思う。けれども、「偉い先生」なんだから、理由なり論拠は付け足しておくべきだろう。講演中、ぼくの素朴な「なんでそう言えるんだろう?」という疑問は一度も解けなかった。「理屈じゃなくて感性」という理由なき主張は、「理屈を言いながらも感性的であることができるのでは・・・・・・」と考える聴衆に道理を説いていない。しかも、先生、いつの間にかことばと理屈をチャンポンにしてしまった。さらに、先生、「ことばじゃない、こころなんだ」というメッセージをことばで伝えているのだ。ことばと感性を二項対立的にとらえていること自体が理屈ではないのか、とぼくなんかは考えてしまう。
「ことば対感性(または感情)」というふうに対立の構図に置きたがるのが感性派に多いのも妙である。どっちを欠いても人間味がなくなるのでは? とぼくは問いたい。ことばが先で感性が後か、感性が先でことばが後か―大した論拠もないくせに拙速に「感性」に軍配を上げないでいただきたい。なぜなら、ことばのない動物に感性があるのかどうかは証明しえないし、彼らに聞くわけにはいかない。明白なのは、ことばを使う人間だけに感性という概念が用いられているという事実だ。つまり、ことばを切り離して感性だけを単独で考察するわけにはいかないのである。ましてや、優劣論であるはずもない。少なくとも、「ことばじゃない、こころなんだ!」という趣旨の講演会に来ている人は、ことばを自宅に置いてきて感性だけで聞いているわけではない。
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一昨日、高浜虚子の『俳句の作りよう』を通読した。俳句は「感じたことをことばに変える」ものなのか。ここで言う「感じたこと」はもはや感性というよりも「感覚」というニュアンスに近いのかもしれないが、では、感覚が先にあってことばが後で生まれるのか。ぼくの俳句経験は浅いし、どんな流派があるのかも知らないが、俳句において「言語か感性か」などと迫ることに意味はないと思う。俳句を「添削と推敲の文学」とぼくは考えているが、ことばと感性は「和して重層的な味」を出すのだろう。感じるのとことばにするのは同時かつ一体なのではないか。虚子はその本の冒頭で次のように言っている。
「俳句を作ってみたいという考えがありながら、さてどういうふうにして手をつけ始めたらいいのか判らぬためについにその機会無しに過ぎる人がよほどあるようであります。私はそういうことを話す人にはいつも、何でもいいから十七文字を並べてごらんなさい。とお答えするのであります。」 素直に解釈すれば、ことばを十七文字並べることを、理屈ではなく、一種感性的に扱っているように思える。むしろ、「何かを感じようとすること」のほうを作為的で理屈っぽい所作として暗に示してはいないか。ことばを感性的に取り扱うこともできるし、感性をいかにも理屈っぽくこねまわすこともできる。
ぼくが一番情けないと思うのは、ことばの使い手であり、ことばを使って話したり書いたりしている人たちが、ことばを感性の下位に位置させて平然としていることである。「ことばはウソをついたりごまかしたりする」などと主張する人もいるが、このとき感性だって同じことをするのを棚に上げている。このように都合よく主張を正当化していくと、やがて権威の引用をも歪曲してしまう。と、ここまで書いてきて、そうだ、あのエビデンスの濫用を取り上げなくてはいけないと正義感が頭を擡(もた)げてきた。明日、典型的な牽強付会の例を斬る。
週刊イタリア紀行No.50 「ローマ(8) コロッセオまたは巨大物」
2009年8月 9日 11:20
もう二世紀も前のことである。1786年11月11日の夕方、ゲーテはコロッセオにやって来た。ローマに着いてから約10日後。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。
「この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる」―ゲーテは『イタリア紀行』の中でこんなふうにコロッセオを語る。およそ一年後にも訪れることになるのだが、そのときも「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。
コロッセオは西暦72年から8年かけて建設された円形競技場だ(闘技場でもあり劇場でもあった)。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人というのだから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受ける印象の何倍も圧倒されたに違いない。
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コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する"colosso"に由来する。形容詞"colossale"などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。映画『グラディエーター』では、この巨大競技場での「剣闘士対猛獣または剣闘士対剣闘士の血生臭いシーン」が描かれた。ローマでキリスト教が公認されてからは、やがて見世物は禁止される。この時代、放置されたこのような建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。
四度目の正直でコロッセオの内部を見学した。それまでの三回は、ツアーの長蛇の列を見るたびに入場が億劫になった。おまけに「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に納得したりもしていた。しかし、強雨のその日、並ぶ人々の列は長くはなかった。先頭から二十番目くらいである。雨という条件の悪さはあるが、だからこそ入場できる、今日を逃せば二度とチャンスはない、と思った。「雨が遺跡に古(いにしえ)の情感を添えてくれるかもしれない」と、すでに悪天候を礼賛すらしていた。
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(左2点)コロッセオのアップと、やや遠景。濡れた壁色の印象が以前と違う。
(左)ローマ発祥の地とされるパラティーノの丘から展望するコロッセオ。(右)晴天の日に描いた8年前の水彩画。
(左)1回から見た4階構造の観客席。(右)上階から見下ろした光景。
(左)傘を持った人たちが立っている円形部を板張りにして、当時は闘技をおこなっていた。その地階部分が、現在見えている通路や部屋になっていた。ここで剣闘士や猛獣が待機し、出番がくると機械仕掛けのリフトで競技場へと送り込まれた。
笑えない話の後始末
2009年8月 7日 08:20
笑いをとらねばならないのはお笑い芸人だけではない。笑いでメシを食うプロと、そうではないアマ。比較すれば、前者が厳しいと誰もが言うかもしれない。ところがどっこい、アマチュア間の笑いがらみのシーンは想像以上に過酷なのである。テレビのお笑い番組を見ればわかるが、プロには逃げ道が用意されている。「受けない」のを売りにする芸人。「すべる」のを期待してもらえる芸人。空気を凍らせてしまっても、助け舟を出す同業者もいる。
言うまでもなく、売れる芸人もいれば売れない芸人もいる。序列のある業界だから、スターもいればアマチュア以下もいる。人気はどう転ぶかわからない。明日は我が身だ。売れなくなっても、「売れない」のを売る手だってある。親しい仲間は救いの手を差し伸べてくれるかもしれない。まあ、さしたる業界通でもないぼくの推測なのだが、「同病相憐む」の理(ことわり)がそこでは生きているようだ。
講演の冒頭でジョークを仕掛けたある講師。絶対に受けると確信しての「つかみ」であった。はやる気持をなだめながらも、内心おもしろくてしかたがない。演壇に上がる前から自分自身が笑いを押し殺さねばならない情況である。講師紹介があって、拍手で迎えられて演台に向かう。つかみの効果を最大化するには余計な挨拶は無用、寸法を測ったように計算通りにジョークで端緒を開いた・・・・・・。だが、クスッとも笑い声が起こらない。会場の笑いと同時に破顔一笑しようと目論んでいた講師の顔だけが、笑う直前のスタンバイモードで引きつったまま。聴衆は時に残酷である。
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技と芸があるからか、仕込みと仕掛けがいいからか、それとも単に聴衆に恵まれ続けたからなのか・・・・・・理由はよくわからないが、ぼくが会場を凍らせたことはかつて一度もない。期待したほど笑ってもらえなかったことはあるものの、大すべりした経験はない。講師業においても、笑いは本題と同程度に重要になってきた。そこにはリスクもある。「笑えない話」の責任は、もちろんその話をした人間にある。そして、万が一のための保険をかけるのを忘れては、消沈した空気の後始末は不可能である。
どんな保険か? ややハイブローにジョークを設定しておくのである。こうしておけば、笑いが起こらなかったとき、一部の聴衆が「笑えないのは自分の能力とセンスの問題?」と懐疑してくれる。さらに、誰よりも高尚なジョークを解せるという自信家が何人かいるものなので、少数ではあるが、見栄を張ってそこかしこで笑い声を発してくれる。こうなると、笑わなかった聴衆たちもやや遅れ気味に同調するように笑い始める。ジョークを終えてから数秒という不自然な時間差が生じるのはやむをえないが、これはこれで場が沈んでしまうことはない。
昨夜読んでいた英書にこんなジョークがあった。
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若い新婚さんがアパートに引っ越してきた。食堂の壁紙を張り替えることにした。同じ広さの食堂がある隣人宅へ行き、尋ねた。「壁紙を張り替えたとき、お宅では壁紙のロールを何本買いましたか?」 「7本ですよ」と隣人は答えた。
新婚夫婦は高級な壁紙を7本買い、張り始めた。ところが、4本目のロールを使い切った時点なのに食堂の壁紙作業が終わってしまった。二人は隣人の所へ行き、不機嫌をあらわにしてこう言った。「お宅の助言通りにしたら3本も残ってしまいましたよ!」
隣人は言った。「やっぱり・・・・・・あなたのところでも、そうなっちゃいましたか。」
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笑える話? 笑えない話? どっちだっただろうか。もし笑えない話だったら、その責任は、読者、ぼく、それとも原書の著者? もし笑えたのなら、その手柄は原書の著者、訳したぼく、それとも読者? ジョークを笑うのはむずかしい。ジョークのネタを仕入れて披露するのはさらにむずかしい。一番安全なジョークの伝え方は文字である。笑いが不発のときに後始末を取らなくて済むからだ。
PS: 余計なお世話だが、「何ロール使いましたか?」とは聞いていない。「何ロール買いましたか?」と聞かれたから「7本」と答えたのであった。おっと、ジョークの説明ほど野暮で無粋はない。
直観は有力な方法か
2009年8月 6日 08:00
「直感」と「直観」という表記を使い分けるのはやさしくない。正しく言うと、これは表記の問題ではなく、そもそも意味が違っている(意味が違うから、わざわざ二つの用語がある)。ぼくなりには使い分けているつもりだが、人それぞれ。読み方、聞き方は一様ではない。
ぼくなりの使い分け。「直感」の場合は、「直」を「直(す)ぐに」と解釈する。つまり、「直ぐに感じる」。現象なり兆候を見て、瞬時に感覚的に何かを見つける―これが直感。他方、「直観」は哲学用語でもある。こちらの「直」は「直(じか)に」ととらえる。観察や経験の積み重ねにより、何かの本質を直接的に理解すること―これが直観。直感を「ひらめき」と言い換えてもさしつかえないが、意地悪く「思いつき」と呼ぶこともできる。直観は、ひらめきとも思いつきとも違う(とぼくは考えている)。
もう一つ付け加えると、直感で気づいたことはいくつかの選択肢からポンと飛び出してきたのではなく、それ自体独立したものだ。だから、「なぜ?」と問われると理詰めでは答えられない。「何となく」と返すしかない。「直感ですが、Aはどうですか?」に対して、「他に何かない?」と聞いても、BやCを吟味した上でのAという選択ではないので、聞き返された人も途方に暮れる。
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他方、直観には観察や経験を通じて培われた暗黙知が働く。直観で決めたことには、直観で決めなかったことが対比される。直観にはなにがしかの選択がともなう。複数の選択肢からもっとも本質的なAを取り上げている。直観で選んだAにオンのスイッチが入り、その他の選択肢B、C、D、Eにはスイッチが入らずオフのままなのだ。では、その直観作業ではB、C、D、Eも実際に検討したのか。いや、検討などしていない。暗黙知が機能するので、検討対象から外しておけるのである。
スポーツであれ将棋や囲碁であれ、プロフェッショナルは「ありそうもないこと、おそらくなさそうなこと」をわざわざ思索して排除しなくても、「勝手に」除外できるようになっている。その結果、押し出され式にあることを直観的に選ぶ。その直観によって選択したことが、だいたい理にかなった行動や手になっているものなのだ。
行動パターンや手の内が豊富だからこそ直観が可能になる。本質を洞察するためには、観察や経験の絶対量が欠かせない。もし直観したことに問題があっても、暗黙知には別の選択肢が蓄えられているから、論理的検証をしたり再選択したりすることもできる。プロフェッショナル度とすぐれた直観力はほぼ比例する。ゆえに、直観は単なる一つの方法などではなく、きわめて有力な方法になりえるのである。
企画に言霊が宿るとき
2009年8月 5日 08:20
別に内緒にしていたわけではないが、何を隠そう、昨今リピートの多い研修は「企画」である。主催する側によって名称は変わる。「企画力研修」というストレートなものから、「企画能力向上研修」「企画提案力研修」「企画書作成研修」「政策企画力研修」などバリエーションは豊富である。もともと「スーパー企画発想術」と名付けていた二日間プログラムで、学習の基本軸は「発想>企画>企画書」。つまり、企画書に先立って企画があり、企画に先立って発想があるという考え方。その発想の拠り所は日々の変化への感受性である。
企画とは好ましい変化をつくることであり、その作戦をシナリオ化することと言えるだろう。何から何への変化かと言うと、Before(使用前)からAfter(使用後)への変化である。使用するのは企画という処方箋。つまり、さらに詳しく言えば、企画とは、現状の問題なり不満を解決・解消して、より理想的な状況を生み出す方策なのだ。こんなわかりきった(つもりの)企画という用語をわざわざ辞書で引くことはないだろうが、念のために手元の『新明解』を調べてみた。正直驚いた。「新しい事業・イベントなどを計画すること。また、その事業・イベント。プラン」とある。これはかなり偏見の入った定義である。まるで企画という仕事を広告代理店の代名詞のように扱っているではないか。
企画をしてみようという動機の背景には、まず何を企画するかというテーマへの着眼がある。そして、そのテーマ領域内の、ある具体的な事柄をよく観察していると、何だか問題がありそうだ、と気づく。いや、必ずしもゆゆしき問題でなくてもよい。ちょっとした気掛かりでもいいのだ。もしプラスの変化を起こすことができたら、きっと今よりもよくなるだろう―こうして方策を編み出そうとする。着眼力、観察力、発想力、分析力、情報力、立案力、解決力、構想力、構成力・・・・・・数えあげたらキリがないほど、「〇〇力」の長いリストが連なる。
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こんな多彩な能力の持ち主はスーパーマン? そうかもしれない。一言で片付けられるほど企画力は簡単ではない。だが、つかみどころのなさそうな企画力ではあるが、つまるところ、その最終価値を決めるのは「言語力」を除いて他にはない。コンセプトだの因果関係だのアイデアだのと言ってみても、下手な表現や説明に時間がかかっては企画の中身がさっぱり伝わらないのである。もっと言えば、新しくて効果的な提案がそこにあるのなら、使い古した陳腐なことば遣いに満足してはいけない。「固有であり旬であること」を表現したいのなら、「新しいワインは新しい皮袋に」入れなければならないのだ。
言語力が企画の価値を決定づける。もっと極端な例を挙げれば、タイトルが企画の表現形式をも規定してしまう。話は先週の研修。あるグループが順調に企画を進めていき、企画の終盤に『涼しい夏の過ごし方』というタイトルに辿り着いた。現状分析も悪くなく、「暑い夏→涼しい夏」という変化を可能にする詳細なプログラムをきちんと提示していた。しかし、総じて平凡な印象を受けた。「新しいワインを古い皮袋に」入れてしまったのである。
仮に『灼熱の夏と闘う!』としていればどうだったか。同じ企画内容が、タイトルの強さに見合った表現形式になったのではないか。ハウツーの説明に終わった『涼しい夏の過ごし方』に比べて、『灼熱の・・・・・・』には企画者の意志が込められ、「夏との対決」の様子を実況生中継するような迫力を醸し出せたのではないだろうか。いや、もちろん企画者にはそれぞれの性格があるから、必ずしもそうなるわけではない。だが、その性格要因を差し引いても、命名が企画内容の表現形式にもたらす影響は想像以上に大きい。
ちなみに、「コンテンツ→タイトル」という帰納型よりも「タイトル→コンテンツ」という演繹型のほうが、メリハリのきいたダイナミックな企画になる可能性が大きい。これは、数百ものグループの企画実習の指導・評価経験から導かれた揺るぎない法則である。できたモノや企画に名前を付けるのではない。名前という一種のゴールや概念に向けてモノや企画をデザインする―このほうが言霊が企画に宿りやすいのだ。
リアルとバーチャルの逆転
2009年8月 4日 08:00
駅のコンコースなどにある小さな書店を想像してほしい。規模は小さいが大手書店が出店している。そこでは文庫にしても新書にしてもビジネスパーソンに向けた売れ筋の本と新刊本が平積みになっていたりする。あとは店頭に雑誌類を買い求めやすく並べてあったりする。昨日、そんな書店をいくつか覗く機会があって、気づいたことがある。高度情報化社会などと相変わらず世に喧伝されているにもかかわらず、表題に「情報」ということばを含む本がほとんど見当たらないのである。
大きな書店のITコーナーへと出向けば、おそらく話は別なのだろう。しかし、ノンカテゴリーの一般書のタイトルから、もしかして情報というキーワードがきれいさっぱり消えようとしているのではないかと思えなくもない。もしそうだとしたら、ちょっと待てよ、今月の私塾の大阪講座のテーマは『情報の手法』なのだ。ぼくは情報の読み方・選び方・使い方・結び方をいつも気に止めながら仕事をしているのである。そして、なんだかんだと情報をうまくこなす趣向を凝らしているのである。こんなことは、もはや時代遅れなのではないか。
情報と言えば、「希少」と「貴重」によって修飾される概念に思えるような時代があった。その頃の若き証人でもあったぼく、もしくはぼくの世代には特有の情報観がある? そうかもしれない。それを否定することはできない。今となっては、いちいち情報などということばを振り回さなくても、それはそこらじゅうを飛び交っている。バーチャル空間の情報が、日常茶飯事の情報のやりとりを凌駕してしまっているのは間違いない。いや、すでにWebでの情報がリアルで、ぼくたちがアナログ的に操作している「微量情報」こそがバーチャル化あるいはバーチャル視されているのかもしれない。
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初めてグランドキャニオンに旅した女子大生たちが、実物を見て「わぁ~、絵葉書みたい!」と叫んだという。この話を何かで読んだ二十年程前、すでに絵葉書がリアルで眼前のグランドキャニオンがバーチャルになって逆転してしまっていたのか。かつて間接的に見たものが目の前の実景を支配している? その意識はいったい・・・・・・何がなんだかわからない、まるで映画『マトリックス』のよう。いや、この類比の仕方すらが、適切なのかどうかも判然としなくなってくる。
そう言えば、ぼく自身の中でもリアルとバーチャルの逆転体験が起こることがある。たとえば、世界遺産のテレビ番組で高画質な映像を見る。その遺産をローマのコロッセオだとしよう。ハイビジョン映像は周囲をくまなく舐め、遠近微妙に調整しながら、人間の眼では体感しえない光景をあたかも実像のごとく映し出す。カメラの目線が俯瞰になれば、鳥にはなれないぼくたちの視力・視界・視線を無力化するように、上空からのパノラマが広がる。
そんな映像を何度も何度も視聴して、実際にローマに旅立ってコロッセオに対面する。あのアングルはどうすれば得られるのか。あの一番上の色褪せた外壁はどこから見るのか。ましてや、あの上空からの雄大な競技場跡の全貌はヘリコプターをチャーターしないかぎり拝むことはできない。眼前にしているコロッセオに失望しているのではない。がっかり感などもさらさらない。しかし、自力では見ることができない映像のほうがリアルで、いま自分が体験していることがバーチャルに思えてくる。見えないイデアが真で、実際に見えているものが偽のような・・・・・・プラトンは正しかったのか。
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リアルとバーチャルの逆転現象をある程度認めざるをえない。だが、旅の光景に関するかぎり、ぼくたちに適わないのは「構図体験」だけである。たしかに鳥瞰図には太刀打ちできない。高速で光景の中を走り抜けることも無理である。しかし、どうだろう、テレビで見る映像が絶対にできないことがある。映像は、光景を目の当たりにしている自分をそこに含めることができないのだ。旅に出る。その場所に行く。それは自分自身が光景の一部になることを実感することなのである。リアル体験がバーチャル体験に屈しない唯一の方法―それは、対象に近づくことなのかもしれない。
週刊イタリア紀行No.49 「ローマ(7) 街歩きオムニバス」
2009年8月 2日 09:30
コロッセオにアッピア街道、ジャニコロの丘・・・・・・。ローマ滞在記はまだ数回は続きそう。ここで一息入れて、これまでのローマの「足跡」を未公開の写真で紹介する。橋、丘、広場・・・・・・朝、昼、夜・・・・・・オムニバス風の一日仕立てにして綴ってみた。
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(左)城側から見た、テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋。コピーだがベルニーニの天使像が情緒を添える歩行専用の橋になっている。(右)夕暮れ時のヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世橋。同名の通りがヴァチカンからヴェネチア広場、テルミニ駅へと続く。
(左)ローマ市内にある七つの丘のうち、一番高いクイリナーレの丘から見る街並み。ローマ時代から続く歴史のある住宅地区。(右)スペイン階段のさらに上、トリニタ・デイ・モンティ教会前からコンドッティ通りをスケッチした。この通りは高級ブランド街として有名だが、コンドッティの由来は「水道管」である。
(左)ヴァチカン近くの市場の肉屋。羊肉を買おうとしたら「半身しか売れない」と言われた。さすがにそんなには食べれない。(右)オープンカフェとバール。バールの入口には年配の常連客がたむろして会話を愉しんでいる。
(左)ヴェネチア広場はふだんから交通量が多く、おまけに地下鉄C線の工事中。それでも観光馬車は悠然とゆっくり駆け巡る。(右)ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂そばのカンピドーリオの丘の広場。ミケランジェロが設計した独特の空間だ。俯瞰で見れば白のラインが織り成す紋様が異彩を放つ。
(左) ナポレオンⅠ世広場から臨むポポロ広場とフラミニオ門方面。中央に建つオベリスクは三千年以上前にエジプトで造形されたもの。道標に十分な36.5メートルの高さがある。この広場は、北からローマにやって来る巡礼者の「税関」の役割を果たしていた。
(左)丘の多いローマだから、市内を一望するスポットには事欠かないが、ピンチョの丘からの眺望はなかなかのものである。もっと広角のパノラマなら、ここにポポロ広場も含めることができる。直線距離にして2キロメートル強、ヴァチカンのクーポラが威風堂々と鎮座している。


