堂々巡りする因果関係

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 たしか、翻訳ものだったと思うが、残念ながら出典がわからない。抜き書きしたのは覚えている。七年前のノートをたまたま繰っていたら、その一節が現れた。「無知という未耕の地には、偏見という雑草がはびこる」ということばである。「未耕」という表現に違和感があるが、「未耕の地」を「未耕地」とすればまあいいだろう。「未耕」は"uncultivated"の訳語ではないかと類推する。したがって、「無知という教養のないところに偏見が生まれる」と読み取ることができる。

 土地のあるところに雑草が生えるのだから、因果関係的には《土地(因)→雑草(果)》、つまり《無知→偏見》という流れだ。ところが、「偏見が無知を生む」のような言い回しがないこともない。いったいどっちが妥当な因果関係なのだろうか。いや、問うまでもなく、明らかだ。偏見の強い知識人がいるのだから、偏見が無知につながるとはかぎらない。ここは、無知が偏見の温床になるという、《無知→偏見》説に与(くみ)したい。いや、もう一丁捻って、「無知は偏見など生まない。無知は無知以外の何物をも生まない」と言っておくべきか。

☆ ☆ ☆

 因と果はいつも《因→果》の順になるわけではない。ふつうは一方通行なのだが、表現一つ、見方一つ変えると《果→因》と可逆することがある。「金がないから貧乏である」のか、「貧乏であるから金がない」のか、いずれがもっともらしい因果関係なのか―こう聞かれると、真剣に悩んでしまいそうだが、この二文はどちらも因果関係とは無縁である。「金がない状態」を「貧乏」と呼び、「貧乏」を「金がない」と説明しているにすぎない。「金がない、ゆえに貧乏である」ではなくて、「金がない、すなわち貧乏である」に近いのだ。

 原因と結果が往ったり来たりして循環するのは日常茶飯事である。「儲からないから、仕事に精が出ない」のか、「仕事に精を出さないから、儲からない」のか・・・・・・「客が来ないから、店を閉める」のか、「店が閉まっているから、客が来ない」のか・・・・・・たしかに因と果が可逆的関係にある。しかし、たとえ堂々巡りしていようとも、解決の視点に立てば、因果の真相は定まってくる。「仕事に精を出す→儲かる」、「店を開ける→客が来る」というように、自力可能なほうを因にするしか対策はない。

☆ ☆ ☆

 「君が強引な営業をするから、客が逃げたんだぞ!」

 「すみません。でも、客が逃げようとしたから、強引になったまでです」

 「屁理屈を言うな! 強引だから逃げた? 逃げようとしたから強引になった? 順番なんてどうでもいい。君が強引になり、客が逃げたことだけは事実なんだ」

 「因果関係も見てくださいよ」

 「そんなことは、いつまで議論しても、所詮《ウサギとカメ》の関係だ」

 「課長、お言葉ですが、それも言うなら《ニワトリとタマゴ》の関係じゃないですか」

 「・・・・・・」

 堂々巡りはアタマの悪さによって生じるものである。この種の因果にかかわる会話や議論には必ず滑稽さがともなう。  

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プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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