2010年1月アーカイブ

人それぞれのテーマ

2010年1月31日 10:00

 休みの朝だが、少し調べたいことがあって本を読み、ついでに関連項目をネットで拾っていた。電源オフの直前、知り合いのブログをいくつか覗いた。更新頻度はいろいろあるが、みんな頑張って書いている。ぼくはと言えば、ブログを始めてから今年の6月で丸二年になる。ほとんどの読者はぼくを知っている人たちだと思われる。そんな読者のうち、数人の知人もしくは塾生は驚きを示す。驚きは、「感心する」と「呆れる」の二つの意味を含む。

 感心してくれる人は褒めてくれている。表現はいろいろだが、おおむね「よくもまあ難しいテーマについて週に四日も五日も書けるものですね」に集約される。呆れる人は必ずしも貶しているわけではないのだが、なぜもっと小さな記事にしたり写真を入れたりしてフレンドリーにしないのかという意味を込めて、「よくもまあ難しいテーマについて週に四日も五日も書けるものですね」と評するのである。そう、いずれの人たちもコメントの内容は変わらない。

 ぼくの筆頭読者はぼく自身なのである。まず自分のアタマを整理するために文章化している。文章化の第一義は、あくまでも考えを明快にして筋道を通すためであり(できているかどうかは別問題)、それをメッセージにして第三者に伝えるのはその次の段階だ。「よくもまあ難しいテーマ」と言われるが、難易の感じ方は人それぞれである。また、ぼく自身小さなノートにメモしている事柄を発展させた話が中心なので、自分ではまったく難解なテーマだとは思っていないし、よそ行きにアレンジしているわけでもない。

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 ぼくだって問い返したい、「よくもまあ、自分のことや身の回りのことなど、どこにでもありそうな話を毎日毎日書けるものですね」と。昨日は誰々と飲食し、会社では何々をして、自宅で子どもや犬と遊んで、風呂に入って寝た、明日から旅行だ、楽しいな・・・・・・このような体験と感想の羅列だけなら、ぼくなどもう何も書けなくなってしまう。ほとんど毎日がきわめて日常的な「ケ(褻)」の連続で、非日常的な「ハレ(晴れ)」などめったにないから、たちまちネタ切れを起こしてしまうに違いない。

 辛辣なアイロニーのつもりはない。若い頃何度も日記に挑戦したが、日々の出来事や思いを徒然なるままには書けなかったのだ。明治の文豪たちの筆致、たとえば「檜屋にて山本と飯を食らふ。日高くして酒を一合ばかり煽(あお)る。ほろ酔い気分の儘、外気に触れるや否や小便を催すなり」のような文章が、精細に丹念に筆書きされたのを羨ましく眺めたものである。平凡な日常を観察する習性を持ち合わせてはいるが、そこまで接写的に感想を連ねるのは苦手だった。やむなく、気づいたり考えたり想像したりすることを書くようになったのである。

 作家の阿刀田高も講演で同じようなことをユーモラスに語っていた。正確には再生できないが、「自分はミステリーなどの創作ばかりを手掛けている。創作は大変だろうと同情されるが、そんなことはない。自分からすれば私小説なるものを書く人間のほうがずっと大変だと思う」という話があった。まったく同感なのである。「私」の視点から日々の行いや小さな事件や思いつきを真面目に書き綴ることはぼくにはできない。

 自分のこと、身の回りのことを諄々と書く私小説家には、マンネリズムにびくともしない逞しさを感じてしまう。「朝六時半に起きた。寒い朝だ。トイレに立って小便をする。洗面で髭を剃り顔を洗い髪をセットして着替え、妻とトーストを食べた。昨日はイチゴジャム、今朝は黒ゴマペーストであった」。仮に一度こう書いたら、別のページで二度と同じことを書けない。また、この程度のことを文飾豊かに言い換えようとも思わない。ゆえに、ぼくは体験や知識から触発された考えや意見を主として書く。それならいくらでも書けるからだ。決して偉ぶっているのでもなければ、私の日々を徒然記す作者を馬鹿にしているわけでもない。「テーマは人それぞれだ」と思いなしている次第である。

書きたいこととタイミング

2010年1月29日 15:00

 非売品を別として、ぼくが公に上梓した本は二冊。二冊目を書いてからすでに十数年が経過する。「なぜ本を書かないのか」と聞かれること頻繁であり、「なぜ書けなくなったのか」と失敬な(?)詰問を浴びせられたこと一、二度ではない。本が書けないならブログも書けないはずではないかと反論したいところだが、これは反論になっていない。なぜなら、本を書くこととブログを書くことの間に緊密な連鎖関係があるとは思えないからだ。

 わが国のブログ投稿数は世界一。しかし、本も同時に書いているブロガーはごく一部だろう。また文筆・著作で飯を食っているプロの誰もがブロガーであるわけでもない(あれだけ多忙で自著の多作な茂木健一郎が英文も含めて三、四種類のブログを毎日午前七時台に更新しているのは驚嘆に値する)。それはともかくとして、ぼくは本を書かないと決めたわけでもなく書けなくなったわけでもない。事実、こうして綴っているブログ記事を発想ネタとして原稿を編集したり推敲しているし、まったくブログで公開する意図のない文章もせっせと書いてもいる。書く気は大いにあるし、いつでも書けるようスタンバイしている。ただ、心理や経緯はどうであれ、ここ十数年書いていないというだけの話である。

 この十数年編んできた研修・私塾用テキストの総数は、書籍にすれば優に三十冊に達するだろう。何でも出版すればいいというわけではないが、気に入ったものだけを厳選しても確実に五、六冊にはなる。実を言うと、見えない読者を想定して本を書くよりも、目の前にいる聴き手に語るほうに力を入れてきたまでである。語りと著作は両立するのだが、一方的に語りに傾いたという次第だ。なぜそうなったのか。二冊目の後に書き始め、原稿が半分以上完成した時点でストップした一件がきっかけになっている。

☆ ☆ ☆

 出版社も決まっていた。テーマも仮題ではあるが方向性は明確になっていた。それは、当時世間を騒がせていたカルト宗教や霊感商法や詐欺などで素人を罠に嵌める悪人ども、さらには今で言うパワーハラスメントや業者泣かせの企業や詭弁・屁理屈で弱者を虐げる連中に負けない「強い論理と賢い眼力」にまつわるテーマである。ぼくがディベートを熱心に指導していた頃なので、とある出版社がやって来て、「実践的なディベート技術の本を書きましょう」ということになったのだ。

 手元の原稿には仮題が二案記されている。一つは、『眼力を鍛えるサバイバル・ディベート』(帯の案として「悪徳商法、強引な勧誘、ゴリ押し説得を論破するテクニック」)。もう一つは、『世紀末を生きるディベート武装術』。後者のほうが最終案になったような記憶がある。なにしろ全ページ分の素材がメモ書きしてあるし、章立ても詳細な目次も出揃っていて原稿も半分できているのだ。章だけ紹介すると、第1章「是非を見分けるディベート発想」、第2章「あなたの近くに忍び寄る世紀末症候群」、第3章「悪意や虚偽に負けない看破と論破のテクニック」、第4章「人生の歯車を狂わせない自己危機管理」。

 今なら絶対に用いないと思われる表現が目次の小見出しで踊っている。少々ではなく、だいぶ気恥ずかしい。ともあれ、計画は中止になった。出版側が挫折したからでもなければ、原稿が遅延したからでもない(ぼくは決して遅れない。足りない才能を納期遵守力でカバーするタイプである)。出版社の社長と話をして、「この本は時節柄ちょっとまずいのではないか」ということになったのである。恫喝や脅迫、場合によっては物理的嫌がらせすらありうると考えたのである。さほどその類の恐怖の影に怯えることはないが、結果的に断念することにした。前後して、「正論」を吐いた人たちが悪意ある連中に威嚇された事件が相次いだので、中止は賢明な判断だったのだろう。

 その出版企画の話をしたら、「完成させましょう」と言ってくれた人がいる。もう結構、一度外したタイミングへの未練は禁物である。人はなぜいともたやすく騙され、疑うよりも信じることに走り、誰が見ても胡散臭い人物に傾倒し、ありえないほどうますぎる話に乗っていくのか・・・・・・正直言って、今も関心のあるテーマだし、いつの時代も「旬」であり続けるだろう。しかし、寝食忘れてまで執拗に追いかけてこそテーマが意味を持ち、書くに値し書きたくてたまらないテーマへと昇華する。今はこのブログを書きながら、「よし、これだ!」というテーマとタイミングを狙っている。そして、タイミングがテーマよりも重いことを痛感している。 

巨人の肩に乗っているか?

2010年1月28日 11:45

 「巨人の肩」の話、知っている人なら読売ジャイアンツの豪腕投手の肩でないことはお分かりだろう。これは万有引力でおなじみのアイザック・ニュートンの言だ。「もし私がより遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗ったからである」とニュートンは言った。巨人の肩とは、人類が引き継いできた知の集積の比喩である。

 人はこの世界に手ぶらで生まれてくるが、まったくのゼロ状態ではない。すでに遺伝子の中に数百万年前の人類とは異なる、「進化した可能性」を秘めている。他の動物と大きく隔たる潜在能力を発揮できるかどうかは別問題としても、何がしかの踏み台を保有していることは間違いない。やがて、学習と経験を通じて知識を蓄え世界を少しずつ広げていく。具体的に言えば、学校にはカリキュラムという踏み台があり、図書館や書店には書物という踏み台がある。こうした踏み台は時代を追うごとに性能がよくなり高くなっていく。

 この踏み台が巨人の肩なのである。ぼくたちは地面に立って世の中を見渡す必要はなく、先人たちの知をうまく活用して一気に高いところから展望する機会に恵まれている。江戸時代の寺小屋で学ぶ子どもたちも誰かの肩に乗っただろうが、肩の高さがだいぶ違う。いつの時代も、後世は前時代までの叡智を活用できる。しかも、巨人はどんどん大きくなり数も増えていくから、理屈の上では人類はより遠くより広く世界を眺望できるようになっていくはずだ。

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 だが、話はそう簡単ではない。たとえば物理学の世界。なるほど相対性原理は人類史上最大級の巨人だから、その肩に乗れるアインシュタイン以後の物理学者の望遠力は、アインシュタイン以前の先輩を圧倒しているだろう。けれども、これら先輩たちは別の巨人の肩に乗っていたわけで、自分たちよりも後にさらに大きな巨人が現れることを想像することはできなかった。つまり、残念がりようがなかった。素人考えでは、アインシュタイン以前と以後で学徒の研究労力は天と地ほどの差があるように思える。

 言語学ではソシュール、哲学ではデカルトなどのように、歴史の節目となる巨人があらゆる分野で出現した。発明なら、火薬、羅針盤、活版印刷、蒸気機関、自動車、コンピュータ・・・・・・。そのたびにより大きな巨人の肩へと乗り移ってきたわけだが、そのように乗り移って際立った望遠力と視界を手に入れたのは、一握りの人々に過ぎないのではないだろうか。たとえば、書物を読まず文書も残さず、ただひたすら論争だけに明け暮れたソクラテスの肩をぼくたちはうまく乗りこなせていると言い切れるか。

 いや、逆に、巨人の肩に乗ることによって知の重要な何かを落としてしまっているフシがある。人類全体に関してはニュートンの言う通りかもしれないが、個としての人間の能力はここ一万年、確実に高まったと言いうるかと問えば、ぼくは少し怪しい気がしている。すぐれた巨人の肩に乗れる後世の人々がつねに優勢であることを示す証拠は乏しい。ソクラテスばかりで恐縮だが、文字を通さずに誰が何を語ったかを逐一記憶して議論するなど、想像を絶する知力ではなかったか。

 巨人がいても、肩に上らねばしかたがない。仮に肩に乗っても見渡さなければ意味がない。巨人の肩はいくらでもあるし、いつでも乗せてくれるのだが、乗ろうとしない時代のようである。現在、月平均読書量が一冊以下の人々が過半数を占めるらしい。本一冊読むのに重い腰を上げねばならないのだ。巨人の肩に乗って遠くを見晴らす以前に、現代人はまず肩に乗ることから始めなければならないようである。 

正解は創り出すもの

2010年1月27日 14:30

 悩ましいテーマを取り上げる。時代も市場もいっこうに晴れ間を見せず、みんな迷っている、みんな困っている。講師仲間は言う、「講演も研修も半減した」と。ぼく自身もそうだ。減りこそすれ、増えてはいない。東京のメーカー系中小企業の社長が語っていた、「昨年は一昨年より20パーセントダウン、今年は昨年の20パーセントダウンだ」と。つまり、この下降ぶりでは、三年で売上が半減することになる。ゆゆしき死活問題である。環境を変える力のない個人は、己の身の処し方によって生き延びるしかない。動物界ではそれが常である。

 「ピンチはチャンスなんだ」という自己暗示も「ピンチをチャンスに変えよ!」という叱咤激励も、なんだか気休めのように聞こえてくる。気だけ急いても精神力を逞しくしても、人には自力(=地力)というものがある。火事場の何とか力が発揮されることはあるだろうが、いかにも心細い可能性に賭けるわけにもいくまい。つまり、できることとできないことの分別なくしては、どんなに何かを信じてもどんなに気合を入れても限界があるのだ。

 講師業の先輩にA先生がいる。この人のポリシーは単純明快で、古典的な「入りを量りて出ずるを制す」を実践している。収入であれ資源であれ、持ち分の範囲で生活設計を立てることだ。単なるケチではない。身の程を知って、分相応に自力を発揮するような意味である。ただ、この先生は少々極端で、「出ずる」要因すら徹底的に排除する。行き着くところは自給自足になってしまうだろう。実際、都会から田舎に転じてそれに近い生活をしておられると聞く。入りを量ることはするけれども、入りを促す策すらいっさい講じない主義である。

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 塾生のTさんが、「今年はアグレッシブ」を宣言し、最近のブログでは「攻撃は最大の防御」をうたっていた。同じく塾生のMさんは「景気の悪い年は、遠慮をするな、金を使え」と書いていた。これまでやらなかったことをするのだから多少の勇気はいる、宣伝広告や接待、研究開発に投資しておけば、景気回復さえすれば生きてくるという論拠だ。二人ともぼくよりも経営に精通した経営トップである。だから、単純に「ピンチはチャンス」と考えたうえでの主張などではない。賢明だから「ピンチはピンチ」という腹積もりもあるだろう。

 どんな事態を前にしても、リーダーの進む道には、自分で事態を解釈して決断を下す以外の選択肢はない。正解があってそれを探しに行ったり誰かに教わるのではなく、正解を自ら創り出すのがリーダーの本分である。うまくいくかどうかはわからない。だから企業経営にはプロフィット(益)もあればロス(損)もあるのだ。ただ、ぼくは思うのである、攻めるか守るかの二者択一などではないと。Tさんには、アグレッシブ(攻撃的)でもなくディフェンシブ(防御的)でもない、プログレッシブ(進歩的)という道があると伝えた。守りながら攻めの手を睨む、着実な一歩一歩という方法だ。Mさんには、攻めの広告でもなく守りの無広告でもなく、累積的な広報(パブリックリレーションズ)があると伝えたい。

 攻めるか守るかという決断は、一対一という戦いでの話なのだ。そこにはすでに地力の力関係がある。守勢に立った弱者には勝ち目はなく、逆転の目があるとすれば強者がミスをする場合に限る。ところが、ぼくたちが現在置かれている市場環境は決してマッチプレーなのではない。それどころか、誰かと戦っているわけでもない。不確実な市場環境にいる顧客との関係づくりをどうしていくかというテーマなのである。

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 一対一の関係はもとより、ありとあらゆる状況に対処する正解創造の法則は、おそらくジタバタもせずグズグズもせず、腹を据えて自力をきっちりと用いることなのだろう。二十代半ばの頃、このことをぼくは勝海舟の『氷川清話』の一節から学んだ。

 「一たび勝たんとするに急なる、忽(たちま)ち頭熱し胸踊り、措置かへつて顚倒(てんとう)し、進退度を失するの患(うれい)を免れることは出来ない。もし或は遁(のが)れて防禦の地位に立たんと欲す、忽ち退縮の気を生じ来たりて相手に乗ぜられる。事、大小となくこの規則に支配せらるのだ。」

 平易に解釈してみよう。一丁やってやろうと気張ってアグレッシブになると冷静さを失い、やること成すことが裏目に出てしまい、にっちもさっちもいかなくなる危険に陥る。かと言って、綱渡りは御免とばかりに守り一辺倒になると、今度は意気がしぼんでしまって、相手(もしくは環境)のペースに嵌まってしまう。世の中はだいたいこんなふうになっている。

 攻めか守りかではなく、攻めと守りの両方を臨機応変に行ったり来たり、時には併用する策こそが正解なのだろう。そして、表現を変えて繰り返すならば、その正解を創り出すのは、強がりな可能思考なのではなく、不可能をあらかじめ潔く認めておく「沈着冷静な可逆思考」なのだろう。

今日と明日のつながり

2010年1月26日 10:15

 寝て目が覚めたら朝がくる。今日があって、昨日が過ぎて、おそらくまた明日がくる。こんなふうに日々が巡り、平均すると三万回前後繰り返すと、やがて朝のこないその日を迎える。大人なら誰もが重々承知しているはずの命の生滅の摂理。しかし、そのことを日々自覚して「今日この日」を憂いなきようしっかりと生きることは、頭で理解しているほどたやすくない。

 「今日すべきこと、今日できることを明日に延ばすな」とよく教えられたものである。共感するに値する律儀な人生訓だが、根っからの怠け者やグズにとってはハードルが高い。おそらくこうした連中が「明日があるさ」と楽観的に今日から逃避し、分別ある良識人がわけの分かったような顔をして「あくせくしなくていいじゃないか」とグズを励ますことになる。♪Que será  será (ケセラセラ)と歌おうが歌うまいが、「なるようになるもの」は勝手にそうなるし、「なるようにならないもの」はどうあがいてもどうにもならない。

 のんびりとスローライフで日々を過ごせれば本望だ。だが、ぼくたちは社会の中で複雑に編み込まれた共生関係を生きている。そこには必然ルールが存在する。大半のルールは怠け者やグズを戒めるように作られているから、今日できることを今日済ませるほうが望ましく、今日できることをやみくもに明日に先送りすることを歓迎しない。そして、ぼくの観察であり経験からくる法則だが、今日できることを今日パスして、明日に何とかしようと目論む者ほどスローライフから程遠い日々を送っている。どちらかと言えば、自力を用いて潔く決断し、明日に仕事を持ち越さない心構えが余裕を生む。

☆ ☆ ☆

 うつ病の人たちへの処方を元気な人間が都合よく利用する。「頑張らなくていいんだ、明日でいいじゃないか」―ぼくも自律神経が失調気味になった四十代半ばから五十前後にかけては、時折りそのように心身を緩めるようにした。だが、過度の頑張りもよくないが、都合の良すぎる弛緩も都合が悪い。そういう体験から、「きついリハーサル、楽々本番」をモットーにしてきた。人前では頑張らずに余裕綽々、しかし一人になれば緊張感を漲らせて仕事に励み大いに勉強する。

 いずれにしても、何事も程々がいいのだろう。ぼくの知り合いに涙腺の甘い感動人間が何人かいるが、束の間の感動ぶりは見事である。ところが、今日の大いなる感動はなかなか明日に続かない。次の日には余燼すら消えうせて、昨日はまるで何事もなかったかのようにけろりとしている。今日を明日につなげることはままならない。ぼくたちは油断すると点を生きることに偏し、昨日を今日に、今日を明日にとうまく線的に生きることに不器用である。

 今日なくして明日がないのは否定できない。「今日がダメなら明日があるさ」は慰めで、今日がダメならだいたい明日もダメだろう・・・・・・と、昨夜こんなことに考えを巡らしていて、次のようなアフォリズムを作ってみた。

 一手間かけない怠け者。

 一日の面倒を惜しんで三日を無駄にする。

 怠け者は変化しないことによって怠け者であり続け、知恵ある者は変化し続けることによって知恵者であり続ける。

「してはいけない」という方法

2010年1月22日 12:30

 幼児教育に詳しいわけではないが、「~したらダメ!」と躾けるよりも「~しようね」と煽(おだ)てるほうがよさそうに思える。ぼく自身は当事者として一顧だにしなかったが、他所の親を見ていると、明けても暮れても禁止文ばかり使っていると子どもが萎縮してしまうのではないか、などと感じたものである。躾けの効果についてはムチとアメは拮抗すると察するが、「廊下で走ってはいけません」や「そんなふうに食べてはいけません」などの否定表現に対して、窘(たしな)められたほうが微笑み返すことはむずかしい。つまり、空気が翳る。

 ところが、道徳規範にまつわる何ヵ条かの教えなどが未だに功を奏していないのを見ると、呼びかけを「何々しよう」とポジティブにするくらいでは人は決して変わらないのだろう。「お客さまに笑顔で接しよう」「大きな声で挨拶しよう」「感謝の気持で日々を過ごそう」など、今さら成人にオルグしてもしかたがないではないか。いや、言わぬよりはましだとしても、陰気な表情でぶつくさ喋ってきた大人に効き目をもたらすとは到底思えない。墨で直筆した《食事の五観文》を自宅の台所に貼ってあるが、あの種の偈文(げぶん)は、だいたいが気休めにすぎない(もちろん、気休めも何がしかの功ではある)。

 昨日、一昨日と二日連続で「愚かなこと」について書いてみると、愚者には「してはいけない」という禁止もやむをえないという気になってきた。別に性悪説に乗り換えるつもりはないが、差し障りのない道徳的教訓の香りを充満させるよりも、少々皮相的に "Don't" を突きつけるほうが身に沁みるかもしれない。他人はともかく、まずは己に「してはいけない」を自覚させる。テオプラストス(アリストテレスの愛弟子)は古代ギリシアの人々を三十もの辛辣な形容詞で揶揄しているが、こういうタッチのほうがぼくなどは大いに反省を促される。

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 博愛・慈善・孝行などを呼びかける何ヵ条かの徳目はたしかにポジティブである。しかし、あれもこれもそれもと箇条書きが増えるにしたがい、一つひとつの教えの可動力が弱まるのではないか。論理学でもそうだが、「かつ(AND)」で概念を結んでいくと矛盾発生の可能性が高まるのだ。第一に、第二に、第三に・・・・・・と励行すべきことを並列に置くと、ドサクサにまぎれて個々の教えを蔑(ないがし)ろにしてしまう危険がある。いろんなことを前向きにやろうと言うワンパターンだけではなく、もっとも悪しきことのみを戒めて一意専心の思いで正す方法が再考されてよい。

 よき資質があるのに、悪しき一つの習慣や性向が資質の開花を妨げる。多才であってもグズは才を潰す。大人物も保身過剰によって小さな俗物と化す。ぼくは事業にあっては、かたくなに長所強化の立場を貫くが、人間においてはまず悪しき欠点を退治すべきだと思う。一芸に秀でていれば、どんな奇人変人でも許されるというのは特殊な業界の話であって、日常生活や仕事ではとりあえず足を引っ張っている愚劣を「してはいけない」と心得るべきだろう。

 ちなみに、論理的に書こうと思えば、否定文が増えてくるものだ。「あれかこれか」の岐路でどちらかを消し去らなければ、限定的領域内で論理的展開ができないからである。「あれもこれも」と足し算して書き連ねていくと、いったい何を言いたいのかわからなくなる。つまり、どんどん概念が拡散していくのである。したがって、意見を明快に述べようとすれば、要所要所で無意識的に否定文を用いることになる。Aではなく、またBでもなくというふうに積荷を下ろしていき、結局残るのはCという具合に。自分が書いたり話したりしているのを振り返ってみると、「してはいけない」という方法が目立ってきたと気づく。

"インコンビニエンス"を生きる

2010年1月21日 12:30

 昨日使った「愚者と知者」の対義語関係もしくは二項対立に違和感が残ったかもしれない。ふつう愚者とくれば「賢者」である。ところが、この賢者、人生の摂理や宇宙の哲理を悟りきった隠遁的存在を漂わせてしまう。愚かな者という表現を素朴で軽い気持で使っているから、賢者よりもうんと身近な知者にした次第だ。バカに対して「賢くて知恵のある人」という意味合いである。

 本題に入る。愚者と知者を分かつ一線、それは知識・学問でもなければ度量でもない。知識豊富かつ学問に秀でている愚者がありうる。また、度量という懐の深さや大らかさが知者を確約するわけでもない。人は、便利から過剰に受益し安住することによって愚者となり、不便と戦いながら何とか工夫をしようとして知者となるのである。したがって、一人ひとりが、時と場合によって、バカになったり賢くなったりする。

 コンビニエンスを指向すればするほど、ぼくたちは愚かさを増す。この反対に、インコンビニエンス(不便・不都合・不自由)を受容して改善したりマネジメントすることによってぼくたちは知恵を発揮する。コンビニエンスに胡坐をかくよりも、インコンビニエンスと共生するほうが賢くなるという理(ことわり)である。だが、注意せねばならないのは、インコンビニエンスをコンビニエンスへと変えようとする知は、コンビニエンスの恩恵に浴しようとする魂胆に支えられている。すなわち、知者は愚者へと向かうべく運命づけられているのだ。便利から不便へとシフトする人間がめったにいないのは、愚者から知者への変容がたやすくないことを示している。

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 ホモ・サピエンスの考古学的歴史を辿れば、不便や欠如が知恵を育んだことは明らかである。困惑が工夫を生む。粗っぽい事例で恐縮だが、獣に襲われたり食糧が腐敗する不都合が「火」を生み、草食動物を巧みに狩猟できないから「犬」を訓練して猟犬とし、農作によって貯えた小麦や米がネズミに食われるので「猫」を飼い始めた。もちろん、諸説いろいろあるが、あることがうまくいけば別のまずいことが発生し、そのつどアタマをうんと使ったに違いない。環境の変化がつらい、だから適応しようとして進化する。つまり、インコンビニエンスが人類を知者へと導いた。

 同時に、知恵を絞り苦労して手に入れたコンビニエンスも増大してくる。もちろんさらなるコンビニエンスのために知力が増進することもあるが、不便な環境に汲々として捻り出す知力には及ばないだろう。言うまでもなく、不便だから便利にしようというのは後付けの話である。決して初めに不便ありきではない。たとえば、電話のない時代、不便はなかった。電話に関して不便を感じたのは、町内のどこかの家が電話を設置して隣近所の取り次ぎをしてくれるようになったからだ。取り次ぎするのも面倒、取り次がれる方も気を遣う。というわけで、日本電信電話公社にこぞって加入するようになり、時代が便利になった。

 公衆電話や自宅の電話は十分に通信を便利にしてくれた。携帯電話がない時代、不便はなかった。しかし、どこかの誰かが携帯を発明してコンビニエンスをもたらした。するとどうだろう、電池が切れた、携帯を自宅に置いてきたなど、携帯が使えない状況になったとたんに不便が発生してしまう。携帯に慣れ親しんだ人間は立ち往生し、愚者であることを露呈する。携帯のなかった時代、ぼくたちは緻密なことばを交わして時間と場所の約束を取り決めた。携帯を手にした今、「10時に京都駅。着いたら携帯に電話ちょうだい」でおしまい。言語の知だけを見ても衰えているのは明らかだ。

 賢くなりたければ、コンビニエンスに依存しないことである。時々意識的にインコンビニエンスを生きてみる。すぐに答えを見ないで、難問を解こうと試みて知を使う。絵文字でメールを送らずに、じかに会って思いを伝えてみる。コンビニエンスへとひた走る現代、愚は知よりも強し。ゆえに、ゆめゆめ油断することなく、知を以て愚を制しなければならない。インコンビニエンスを生きることが、一つの有力な方法である。 

知者と愚者―どちらが生き残る?

2010年1月20日 11:45

 今年最初の会読会を来週金曜日に主宰する。年末から昨日までいろんなジャンルにわたって十数冊ほど「軽読」していて、何を書評すべきか迷っている。ちなみに軽読とは、文字通り軽くざっと読むこと(その後、これぞという本をしっかりと再読する)。今年も雑多に読むつもりではあるが、大きなテーマとして「人、人間、人類」を見据えていて、そこから派生する「力、技、術、法」なども絡めていきたいと思っている。

 昨年最後の会読会では「宇宙と地球」の本を取り上げた。このテーマを継承するなら、「人類700万年の歴史」を拾える。もちろん「ことばと芸術」も範疇に入る。「日本人がどこから来たか」も興味をそそる主題だし、うんと時代を駆け下りてきて幕末、あるいは流行の「龍馬」を語るのもよい。タイトルに惹かれて古本屋で買った『かたり』(坂部恵)は、「う~ん、難解」と反応されるかもしれないが、知を刺激するだろうし新しい発見も多いはずだ。

 この他に、イタリア人ジャーナリストの手になる「バカ」をテーマにした一冊の文庫本がある。書き出しが動物行動学者のコンラート・ローレンツとの出会い。本章に入ると、オーストリアの「ある学者」との往復書簡的論争が繰り広げられ、人類の進化を「知性 vs バカ」の対立で描き出してみる。イタリア語の原題は『愚者礼讃』。どうやらエラスムスの『痴愚神礼讃』の書名を捩(もじ)っているようだ。アイロニーであり、逆説的に読まねばならないのは言うまでもないが、真に受けたくなる説も多々ある。この本を取り上げるかどうかはまだ決めていないが、愚者と知恵に関して再考する機会を得ることはできた。

☆ ☆ ☆

 愚か者やバカということばの何と強いこと。知恵者などひとたまりもない。ところで、先祖であるホモ・サピエンスの出現以来とても賢くなってきたように思える一方で、ぼくたちはサピエンス(知恵・賢さ)とはほど遠い愚かな行動を繰り返したりする。家庭と暮らし、組織と仕事、社会と文明などによく目を凝らしてみれば、知の進化と同時に、知の退化や劣化という現象をも認めざるをえない。大木がある高さ以上に成長しないように、知性にも成長の限界があって、もしかすると進化が止まって劣化へと向かっているのかもしれない。

 ITどころか、紙と筆記具と本を手に入れるのさえ困難な時代に、先人たちはさまざまな命題に挑んだ。彼らの知の足跡を辿ってみると、ここ数百年、いや二千数百年にわたって思考力が飛躍的に高まってきたと証明する勇気が湧いてこない。たしかに現代に近い人々ほど知識は豊富だし、おびただしい難題を解決してきただろう。しかし、解決策には新たな弊害も含まれ、問題は山積するばかりである。

 周囲だけでなく、広く社会を見渡してみると、知者もいれば愚者もいる。知者が先導してすぐれたチームを形成していることもあれば、他方、こんな愚か者が大勢の知者を率いていていいのだろうかと泣きたくなる組織も存在している。時代はやや愚者有利に差し掛かったとぼくは見ている。集団化は便利と効率を追求する一方で高度な知を必要としないから、人材はみんな均(なら)されてしまう。当然没個性が当たり前になるので、みんな普通になってしまう。集団的普通は、いくら頑張っても歴史上の一人の天才には適わないだろう。知者の敵は集団なのだ。知を生かしたければ、少数精鋭しかない。いや、そもそも精鋭は小集団でしか成り立たないのである。《続く》

「どうぞ戦ってください」

2010年1月19日 14:00

 年明けの一月中旬にして、本年度流行語大賞の有力候補に躍り出た。「どうぞ戦ってください」は、「信じているということは、幹事長続投ということでよろしいか?」という記者の質問への答えの一部だ。正確に引用すると、「幹事長、辞めるつもりはないと、そのように申していますから、私も小沢幹事長を信じています。どうぞ戦ってくださいと、そう申し上げています」と首相は言ったのである。

 下野した党は、検察への戦闘宣言だとざわめいているが、首相の言から「民主党が党を挙げて検察と戦う」などというニュアンスはぼくには伝わってこない。感じるのはむしろ、われ関せずの冷ややかさであって、「小沢さん、孤軍奮闘してください。陰ながら見守っていますから」と聞こえてくる。応援するとも言っていない。党の問題ではなく、どこまで行ってもあなたの問題ですよ、というのが本意ではないか。

 結局、どこの党の誰がこの国のリーダーになっても、起こる問題も解決への姿勢もコメントも、予想される収束も同じなのだろう。言い逃れ、責任のとり方、常套句など、政権が変わるたびに毎度同じものを見聞きする。先日テレビ番組で、鳩山由紀夫から歴代総理を遡っていくクイズがあった。麻生太郎、福田康夫、安倍晋三、小泉純一郎、森喜朗、小渕恵三、橋本龍太郎、村山富市、羽田孜、細川護熙、宮澤喜一、海部俊樹、宇野宗佑、竹下登、中曾根康弘、鈴木善幸、大平正芳、福田赳夫・・・・・・。際限はあるが、まだまだ続くのでここでやめるが、これだけ日替わり定食みたいに変わっていたら、変化こそ不変のような法則を感じ取ってしまう。

☆ ☆ ☆

 福田赳夫が67代で42人目の首相。就任が1976年だ。以来、鳩山氏まで19人の総理大臣が名を連ねる。福田氏と同時期の1976年、英国ではジェームズ・キャラハンが首相だった。次いでマーガレット・サッチャー、ジョン・メージャー、トニー・ブレアと続き、現在はゴードン・ブラウンだ。わずか5人である。わが国では首相になるべき人材が豊富だったのか、それとも英国の4倍分ほど希釈する程度のポジションだったのか。間違いなく言えることは、「1976年まで首相を遡って答えよ」というクイズやテストは英国では出題されないだろう。

 米国大統領を同時期まで遡ってみた。バラク・オバマ、ジョージ・W・ブッシュ、ビル・クリントン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ロナルド・レーガン、ジミー・カーター(1977年1月就任)の以上6名。こちらもテスト問題になりにくい。ちなみにわが国の初代首相伊藤博文から数えて鳩山由紀夫は60人目で、第93代内閣総理大臣である。この間、124年。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンから220年、現在のオバマは44代目だ。一国のリーダーがわが国ほど安売りされている国も珍しい。

 「官僚主導から政治主導へ」と言ってみたところで、在任期間が短ければ職務に精通している暇はないだろう。首相でこれだから他の大臣ならなおさらである。ぼくの知る大企業では、同一職場での在職期間の長い派遣社員のほうが正社員よりも仕事をよく知っている。これとよく似た状況だ。皮肉ったり苦笑している場合でないのかもしれない。ここ最近の歴代首相の「お坊ちゃまぶり」には呆れ返るばかりである。ことばに力と心がこもっていないのは言うに及ばず、なにかにつけて態度が他人事なのである。困ったものだ。 

フンデルトヴァッサー・ハウスの遊び心

2010年1月17日 18:00

 昨日アサヒビールの大山崎山荘美術館に行った。大正時代から昭和初期にかけて建てられた英国風の洋館。地中に展示室がある新館は安藤忠雄の設計で、そこに睡蓮を含むクロード・モネの5作品が展示されている。年季の入った本館は見所が多々あって興味深い。帰路に立ち寄った古書店で『見える家と見えない家』という本を見つけた。著者の一人が先般亡くなった動物行動学の日高敏隆だ。この人の本は3冊ほど読んでいる。買って帰った。

 長年住み慣れた郊外のマンションを売却し、現在ぼくは交通至便な大阪都心の一室に仮住まいしている。腰を据える住居を探さねばならない身ではあるが、だいたいが暮らしに贅を求めない性分なので、寝食さえできれば十分という住宅観しか持ち合わせていない。ところが、古い建築や他人が住んでいる住居には目を配る。実際に生活してみたいとまでは思わないが、見ているだけで何がしかの主題を訴えてくる佇まいにすこぶる強い関心を抱く。その最たる存在は、ウィーン都心のフンデルトヴァッサー・ハウス(Hundertwasserhaus)だろう。

 ハウスはフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928 - 2000)の手になる公共住宅だ。彼はもともと画家であり、やがて建築家となった。その建築思想や住宅ビジョンを哲学的と称する評論家もいる。フンデルトヴァッサーはハウスの設計を1977年に受託したものの、その設計そのものや建築理論を巡って意見や批判が噴出し、建築施工に着手するまでに6年も要してしまった。自然との共生をテーマにした住宅は、ついに1986年に完成した。いろいろあったが、ハウスの人気は入居倍率の高さによって市民が証明することとなった。

 シティ・エア・ターミナルであるウィーン・ミッテ駅から東へ徒歩10分のエリアに立地している。すぐそばにドナウ運河、その外にドナウ川、新ドナウ川、旧ドナウ川が流れている(ドナウと呼ばれる川がこんなにあることをウィーンに行って初めて知った)。余談になるが、この場所から北西に直線で4キロメートルのシュピッテラウに、フンデルトヴァッサーが手掛けたゴミ焼却場(1991年)がある。これを先行範例として建設したのが、舞洲の大阪市環境局のゴミ処理工場(2001年)である。

 フンデルトヴァッサー・ハウスは類い稀な公共住宅だ。難しい多色を使って遊びながら、植物と住宅を合体させている外観はどこから見ても斬新な現代作品である。にもかかわらず、どんなきっかけかは覚えていないが、恥ずかしいことにぼくはハウスが19世紀の終わりか20世紀初頭の建築だと思い込んでいた。そして、後日1980年代の建築と知って少なからず驚いた。完全な認識間違いであるが、錯誤ついでに居直るならば、フンデルトヴァッサー・ハウスは19世紀末に建つこともできたと今でも思っている。カラフルでリズミカルで遊び心をモチーフにした住宅の出現が遅すぎただけの話である。

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「食域」というアイデンティティ

2010年1月15日 13:30

 二日続けてアイデンティティの話。仕事にもスポーツにもそれぞれに「それらしい本分」が備わっていてほしいと願う。同様に、民族や風土が育んできた食性がやみくもに損なわれるのを目撃するのは忍びない。自然の摂理でそうなるのならまだしも、珍しいレシピや度を過ぎた折衷を求めるあまり、己の食性を乱すことはないだろう。

 食性ということばは生存のための本能的行動に密着しているようだ。そこで、生命とは無縁の欲望のほうに少し近づいて「食域」という造語を用いることにしたい。ざくっと食やレシピのレパートリーと想像してもらえればいい。言うまでもなく、食は饗する側と饗される側の協働によって成り立っている。料理するだけで食の儀は終わらず、料理なくして饗宴が始まることはない。長い食文化の歴史を通じて、人類は実にさまざまな食材を組み合わせて料理を完成させ口にしてきた。いつの時代も食域は前時代よりも広がる。この国の食域の広さは間違いなく世界一を誇っている。

 「この料理なら許せるが、あれはダメ」というのが人それぞれの食域になる。以前、鰻の薀蓄家であるTさんのことを紹介したが、各地で鰻を食べてきた彼でさえ、うな重に振りかけるのは山椒のはずで、決して黒胡椒をかけることはあるまい。あるいは、タレがデミグラスソースのうな丼を食したことはないはずだ。つまり、世間の共通認識として、黒胡椒やデミグラスソースを使ったら、それはもはやうな重やうな丼ではないという「食域のアイデンティティ」があるということだ。

☆ ☆ ☆

 そのTさんにはもう一つの顔があって、ソフトクリーム大好きおじさんなのである。どこに行っても、抜け目なくソフトクリームを見つけては楽しむらしい。彼のブログではこれまでに醍醐桜、伊予柑、山ぶどう、バラ、メロン、白桃、ほうじ茶、柿、マスカット、いちじくなどのソフトクリームが紹介されてきた。驚くばかりである。ぼくなどは本場イタリアで食べるジェラートもバニラか濃厚ミルクのいずれかだ。どんなにメニューが揃っていても、ぼくの食域にはバニラかミルク以外のものは入ってこない。こう言い切るのは、好奇心旺盛にしていろんな種類を食べてきたからこそである。その結果、ソフトクリームにおけるいかなる新種もバニラやミルクを越えないことを知った。

 Tさんの最近のブログには次のように書かれている。「メニューを見ると『昔ながらのソフトクリーム』とある。ソフトクリーム好きの私としては即追加注文。しっかりした柔かさで、味も濃厚。去年はいろいろ変わりソフトを食べてきたが、やっぱりソフトクリームの原点はこの味」。ほら、やっぱり。ソフトクリームもジェラートも原点はバニラ味かミルク味なのだ。

 フィレステーキや伊勢海老を丸ごと一匹乗せたお好み焼きはお好み焼きではない。別々に食べるほうが旨いのに決まっているからであり、どんなにひいき目に見ても折衷効果に乏しい。フォアグラやトリュフの寿司も、寿司のアイデンティティに反して食域を欲張ってしまっている。ぼくの中ではタラコパスタはぎりぎりオーケーだ。見た目はともかく、味としてはアンチョビに似通っているからである。但し、箸でスパゲティを食べるのは食域侵犯であり、パスタのアイデンティティが崩れてしまっている。

 かつてフレンチもイタリアンも箸でいいではないかと思った時期もある。ところが、小鍋にキノコといっしょに煮込んだ牛のほほ肉をパリで食べ、濃厚なミートソースでからめた手打ちの平麺をボローニャで食べたとき、フォークやスプーンなどの西洋食器が旬の料理と不可分の関係にあることを思い知った。以来、箸を置いてある物分かりのいいフレンチやイタリアンの店を敬遠する。そのような店の料理は洋風仕立ての和風創作料理(または和風仕立ての洋風創作料理)と呼ぶべきである。いや、たいてい創作料理ではなく「盗作料理」になっている。レシピの多様化や新作への挑戦は大いに結構だが、堂々としたアイデンティティの強い原点料理を忘れないでほしいものだ。 

アイデンティティという本分領域

2010年1月14日 11:00

 インターネットとメールの時間は最大で一日2時間と決めている。これは最大値なので、そんな日は月にほんのわずか。ブログを書くのに半時間以内、お気に入りに10件ほど入っている著名人・塾生・知人のブログに目を通したり気になる情報をチェックするのも半時間以内。PCにはずっと電源は入っていることが多いが、インターネットとメールで1時間を超えることはまずない。なにゆえにこのような自制について書いたかというと、仕事の本分が、ともすればPC的な作業に侵犯されているのではないかと危惧するからである。

 ぼくは代表取締役という立場にあるが、企業経営者であることを本分だと考えたことはない。創業以来、ぼくの本分は「企画者」であり続けている(青二才的に言えば、「世のため人のための企画者」)。最近では「アイディエーター(アイデア創成人)」と自称して、知・技・生・業・術などに関する新旧さまざまなテーマについて新しい切り口を見つけ出し、発想し編集し著し提示し語ることを仕事にしている。マーケッターとかコンサルタントとかレクチャラーなどとも呼ばれるが、これらの肩書きはアイディエーターの下位概念にすぎない。つまり、ぼくの仕事におけるアイデンティティ(自分らしさ、自己が自己である証明)は「アイディエーション(アイデア創成)」にあると自覚している。

 そのように強く自覚していても、PCによる作業はそれ自体があたかも本分であるかのような顔を見せる。IT技術者でないぼくにとって、キーボードを叩き、キーワードを検索し、メールのやりとりをするのは仕事の本分にとって手段にすぎない。その手段に一日の半分を食われるようであってはならない。すべての仕事が前段で掲げたアイデンティティに接合している自信はない。しかし、自分らしさから大きくかけ離れた仕事とアイデンティティ確立の仕事の間に、ストイックな「節度線」なるものを引いておくべきだと少々肩肘を張っている。

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 アイデンティティには「自己同一性」などの訳もあるが、人間ばかりに使うことばではない。たとえば、野球とソフトボールは瓜二つだが、厳密にはそれぞれに「らしさ」があって微妙に"DNA"が違う。延長になるとソフトボールではノーアウト2塁の状況を設定する。いわゆる「タイブレーク」だが、この方式を北京五輪で野球に用いたのは記憶に新しい。あのような制度を野球で使うのは、小さなルール改正の一つであって野球の本分を汚すものではないと言い切れるのだろうか。

 妥協なき質実剛健と思われるかもしれないが、ぼくは野球の本分に「引き分けなし」と「決着がつくまで戦い続ける」があると考えている。日本のプロ野球の引き分け制度は、野球のおもしろさを半減させ本分を歪めているのではないか。延長12回で決着がつかなければ引き分けとするのが現状だ。すると、同点で12回裏開始時点においては「先攻に勝ちがなく後攻に負けがない」が確定する。この引き分けルールもタイブレークも苦肉の策ではあるが、野球というスポーツの遺伝子組み換えになってしまってはいないか。

 野球の話をがらりと変える。大学時代、ぼくは英語研究部に所属し二回生の終わりから一年間部長を務めた。部長在任中に数人の部員が「交流機会が少ない」のを理由に辞めたいと言ってきた。副部長は留まるように説得しようとしたが、ぼくは去る者追わずの姿勢を貫いた。「この部の本分は英語研究であって、交流ではない。交流の意義を否定しないが、交流優先で研究お粗末では話にならない。厳しいようだが、君たちの英語力で何が交流か。交流だけを望むなら、根無し草のような他部へ行けばよい」と突っぱねた。それから三十数年経つが、今も私塾の運営に関してはこの考え方を崩してはいない。しっかりと学ばない集団に交流などありえないのである。

 食のアイデンティティの話を書くのが本意だったが、前置きそのものが一つのテーマになってしまった。ブログを書く制限時間の30分が過ぎようとしているので、食の話は明日以降に綴ることにする。   

会話に飢える人々

2010年1月13日 11:15

 ものの売り買いにともなうことばのやりとりは、たとえば昭和三十年代では現在よりも多かったはずだ。家族団欒にともなう談話と並んで、買物に際しての会話は日々のコミュニケーションにあって質と量のいずれも重要であった。町内では角のタバコ屋に喫茶店、駄菓子屋に金物店、二筋ほど向こうの商店街には食材の店が立ち並ぶ。会話なしに買物はできなかった。いや、ものを売ったり買ったりする行為自体がコミュニケーションのレールの上を走ることにほかならなかった。

 昨日こんな話を聞いた。スーパー入口前の駐輪場で高齢の女性客と、これまた還暦を過ぎている駐輪整理係の女性が立ち話をしていた。店内で買物をすること10分弱、外に出ると駐輪場では二人が寒風の中でまだ話し込んでいたそうだ。聞き耳を立てれば、次のような声が聞こえてきたという。「一人暮らしのうえに、商店街のないこの界隈ではコンビニやスーパーばかり。ただ商品を選んで黙ってお金を出してお釣りをもらうだけ。形だけの愛想があるだけで、話す機会などまったくない」。

 少し考えさせられた。核家族化が当たり前になって一人暮らしの高齢者が増えた。家庭での会話は当然消えてしまっている。かつて毎日通った商店街は重く翳り、昔なじみがどんどん廃業していく。足腰が弱って商店街を歩く元気もない。便利なスーパーで日々少量の食材をまかなうのもやむをえない。レジで立ち話はないだろうし、別のお客さんとの世間話もありそうもない。先の駐輪場係の女性が面倒がらずにお客さんと立ち話をした背景には、彼女にも会話への飢えがあったに違いない。これは高齢者限定の話ではない。

☆ ☆ ☆

 身近な会話が消えた。町内や街中から「話のある買物光景」が消えた。とはいえ、しーんと静まり返っているわけではない。潤いのあるやりとりに代わって、処理手続のための雑音は増幅している。最近のお笑い芸人がコンビニのネタを披露し観客が笑いころげる。店員のマニュアルトークが不自然であり常識から外れているからである。多数の人々がそう感じているから舞台上で取り上げられると笑う。しかし、慣れは恐い。現実のコンビニに行けば、そのようなトークで平然と買物を済ませてしまうのだ。

 魅力ある街と人間味という観点から、ぼくはコンビニと自動販売機の廃止論をずっと唱えてきた。メリットとデメリットを天秤にかけて議論する猶予はない。一切合財の経済効果や便宜性や雇用などの条件も考慮しない。ひたすらデメリットだけを取り上げれば、まず第一に、コンビニも自販機も美しくないのである。街の景観価値を高める存在ではない。第二に、売り手が商売の工夫をしないのである。商品について知らなくても売れてしまうのだ。第三に、会話の不在である。会話なんていらないという買い物客がいるのを知っているが、沈黙の売買関係はまるで覚醒剤の取引みたいではないか。

 自販機に音声合成の仕掛けをしてもムダである。それこそ処理手続が最大関心事であることの証になっている。コンビニ店員のほとんどが音声合成的に決まり文句を告げる。コンビニはかぎりなく大型自販機へと変貌していく。いつぞや酒屋に行き、新製品のビールの味を尋ねれば、二代目らしき若い主人が「私は酒を飲まないんで、わからない」と答え、「じゃあ、○○をください」と言えば、「冷えたのがないので、表の自動販売機で買ってください」と言われた。なるほど、これだって会話にはなっている。但し、処理手続の会話だ。こうして、商売から味が消え、関係の妙が消え、街は会話と景観を失う。  

注の注の注

2010年1月12日 11:30

 本質的にはいいことが書かれているのだが、注釈や弁疏(べんそ)が多くて面倒になる本がある。この傾向は入門書においておおむね色濃くなる。話しことばになると、本題から逸れるノイズはさらに増える。字義や由来や行間説明をしているうちに注が注を呼び、それがまた別の注を招くのだ。そんな「メタ注」に出くわすたびに「これが言語の限界というものか」と呟く。後日、原典を読んでみると、入門書よりももっとわかりやすかったことを知る。

 冗長度が増すのは親切心かもしれないと同情する余地はある。しかし、厳しい言い方になるが、ある事柄を単刀直入に説明せずに迂回してしまうのは、その事柄を十分にわかっていないからなのだろう。あるいは、聞き手や読者とは無関係に、「字義の積み木や工作」を話者や筆者が楽しんでしまうからなのだろう。ぼくにもそんな性向がある。凝り始めると、プロローグにプロローグを被せたり、そのプロローグのための序章を書いたりしてしまう。プロローグならまだましで、これがエピローグになってしまうと、話が終わらない。

 何事かを完璧に知ろうとすれば、必然その何事かを説明する定義の完璧をも期そうとする。こうなると、字義が字義を呼び起こし、延々と注釈の注釈が続く。はたしてこれが言語が抱える決め手不足なのか。たしかにそうかもしれない。しかし、畢竟言語を操るのは人間なのだから、言語の限界は人が直面する限界でもある。仮に言語が完璧でありうるとしても、人のほうがオールマイティではない。ことばのみならず、感覚にも思考にも観察にも限界点がある。注の注の注というリダンダンシーは言語の限界を証明しつつも、その限界を打ち破ろうとするせめてもの努力なのかもしれない。

☆ ☆ ☆

 定義や注釈は固定化した説明である。少しずつ劣化する以外に大きな変化の可能性がない標本のようなものだ。もともと定義や注釈は誰かのためにおこなわれる「サービス」なのだが、その性格はきわめて静態的である。ところが、情報は流動する。情報が匂わせる意味は刻々と変化するのだから、定義には向かない。情報には可動性が必要なのだ。「誰かに何かを伝える機能」を担うのが情報。それは(定義ではなく)表現すべきものなのである。表現には度胸がいる。度胸がないから注釈がどんどん膨らんでしまうのだ。

 緊急でないテーマの注の注の注を否定しているわけではない。文化的遊びとしてあってもいいだろう。しかし、そんな遊びとは無縁の状況にあっても、注釈癖が顔を出す。くどくなるのは、誰かに伝えようと表現する前に自分自身に説明しようとするからである。極論になるのを避けるために、ああだこうだの注釈がモラトリアム的に発生するのである。一言一句の揚げ足取りという悪しき慣習のせいで、揚げ足を取られる恐怖から定義を固めようとするのか。あるいは単なる衒学趣味なのか。

 ともあれ、定義や注釈がおびただしくなるのは、矮小なリスクマネジメントの表れである。それらが何重にも外堀を形成していて、いつまでたってもテーマの本陣に近づくことができない。定義や注釈の完成度がいくら高かろうと、絶対的な表現不足であるかぎり何を言いたいのかはさっぱりわからないのである。情報はなまくらな結束でもいいし脱編集的であってもいいから、もう少し表現の方向へとメッセージを誘導する冒険が欲しい。

愚かなりし我が記憶

2010年1月 8日 11:45

 『愚かなり我が心』(My Foolish Heart)と題された映画があり、同名の主題曲がある。しばらく聴いていないが、ぼくの持っている二枚のCDでは、いずれも『愚かなりし我が心』と「し」が入っているはず。一枚のCDではエラ・フィッツジェラルドが歌い、もう一枚のほうではエンゲルベルト・フンパーディンクが歌う。曲名に反して、曲調は静かで「知的な」と形容してもいいバラードだ。もう三十年以上も前になるが、関西テレビが特集したドキュメンタリー『風花に散った流星―名馬テンポイント』の挿入曲として使われていた記憶がある。

 そういうことを覚えている一方で、さっぱり思い出せないことも多々ある。まったく「愚かなりし我が記憶」であると痛感する。いや、何かのきっかけさえあれば思い出せるのだが、そのきっかけすら生じないから、記憶そのものが飛んでしまっている。逆に言えば、きっかけが生じる仕組みがあれば記憶を呼び覚ませることになる。もちろん、後日きっかけとなるような仕込みは不可欠だ。ぼくにとってノートは触発のための仕込みである。放っておくとますます愚かになっていく記憶のアンチエイジング策として、ぼくは月に一回ほど過去のノートを捲(めく)って拾い読みするようにしている。

 先日、自宅の書棚に『ジョーク哲学史』(加藤尚武)なる本を見つけ、ざっと目次に目を通した。おもしろそうだ。買ったままで読んでいないおびただしい本のうちのその一冊を鞄に放り込んだ(鞄にはそんな本が常時5冊ほど入っている)。そして、昨日、たまたま1990年のノートを繰っていたら、同じ著者の『ジョークの哲学』からの抜き書きを見つけたのである。「十三日の金曜日」と題したそのメモを読んだ瞬間、二十年前にジョークやユーモア関係の本を濫読していたのを思い出し、次から次へと記憶が甦った。どうやら自宅で見つけた本のほうもざっと目を通していたようなのだ。

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 同年齢の友人知人のひどさに比べれば、ぼくの記憶力は決して愚かではないと自負している。十歳くらい若い塾生にもたぶん負けていない。しかし、そんな強がりのうちにも不安や失望がつのる。たとえば、8月の私塾大阪講座の第2講『情報の手法』のテキストを読んで、「結構いいこと書いているな」とつぶやくのは一体どうしたことなのだ。自分で考えたり引用したり書いたりしたのであるから、ほとんど覚えている。しかし、所々で数行が記憶から抜け落ちている。信念でないこと? 印象に薄いこと? 繰り返し想起しないこと? よくわからないが、あることを覚えていて別のことを忘れるのは、情報の重要度や頻度とは無関係なようだ。

 不安や失望と書いたものの、さほどショックでもないことにあらためて気づく。記憶にはそのような新陳代謝が必要なのだと悟っている。つまり、記憶力と忘却力は不可避的に一体化しているのである。そして、覚えておかねばならないことや覚えておきたいことを忘れ、どうでもいいことや忘れてしまいたいことが記憶に残ったりするものなのだ。メディアは時系列で刻一刻事件や出来事を発信する。時系列ではあるが、さしたる脈絡があるわけではない。情報がA→B→CではなくB→C→Aという順番だったら、まったく別の記憶が構築されるのだろう。

 今日誰かに何かを話そうと思って忘れてしまっている。今年の講座のアイデアも浮かんだのだが、もはや鮮明ではない。忘れたことは生理的メカニズムの成せる業と割り切るのはいいが、ぼくにとってまったく関心の外にある「淳と安室」が記憶に鮮明に残ってしまうのははなはだ情けない。テレビでB級報道を観てはいけないと肝に銘じる。我が記憶を愚かにするか否かは、日々の情報との付き合い方によるところ大である。  

何々主義はすべて「ご都合主義」

2010年1月 7日 12:00

 「この店の焼肉は大阪一ですよ」などと嘯(うそぶ)く人がいる。まるで大阪にある焼肉店をすべて食べ歩いた結果のミシュラン認定かのようだ。まずありえない。行きつけのいくつかの店の味を比較して「ここが一番うまい」と言っているにすぎないのである。だが、ひとり彼のみを槍玉にあげるわけにはいかないだろう。ぼくもあなたも、限られた経験を大風呂敷にして、何事かを確定的であるかのように主張する癖をもつはずだ。事は食べ物だけにかぎらない。

 変なことば遣いになるが、「安定した推論」はむずかしい。ぼくたちの推論は不安定に偏っているのが常で、おおむね自らが望むように推論しているのである。「こうあってほしい」という期待が推論する方向を決めてしまっている。「この店の焼肉が大阪一であってほしい」が先にあって、その主張が導けるように推論していくのだ。情報収集の段階から、ぼくたちは自分の考えに合っていて自分の都合によい情報を選ぶ傾向を示す。都合の悪い情報からは目線を逸(そ)らす。

 おいしいところを中心に推論するように人は縛られている。その縛りを解きほどこうとするのが「脱偏見努力」なのだが、どんなに頑張っても何らかの偏見は残る。長年にわたる思考や経験によって培われたものの見方がそう易々と変わることはない。偏りや歪みを正したいと思っても、そもそも何が偏りで何が歪みかすら認識できないだろう。「正しい見方」と考えているイメージそのものが、すでに偏っていて歪んでいるかもしれないのだ。都合のよい情報と不都合な情報に等距離で接するのは至難の業なのである。

☆ ☆ ☆

 すべての何々主義は偏している。思考であれ思想であれ、主義は不利情報に対して見て見ぬ振りをし、理解可能で自分にとってありがたい情報を中心に論を組み立てる。おもしろいことに、何がしかの主義に強く染まっている人間ほど、不利情報が増えれば増えるほど躍起になって主義を貫くことだ。彼らは有利情報0・不利情報100の状況に直面しても動じない。すべての何々主義は「ご都合主義」ということばで一括りにできる。

 コップに水が半分入っている。これを「まだ半分ある」と構えるのが楽観主義者、「もう半分しかない」と嘆くのが悲観主義者。

 よくご存知の、オプチミストとペシミストを比較する名言だ。両者ともに同じコップの中の同じ量の水を見ているにもかかわらず、見方が正反対になるのは眼前の情報以外の「ものの見方」に縛られているからにほかならない。楽観的状況にあって楽観主義者になるのではなく、悲観的状況にあって悲観主義者になるのでもない。何々主義者だから何々のようにものを見るのである。それが証拠に、主義とは無縁の犬や猫にとっては水は水であり、水量の多寡に一喜一憂するとは思えない。

 これだけで終わるなら、わざわざ有名なコップの水の話を持ち出さない。実は、楽観主義者と悲観主義者以外に第三の男がいたのである。二人のコメントを聞いた彼はつぶやいた。「いずれにしても、水の量はコップの体積の半分ということだね」。主義に囚われない冷静な男? いや、そうではない。彼のことを「合理主義者」または「科学主義者」と呼ぶのである。彼もまた、ある種のご都合主義者にすぎない。

年賀状、ちょっといいメッセージ

2010年1月 6日 10:00

 年賀状のほとんどすべてが、ろくに目も通されずにはがきホルダーに収められるか、輪ゴムか何かで束ねられてどこかにしまいこまれるのだろう。そして年末になって、住所録の更新や新年の年賀状を出す際に引っ張り出されるのだろう。それでもなお、その一年ぶりの再会の折りにきらっと輝く文章に目が止まったりもする。一年後などと言わず、今年の賀状からちょっといいメッセージを拾ってみた。

☆ ☆ ☆

 Aさん(男性、東京) 「どんな決断に際しても、最善は正しいことをすること、次善は間違ったことをすること。そして最悪は何もしないことである」。米国26代大統領セオドア・ルーズベルトのことばを英和併記で書いてある。

 Fさん(女性、大阪) 「この歳になってからの大学の学びはとっても興味深くおもしろいです」。ふつうのことばだが、多忙な仕事人なのに五十歳を越えての勉強はえらい。

 Hさん(男性、大阪) 「超不況という大きな河の流れには逆らえず、21年間使い慣れた広い事務所から安価な家賃のワンルームに移転しました」。親友の一人だが、なかなかここまで率直に吐露できるものではない。

 Kさん(男性、大阪) 「何ものにも打ち勝てるものは、ただ頑張りと決断力だけである」。これも米国大統領のことば。ぼくは頑張り主義者ではないのだけれど、ダメなやつを見ていると「その通り!」と思う。

 別のKさん(男性、大阪) 「やりたいこと やりましょ」。やりたいことが十分にできていないぼくへの励ましのように書いてあるが、実は自分に言い聞かせていると思われる。

 Kさん(女性、大阪) 「三適合一為」。「三(身と足と心)の適、合して一と為る」という意味。手前味噌だが弊社のスタッフ。白居易のことばだ。

 Nさん(男性、滋賀) 「ユーモアセンス、なかなか光りません」。ものすごいいい人なのだが、笑いがすべる人である。二年ほど前にボケとツッコミの極意とすべらない話のコツを教えてあげたのだが、未だにうまくいかない様子らしい。 

 Oさん(男性、栃木) 「先生と又、ゲテモノを食べるのが夢です」。十年ほど前に大阪で美味な馬の刺身やレバーを一緒に食べたのだが、この人にとってあの高級食材はゲテモノだったのだろうか。

 Tさん(男性、京都) 「明るい、意志、運、縁、大きな夢」。五つのフレーズの頭文字が「あいうえお」なんだそうである(意地悪く言えば、それがどうした? なのだが)。この人、五十を越えているのだが、少年のように純粋な性格の持主である。

 別のTさん(男性、福岡) 「ITで24時間連絡が取れるようになりましたが、じかに会って話をすると得るものが全然違います」。何年間もつらい日々を過ごした彼だが、久しぶりに大阪で会ったらとても元気になっていた。

 Wさん(男性、大阪) 「フランス語の勉強は進んでますか? フランスへの旅ではどこに行きましたか?」 フランス語で書いてあった。二十代前半に在籍していた語学研究所時代の元同僚で、フランス語のスペシャリストである。

 Yさん(女性、京都) 「魔法のランプから出てきた ほがらかカードです」。絵柄といっしょに読めば少しはわかるが、だいたいこの人はメルヘン系の異能人アーティストなので、どこかで「飛ぶ」。

 Yさん(男性、香川) 「(・・・・・・)美を犯す者は、美によって滅亡させられる。グラナダの夜、私は夢の中で、ライオンの咆哮を聞いた。いや、それはアルハンブラ宮殿を追われるイスラムの公達の嘆きの声だったかもしれない。 ―スペイン・グラナダにて」。毎年最上の文章を綴るのは十歳年上のYさん。全十四行のうち前の十行を省略したのをお許し願いたい。

☆ ☆ ☆

 文章の一言一句に注視して吟味することはできないが、縁あって出合った人が選んだり書いたりしたメッセージにも縁があるに違いない。安易に見過ごさないよう心しておこう。 

いろいろあります、年賀状

2010年1月 5日 14:00

 自宅と事務所合わせて四百枚ほどの年賀状をいただく。ぼくも同数近く書いて投函しているつもりだが、一昨年から宛名書きをラベルに変更したので、更新漏れや出し忘れ、重複差し出しが発生しているかもしれない。宛名を手書きでしたためていれば、どなたに出したかを覚えているものである。

 日本郵便のくじは毎年切手セットが10~15セットくらい当たる。これとは別に「独自のお年玉くじ制度」を採用している知人が数名いて、年初にホームページで当選番号を発表しているらしい。「らしい」と書いたのは、これまで一度も当たっているかどうかを確かめたことがないからだ。今年の分はチェックしてみようと思っている。

 正月早々、塾生のMさんがぼくの年賀状をブログで取り上げていた。一言一句引用したわけではなく、テーマの紹介だ。しかし、ご苦労なことに、Mさんはその年賀状についてあれこれと考えを巡らして、なんと数時間ほど付き合ってくれたというのである。ありがたいことだ。彼のような一種マニアックな性格の持主がいるからこそ、ぼくのしたためるマニアックな賀状も意味をもつ。なお、すべてのいただいた年賀状は、たとえ無味乾燥で無個性な文面であっても、ぼくはしっかりと読むようにしている。自分の長文の年賀状をお読みいただく労力に比べれば、一、二行の紋切り型の挨拶文など楽勝である。

☆ ☆ ☆

 1月5日現在、いいことが書いてある年賀状が十枚ほどあった(明日にでも抜き書きしてみようと思う)。昨年に続いて、まったく同じ年賀状を二枚くれた人が二人いる。関西のKさんと関東のIさんである。この二人は昨年も同様に二枚ずつ送ってくれた。プリンターで出力されたもので、手書きの文章は一行も書かれていない。リストの宛名重複だけの話なのだろうが、ぼくが指摘してあげないかぎり来年も繰り返されるだろう。おそらく誰かにすべて任せているのに違いない。

 傑作が二つあった。まず、四国のYさんは、ありきたりではない文章を裏面に綴っておられるのだが、おそらく十行分ほどと思われる前半の文章が印字されていないのである。紙面の右半分が完全に白紙で、印字されている文章とのつながりがまったくわからない。一文が長いので類推すらできない。文章は短文で書けというのは、こういう事態に備えてのセオリーだったのか。ぼくだけに生じたプリンターのトラブルであることを切に祈る。

 もう一つは、前代未聞の裏面白紙の年賀状。年賀はがきを使っているから年賀状に違いない。おそらく謹賀新年、あけましておめでとうございます、賀正などのいずれかで始まり、プラスアルファが書かれているのだろう。なにしろ白紙だから手掛かりの一つもない。これはちょっと恥ずかしい話ではないのか。いったい誰? と思って表面を見れば、差出人の住所・氏名がない。つまり、この年賀状でたしかなことは、誰かがぼくに出したという事実だけである。もちろん、誰かわからないから恥じることもない。仮に本人がこのブログの読者であっても、「バカなやつだなあ~」とはつぶやくだろうが、まさかそれが自分のことだとは思うまい。  

新年早々、雑感と予感

2010年1月 2日 09:00

 大晦日、夕方から惰性でテレビを視聴。自宅の会読会で残った日本酒を一杯、二杯目にウィスキーをジンジャーエールでハイボールにして飲んだ。11時頃までもぐもぐとつまみを口にしていた。酒豪とはほど遠く、毎日酒を嗜(たしな)むなどという習慣とも無縁だが、大晦日だけはここ十年ほどそのような過ごし方をしている。元旦の昨日、午前7時に目が覚めて、窓を開ける。この冬一番の寒さだった。透き通った冷たい空気に肌が瞬時に反応した。

 昨年もブログ始めは1月2日。とある神社で引いたおみくじは三十六番だった。今年もその神社に行くことにした。ついつい日当たりのよい道を探し求めてしまう。神社方面は通りのこちら側なのだが、敢えて朝の陽射しを求めて通りの向こう側を歩く。神社ではセルフだが御神酒を振る舞っている。小ぶりな柄杓(ひしゃく)で樽からすくってコップに注ぐ。昨年のおみくじが三十六番だと覚えているのは他でもない。直前に引いた男性が三十六番で、続いて引いたぼくのも三十六番だった。筒をしっかり振ったにもかかわらず、同じ番号が出た。

 巫女さんに「去年は三十六番だった」と言えば、「よく覚えていますね」とにっこり。今年は同じ番号を引くまいと念入りに筒を振る。そして、適当に「十二番!」と予告すれば、驚くなかれ、十二番のみくじ棒が出てきた。こんなときは、だいたい「凶」と出るのが相場である。案の定、凶であった。縁起でもない! などと立腹せずに、メッセージを拝読。「自惚れたり過信するとよくないぞ」というようなことが書かれてあったので、ありがたく受け止めることにした。

☆ ☆ ☆

 足を伸ばして名のよく知れた別の神社を通り抜け、さらに南下して、これまた有名な名門の寺をくぐった。神仏の熱心な信者でもなく有神論者でもない日本人の多くは、このように神社仏閣のハシゴができるのである。年中行事的には教会も加わるから、まことに都合よく神仏を活用するものだ。

 ところで、おみくじの十二番。もしあの番号が昨年と同じ三十六番だったら、別の驚きを覚えたに違いない。三十五番か三十七番なら、「おっ、去年と一番違い」と驚き、一番や七番や八番だったらそれぞれに縁起を感じようとしたに違いない。確率論を学んでいた頃によく感じた不思議がある。三桁の000から999までの数字のどれかが出る確率は同じ。たとえば169も777のどちらも千分の一の確率で出てくるのだが、なぜ同じ数字が三つ並ぶと驚いてしまうのか。確率にではなく、数字が揃うことに感動しているのである。

 もう一つの驚きは予感や想定と一致することによるものだ。十二番と考えたから十二番に驚くわけで、何も考えていなければそんなことに注意は向かない。何事かの前に予感を膨らませたりイメージを掻き立てたりすることは楽しい。外れてもショックはないが、当たると直感の冴えに喜びを覚えることができる。この通りのあの角を右へ曲がれば愛らしい小犬がいるなどと想像して、ほんとうにそうであるケースはめったにないが、その通りであったらもうたまらない。あれこれと雑感を膨らませればわくわくする予感も芽生え、予感のいくつかが的中して快感につながる。

プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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