意識という志向性

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 久しぶりにここ一ヵ月のノートを繰ってみた。「意識」という括りにできそうな話題やことばをいくつか書き綴っているので紹介しておこう。

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 無から何かを推理・推論することはできない。「何もないこと」を想像しようとしても、気がつけば何事かについて考えている。情報が多いから多様な推理・推論の道筋が生まれるとはかぎらない。また、情報が少ないからという理由で推理・推論がまったく立たないわけでもない。「船頭多くして船山に登る」という譬えの一方で、一人の船頭がすいすいと船を御していくことだってある。情報過多であろうと情報不足であろうと、意識が推理・推論に向いていなければ話にならない。意識がどこに向いているか―それを意識の志向性と言う。現象学の重要な概念の一つだ。

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 悩んでいる人がいる。「意識は強く持っているつもりなのだが、なかなか行動につながらない」としんみりつぶやく。「フロイト流の無意識に対する意識じゃダメなんだろうね」とぼく。「というと?」と尋ねるから、こう言った、「フッサール流の意識でないといけない」。「つまりね、《~についての意識》。日本語を英語に翻訳するとき、意識ということばは悩ましいんだ。ぼくたちは意識に志向性を表現しない傾向があるけれど、英語では"be conscious of ~"となって、『~について意識する』としなければ成り立たない。この「~」の部分が希薄であったり欠落してしまうから、意識が意識だけで終わってしまう」。

 そして、こう締めくくった―「意識と行動をワンセットで使ってあっけらかんとしているけれど、実は、意識と行動の間には何光年もの距離がある。いまぼくたちが行動側で見ているのは、何年も何十年も前に意識側を出発した光かもしれない。茫洋とした意識が行動の形を取るには歳月を要するんだ。しかし、『行動についての意識』をたくましくすれば、時間を大いに短縮できると思う」。

☆ ☆ ☆

 フランスの思想家ローラン・ジューベールに次のようなことばがある。

 「的(まと)は必ずしも命中させるために立てるのではなく、目印の役にも立つ。」

 的を理想や理念に置き換えればいい。理想や理念を掲げるのは必ずしも実現するためだけではない。「日本一の何々」や「金メダル」を目標にしても、現在の力量からすれば天文学的な確率であることがほとんどだ。だからと言って、理想を膨らませ理念を崇高にすることが無意義ではあるまい。理想や理念は意識が向かう目印になってくれる。意識の志向性を失わないためにも対象は見えるほうがいい。

☆ ☆ ☆

 バンクーバー五輪で日本人選手が凡ミスを犯した。戦う前に失格である。体重が重いほど加速がつくリュージュの競技では、体重の軽い選手に10キログラムの錘(おもり)を装着することが許されている。ところが、その女子の選手は計量で200グラム超過してしまって失格となった。また、スケルトンの競技では、国際連盟が認定するそりの刃に正規のステッカーを貼り忘れるミスがあり、この女子選手も競技に参加できなかった。

 日本を代表する選手クラスである。国際試合経験豊富な役員やコーチもついている。当然「一流選手の意識」が強く備わっているに違いない。しかしだ、対象への志向性がない意識はリスクマネジメントにつながらない。ここで言う意識の志向性は、具体的な体重管理とステッカー貼付に向けられねばならなかった。

 あなたの「やらねばならない」という意識、「さあ、頑張ろう」という意識、きちんと「何か」に向けられているだろうか。先週のぼくの意識は空回りだった。仕事の、やるべき作業対象があまりにも漠然としていたからである。  

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プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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