2010年3月アーカイブ
速成という方法について
2010年3月31日 15:45
読書をしたり考えたり、あるいは人と交わって対話をしたり、二十歳前にディベートと出合って勉強したりはしてきた。学校以外の学び、すなわち独学や実践知に目覚めてから、かれこれ四十年になる。決して学び方・アタマの使い方は下手ではないと自覚しているが、考えることと話すことにおいて、十分幸せではあるものの、有頂天の達成感に浸ったことはほとんどない。もちろん、絶対能力がぼくに欠けているという現実がそこにはあるかもしれない。そのことを差し置いても、売れ筋の本のタイトルを見るたびにごく良識的な疑問が湧いてくる。
たとえば『考える力と話す力がおもしろいほど身につく方法』などの類がそれだ。「そんなものあってたまるか」という反骨心が湧き上がって強く懐疑してしまう。もしそのような速成方法が実際に存在するならば、ぼくがコツコツとやってきた方法とはいったい何だったのかと悔やむしかない。だが、どんなに譲歩しても、思考と言語という、人間の根幹を成すような資質が一週間やそこらでものになるとはにわかに信じがたいのだ(少なくとも、ぼくの履歴の範囲ではそんな方法には一度もお目にかかったことはない)。
能力の問題はさておき、この種の本は、この本を手にするまでに一度も意識的に考える力と話す力を鍛えようとしなかった読者を対象にしているのだろうか。そもそも成人になって初めて考える力と話す力の重要性に気づいたような人は、思考と言語の自然主義の流れに漫然と棹を差してきたはずだ。つまり、考えることと話すことをあまり意識せずに、道なりにやり過ごしてきたと思われる。そのような無自覚で努力を怠ってきた彼らに「おもしろいほど身につく方法」が確約されるのである。
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勿体をつけた言い回しをやめよう。そんなものがあるはずはないのである。考える力と話す力以外なら、おもしろいほどではなくとも、少々なら効果的で速い方法があるかもしれない。しかし、こと思考と言語の資質を一夜で豹変させるような特効薬など見たことも聞いたことも、ましてや飲んだことなどない。自分なりにある程度考える力と話す力を身につけてきた読者なら、おもしろいほど身につくことがありえないことを承知しているはずだから、その種の本を手にして即効ハウツーを期待するはずもないだろう。
「その種の本」に対していささか批判的すぎたようだ。せっかくの批判を引っ込めるようで恐縮だが、「その種の本」は売らんかなの表看板に反して、実際のところはまずまずのコンテンツを並べて役に立ちそうなノウハウを書いてくれているのである。おもしろいほど身につくかどうかはともかく、ぼくが逆立ちしても真似できないほど、おもしろく書いてあるのだ。さらに、タイトルによく目を凝らせば、「おもしろいほど」であって、「ただちに」とは言っていない。速成方法を説いた本だと勝手に早とちりしているのは、実は読者のほうなのだ。
著者は本が役立つと信じているだろうし、一人でも多くの人に読んで欲しいと願っているだろう。一冊でも多く売れればうれしいに決まっている。この点には大いに共感する。したがって、本のタイトルやコンテンツがどんなに巧妙に仕掛けられていようとも、著者を責めるべきではないだろう。やはり読者の良識が結局は問われることになる。思考力と言語力を高める方法は存在するが、速成の方法はない。熟成には歳月を要することを承知しておかないと、書店のハウツーコーナーで心が揺れ続ける。
耳障り、気障り
2010年3月30日 10:30
創造的な表現への試みには寛容なつもりである。二十代後半から数年間は広告コピーの仕事に携わっていたし、もっと若い頃は論理無視、意味不明の詩を書いたりもしていた。既存の表現体系ではどうにも伝えきれない心情やメッセージがあるから、造語や用法の変形もやむをえない。創造のつもりが、結果的には乱雑や破壊につながることもあるだろう。ある程度割り切るしかない。
それでも、耳に障り気に障る表現がある。いや、正確に言うと、表現が苛立ちを招いているのではなく、話者の「心理的目線」と文脈の構図が耳障りの原因になっている。それが証拠に、別の状況にあって使い手が変わればまったく気にならないし、それどころか逆に、快く響くことさえある。
言い換えれば、立場や意見とことばの表現との不釣合いによる違和感だ。それを語る立場にふさわしくない言の軽さや重さ、あるいは意見や実体と同期しないことば遣いである。たとえば、クロマグロの議決・交渉に敗れたアメリカ代表の「保護が経済に負けた」。デリケートな問題を上位概念で一括りにしてしまう無謀な捨てぜりふではないか。欧米的二項対立発想の息苦しさをつい感じてしまう。ブッシュ前大統領の「アメリカ側につくか、それともテロの側につくか」なども、重いテーマに軽い言い回しの典型だった。他にもっと別の表現選択があってしかるべきだろう。
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つい最近、「痛いところを衝かれました」というつぶやきに過剰反応してしまった。高尚なデリカシーではないが、ぼくの言語感性からすると、この表現は同一事項、同一人間関係において最初に気づいたそのとき一度しか使えないはずである。過去に何度も弱点をとらえられ責められてきた状況にあって、何度目かの「痛いところを衝かれました」を繰り返すのはありえない。これまで痛いところを度重なるほど衝かれながら、何事もなかったようにあらためてつぶやけば、耳障りに変じてしまう表現なのである。
もっと言えば、本人が意味した「痛いところ」が、ぼくにとって「腐ったところ」あるいは「どうにもこうにもならないところ」であったなら、あまりにも軽々しいではないか。こっちが神妙なのに、本人が「いやはや、痛いところを衝かれましたね」などとにんまり顔で応答するのは反省がない証拠である。「いやはや」から始めるくらいだから、余裕綽々、まるで他人事を扱うような我関せずの趣がここにはある。
日常語が変異しているのではなく、心情や現実を何とかして言い表そうとする意思がひ弱になっている。頭が高いくせにことばへの情熱が希薄なのだ。「はい」にも「わかりました」にも「やってみます」にも苛立つことがある。繰り返すが、表現そのものが耳障りなのではなく、二重文脈でその場を通り過ごそうとする発言者が気に障っている。彼らの「はい」は「聞くだけ聞いておきます」であり、「わかりました」は「一応検討はしてみます」であり、「やってみます」は「やれるとはかぎりませんが」なのである。アイデンティティのあることば遣いへの道は遠く険しい。
カフェの話(6) 街の表情
2010年3月28日 09:00
パリやローマの街を歩いていると、「えっ、こんなところに!?」と驚くような場所にカフェやバールが出現する。路地裏にも、人気(ひとけ)のない閑散とした通りにも、絶対に採算がとれないであろう街外れの一角にも。もしかして条例によって数十メートル四方につき一軒の立地が義務づけられているのではないか。そう勘繰りたくなるほどだ。
ぼくが生まれ育った大阪の下町も、昭和三十年代から四十年代にかけてはそんな風情だったのかもしれない。住宅が密集する町内や商店街の入口に、喫茶店が二軒、三軒と立ち並んでいたものである。しかし、イタリアの小さな、たとえば人口一万人ほどの街でもそんな光景に出くわす。バールを一軒通り過ごしても、ほんの少し歩けば別の店が現れる。
その街の人々には決まって行きつけの店がある。その店に行けば顔馴染みがいる。中には新聞を読んだり無駄話をしたり長居をする客もいるが、立ち飲みカフェやバールでは、挨拶と注文を一緒にして一言二言交わし、コーヒーを飲んだら再び挨拶して店を出て行く。その一言、二言はどこの国でもよく似通っていて、「いつまでも綺麗だね」とか「アントニオはどうした?」などの類い。常連たちはマンネリズムに平気である。
『パリ 旅の雑学ノート』はパリ通の玉村豊男のエッセイ。冒頭、いきなり「カフェの構造と機能」で始まり、カフェの話だけが百数十ページ続く。パリを知らなければマニアックな切り口だと思ってしまいそうだ。ちなみにこの本のサブタイトルは「カフェ/舗道/メトロ」なのだが、数あるパリ名物の中でもこの三点にぼくは納得する。街の表情の主役はもちろんカフェだが、通りと地下鉄も興趣をそそる。
(左)どこを歩いてもよく見かけるパリの街角カフェ。(右)ソルボンヌ近くのカフェ。歩道とテラスに境目がない。
(左)まるで街路や舗道と一体化したようなカフェ。(右)メトロ(地下鉄)の出入口。このような風情を残すにはたいへんなエネルギーがいる。
語るべきを語らざる罪
2010年3月26日 12:00
「連れ立って映画を見に行った父と娘が、浮かぬ顔で帰宅した。画家である父は、ピカソの生活を写した映画が見たかったが、娘にはつまらぬだろうと思いやり、娘に向きそうな感じの映画に誘った。父がその映画を見たいのかと察した娘は、内心つまらないのを我慢してつきあってきた。ことばを抑制し、思いやりだけにたよって、双方が浮かぬ顔という結果になったのだった。」
もう34年も前に書かれた『失語の時代』(芳賀綏)からの引用である。「ものを尽くして言うべきにあらず」という表現美徳観が日本人の誰にも少なからず刷り込まれている。対照的なのが古代ギリシアで、「人間はロゴスをもつ動物である」と言われていた。ロゴスは多義性の強いことばだが、根源には「理(ことわり)」がある。この伝統を継ぐ西洋社会では、ことばと理(理性や論理)はつながっている。いや、一体である、というのが正しいだろう。
文脈を察したり、行間を読んだり、はたまた言外の言を汲んでやったり・・・・・・。わが国では聞き手が、ことば少なにつぶやく相手に対してずいぶん物分かりのよい態度を取るものである。この聞き手側の態度は、自分が話す側に立つときに「貸し」として作用する。これにて、ことば少なの貸借関係、つまり、甘えを許容し合う持ちつ持たれつのコミュニケーション関係の一丁上がり。小説の世界じゃあるまいし、そんな甘えの構造で成り立っていていいのだろうか。ことばによって分かり合おうとする努力を重ねない者が、文学世界の沈黙の妙を味わえるはずもない。
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ロゴスを強調すると、「あいつは感性のない奴だ」と決めつけるところに、アンチロゴス派の言語理性の危うさが露になる。ロゴスもパトス(感性・情緒)も一人の人間に共存している。ぼくの知るかぎり、ロゴス嫌いに感性豊かな人間はきわめて少ないのだ。ぼくは若い頃から年長のロゴス嫌いと戦ってきた。「生意気で屁理屈の強い青二才」と言われ続けてきた。たしかに今もその面影は残っているかもしれないが、その抗戦姿勢を貫いたことによって少なくともロゴス嫌いほど馬鹿にならずに済んだと思っている。
思うところに素直になって語り始めるしかないではないか。ある会合があって、手伝いをして欲しければ、「早めに来てください」と言えばいい。それなのに、無理して「会合は午後6時開始」とだけ告げて心に一物を残すことはない。たしか夏目漱石のエピソードだったと思うが、「引越しすることになった。手伝ってくれるなら昼、飯だけ食うなら夕方にお越し願いたい」という手紙を仲間に出した。この文面を読めば、昼に行くしかない。エスプリのきいた「語るべきを語る」一つの方法である。
物言わぬ風土にあって、それなりの人物はちゃんと物を言っている。「口は災いのもと」や「物言えば唇寒し秋の風」というアンチロゴスにしても、それらが金言として今日に残ったのは、言として形にしたからである。ロゴス派であろうとアンチロゴス派であろうと、無言で睨み合うわけにはいかない。語るべきを語らざる姿勢は何物をも生まない。それどころか、誤解という罪を犯してしまう。
ちょっと言い過ぎた。誤解は必ずしも罪ではないかもしれない。しかし、誤解は、美しくて味わいのある終幕になることもあれば、修復不可能な悲惨な結末を迎えることもある。ただ、どちらにしても誤解がつきものであるならば、黙して生じる誤解よりも、言を尽くして招く誤解のほうをぼくは取るし、そうしてきた。語った言を拠り所にして誤解をほどくほうに希望をつなぎたい。
対話論雑感
2010年3月25日 10:30
二日連続対話について論じたので、ついでに湧き上がるまま雑感を並べ書きしてみることにする。ぼくが対話と言うときのテーマは命題形式を前提としている(ディベートではその命題を「論題」と呼ぶ)。対話は、ディベートや二者間論争を含む。しかし、話題を拾って語り合う会話、演題について一方通行で話す弁論、議題についてさまざまな意見を出す会議などは対話に含めていない。
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3月22日の『防災・社会貢献ディベート大会』は「無差別級」でおこなわれた。高校生、大学生、社会人が総当り的に対戦するのは珍しいケースである。ディベートの本来の姿は老若男女が入り混じることだと思っているので、あの大会を大いに評価している。
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肯定側は論題で記述された内容を肯定する立場にあり、否定側は論題で記述された内容を否定するのではなく、当面の肯定側が論題を支持する論点を否定する。ちょっと混乱しそうな表現だが、検証者としての否定側は、「はじめに論題否定ありき」ではなく、肯定側の立論に対する否定の任に当たらねばならない、ということを意味している。
肯定側が評価に値する立証責任を果たしているにもかかわらず、否定側が肯定側の論点にまったく争点接合せずに論題のみを否定しているかぎり、反駁責任を果たしているとは見なさない。
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ディベートの質を高めるのは肯定側の立証力にほかならない。他方、ディベートをスリリングな議論にするのは否定側の切り返しによるところが大きい。両者拮抗した場合は、即興性を求められる否定側に分がある。
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論題には複数の解釈がありうる。ある一つの解釈によって立論の方向性を打ち出すとき、その方向性にはしかるべき正当性あるいは共通感覚(または通念)へのアピールが求められる。これを基本哲学と呼び、立論の冒頭でしっかりと提示するのが望ましい。
定義には辞書から引用する「辞書的定義」と、論題に充当する範囲で自ら手を加える「操作的定義」とがある。後者の定義をおこなう場合は、基本哲学と連動しなければならない。
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否定とは「何か」の否定である。否定や反論は、何がしかの主張に対しておこなわれ、その主張と自論の見解が異なっていることを前提としている。見解の相違がなければ、誰も反駁しようとはしない。また、語られもしていないことを否定したり、不在の主張に反論することはできない。
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ディベートの議論の評価は、肯定側立論の評価を基準としておこなわれる。
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肯定側が二つの論点を提示したとしよう。そのうちの一つが反駁され、しかも最終弁論まで修復されないとき、立証責任は果たされなかったと見なす。すなわち、否定側は論点のすべてを否定する必要はなく、部分の否定だけで反駁責任を果たすことができる。
肯定側が「Aはすぐれている」と主張するだけで、いっさい証拠も論拠も示さなければ、否定側は「Aはすぐれていない」と反論するだけで十分である。
「なぜAがすぐれているのか?」と尋問するのが否定側の役割であるとする見方もあるが、肯定側は主張と同時に証拠と論拠を示す義務を背負っているから、言いっ放しの主張の面倒を見ることはない。但し、それではあまりにも不親切で人情味に欠けるように見えるから、否定側がカウンセリング的に振る舞っておいて損はない。
肯定側が「Aはすぐれている。それは次の二つの理由による」と主張するとき、否定側は主張への反論だけでは反駁責任を果たせない。二つの理由または少なくともいずれか一つの理由に効果的な検証反駁ができてはじめて主張を否定したことになる。
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検証する側が一般的には優位に立ちやすいのは確かである。こう言うと、否定側がずいぶん楽そうに思われるかもしれないが、肯定側立論で想定外の論点が提示されたときは当意即妙で対応しなければならないので、力量互角ならまずまず拮抗するようになっている。
議論を拮抗させるためには、論題の記述に細心の注意を払わねばならない。一言一句の違いが議論の方向性を大きく変える。退屈な定義論争や詭弁の応酬が目立つディベートになるのは、たいてい論題記述の拙さに起因している。
対話のための条件
2010年3月24日 12:00
昨夜『対話からのプレゼント』と題して文章を書いた。但し、ただでプレゼントに与(あずか)ろうとするのは厚かましい。プレゼントを貰おうと思えば、それなりの条件を満たさねばならないのだ。対話ということばを「論争」という激しい表現に変えても同じこと。少なくとも意見を異にする二者が何事かについて賛否を交えるためには、いくつかの条件が揃う必要がある。
ぼくは見解の相違を人間社会の常態と見ている。満場一致やコンセンサスのほうに無理や不自然さを感じている。十人十色とは言い得て妙で、人の意見は同じであるよりも異なっていることのほうが常なのだ。同種意見で成り立つ同質性の高い集団は脆弱であり、異種意見を容認できる異質性の高い集団は柔軟にして変化に強い。もちろん例外もあるが、安易に意見を同じくしようとする努力の前に、双方の異種意見に耳を傾けて大いに議論を戦わせるべきだろう。ぼくたちの風土は、反論や批判にあまりにも弱すぎる。
二十代の頃によく対談集を読んだ。わが国で出版される対談集のほとんどは、座談会形式によって編み出される。めったに挑発的な件(くだり)に出くわさないし、スリリングな論争も見受けない。対談する両者の仲が良すぎるのである。もっとも、仲が良いから是非の対話ができないわけではない。ぼくなど、仲が良いからこそ激論しても、「親しき仲にも礼儀あり」を尊べると考えている。逆に、見も知らずの相手になると、無難な会話で済ますか、あるいは一触即発の交渉的論争になってしまう可能性が高くなる。
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さて、本題。ある命題を巡って主張し反論する対話(あるいはディベート)において、否定は不可欠な条件である。しかし、通りすがりに誰かを殴りつけるように否定できるわけではない。否定や反論は「何か」に対しておこなわれる。その何かがなければ否定や反論に出番はないのだ。その何かとは、いずれか一方による最初の意見である。サーブがなければ打ち返せない。先手に最初の一手を指してもらわねば、後手はいかんともしがたいのである。
まず、いずれか一方が基調となる意見を述べる(ディベートでは、肯定側による論題支持がこれに当たる)。わかりやすさのために、「和食の後は日本茶にかぎる」というテーマにしておこう。
「ぼくは和食の後は日本茶にかぎると思うね」と一方が意見を述べる。対話術の訓練を積んだ人間は、この意見に続いて必ず理由を述べるし、必要ならば事例や権威を引く。しかし、相当な知識人でも、対話に親しんでいない者は、ぽつりと一行ほど語っておしまいだ。この意見に対して、ぼくの常識・経験センサーが反応して「意見の異種性」を検知する。けれども、論拠も証拠もない主張だから、「いや、和食の後は日本茶とはかぎらないだろう」という否定で十分。わざわざ紅茶でもコーヒーでもいいなどとこちらから証明することはない。
もうこれで勝負ありなのだ。そう、後手(ディベートでは否定側)の勝ち。後手(否定側)は、先手(肯定側)の説明の程度にお付き合いすればいいのである。このように、端緒を開く側が対話成立の第一条件を満たさねばならない。質も議論の領域も方向性もすべて、この第一条件によって決まる。「和食の後は日本茶にかぎる」という主張を支える理由を示すという条件である。否定する側は、命題を否定するのではなく、この理由に反論するのだ。理由を崩すことができれば主張が揺らぐ。
最初に主張する者(肯定側)の負担は大きいということがわかるだろう。「主張する者が立証の責任を負う」と言われる所以だ。反論する側は立証されもしていない主張を崩すことはできない。そこに何もなければ否定はできないのである。初級教育ディベートでは肯定側を大目に見ることがあるが、限度がある。「和食の後は日本茶にかぎる」と言いながら、烏龍茶の話ばかりしていたら命題に充当した議論になっていない。これでは救いようがない。
すぐれた主張がすぐれた反論を生み、それがすぐれた再反論をもたらし、ひいてはすぐれた意見交換と啓発の機会をもたらす。すぐれたディアレクティケー(対話術)への道はひとえに最初の話者が鍵を握っている。対話やディベートの初心者はここを目指さなければ上達は望めない。
対話からのプレゼント
2010年3月23日 22:30
3月22日。神戸で「第1回防災・社会貢献ディベート大会」が開催され、審査委員長として招かれた。大会そのものについてはニュース記事になっているようだ。一夜明けた今日、ディベートについて再考したことをしたためておこうと思う。
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考えていることをことばで表現する。思考していることが熟していれば、ことばになりやすい。おそらくその思考はすでに言語と一体化しているのだろう。考えていることとことばとが一つになる実感が起こるとき、ぼくたちはぶれないアイデンティティを自覚することができる。もっとも、めったに体験できることではないが・・・・・・。
考えていることがうまくことばにならない。それは言語側の問題であるよりも、思考側の問題であることのほうが多い。「口下手」を言い訳すると、「考え下手」を見苦しく露呈してしまうことになりかねない。どんなに高い思考や言語レベルに達しても、考えをうまく表現できない忸怩(じくじ)たる思いはつねにつきまとう。それでもなお、挫(くじ)けずに言語化の努力を重ねるしかない。ことばにしてこそ考えが明快になるのも事実である。こうして自分の書いている文章、書き終わった文章を再読してはじめて、考えの輪郭が明瞭になるものだ。
一人で考え表現し、その表現を読み返してみて、新たな思考のありように気づく。たとえ一人でも、思考と言語がつながってくるような作用に気づく。ならば、二者が相まみえる対話ならもっと強い作用が働くだろうと察しがつく。そうなのだ、弁証法の起源でもある、古代ギリシアで生まれたディアレクティケー(対話術)には、自分一人の沈思黙考や言語表現で得られる効果以上の期待が込められた。すなわち、曖昧だったことが他者との議論を通じて一段も二段も高い段階で明らかになる止揚効果である。対話によって、自分の思考に気づき、思考のレベルを上げるのである。対話が授けてくれる最上のプレゼントは思考力だ。
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「対話」の意義を説くのはやさしい。しかし、現実的には、対話は後味の悪さを残す。聴衆を相手にした修辞的な弁論術では見られない、一問一答という厳しいやりとりが対話の特徴である。相手の意見を反論し否定し、自論を主張する。主張すれば「なぜ?」と問われるから理由を示さねばならない。必要に応じて、事例や権威も引かねばならない。
教育ディベートには詭弁的要素も含まれるが、当然ながらディアレクティケーのDNAを強く継承している。命題を定めて、相反する両極に立って議論を交わす。人格を傷つけず、また反論にへこたれず、さらにまた遺恨を残さないよう意識することによって、理性的な対話に習熟する絶好の場になってくれる。だが、相当に場数を踏んでも、「激昂しない、クールで理性的な対話術」を身につけるのはむずかしい。
ディベートでは、相反する立場の相手と議論するものの、相手を打ち負かすことによって勝敗が決まるわけではない。マラソンややり投げやサッカーのように数値の多寡を競うのではないのだ。いや、ある基準にのっとって数値化はされるのだが、点数をつけるのは第三者の(聴衆を代表する)審査員である。主観を最小限に抑えるために客観的指標を定め、先入観のない白紙状態(タブラ・ラサ)の維持に努めるものの、主観を完全に消し去ることなど不可能である。
実力や技術だけでディベートの勝敗が決まらないことを心得ておこう。第三者評価型の競技に参加するかぎり、それは必然の理なのだ。ゆえに、審査員のフェアネスと眼力が重要になってくる。そして、審査が終わり判定が下されたら、ディベーターも審査員もその他すべての関係者も素直に結果に従わねばならない。そうでなければ、ディベートなど成り立たない。ディベートには「諦観」が求められる。ぼくがディベートという対話からもらったもう一つのプレゼントは虚心坦懐の精神である。
カフェの話(5) 老舗の名と味
2010年3月21日 12:30
すでに紹介した老舗カッフェ・フローリアンには、水際の広場のカフェというところに水都ヴェネツィアならではの趣があった。
この店のような超有名カフェのほとんどはガイドブックやネット上に掲載されている。「名物に旨いものなし」とよく言われるが、そこまで極端ではないにしても、著名であることと内容が伴っていることは往々にして比例しない。たとえ伝統ある老舗であっても、オーナーが変われば品性も変わり、ブランドの上にあぐらをかいた利益主義の経営に走ることが稀にある。昨年7月、日本人観光客が、ローマはナヴォナ広場近くの老舗リストランテに暴利をむさぼられた事件は記憶に新しい。
ナヴォナ広場から西へ少し歩けばパンテノンがある。その北側のロトンダ広場の一角に構えるのが、ガイドブック掲載常連の老舗カフェ「ラ・カーサ・デル・タッツァ・ドーロ(La Casa del Tazza d'Oro)」。ちょうど二年前、ローマ滞在中にアパートのオーナーが連れて行ってくれた。この一帯にはかつてコーヒー焙煎所が立ち並んでいたらしく、このカフェも元々はその一軒だった。今も焙煎しているから、店の入口近くにまで挽きたての香りが立ちこめている。
何年ぶりかで出くわした「粘性液状」のコーヒー。小さなカップにほんの2センチメートルほど入った濃厚エスプレッソは、一気に一口で味わう(というよりも、それ以外の選択肢はない)。この店の名前は「金のカップ」。はたしてそんな器で出てきたのか。店構えも焙煎光景もカップも写真に撮り収めていないのでわからない。
パリには名立たるカフェがいろいろあるが、実際に訪れたのは「カフェ・ド・フロール(Café de Flore)」のみ。文豪たちが長居をして文章を綴ったり哲学者たちが激論を交わしたことなどで名を馳せたカフェ。日本でも大阪と東京に出店していたが、大阪長堀の地下街にあった店は今はない(東京表参道のほうはどうなのか)。ギャルソン(ウェイター)の立ち居振る舞いや調度品がパリと同じでちょくちょく通っていた。コーヒーがテーブルに運ばれた直後に会計を済ませる方式もパリそのまま。レジを置かない、あの方法をぼくは気に入っていた。
サン・ジェルマン大通りに面したカフェ・ド・フロール。店には一度しか行かなかったが、近くのホテルに3泊していたので、この界隈をくまなく歩いたものだ。
「知のメンテナンス」とは何か
2010年3月19日 11:00
すっかり日本語になったメンテナンス(maintenance<動詞maintain)。今ではほとんどの場合、「保守」を意味する。原義は「維持」に近く、しかも"main+tain"と分解すると「手+持つ、支える」となって、「手入れ」に近いような、アナログ的ニュアンスが浮き彫りになる。
ずいぶん前の話になるが、コピー機がよくトラブルを起こしたものである。メーカーは定期的に保守点検をしてはいたが、突発の故障発生にしょっちゅう顧客に呼び出された。故障からの回復を容易にすべく、各社は競ってコピー機に自己診断(セルフ・ダイアグノシス)の機能を付加した。機械そのものが、「この箇所がトラブル発生源」とか「修復するにはこの手順」などと自己診断して、ユーザーに知らせるのである。機械は「調子が悪い」と告げて原因も明らかにするのだが、残念ながら修復には他力を必要とする。
機械を人間に置き換えてみよう。「体調が悪い」と自覚しなければ、人間は治療したり改善したりしようとはしない。正確な診断と処方を医者がおこなうにしても、まずは「何か変」に本人自身が気づかなければ、医者の許(もと)を訪れることはないだろう。プロスポーツの選手などは必ずどこかが悪いものなので、自覚するしないにかかわらず、習慣的な身体の手入れを怠らない。この「手入れ」というのが、メンテナンスの本来的な姿だと思う。
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そこで、知のメンテナンスとは何か、である。「アタマが悪い」と気づき、良くなるように保守点検することか。いや、成人なら、自分のアタマの良し悪しの値踏みはしているだろう。少なくとも他者と比較しての相対的な判断ぐらいは、とうの昔に下しているはずだ。知のメンテナンスではアタマを良くすることはできない。もう一度、機械のメンテナンスを思い出してほしい。それは機械の質を高めることではなかった。その機械に付与されている機能を十全に働かせることであった。機能そのものが、高機能であれ低機能であれ、うまく働いていないときに迅速に手入れをすることがメンテナンスなのである。
知のメンテナンスにおいては、アタマが悪い人でも知が精一杯働いていれば、機能不全に陥ったアタマの良い人よりも、手入れが行き届いているという考え方をする。アタマの悪い人には励みになるだろう(ならないか!?) ぼくは軽はずみに冗談を言っているのではない。世の中がアタマの良し悪しで動いてはおらず、人間力や成功がアタマの良し悪しだけで決定しないのを見ればわかる。IQの高低や知識の多寡よりも重要なのは、自分自身の知が健全に働いていることなのだ。
同じ仕事を続け同じ発想ばかりする。情報をやたらに取り込みはするが知が働かない。逆に、アタマは混沌としてにっちもさっちもいかない。放置していると、現代人は知の迷い子になってしまうのだ。ことばの使い方、アタマの働かせ方には「理に適う」ことが必要なのである。アタマを良くするコツがないとは言わないが、持てる知の最適稼動が先なのだ。機械が己の機能を知っているほどに、ぼくたちは己の知のありよう(「知図」)に精通していない。
知のメンテナンスとは、知の方向音痴に手入れをすることにほかならない。ひとまず大まかな東西南北の位置関係をきちっと見極めれば、やがて南南東や西北西などの精細な方向感覚が鋭くなってくる。以上のような視点を、ぼくは今年の私塾のテーマにしている。人物論を触媒にして、一工夫凝ったつもりである。
自由裁量と義務づけ
2010年3月18日 12:00
まったくうろ覚えなので、内容を詳細に描写することはできないし、ストーリーが間違っているかもしれない。エピソードを通じて伝えたい趣旨だけを汲んでいただきたい。たしか十代の後半だったと思う。テレビでヨーロッパ封建社会の中世を舞台にしたコメディータッチの洋画を見た(当時は今以上に洋画が放映されていた)。その映画では小村の領主の代官が「新税」の考案を担当している。中世封建社会では、騎士階級が領主となって農民を支配していたのはご存知の通りだ。
代官は住民の動きをつぶさに観察していて、何かにつけて新税を適用しようと画策する。小船に乗ろうとしたら「ボート税」、農民が歩いたら「歩行税」という具合。税徴収のアイデアが浮かばなくなったら、挙句の果てに「空気税」まで導入しようとする。生きているかぎりは誰だって呼吸はしている。呼吸をするということは、領主が支配するこの村の空気を摂取していることだ。ゆえに空気税。代官が二酸化炭素に注目していれば、世界初の「CO2排出税」が誕生していたかもしれない。
記憶の底辺からぼくがこの話を思い出したのはほかでもない、通称「コンビニカット」を掲げる低料金理容店への洗髪台設置義務づけが加速していて、なんと21の道県ですでに条例化されているというのだ。仕掛けたのは約7万5千人の「従来型理容店」の店主が組織している全国理容生活衛生同業組合連合会。長ったらしい名称なので、「全理連」と呼ばれている。「カット専門店は洗髪しない。代わりに掃除機のような装置で毛を吸引する。全理連には飲食店からクレームが寄せられている。散髪後の客の毛が食べ物に落ちて不衛生だ、という苦情。ゆえに、衛生水準維持のために洗髪台は不可欠」―これが、条例化を加速させている直接的な動機の要旨だ。
洗髪台を備えて、散髪・髭剃り・シャンプー・ドライヤー・整髪をセットメニューにしている店が従来型理容店に多い。この業態を「従来型」と呼ばねばならない時点で、時代が変わったことをぼくは嗅ぎ取る。回転寿司が主流になった結果、従来の寿司店の呼称に困った覚えがあるが、これによく似ている現象だ。ある知人が言っていた、「子どもをカウンターだけの高級寿司店に連れて行ったら、『回らないところはイヤ!』と叫びました」。回転寿司に対してどう呼べばいいのか。従来型寿司店? それとも非回転寿司店? あるいは、高級時価寿司店か、頼みもしない付き出し有料寿司店?
☆ ☆ ☆
「今日はどうしておきましょう?」と従来型理容店の店主が尋ね、「今日はカットと髭剃り。この後、風呂に行くので洗髪も整髪もいらない」と答えた時代があったではないか。洗髪が絶対のメニューであるはずがない。もっと言えば、条例は洗髪設備を義務づけるものであって、節約を心掛けている客に洗髪を強要することはできない。仮にセットで定額であっても、その金額さえ払えば、ぼくは洗髪をパスすることはできるはずである。「洗髪はいらない」という客のニーズに反して、洗髪を義務づけることなど絶対にできないだろう。
洗髪しないで食事に行くのが不衛生でけしからんと言うのなら、それはコンビニカット店の問題ではなく、マナーの話にすぎない。洗髪をしないで散髪後に食事に行くのは客なのである。自宅で自分のハサミでカットして洗髪しないまま食事に行くのも、肩にフケがついているまま食事に行くのも、汚れた服を着て食事に行くのも、あるいは食べている寿司の味が台無しになるほどヘビーな香水をつけたおばさんがカウンターで隣りに座るのも、すべてマナーの問題なのであって、何から何まで条例を作られては、冒頭の映画とまったく同じストーリーになってしまう。
自由裁量のもとに良識を働かせるだろうという前提が市民社会にはある。それがゆゆしきルール違反になる場合のみ規制なり義務づけが必要となる。観光シーズンと出張が重なるとき、ホテルのビュッフェには数百人もの観光客が入れ替わり立ち代わりお気に入りの料理を皿に取り食べている。あの光景を見れば、舞う綿埃や唾液の飛沫や自然脱毛する髪などの中途半端でないことは一目瞭然だ。デパートの地下しかり。飲食店からの苦情に基づいて全理連が動いたというのが事実であれば、飲食店は今後、訪れる客の直前の行動をすべてトレースするべきだろう。散髪に行って洗髪しない客のために洗髪台を強制するのなら、散髪にも行かず何日も洗髪しないで飲食店にやってくる客にはどんな対策を取るのか。
一見公共の利益に適うような論理のようだが、市場競争力のためのロビー活動に見える。中世の時代も現代も、私利私欲は理不尽を正当化しようとする。まるで過剰に税徴収するお代官様と同じ。全理連と呼ぶのなら、そこにもう少しましな「理」を構築してほしいものだ。なお、ぼくは千円カットの代弁者ではない。休日に自宅近くの店に行ったことはあるが、帰宅してシャンプーし、それから夕食に出掛けた。この程度の良識さえあれば、裁量に任せればよい。何でも義務、何でも条例というのは社会の幼児化を物語り、やがて善良な顧客を愚民視することにつながる。特定業界内の業態間競争という事情で済む話ではない。
《いま・ここ》の明快さ
2010年3月17日 10:00
漠然とした明日に夢を託す習性が誰にもある。つらい今日を何とか凌(しの)げているのは、このつらさから解放してくれそうな明日を垣間見るからだ。いや、別にそれが現実の明日でなくてもよく、未来のいつかという意味の明日であってもいいのだろう。このような未来指向は「今日-明日」という時間軸だけにとどまらない。ぼくたちは場という空間軸に対しても同じように向き合う。すなわち、つらい「ここ」を通り過ぎれば、きっと満足できる「どこか」に辿り着けるだろうという期待である。そのどこかは、ほとんどの場合、「逃げ場」にもなっている。
今日が明日に、そしてこの場所が別の場所につながっているという、ある種の「持続感」がぼくたちを覆(おお)っている。ところが、たとえば「瞬間こそが時間の真の固有の性格である」(『瞬間と持続』)と語るバシュラールに耳を傾けるとき、時間軸には「いま」しかないことを思い知る。「持続は、持続しないいくつかの瞬間によって作られる」という彼のことばは、持続という観念が「この瞬間のありよう」と矛盾していることを示唆しているかのようだ。
この時間・この場所を《いま・ここ》、先の時間・別の場所を《いつか・どこか》と呼ぶことにしよう。ぼくたちが《いま・ここ》をまず主体的に生きなければならないことは明らかである。《いま・ここ》しかないという充実があってはじめて、《いつか・どこか》の充実もありえるだろう。逆に、《いま・ここ》に不満足なら、来るべき《いつか・どこか》にあっても不満足であり続ける確率は高い。《いつか・どこか》を幸福にするための最低限の条件は、《いま・ここ》における幸福感に違いない。
☆ ☆ ☆
《いま・ここ》こそが、疑うことのできない、現実の直接的な経験なのである。《いま・ここ》はとても明快なのである。《いつか・どこか》ばかりに注意が向くあまり、《いま・ここ》がおろそかになっていては話にならない。未来の出番はつねに今日の次なのだ。未来を迎えるにあたっては誰も今日をパスすることはできない。ちょうど今日を迎えることができたのは、過去の一日たりとも、いや一瞬たりともパスしなかったからであるように。
書き綴っていながら呆れるほど、こんな当たり前のことを、なぜぼくたちはすぐに忘れてしまうのかと自問する。《いま・ここ》で残したツケは必ず《いつか・どこか》で回ってくる。《いま・ここ》で考えること、語ること、行動することは、《いつか・どこか》でそうすることよりも確実である。にもかかわらず、そういう生き方から逃避するかのごとく日々を送ってしまう。かつては「モラトリアム」という一語で表されたが、「《いま・ここ》リセット現象」と名づけたい。あるいは、「未来確約幻想症候群」と呼んでもいい。
あまり先人の言ばかりを典拠にしたくはないが、ぼくには思いつかない言い得て妙なので、再びバシュラールのことばを引く。「行為とは、何よりもまず瞬間における決心である」。その瞬間、誰もが「ここ」にいるから、「行為とは、何よりもまず《いま・ここ》における決心」と言い換えてもいいだろう。決心こそが行為と言い切っている点に注目したい。仕事であれ趣味であれ、その「決心-行為」の担い手は自分を除いて他にはない。
「見当をつける」という知の働き
2010年3月15日 12:00
「さっぱり見当がつかないので、やってみるしかない」という決意を耳にする。一か八かのようでもあり、決死の覚悟のようでもある。負け戦になってもやむなしという諦めも前提にありそうだ。見当がつかないことを「イメージが湧かない」と言い換えることができる。状況不明、方位方角不明、どんな結末になるかもわからない。「どう転ぶかわからないが、できるだけ頑張ろう」という、一見頼もしそうな心理に、ぼくは危うさを感じる。時間に急かされてやむをえずそうなってしまったのか、状況判断のしようがないのでやるしかなくなってしまったのか。いずれにしても、あまり歓迎したくない切迫感が張り詰める。
見当とはいろんな材料によっておおよその方向性や好ましい結果に向けての判断をおこなうことだ。ここで重要なのは、いろんな材料をわざわざ集めるのではなく、日頃から身につけてきた知識を生かすという点である。そうでなければ「見当をつける」ことにならない。テーマが与えられてから情報を収集し分析して、しかるべき結果やソリューションを導くことを見当をつけるとは言わない。その作業は見当がつかなかった者が選ばざるをえない苦肉の次善策にほかならない。
ありとあらゆる材料を集めて、それらの総和によって正解への方向性が見えてくるのではない。たとえば、「急いては事を仕損じる」という諺を命題に見立ててみるとき、手に入るだけの証拠を集め考えうるかぎりの論拠を編み出して真偽や是非を論じても答えが浮かび上がってこない。むしろ、おびただしい証拠と論拠によって真偽・是非が拮抗して判断がつかなくなり、茫然と立ちつくしてしまう結果となる。状況の把握ができなくなる、こういう事態は「見当識失調」と呼ばれる。ちなみに「急いては事を仕損じる」という命題に対するぼくの見当は「非」である。下手な遅疑よりは何かにつけてまず急いでみることが寛容だと思っている。この見当の次に、現実的な是非の吟味をおこなうことになる。
☆ ☆ ☆
微妙な表現遣いで恐縮だが、「見当がつく」と「見当をつける」は違う。見当がつくときは、あらかじめ仕事や命題そのものに判断材料が備わっている。その場合は、誰にとっても見当がつくわけで、特別な誰かを必要とするわけではない。つまり、「次の一手」は自明である。ところが、見当をつけるほうは、自分の知とイメージを進んで働かせるという意味だ。人によって次の一手が変わる。それゆえに、たとえば将棋のプロはぼくのようなアマチュアよりも状況の読みが深く、かつ蓄えてきた手筋や定跡の知と想定イメージが質量ともに膨大だから、高い確率で最善の手の見当をつけることができるのだ。
情報が簡単に集まるようになった現在、ぼくたちは能率のよい時代に生きている。しかし、この能率性が曲者だ。いつでも材料が集まるとなれば、ふだんの品定めがおろそかになるし目配りや取り込みの真剣みが甘くなる。実際、企画の指導をしていると、テーマの見当をまったくつけることなく、テーマに関連する情報をやみくもに集めることを作業の出発点にしてしまう人たちばかりである。絵具と筆とスケッチ帳を用意しても、主題の見当をつけなければ絵は描けない。筆に随って文章を書くことを随筆と言うが、筆のおもむくまま小文を綴ることなど不可能で、実際は体験や見聞の題材の見当をつけてから書き始めるものだ。
見当をつけることを別の言い方をすれば、予想する、推測する、想像するなどになる。さらに軽く言えば、大体の方向性の察しをつけるということだ。この知の働きなくしては、どんなに質のいい情報をどれだけ多く手元に置いても、仕事は遅々として進展しない。情報の選別や分析をしたり組み合わせたりして答えが見つかるのではなく、答えらしきものの見当をつけておかねばどうにもならない。もちろん、見当をつけた方向性に答えが見つかる保証はないが、そうする者はそうしない者よりも直観やひらめきのトレーニングを積んでいることになる。
カフェの話(4) コーヒー vs ティー
2010年3月12日 11:00
言うまでもなくカフェとはコーヒーのことである。しかし、店の形態としてのカフェのことをわが国では長らく喫茶店と呼んできた。珈琲店や珈琲館とも言うが、一般的に親しまれた呼び名は喫茶店であった。文字面だけを追えば、お茶を飲む店である。コーヒーを主とするカフェで紅茶を飲むこともできるし、名前が喫茶店であっても紅茶ではなくコーヒーを飲むことができる。「お茶にしようか?」とか「茶でもしばこか?」(やや古いが稀に関西で耳にする表現)とかの「茶」は日本茶や紅茶とはかぎらず、コーヒーも含めたソフトドリンクの代名詞である。
ローマのバールでエスプレッソを飲んでいたら、イタリア系でも英米系でもないカップルが入ってきた(見た目では中欧系で片言の英語だった)。女性のほうが何かを注文した。バールのお兄さんは棚からタバコを一箱取って差し出した。タバコは、らくだのイラストで有名な、あのキャメル(Camel)だった。女性は慌てて「ノー、ノー」と言っている。入れ替わって男性のほうが何事かを告げた。お兄さんは無愛想にうなずいて、リプトンのカモミール(Camomile)のティーバッグを引き出しから取り出した。「キャメル」と「カモミール」の言い間違いか聞き間違いだったという話。
イタリアのバールで紅茶を注文するのは邪道? いや、決してそんなことはない。ちゃんとメニューにも掲げられている。けれども、カップにティーバッグを入れて熱湯を注いで出すのを目の前で眺めていると、エスプレッソやカプチーノと同じ値段にしては、まったくお得感がないように思われる。ワインとコーヒーを自慢とする国で、わざわざビールと紅茶を頼むことはないだろうと思うし、そうぼくに薀蓄を垂れたイタリア人もいた。
岡倉天心の『茶の本』に茶とワインとコーヒーとココアを対比する箇所があって、こう書かれている(太字はぼくの強調)。
There is a subtle charm in the taste of tea which makes it irresistible and capable of idealisation. Western humourists were not slow to mingle the fragrance of their thought with its aroma. It has not the arrogance of wine, the self-consciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa.
ご存知ない方のために説明すると、上記の文章は日本語から翻訳された英文ではない。天心の『茶の本』は "The Book of Tea" が原題で、もともと英語で書かれたのである。「茶の味には繊細な魅力があり、それが人を引きつけ想像をかき立てる。西洋の(風流な)ユーモリストたちは、ためらうことなく自分たちの思想の香気と茶の芳香を融合させた。茶にはワインのように思い上がったところはなく、コーヒーの過剰な自意識もなく、ココアの作り笑いした無邪気さもない」(拙訳)。茶のさりげなさと対比するための極端な誇張だろうが、天心によればコーヒーは「自意識が強すぎる」らしいのである。意味深長である。今から「自意識を一杯」飲んで少し考えることにしよう。
通りかかった折に「雰囲気」を感じてカメラを向けたパリ界隈のカフェ。(左)セーヌ河北岸、ノートルダム寺院近くのカフェ。(中央)エッフェル塔から東へ少し。店を取り囲むように何十というテーブルが置かれている。(右)ボージュ広場の回廊にあるカフェ。この並びに紅茶を専門に扱う小売の老舗がある。昨日と同じ今日はない
2010年3月11日 12:00
電車通勤片道45分の生活から職住近接の生活にシフトしてから四年が過ぎた。地下鉄の駅間隔で言うと、一駅半くらいの距離。早足の徒歩で13分~15分。二つの長い信号と三つほどの短い信号の待ち時間次第で、2分の時間差が生じる。例外的な豪雨の日のみ地下鉄を利用するが、ほぼ毎日往復歩いている。こんな距離と時間でも、ふだん車に乗り慣れて歩かない人には、遠距離で長時間に映るようだ。
塾生のKさんの足は車である。おそらくゴルフ場と町内の食堂にランチに出掛ける時以外はめったに歩かないだろう。彼は思い出したようにオフィスにやって来てぼくをランチに誘い出す。すでに店じまいをしてしまったが、歩いて2分弱のところに十割蕎麦の店があった。「近くの蕎麦屋に行こう」とぼくが言い、その店を目指して歩き始めた。店まであと30メートルかそこらの地点で、彼は口を尖らせて「どこまで行きますのん?」と不満そうに聞いた。どうやら彼には2分の距離が遠かったようである。
たとえ13~15分の距離でも、歩くルートのバリエーションは一桁の数ではない。東西南北を数十本の道が走っているのだから、何百何千通りの道程がありうるだろう。同じ道は飽きるから、真っ直ぐ行くところを手前の角で右折したり、右折してすぐの道を左折したりしながら、時には迷路を楽しむように、しかし当然オフィスの方向を目指して足を運ぶ。ぼくには手段や作業はもちろん、些細なことをするにあたって、同じするなら一工夫して楽しもうとする癖(へき)がある。この癖が嵩じると厄介な凝り性につながってしまう。
☆ ☆ ☆
道すがらにこれまた廃業した米穀店兼クリーニング店があった。店舗面積の80パーセントを閉じ、今ではクリーニングだけを扱っている。どんなルートを選んで歩いても、だいたいこの場所の前を通ることが多い。そして、米穀店を営業していたつい先月半ばまで、ぼくはその店の婆さんの「日課」をずっと目撃し続けていた。毎朝9時前後に路肩に置いてある植木のそばに米粒を一握りほど蒔くのである。待ち構えていたスズメが一斉に電線から降りてくる。餌蒔きの直前は、頭上からの糞に注意せねばならなかった。
ところが、もはや米屋は存在しない。ゆえにばら蒔く米もない。いや、住居も兼ねている様子なので自宅用の米はあるだろうが、シャッターが閉まってからのここ半月、婆さんを見かけない。つまり、長年にわたって餌付けされてきたスズメが朝食にありつけなくなったのである。スズメはどうしているのかというと、今もなお、ぼくが通り過ぎる時間帯に何十羽も電線に止まって米粒を待ち構えてピーピーと啼いているのだ。
実を言うと、前に住んでいたマンションには広いルーフテラスがあって、ぼくも好奇心からスズメに餌付けをしたことがある。ところが、糞を散らかすわ鳩までやって来るわで、近所にも迷惑がかかりそうなのでやめた。だが、やめてから何ヵ月も彼らが学習した習慣は続いた。スズメの体内時計は狂わずに決まった時間に餌をねだり餌にありつこうとする。昨日と同じ習慣が今日も正確におこなわれるのだ。婆さん不在の異変をよそに、餌中心のぶれない日々と言えば、なかなかカッコいい。しかし、彼らはまだ知らない、ある日突然、昨日と違う今日が、今日と違う明日がやって来たことを。何だか、ともすればノーテンキに生きてしまうぼくたちへの教訓のように思えてきた。
雨中のハプスブルク展
2010年3月10日 16:30
先週の土曜日は雨だった。雨降りが多いのを実感する今年の2月、3月だ。梅雨の季節と同じく、雨が続くと何だか日々の変化を感じにくくなってしまう。せっかくの休日の土曜日、会期終了間際ということもあって、「ハプスブルク展」を目指して京都国立博物館に行くことにした。実は、六年前にウィーン美術史美術館を訪れているので、今回の展覧会をパスしようと思っていた。というのも、その美術館所蔵の作品が多いからである。しかし、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の展示作品も揃っていると知り、少なからぬ興味は持っていた。
七条駅から地上へ出ると少し肌寒い。雨の中を人がやけに大勢歩いている。駅員さんが教えてくれた、前売券を販売している書店兼タバコ屋では数人が並んでいる。「ほほう、最終週になるとこんな具合なのか」と気楽に構えていた。驚きはこの後で、博物館に着くと入口に「待ち時間90分」の表示が出ているではないか。本家のウィーン美術史美術館やピカソ美術館では待ち時間ゼロ、ヴェルサイユ宮殿はわずか10分、ルーヴル博物館でも5分も並んでいない。正直、とても1時間半も待てないと思った。手元の前売チケットを誰かに買ってもらおうかとすでに算段し始めてもいた。
しかし、思い止まった。何をそんなに急(せ)いている? と自問し、正午を少し回ったところなので、近くのうどん屋に入って腹ごしらえすることにした。待ち時間が増えるのか減るのかはわからない。博物館前で案内をしていたアルバイトの青年に聞いても、団体観光客が押し寄せているので判断がつかないと言う。「午後2時過ぎなら待ち時間が短縮されているだろう」という自分の希望的推論に賭けて、七条通を挟んで向かいの三十三間堂の門を二十年ぶりにくぐることにした。国宝三十三間堂を時間潰しに使ったらバチが当たりそうなので、きわめて神妙かつ真剣に見学した。
☆ ☆ ☆
博物館に戻ったら、待ち時間が60分になっていた。一応賭けはうまくいったようである。雨も上がった。とは言うものの、行列の並ぶ店を敬遠するぼくにとって1時間は長い。そこで、館外の常設ギャラリーで本を買うことにした。ハプスブルク関係は数冊あったが、品定めをして『ハプスブルク帝国』を買った。税別650円の一番安価な文庫本だったが、安いからではなく読みやすそうだったから求めたまで。待ち時間60分の表示はほぼ正しく、本も第3章まで読めたのであっという間に時間は過ぎた。
中世から近世にかけての西洋絵画の最大テーマは宗教と人物である。宗教画と肖像画が圧倒的な数を誇る。ぼく自身は絵画の解説をヘッドホンで聞くオーディオサービスを受けたことがない。しかし、宗教画と肖像画を鑑賞するときだけは説明付きのほうがわかりやすいだろう。歴史の背景や人物の身上を通してこそ絵の見方が深みを増すことはたしかだ。たとえば、さほど有名でもない「フランドルのある青年」というタイトルの絵なら素通りする。しかし、肖像画が「マリア・テレジア」であり、彼女がオーストリア系ハプスブルク家の女帝であり、かのマリー・アントワネットの母君であることを知っていれば、あるいは神聖ローマ帝国や当時のヨーロッパの勢力地図の知識が少しでもあれば、単なる一枚の肖像画としてその前を通り過ぎることはないだろう。
いや、絵画は気に入るか気に入らないかがすべてだ、色使いや構図やタッチが好みに適い、鑑賞していて楽しければそれでいいではないか、という考え方もある。何を隠そう、ぼくなどはそういう意見に強く与するほうなのだ。だから、キリストや聖書を知らないと理解しづらい宗教画にはあまり関心がない。どの教会にも掲げられている「受胎告知」を見るにつけ、「あなたは妊娠しましたよ」と天使が余計な世話を焼くものだと思っているくらいである。ぼくの好みの絵画は街の風景で、理屈はいらないし、気ままに時代や生活を偲びながら楽しむことができる。なお、三十三間堂の千体観音や観音二十八部衆像も宗教がらみ、さすがに歴史の予備知識がないと厳しい。
心の琴線に触れる
2010年3月 9日 12:00
誰だったか忘れたが、「心の琴線(きんせん)に触れる」を口癖にしていた人がいた。何かにつけて感動しては心の琴線を持ち出す。顔も思い出せないが、耳に何度も響いた慣用句だったので、表現をよく覚えている。琴という楽器を見かけることはめったになくなった。ぼくが中学生になった頃、近所に大正琴のお師匠さんが住んでいて、町内のおやじ連中がこぞって習いに行ったものだ。ちょっとしたブームになっていたのだろう。そう言えば、当時は民謡も流行っていた記憶がある。
琴線と言えば琴の弦ゆえ、心の琴線という言い回しは比喩である。比喩ではあるが、琴の奏者とは違って、ぼくたちは比喩表現のほうにより親しんでいる。「心の琴線」と来れば、続く動詞は「触れる」である。浅学だからかもしれないが、これ以外の組み合わせを見たり聞いたりしたことはない。心の琴線を爪弾(つまび)いたり奏でたり調べたり掻き鳴らしたりなどとは言わないようである。
『「心」はあるのか』(橋爪大三郎)という問題提起があるくらいなので、もし心がないと仮定するならば、心の琴線がありうるはずもない。もし心があるのならば、どんなふうに琴線は心の中に設(しつら)えられているのか。あるいはまた、心というのは結局は脳のことだと解釈する場合には、脳の中で琴線はどのように張られているのか。いずれにしても、心か脳の奥深いどこかには感動したり共鳴したりする感情の弦があって、それに外部から何かが触れると反応して音を出すようなのだ。
☆ ☆ ☆
しかし、音の響き方は人によってだいぶ違うだろう。大仰に響く人があると思えば、微かな音すら立てない人もいるだろう。同じ対象を前にして琴線は鳴ったり鳴らなかったり、あるいはまったく異なった音色を立てる。そもそもこの慣用句は「触れる」までしか面倒見ていないので、音色がどんなふうに鳴るかまでは聞き届けることができない。共鳴の具合はそれこそ千差万別、人それぞれと想像できる。
よく考えてみれば、心の琴線に触れるというのは「待ちの姿勢」ではないか。己の琴線の感度が悪ければ、どんなに対象が迫ってきてもうんともすんとも共鳴しない。誰かがやさしく声を掛けてくれたり感動的な話を披露してくれても、ぼくの心の琴線に触れないかもしれない。心の琴線に触れないのが、ぼく自身の鈍感な感受性の問題ゆえなのか、他方、対象そのものが感情を揺さぶるほどの域に達していないからなのかはわからない。
どうやら、「私の心の琴線」という捉え方に据え膳に甘える目線がありそうだ。心の琴線に触れる何かを待つかぎり、感動を他力にすがっているような気がしてくる。むしろ、まず「他者の心の琴線」に触れるべく振る舞うことが、やがて自分自身の琴線にも触れることになるのだろう。それこそが共振であり共鳴であり共感である。人や言や物に感じて心を動かせるには、それら外界の存在に備わっている琴線に触れてみるべきなのだ。「感応(かんのう)」という表現がそれをぴったり表してくれる。あてがわれた感動ばかりで、自発的な感応がめっきり少なくなった時勢を最近よく嘆いている。
カフェの話(3) 苦味の魅力
2010年3月 7日 14:30
左の写真は、その名も"Espresso"という題名の本の表紙だ。香りの小史やカップ一杯の朝という項目が目次に並ぶ。コーヒー文化とエスプレッソのバリエーションに関する薀蓄が散りばめられており、高品質の写真もふんだんに使われている。この中に詩人でノンフィクションライターのダイアン・アッカーマンのことばが紹介されている(『感覚の自然史』からの引用)。曰く、「つまるところ、コーヒーは苦く、禁じられた危険な王国の味がする」。う~ん、どんな味なんだろう。何となくわかるような気がして、喉元までそれらしい表現が出てきそうで出てこない。ことばでは描き切れない味だ。
紀元前から醸造されてきた長い歴史を誇るワインに比べれば、コーヒー栽培の起源はかなり新しい。自生種を栽培種として育て始めたのが13世紀頃だし、ヨーロッパの一部で流行の兆しを見せたのが17世紀だ。アッカーマンが比喩している「危険な王国」とはどこの国なのだろうか。エチオピア? それともアラビア半島のどこか? 野暮な類推だ。仮想の国に決まっているではないか。
いずれにせよ、ぼくたちは「禁じられた味」をすでに知ってしまった。だから、大っぴらに飲んではいけないと言い伝えられたかもしれない頃の禁断のイメージを、今さら浮かべることは容易ではない。ただ、高校を卒業した頃に喫茶店で飲んだ最初の一杯からは、たしかにレッドゾーンに属する飲料のような印象を受けた。コーヒーの味は誰にとっても苦い。子どもだから苦くて、大人だから苦くないわけではない。「おいしい? おいしくない?」と子どもに聞けば、おいしいと言うはずがない。子どもに気に入ってもらうためには、コーヒーの量をうんと減らしミルクと砂糖をたっぷり加えてコーヒー牛乳に仕立てなければならない。
苦味が格別強いエスプレッソには、ブラック党でもふつうは砂糖を入れる。イタリアのバールでは、小さなカップにスプーン一杯の砂糖を入れて掻き混ぜ立ち飲みしている。話しこまないかぎり、さっと注文してさっと飲んで出て行く。なにしろ立ち飲みなら一杯100円からせいぜい150円の料金だ。ところで、砂糖を入れるのは苦味を抑えるためなのか。苦味を少々抑えたければミルクの泡たっぷりのカプチーノのほうが効果がある(カプチーノを頼んでも30円ほどアップするだけ)。実は、砂糖を入れても苦味はさほど緩和しない。むしろ砂糖の甘みが、ストレートの苦味とは異なる別の苦味を引き出すような気がする。説明しがたいが、何となくそんな気がする。
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(左)エスプレッソのダブル(シエナのカンポ広場)。イタリアのバールでは"カッフェ・ドッピオ"と注文する。(右)パリのカフェの店内。パリのカフェでは通常一杯のエスプレッソがイタリアのダブルよりも分量が多い。
(左)シニョリーア広場のカフェ(フィレンツェ)。観光客が朝から夜まで絶えない有名な広場だが、光景を眺めているだけで飽きることはない。このようにテラスのテーブル席に座ると、コーヒーの値段は3倍になる。
刻一刻の「追思考」
2010年3月 5日 12:00
「追体験」ということばはすっかり定着していて、みんなよく知っている。誰かが体験したことを自分なりに解釈して、あたかも自分が体験したかのように再現してみせることだ。たとえば芭蕉の『奥の細道』やゲーテの『イタリア紀行』を読み、自分なりに解釈しながら旅を疑似体験してみるのが追体験。旅程を辿って実際に旅をするという意味は含まれない。あくまでも、誰かの体験を想像上ないし机上で追うことが追体験である。
めったに耳にしないというか、ほとんど聞かないのが「追思考」というマニアックなことば(何かの本で見たので、ないことはない)。実を言うと、追体験よりも追思考のほうをぼくたちは日々頻繁におこなっている。今夜の会読会でぼくは小林秀雄を取り上げるが、読書という行為はまさしく追思考そのものなのだ。著者の考えたところをなぞるように、あるいは追っかけるように考えていく。原思考者と追思考者の間に絶対能力の差があれば追いつくことはなく、原思考をそっくり再現できるはずもない。結局は、自分の理解力の範囲内での追体験ということになる。
昨日「できる人の想像力」について書いた。その後、夜になって自宅でそのことについて考えてみた。偉い人の思考を辿るのも追思考なら、自分の考えたことをもう一度自分自身がトレースするように追ってみるのも追思考の一種だろう。なぜなら、今日考えている自分からすれば昨日考えていた自分はどこか他人のようでもあるからだ。自分による自分の追思考をしてみると、結果的に「再考」することになるが、いったんきちんと思考経路を追ってみて再生しようとするところに意味がある。
☆ ☆ ☆
昨日はプロフェッショナルを賛美するようなタッチで書き、専門性の源泉に想像力を求めた。自分で書いた記事を読み直し追思考した結果、想像力は源泉ではあるものの、それだけではやっぱり一流にはなれないことに気づいた。想像力豊かな専門バカもやっぱり存在するからである。日々良識をもって真偽や是非を感知する能力を実践しなければ、想像も根無し草のごとき空想で終ってしまうのだろう。
めったに先行開示はしないが、今夜ぼくは小林秀雄の『常識について』を取り上げることを敢えて明かしておこう。そして、小林秀雄にはもう一編『常識』というエッセイもあることに気づき、本棚から引っ張り出して読み始めた。そこに次のような文章がある。「常識を守ることは難しいのである。文明が、やたらに専門家を要求しているからだ。私達常識人は、専門的知識に、おどかされ通しで、気が弱くなっている。」 ここから読み取れるのは、専門家の知識によく見られる「良識の不在」への批評精神だ。
この時点で、ぼくの考えは想像力から離陸して、同じエッセイの中の別の箇所を追思考していた。少し長くなるが丸々引用するので、興味のある方は小林秀雄の追思考をしてみてはどうだろう。
「生半可な知識でも、ともかく知識である事には変りはないという馬鹿な考えは捨てた方がいい。その点では、現代の知識人の多くが、どうにもならぬ科学軽信家になり下っているように思われる。少し常識を働かせて反省すれば、私達の置かれている実情ははっきりするであろう。どうしてどんな具合に利くのかは知らずにペニシリンの注射をして貰う私達の精神の実情は、未開地の土人の頭脳状態と、さしたる変りはない筈だ。一方、常識人をあなどり、何かと言えば専門家風を吹かしたがる専門家達にしてみても、専門外の学問については、無智蒙昧であるより他はあるまい。この不思議な傾向は、日々深刻になるであろう。」
昭和34年のエッセイゆえ、言葉の狩人にいちゃもんをつけられそうな表現が一部あるが、そんな些細はさておき、プロフェッショナルと想像力と常識に関してぼくの眼前の視界はだいぶ広がったような気がしている。小林秀雄の炯眼には感嘆する。
できる人の想像力
2010年3月 4日 12:00
まだ一ヵ月ほど先の仕事だが、二部構成の講演がある。第一部と第二部の講師は別、というのが通常だが、どちらもぼくが担当する。第一部がプロフェッショナル論で、第二部がマーケティング論。同一講師が別のテーマを語るケースは少ないが、これがぼくの馴染んだ欲張りパターンだ。聞く方も話す方も一テーマ4時間よりは二つのテーマを各2時間のほうが集中しやすい。別にテーマ領域の広さを自慢しているわけではない。一見異なった二つのテーマには共通のコンセプトや考え方が横たわっているものである。同日ゆえ学習の相乗効果も高い。何よりも、同額報酬で二本立てだからお得だ。
第一部のプロフェッショナル論については、ここ数年、仕事の作法やプロの仕事術、あるいは発想の達人などの名称で講演と研修をしてきた。動機はいたって素朴だ。その道の専門家はどのようにして一人前になっていくのか、ひいてはどのように学べばそのようになれるのか、その学び方にぼくごときが少しでも関与して自己訓練を手伝えないかという思いがある。NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て感心することが多いが、特に番組に大きく影響を受けた結果ではない。
当然のことながら、仕事ごとにプロフェッショナルの極意や流儀は異なる。これまでにNHKが取り上げた専門家で言えば、たとえばマグロの仲買人と今週の遭難救援隊員とでは技も道も精神も大いに違っている。おそらく一人前になるのに要する歳月も長短あるだろう。にもかかわらず、プロフェッショナルの誰もが等しく達している境地を窺い知ることはできる。共通の感覚や精神や頭脳の働きなどが一つの「型」として浮かび上がってくるのだ。いろんなプロフェッショナルと出会い観察し雑多に本も読んだ。そして未だ行く手に険しい道があることを自覚しつつも、少しずつ成長しているぼく自身の体験をもなぞっているうちに、数年前から「鍵を握っているのは想像力だ」という確信を得るようになった。
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「いやいや、年季や経験や場数こそがものを言うのではないのか」という異論が立つかもしれない。しかし、よく考えてみれば、その類が高度な専門性の証になるとはかぎらない。天与の才を論うとキリがないから、同等の能力でその道に入った二人を仮定しよう。同年数で同経験を重ね同じ場数を踏んだとしても、そこにプロフェッショナル度の差が出るのはなぜだろう。固有の経験は、確実な積み重ねであるだけに基礎固めに力を貸すが、他方、偏ることもあるし融通性を欠くこともある。経験が未知の領域で応用力を発揮するためには、基礎的な技術が想像力と出合わねばならないだろう。
ここまでかたくなに難しく考えなくてもいい。ぼくたちは、その人のキャリアによって専門家や名人を感じることは少ないのだ。いたずらにキャリアだけを積みながら、プロフェッショナルからは程遠い凡俗はいくらでもいる。協力会社の新人が何度もミスを重ねるので一言、二言意見したら、「今後は御社にはベテランを起用しますのでご容赦ください」と謝罪されたとしよう。それであなたは諸手を挙げて小躍りするか。否である。そのベテランが「できる人」という信憑性は、年季と経験によるだけでは確約されない。
ぼくの知るプロフェッショナルたちは、決して経験に安住しないし、技量そのものにもこだわらない。彼らはほぼ共通して機転が働く。みんなよく先を読んでいる。先を読むが、ありとあらゆるシミュレーションを立てるわけではない。そんなムダをするのはアマチュアだ。プロフェッショナルは暗黙知によって要所だけを読む。結果の両極を読み、その間に起りうる状況をつぶさに想定せずとも、ものの見事に対応してみせる。それこそ想像力の手並みなのだ。プロフェッショナルはつねに期待される以上の成果を生み出す。その能力の拠り所を信念や使命感ととらえてもいいが、もっとも具体的でぼくたちが自己研鑽できそうなのが想像力だと思うのである。
カフェの話(2) BGMとコーヒー
2010年3月 3日 11:20
コーヒーと音楽は切っても切れない関係にある。カフェとくれば洋楽だが、常連ばかりが集まる場末の喫茶店では稀に演歌がかかっていたりする。コーヒーの香りが「炙ったイカ」に変じるわけではないが、味わいが微妙になるのは否めない。そう言えば、ボサノバのCDをかけているイタリア料理店でも違和感が漂う。かつてよく通ったその店で「カンツォーネを流さないの?」と尋ねれば、「正確に言うと、うちは地中海料理なので」とオーナーシェフ。地中海だからボサノバというのがよくわからない。店名がイタリア語だからシャンソンも合わないだろう。素直に「ぼくはボサノバが好きなんです」と答えておけばいいのに。
入りびたるほどではないが、月に一、二度行く喫茶店はプレスリー専門。オーナーが長年のファンで詳しい。どちらかと言えば、バラード調を中心に編集している。ところで、お気に入りの音楽には聞き耳を立てる。お気に入りでなくても、一人でコーヒーを啜っているときは音楽がよく耳に入る。読書に注意が向いているときは、BGMは途切れ途切れにしか聞こえない。しかし、本からふと目をそらしたりペンを休めたりする瞬間、メロディへと注意が向く。昔のジャズ喫茶ではコーヒーよりも音楽が主役だったのだろう。あるいはタバコをくゆらすためのコーヒーだったかもしれない。行ったことはないが、歌声喫茶ではみんな一緒に歌ったと聞く。コーヒーの味など二の次だったのではないか。
ヨーロッパのカフェやバールではあまりBGMを流さない。会話の邪魔になるから? かもしれない。生演奏のカフェで印象的だったのは、ヴェネツィアはサンマルコ広場のカッフェ・フローリアン(Caffè Florian)。創業者のファーストネームであるフロリアーノ(Floriano)に由来する、ヴェネツィア随一の老舗カフェだ。なにしろ創業が1720年。広場の一隅のオープンテラスでカフェラテかカプチーノかを飲みながら四重奏風仕立ての旋律に耳を傾けた。ふつうのバールならエスプレッソ10杯分に相当する値段。せっかくの旅なのだから、けち臭いことは言わないほうがいいか。
晴朗きわまる空と海、世界一美しいと評判のサンマルコ広場と寺院、聳え立つ鐘楼、ドゥカーレ宮殿、行き交う観光客・・・・・・ゆったりと目で追いながら音色を楽しみコーヒーを口に運ぶ。昼間の屋外のカフェは実にのんびりできる。春でも秋でも夜になると急激に冷え込んでくるが、黄昏時の広場にはラグーナからの海の匂いが入り込み、散策気分を演出してくれる。テーブルに座らず(つまりコーヒーを飲まず)広場に佇めば、カフェの生演奏の競演をただで楽しむことができる。題目の大半はイージーリスニング系だ。
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(左)広場の一角を占めるカッフェ・フローリアンのテラス。もちろん室内でもコーヒーを飲める。右手の回廊から建物内に入れば、古典色の強い調度品に囲まれて喫茶を楽しめる。(右)見ての通りのパイプづくりのテーブルに椅子。座り心地は決してよくないが、タキシードを着用した男前のカメリエールにはチップをはずむことになる。
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(左)ラグーナ側から見るサンマルコ広場付近。建物と建物の間のアプローチを抜けると広場が広がる。カッフェ・フローリアンは鐘楼のすぐそば。ご覧のような海際との位置関係だから、高潮(アックア・アルタ)になると膝下まで海水が溢れることがある。そんなとき軽量のパイプ椅子やパイプテーブルだと片付けが楽なのだ。(右)夜になっても生演奏が続く。これはカッフェ・フローリアンの向かいのカフェ。広場に面するカフェは同時に演奏しない約束になっているようである。
読書しながら世話を焼く
2010年3月 2日 11:00
「春眠不覺暁」の盛りまではまだしばらく時間がある。春の眠りは心地よくて朝が来たのもわからないという、この生理機能の前に、ぼくの場合は「本を読んでいると眠くなる」という兆しが現れる。読書だけでなくテレビを見ていても考え事をしていても、季節が寒から暖へと移り変わる頃はついうとうとしてしまう。歳のせいかもしれないが、この習癖(?)は若かりし時代も同じようにあった。顕著なのが就寝前なので、本を読みながらそのまま熟睡に入るのはまんざら悪いことでもないだろう。
昨年から"Savilna(サビルナ)"を冠にした会読会を始めた。知の劣化を読書と書評によって食い止めようという試みで、「錆びるな!」を捩(もじ)った名称だ。この会読会を意識して読むべき本を選別することはまったくない。ぼくなりに読みたい書物の今年のテーマはあるわけで、それに背いてまで受けを狙うような本の読み方はしない。とは言うものの、今年に入って読了した何十冊かの本の中からどれを書評するかという段になると、ただ自分が気に入ったり動かされたりしたという基準だけでは選び切れないのである。
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有志が集まる会読会で彼らが読んでいない本について書評するような決まりがなければ、読書ほど私的で自由な楽しみはないだろう。書誌学者や評論家でもあるまいし、好き勝手に読んで大いに自分だけが学べばよろしい。しかし、レジュメを一、二枚にまとめてメンバーに配り、さわりの引用文と書評を紹介しようとすれば、読もうと思い立ったときの本の選択基準とは別の読み方を強要されてしまう。生意気な言い方をすると、ぼくにとっては別段教訓的でもないが、彼はこれを知って目からウロコだろうとか、別の彼には仕事上のヒントになるのではないかという思惑が読書中に働いてしまうのである。
勉強のため、あるいは楽しみのためにその本を選んで読むことにした。にもかかわらず、読書を通じて自分自身が学んでいるのではなく、「この件(くだり)をみんなに知っておいてほしい」などと、まるで親が幼い子どもに昔話を読み聞かせるような心境になっている。「この箇所は、ぼくがくどくど説明するよりもそのまま引用したほうがよさそうだ」と思っていることなどしばしばなのだ。えらくお節介を焼いているものである。
しかし、考えてみれば、企画業や講師業という仕事にサービス精神は欠かせないのである。振り返れば、会読会が始まるずっと前からぼくの読書の方法は、自他のためだったような気がする。本を読みながら自分がよく学び楽しみ、その学び楽しんだテーマや文章を誰かと分かち合いたいと願うのは当然至極だろう。「自分の、自分による、自分のための読書」の純度に比べて、第三者を意識した読書の純度が低いわけではない。ついでに世話を焼いているだけの話だ。それはともかく、年に何十冊も本を読んでいながら片っ端から忘れてしまう読書人にとって、書評をまとめたり発表したりするのはプラスになるだろう。読みっぱなしよりもたぶん記憶は深く濃密である。



