【自由(じゆう)】
仕事柄出張が多く、新幹線や特急に乗車するときは必ず事前に席を取る。ここ数年はインターネットで予約している。同業の友人にはいつも行き当たりばったりという「猛者」がいる。指定がいっぱいなら自由車輌に乗るらしい。現地に行ってこれから講演するというときに、1時間も2時間も立つ勇気と根性はぼくにはない。
ところで、かねがね不思議に思っていたのが自由席と指定席ということばである。ふだんぼくたちは自由を求めている。「何が欲しい?」と聞けば「自由が欲しい」と言うこともある。逆に、指定されるのは窮屈だと思う。だが、自由席に乗ろうと思えば早くから並ばなくてはならず、ある意味でこれは自由ではない。自由席を確保するためには競争も覚悟せねばならない。これも自由ではない。競争に敗れてずっと立ち続けるのは、どう考えても不自由である。英語の"non reserved"は「無予約」だからよくわかる。わが日本語はなぜ「自由」と呼んでいるのだろうか。
翻って、たくさんある席からたった一つ、そこに座ることを強制されるのが「指定」である。指定席を求めたのは確かにこのぼくではあるが、実際、その一席を指定したのはJRだ。条件の付けられた指定席にもかかわらず、こちらのほうが気分は自由になれる。
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『翻訳語成立事情』(柳父章)に「自由」という語の厄介さが紹介されている。明治時代になって、英語で言えば"liberty"や"freedom"に「自由」を当てはめた。もちろん造語ではなく、それまでも知識階級では自由ということばが二種類の意味で使われていた。ふつうは「勝手気ままに振る舞うこと」を自由と呼んだ。決して好ましいニュアンスではない。他方、仏教では、「自らに由(よ)る」と読めるように、独立自存ないしは自律的、ひいては「とらわれない境地」をも意味した。こちらには好ましい語意が備わっている。
翻訳語としての自由は権利と結びついて独自の意味を醸し出すようになった。但し、独自と言いながらも、たかだか百年ちょっとの歴史しか担っていないから、ぼくたちはまだ十分に使いこなしていないようなのだ。先の書物の著者は「(自由ということばの)意味があまりよく分っていないのである。そして、意味がよく分らないことばだからこそ、好んで口にされ、流行するのである」と述べている。
広辞苑も手元の英語の辞書も、それぞれ「自由」と"free(-dom)"という単語にスペースを割き、多義性を象徴するような解説を延々と連ねている。辞書編纂者の苦労が読み取れる。「自由席」とはどうやら「特別料金の負担のない」という意味のようである。「わたし、自由になりたい」はどうやら「わがまま三昧」のようである。身近な語句でありながら、未だに用いる人の間に語感のズレのある自由。さて、あなたの求める自由とは何か、あなたはほんとうに自由になりたいのか? 「暇な(free)」折に一度考えてみる価値がありそうだ。




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