五感な街・アート・スローライフの最近のブログ記事

ブリュッセルからの絵はがき

2012年1月27日 15:30

ブリュッセルからの絵はがき.JPG 2011年11月21日。午前10時過ぎ、パリ北駅から特急タリスに乗ってブリュッセルへ。日帰りの旅だ。

 パリと同じくらいの温度だったが、少々底冷えしていた。すぐに電車やバスに乗ると身体が温まらないから、こんな時ほど歩くに限る。街の中心街の歴史地区までは地下鉄に乗ったが、あとは数時間あちこちをそぞろ歩きした。

 これに先立つ一週間前のバルセロナ、さらに三日前にパリに着いてからも絵はがきを書いていないことに気がついた。友人や親類には書かないが、海外に出ると、留守番をしているスタッフには便りをするようにしている。ここまではがきを投函しなかったのは、他でもない、切手が買えなかったからだ。

☆ ☆ ☆

 切手などどこででも売っていそうなものだが、実は、スペインでもフランスでもワインを買うよりもむずかしい。もちろん郵便局で買い求めればいいが、郵便局があちこちにあるわけではない。ふつうはタバコ屋で買う。だが、国際切手を置いていないところが多い。

 運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。それでカフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた。たわいもないことしか書いていないので、クローズアップされると恥ずかしい。近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。

 そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、一日に午後4時半の集配だけだから、明日になるね」と彼は付け加えた。時計は午後5時を回っていた。一日後の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。というわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。

 この絵はがき、25日には大阪に着いていたらしい。集配してから三日後とは・・・・・・。みすぼらしくて頼りないポストだったが、ブリュッセルの郵便局、案外しっかりしているようである。

石畳を歩くように・・・・・・

2012年1月10日 18:00

 年末年始、別に慌ただしくもなかったが、気がつけば、流れに棹差すように時が過ぎていた。昨年の11月中下旬にはパリにいたのに、それが何だかはるか過去の出来事のように思えてくる。写真もろくに整理しないまま、ゆっくりと振り返る暇もなく今日に至った。

 かと言って、別に重苦しい日々を送っていたわけでもない。ただ、いつになく、少々苛立つ場面に出くわす。何に対してかはよくわからないが、もどかしい。駅の階段を二段ずつ上がろうとしている割には足が上がっていないという感じ。

 時間にも「ゆったり時間」と「急かされる時間」がある。おもしろいことに、前者の時ほどいい仕事が手際よくできる。後者のリズムに入ると「あれもこれも感覚」が襲ってきて、事が前に進まない。

 こんな時、地を踏みしめるようにゆったりと「仕事の中を歩く」のがいい。靴底から地面の凹凸が伝わってくるように。たとえばそれが石畳なら、そこから街のメッセージを汲み取るように。歩いてこそ伝わってくるものがある。走ってばかりいては重要なものを見逃してしまう。というわけで、やり慣れた仕事、見慣れた光景や風情にもよく目配りして歩こうと思う(実際、昨日と一昨日はそうして街歩きでくつろいだ)。

Brussels.JPG〈写真〉2011年11月21日。昼前から黄昏時までブリュッセルの街をくまなく歩き続けた。車や電車やバスでは感知できない「地場」を足の裏で時々思い出す。 

アートによる知への誘い

2011年4月 3日 11:00

 ピカソやモーツァルトだけにアートを感じてすまし顔していては鈍感である。アートはそこらじゅうに潜んでいる。たとえば、テレビで『世界街歩き―シエナ』を見ていて、街の城壁に、坂のある広場に、コントラーダ(地区)のいもむしの図柄に五感が反応した。その街の詳細が記憶の中で蘇ったのは、まったく無知ではなく、二度訪れたことがあるからだ。海外に出掛けるというのは、「ハレ」の行動だから、経験は強く記憶され懐かしくも機敏に再生される。

 いま、芸術ではなくアートと呼んでいるのは、術の外へと目を見開き、「ハレ」のみならず「ケ」にも敏感になりたい気分だからである。たしかに、アートへの覚醒は、術とは無縁の日常茶飯事でもつねに起こる。感覚を研ぎ澄まして日常を暮らしていたら、朝の空気に、青空の雲に、民家の壁の汚れた模様に感応することがある。パスタの旬の具材、菜の花にさえアートへのアンテナがプルプルと反応する。

 物語を追いすぎると表現やアートが見えず、表現やアートを追うと物語を見失ってしまったりすることがある。ぼくの場合、たとえば映画などがその典型になる。映画観賞は小説を読むほどのキャリアを積んでこなかったので、統合的に愉しむ器用さを持ち合わせていないのだろう。しかし、物語を必死に追っていても、アートが一緒に伴走してくれる映画もある。『ニューシネマパラダイス』がそうだったし、最近観た作品では『英国王のスピーチ』がそうだった。

☆ ☆ ☆

 ロゴスとパトス、あるいは理性と感性を対立や背反の概念としてとらえる習性が世間にまだ根強い。だいぶ見方が偏っているし、ステレオタイプでもある。もう口はばったいことは言わないようにしているが、人はロゴス派やパトス派のいずれかの単色だけに染まるほど単純にできてはいないのである。「私は感性人間です」という知人が少なくないが、そもそも人類にそんなカテゴリーなどない。知情意それぞれの成分配合は異なるだろうが、誰もが理性的でもあり感性的でもあり、あと一つ付け足せば、良識的でもあるのだ。

 かつては本を読んだり話を聞いたりして刺激を受け、アートに入っていった。ぼくの場合、ベートーベンの伝記を読んでクラシック音楽へ、抽象画の話を聞かされてミロやカンディンスキーへ、古代史を読んで明日香散策へという具合に。ファーブルを読んでから昆虫好きになるのも同じだろう。だいたい学校はそんなふうに知識を手ほどきしてくれているのである。ところが、今では逆である。たまたま美術館に行ったり小さな旅に出掛けたりして、それがきっかけになって好奇心から本を読むことが多い。

 本を読んだからといってアートに赴(おもむ)くとはかぎらない。怠け者はそんなことをしないだろう。しかし、アートに触れ合ってから本を読むのはさほどむずかしくない。こちらのほうが流れがスムーズである。この半月で『大英博物館古代ギリシャ展』『法然―生涯と美術』『パウル・クレー―おわらないアトリエ』を観てきた。またしてもギリシア文明やギリシア神話の本を本棚から取り出したし、お気に入りのクレーの画集をめくったりしている。蔵書に『選択(せんちゃく)本願念仏集』はあるが、読んでおらず、法然についてはほとんど知らない。この機会に少し勉強しようと思う。「思い立ったが吉日」とよく言うが、先に動いて観賞して感じ入ってきているから、このことばには誘導力がある。

コンメディア・デッラルテ

2011年2月14日 12:00

 金曜日にやっと雪らしい雪が降った。京都や奈良や兵庫で降っても、大阪市内ではまず降らない。ちらちらすることはあっても、めったに積もらない。その雪がわずかだが屋根や路面を覆った。いつもの散歩道を辿れば、高さ30センチメートルほどのミニ雪だるまが道路に面して一つ、公園の中にもう一つ、置かれていた。静かな正午前、雪はまだふぅわりと降っていた。

 明けて土曜日。この日も雪模様との情報があったが、空気は前日と同じくらい冷たいものの雪は降らなかった。先月マークしていた映画は、交通の便が悪い一館を除き近畿一円ではすでに上映が終了していた。これを吉とする。なぜなら、同じくチェックしていたのに、すっかり忘れていた「公演」を思い出したからだ。運良く気づいたのはいいが、それがまさに当日。大阪能楽会館に問い合わせ、チケットがあるのを確認して足早に出掛けた。『狂言 対 伊太利亜仮面劇』がタイトル。開場を待つ数分間のうちに雨風が強く吹き始めた。

 狂言は何度か観劇しているし本も少々読んでいる。趣味に合うのでもう少し親しんでみようと日頃から思っているが、ままならない。狂言のいいところは、あらすじを知っていても楽しめるし、知らなくてもそれなりにシナリオが類推できる点だ。しかも、650年の長い歴史がありながら、話しことばにほとんど違和感がないのがいい。現代流に言えば、笑いのショートコントだろうか。しかし、道具による実際的な場面の演出がない。つまり、演じられる舞台は抽象的な空間であり、その空間の中に観客は自分なりに状況を想像する。感じ方が一様でないのが、これまた楽しい。

☆ ☆ ☆

 狂言の舞台にイタリア伝統の仮面劇が融合する。そんな新しい劇の形を観た。『はらきれず』は狂言の『鎌腹』を翻案化した夫婦喧嘩もの。頼りない夫に扮して演じたのはイタリア人俳優、「わわしい(ガミガミとうるさい)妻」の役には日本人女性。これに狂言師の小笠原匡が夫の友人で絡む話。狂言ではなく、「コンメディア・デッラルテ(Commedia dell'arte)」の手法で演出した新作である。

Masks for commedia dell'arte.JPG コンメディア・デッラルテは16世紀半ばにイタリアで興った即興喜劇である。舞台は狂言同様に簡素で、4メートル×3メートル程度とさらに空間が狭い。筋書きには定型があり所作がコミカルという点で狂言によく似ているが、強いアドリブ性で観衆を楽しませるのが特徴のようだ。狂言でも仮面を使うが常時ではない。むしろ素顔の演目のほうが多い。これに対して、コンメディア・デッラルテは仮面劇と言われるだけあって、ほとんど仮面を被っている。仮面は顔をすっぽり包むものではなく、鼻から上の半仮面だ。太郎冠者や翁のような登場人物がいる。たとえばアルレッキーノは召し使い、パンタローネは年老いた商人という具合。それぞれに仮面の体裁が決まっている。

  この劇を観てイタリア民族音楽を思い出した。もう七、八年前になるだろうか、「タランテッラ(Tarantella)」というナポリ発祥の舞曲の大阪でのコンサートだ。マンドリンやタンバリンを結構速いテンポで奏で、スカッチャと呼ばれる口琴も使う。タンバリン奏者の手のひらと指先づかいのテクニックに魅了され、初めて聴いたにもかかわらず、中世の南イタリアが目の前に浮かんできたのを覚えている。

 イタリア仮面劇とイタリア民族音楽。それに狂言も加えよう。これらに共通するのは、素朴で演出控え目。だからこそ、イマジネーションが刺激されるのだろう。

 

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モノクロ映画と陶芸

2011年1月20日 08:30

 《五感な街・アート・スローライフ》のカテゴリに関連するテーマを三ヵ月近く取り上げていない。必ずしもアートに無縁の日々ばかりではないが、これまでそうしてきたように、このカテゴリではできれば写真を入れたいと思う。ところが、掲載したくても写真がない。カメラが壊れたわけではない。秋が深まってからは手ぶらで出掛けていることに気づいた。光景や体験をカメラに収める余裕がなくなったのか、それともしっかり即時的にマインドで取り込めるようになったのか。後者であってほしいが、単に持ち運びが億劫になっただけかもしれない。

 年に四回のハッピーマンデー。正月が明けて三日ほど働いたら、いきなり最初の三連休がやってくる。新年早々にこんなに心身を緩めていいのかと一抹の不安を覚える。少なすぎると愚痴をこぼすが、大型連休や三日働いて三日休みなどというのはご褒美過剰ではないか。若い頃はきつい職場にいたので休みを歓迎した口だったが、今では休日にも少々仕事を入れる。そのほうが「衰脳化防止」には効くような気がしている。とか何とか言いながら、新年最初のせっかくのハッピーマンデーだ、遠慮なく活用することにした。現金なものである。

☆ ☆ ☆

 ドイツ映画(2009年)『白いリボン』を観た。ドイツ・オーストリア・フランス・イタリアの合作である。モノクロ映像のせいか、あるいは時代考証がよくできているせいか、20世紀初頭の、第一次世界大戦前夜のドイツの小村の空気や人間関係、階級社会の生活がよく描かれていた。生真面目だが陰湿、虚勢や強がりに生きつつも徐々に心のどこかが疲弊していく。悪しき、そして捨てがたき封建制度。禁欲的日々には誇りと鬱憤が重なり合う。随所に《二項対立》を見て取った。二項対立なのに、どこかで妙に折り合っているような不思議な共同体の姿・・・・・・この頃からドイツの歯車が狂い始めていった。映画評論は苦手なので、これ以上立ち入らないでおこう。

Lucie Rie 図録.jpg 翌日『ルーシー・リー陶芸展』に赴いた(2月13日まで大阪市立東洋陶磁美術館で開催している)。中央公会堂のすぐそば、ぼくのお気に入り散歩コースの途上にある。自宅から歩いて半時間、少々寒い昼前だったが、会場を後にするときには気分がとても浄化されて、逆に温まって帰ってきた。

 単独展になると世界に散らばっている陶芸品を一堂に集める。そんな機会はめったにあるものではない。どちらかと言うと、陶芸は疎いジャンルなのだが、とてもわかりやすい作品群であった。上品であり形状も色も清廉なセンスなのである。左の写真は図録の表紙。日本商工会議所会頭賞を受賞しているらしく、とてもいい出来映えのカタログだ。

 妙なもので、いい器を見た直後の一週間は食事処の食器にも目が向くものである。アートは居心地の良し悪しがはっきりするものだが、遠ざけ気味の名作を時折り鑑賞しておくことは、日々の感受性に少しは役に立つものである。もちろん、仕事の仕上げにあたってもう少し凝ってみようと意識が働いてくる。さて、週末はどんなアートスポットに出掛けるか、文章を書いているうちに少々愉しみになってきた。

愉しい本、美しい本

2010年10月29日 08:00

 書棚のスペースに余裕がなくなってきたので、最近はかさばらない文庫と新書ばかり買っている。昔読んだが手元に残っていない古典の類を再読するためである。お手頃価格で買うハードカバーの古本もあるが、床に積んである状態だ。電子化すればさぞかしすっきりするだろう。電子書籍の是非はさておき、ぼくは紙のページを指で捲(めく)るのが好きなのである。しかも、2Bくらいの太い芯のシャープペンシルでマーキングしないと読んだ気にならない。

 読んでためになる本よりも、読んで愉しい本がいい。本だから吟味するのはもちろん内容だ。しかし、かつて書物は貴重であり希少であった。そして、読む愉しみだけではなく、蔵書として愛でたり飾ったりすることにも意味があった。一種の芸術品である。グーテンベルクの活版印刷が普及してからも、印刷されたページが製本も装丁もされずに売られていた時期が長かった。わずかな発行部数を求めて、購入者は刷りっ放しのページを自分の好みに応じて装丁し製本していたのである。

 以上のような、本にまつわる初耳のエピソードに感嘆しきりだった。実は、広島出張の機会に、ひろしま美術館で開催中の特別展『本を彩る美の歴史』をじっくりと鑑賞してきた。わが国の平安時代の経典の前でしばし立ち止まり、ルネサンスから近代までのヨーロッパの本、活字、装丁、挿絵に目を奪われた。『グーテンベルク聖書』(1455年)の文字組みの美しさは圧巻だったし、シャガールの挿絵の斬新さにも感嘆した。

☆ ☆ ☆

 ルネサンス期のお宝本の数々を超至近距離で見れるとは・・・・・・。ユークリッド『幾何学原論』(1482年)、トマス・アクィナス『神学大全』(1485年)、ルター『ドイツ語新約聖書』(1522年)、コペルニクス『天体の回転について』(1543年)、デカルト『方法序説』(1637年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ『絵画論』(1651年)・・・・・・すべて初版だ。第2版ではあるが、ダンテの『神曲』(1487年)もあった。十四世紀初めに書かれたこの作品は、ラテン語で書かれるのが当たり前の時代に当時のイタリア語(フィレンツェ方言)で書かれた。

 《世界三大美本》が展示されていた。いずれも19世紀終りから20世紀初頭の書物である。解説のプレートにはこう書かれていた―「産業革命の結果、本の世界も、安価であるが安直なものが多く出回るようになった。その動きに逆らうかのように出てきたのがプライベート・プレスで、営利を目的とせずに、手作りにこだわった本作りをおこなった」。プライベート・プレスは伝統工芸ないしは芸術としての書物への回帰にほかならない。

 下記がその三大美本。〔左〕ケルムスコット・プレス刊『(エリス編)ジェフェリー・チョーサー著作集』(1896年)。タイポグラフィに装飾。何という凝りようだろう。〔中央〕アシェンデン・プレス刊『ダンテ著作集』(1909年)。これほど余白の美しさを感じさせる見開きページ構成にはめったにお目にかかれない。〔右〕ダブス・プレス刊『聖書』全5巻(1903-05年)。『創世記』の冒頭"In the beginning God created the heavens and the earth."(はじめに神は天と地を創造された)の"In the beginning"が赤い大きな文字で見出しになり、しかも、アルファベットの"I"がテキストの頭を揃えるように長く縦に伸びて装飾効果を添えている。

ケルムスコット・プレス刊『(エリス編)ジェフリー・チョーサー著作集』.jpg

アシュテン・プレス刊『ダンテ著作集』.jpg ダブス・プレス刊『聖書』(全5巻).jpg

一枚の絵(または写真)の行間

2010年6月 7日 15:20

 やや蒸し暑かったが、好天に恵まれた土曜日だった。京都国立近代美術館で開催中の『ローマ追想―19世紀写真と旅』を見に行った。常時カメラを携帯するわけでもなく、携帯電話のカメラ機能をよく使うこともない。それでも、ここぞというときには思い切り写真を撮る。デジタルカメラになってからは遠慮なくシャッターを押す。上手下手はともかく、カメラと写真についてはすでに30年以上も親しんできた。

 しかし、写真とカメラの歴史には疎い。今回の写真展を通じて、ダゲレオタイプをはじめとする写真の方式について少しは知るところとなった。ダゲレオタイプとは銀板写真のことで、銅の板にヨウ化銀を乗せたもの。ダゲールという人によって1839年に発明された。展示されていた写真は19世紀中葉のローマ、ヴェネツィアなどの光景だった。たとえばローマのポポロ広場にしてもコロッセオにしても、一目見れば今とさほど変わらない。何しろ歴史地区だから、最新高層ビルが建ったり都市のゼネコン的近代化がおこなわれたりはしない。但し、当時の写真とぼくが最近撮り収めた写真との間に、修復や植樹・道路整備などのささやかな変化を読み取ることはできる。

 ところで、写真の発明と絵画の流派―写実主義や印象派―には無視できない相関関係があるとよく指摘される。写真が発明されるまで、ほとんどの肖像画は写実的に描かれていた。国王や伯爵がたくわえた髭は一本一本精細に捉えられた。また、女王や夫人や子女の豪華絢爛な衣装の皺や襞は本物そっくりに描かれ、レースには絶妙の透かしまでが入る。まさに、油絵は写真と同等の役割を果たしていたのである。そして、写真の発明とほぼ同時期から細密な描写が廃れ始め、やがて顔の判別もできなければ姿かたちも崩れていく。実体ではなく印象が描き出される。絵具が乱れ毛筆の跡が残る。絵画は写真でできる技法を捨てて、写真でできない世界へと入っていった。

☆ ☆ ☆

 写真展の後、御所近くの相国寺の承天閣美術館へと足を向けた。『柴田是真の漆×絵』なる展示会の招待券を持っていたからである。翌日曜日が最終日だったので、何とか滑り込みセーフであった。若冲の襖絵も展示されているとあって、鑑賞に臨んだ次第だが、初めて見る是真の漆絵や盆、印籠、紙箱などに凝らされた細工の見事さに息を飲んだ。名作の大半が海外コレクションになっているので、ほとんどすべてが里帰りだ。その道の職人だろうか、単眼鏡を手に熱心に作品を鑑賞する人もいた。

 「絵や写真の行間」と表現するとき、「行間」はもちろん比喩である。ここでの行間は、描かれていない心象や、描かれていても空間部分を感じ取らせる構図を意味する。動画はテーマや対象の仔細を順序制御的に映し出してくれるから、鑑賞する者はある程度受身で構えることができる。流せるという気楽さがどこかにある。しかし、一枚の絵もしくは一枚の写真は、本来の線的な動きのどこかを一瞬切り取って見せる。したがって、作者が描いたり撮ったりした作品の文脈はよくわからない。よくわからないからしばらく作品の前で佇むことになる。その佇んでいる時間は、行間を読み取って綜合的に鑑賞しようとする時間である。

 とても疲れるのである。しかし、疲れると同時に、そのように感じ入ろうとする時間と空間に在ることが、絵を鑑賞する愉しみの大部分なのに違いない。呆れるほど感じ入って満悦する。あるいは、結局は何とも言えぬ「不明」に陥ってその場を去ることも多々ある。「好讀書 不求甚解 毎有會意 欣然忘食」(書を讀むを好めど、甚だしくは解するを求めず、意に會(かな)ふこと有る毎に、欣然として食を忘る)。ふと、この陶淵明のことばを思い出す。「読書は好むものの、(深くわかろうとせず)大雑把な理解で済ます。しかし、たまたま意に合った文章があれば、食事を忘れるほどに大いに楽しむ」という意味である。これは読書の様子だが、絵画鑑賞にもそのまま通じるだろう。

カフェの話(7) 思い出

2010年4月 5日 18:30

 イタリア語でエスプレッソを注文するとき、最初の頃は「カッフェ・エスプレッソ」とていねいに言っていた。しばらくして「カッフェ」でいいことがわかった。バールに入って立ち飲みするときは、入口近くのレジで「ウン・カッフェ」(エスプレッソ一杯)と告げてお金を払い、レシートをもらう。そのレシートをカウンターに置いて示せば、バリスタが手早くエスプレッソを作って差し出す。次いで、レシートの端をつまんで指先で少し破る。サーブ済みという印である。

 バジリカータ州マテーラ近くのバールでアイスコーヒーを頼んだ。「カッフェ・フレッド」と言う。フレッドというのは冷たい・寒いという意味だから、誰だって「氷の入ったよく冷えたエスプレッソ」のつもりになる。このときばかりは、あまりよく知らないものを不注意に注文すべきではないことを悟った。そのコーヒーは「冷めたコーヒー」に近いアイスコーヒーだった。いや、アイスは入っていないから、どちらかと言うと、生ぬるいコーヒー。アイスコーヒーは日本人が一番よく飲み、そして日本のものが一番うまいのだろう。

 プーリア州はレッチェのバール。ここで初めて「エスプレッシーノ」なるものを客が注文するのを耳にした。手元の伊和辞典には載っていない。バリスタに「エスプレッシーノはどんなものか?」と聞けば、頃合いよく別の客が注文したので、出来上がりを客に出す前に見せてくれた。小ぶりな透明のグラスに入ったカプチーノのようであった。翌日飲んでやろうと思っていたが、ころっと忘れて別の店でエスプレッソを飲んでしまっていた。

 カウンターで立ち飲みするときはコーヒーのみが目的。テーブルに座るときは観察、ぼんやり、考えごと、読書、次の旅の計画・・・・・・。座って飲むときは、レジで先払いせずにテーブルに就く。席料とチップを含めて倍額または倍額プラスアルファになるが、立ち飲みの元値が安いので、一杯300円どまりである。コーヒーの味が重要であることは言うまでもないが、旅のカフェには思い出がついてくる。味を忘れても、その時々の場面や考えていたことはよく覚えているものである。 《カフェの話 完》 

035.jpg062.jpg (左)カウンターだが、椅子に座れるバール。半分ほど歩道にはみ出している。ヴェネツィアでは猫が手厚くもてなされているので、どこにでもいる(これはリド島)。(右)水際のカフェテラスもヴェネツィア名物。水の濃い青と空の晴朗感ある青に癒される。

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(左)小奇麗なホテル内のバール(ボローニャ)。夜のバータイムはともかく、昼間は宿泊客はほとんど外に出るから、暇そうである。バリスタと会話をするには絶好だ。(右)ボローニャのマッジョーレ広場に面するポデスタ館。一階がカフェテラス。ここに長く座り込んで向かいの市庁舎のスケッチをしていた(2004年3月)。

カフェの話(6) 街の表情

2010年3月28日 09:00

 パリやローマの街を歩いていると、「えっ、こんなところに!?」と驚くような場所にカフェやバールが出現する。路地裏にも、人気(ひとけ)のない閑散とした通りにも、絶対に採算がとれないであろう街外れの一角にも。もしかして条例によって数十メートル四方につき一軒の立地が義務づけられているのではないか。そう勘繰りたくなるほどだ。

 ぼくが生まれ育った大阪の下町も、昭和三十年代から四十年代にかけてはそんな風情だったのかもしれない。住宅が密集する町内や商店街の入口に、喫茶店が二軒、三軒と立ち並んでいたものである。しかし、イタリアの小さな、たとえば人口一万人ほどの街でもそんな光景に出くわす。バールを一軒通り過ごしても、ほんの少し歩けば別の店が現れる。

 その街の人々には決まって行きつけの店がある。その店に行けば顔馴染みがいる。中には新聞を読んだり無駄話をしたり長居をする客もいるが、立ち飲みカフェやバールでは、挨拶と注文を一緒にして一言二言交わし、コーヒーを飲んだら再び挨拶して店を出て行く。その一言、二言はどこの国でもよく似通っていて、「いつまでも綺麗だね」とか「アントニオはどうした?」などの類い。常連たちはマンネリズムに平気である。

 『パリ 旅の雑学ノート』はパリ通の玉村豊男のエッセイ。冒頭、いきなり「カフェの構造と機能」で始まり、カフェの話だけが百数十ページ続く。パリを知らなければマニアックな切り口だと思ってしまいそうだ。ちなみにこの本のサブタイトルは「カフェ/舗道/メトロ」なのだが、数あるパリ名物の中でもこの三点にぼくは納得する。街の表情の主役はもちろんカフェだが、通りと地下鉄も興趣をそそる。

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611.JPG(左)どこを歩いてもよく見かけるパリの街角カフェ。(右)ソルボンヌ近くのカフェ。歩道とテラスに境目がない。

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(左)まるで街路や舗道と一体化したようなカフェ。(右)メトロ(地下鉄)の出入口。このような風情を残すにはたいへんなエネルギーがいる。

カフェの話(5) 老舗の名と味

2010年3月21日 12:30

 すでに紹介した老舗カッフェ・フローリアンには、水際の広場のカフェというところに水都ヴェネツィアならではの趣があった。

  この店のような超有名カフェのほとんどはガイドブックやネット上に掲載されている。「名物に旨いものなし」とよく言われるが、そこまで極端ではないにしても、著名であることと内容が伴っていることは往々にして比例しない。たとえ伝統ある老舗であっても、オーナーが変われば品性も変わり、ブランドの上にあぐらをかいた利益主義の経営に走ることが稀にある。昨年7月、日本人観光客が、ローマはナヴォナ広場近くの老舗リストランテに暴利をむさぼられた事件は記憶に新しい。

 ナヴォナ広場から西へ少し歩けばパンテノンがある。その北側のロトンダ広場の一角に構えるのが、ガイドブック掲載常連の老舗カフェ「ラ・カーサ・デル・タッツァ・ドーロ(La Casa del Tazza d'Oro)」。ちょうど二年前、ローマ滞在中にアパートのオーナーが連れて行ってくれた。この一帯にはかつてコーヒー焙煎所が立ち並んでいたらしく、このカフェも元々はその一軒だった。今も焙煎しているから、店の入口近くにまで挽きたての香りが立ちこめている。

 何年ぶりかで出くわした「粘性液状」のコーヒー。小さなカップにほんの2センチメートルほど入った濃厚エスプレッソは、一気に一口で味わう(というよりも、それ以外の選択肢はない)。この店の名前は「金のカップ」。はたしてそんな器で出てきたのか。店構えも焙煎光景もカップも写真に撮り収めていないのでわからない。

 パリには名立たるカフェがいろいろあるが、実際に訪れたのは「カフェ・ド・フロール(Café de Flore)」のみ。文豪たちが長居をして文章を綴ったり哲学者たちが激論を交わしたことなどで名を馳せたカフェ。日本でも大阪と東京に出店していたが、大阪長堀の地下街にあった店は今はない(東京表参道のほうはどうなのか)。ギャルソン(ウェイター)の立ち居振る舞いや調度品がパリと同じでちょくちょく通っていた。コーヒーがテーブルに運ばれた直後に会計を済ませる方式もパリそのまま。レジを置かない、あの方法をぼくは気に入っていた。

146.jpgサン・ジェルマン大通りに面したカフェ・ド・フロール。店には一度しか行かなかったが、近くのホテルに3泊していたので、この界隈をくまなく歩いたものだ。

プロフィール

岡野勝志(おかのかつし)
1951年大阪生まれ

企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長
企画アイディエーター
岡野塾主宰

ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。
マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人材の課題に対して、「即答即決アイディエーティング」をおこなっている。

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