五感な街・アート・スローライフの最近のブログ記事
週刊イタリア紀行No.6 「シエナ(3) 広場はアート空間」
2008年8月17日 10:00
鳥瞰、つまり高い所から鳥の目線で地上や景色を眺めるのが好きだ。だから旅行でどこかに出掛けると少しでも天空に近づこうとする。その街に塔や鐘楼があれば、階段がたとえミシミシときしる木製であれ狭い石段であれ、とりあえず上る。イタリアの都市はほぼ間違いなく一つや二つの高所を備えているので、時間さえあれば欠かさず挑戦する。
ところが、実は高所恐怖症気味なのである。階段を上に行くほど足がすくむし、ガラス張りでなく手すりだけの屋上に立つと膝がゆるんでくる。カメラを持つ腕を突き出しているときなど腰が少し引けている。それでも上る。それだけの価値があるからだ。
自分を叱咤してマンジャの塔からの景観を楽しみ、恐々階段を下りた後にはカンポ広場を見渡してエスプレッソを飲む。数百年間にわたって大きく変化していないこの広場 に人々がそぞろ集まる。いつも同じところを歩き同じ光景を眺めて何の意味がある? こんな、物事の実用性を前提とした問いに出番はない。習慣化した行いには、本人にしかわからない格別の快楽があるのだ。
広場のある街がうらやましい。とってつけた公園ではなく、広場。貝殻状の形状といいアートな色合いといい、シエナの広場は至宝である。至宝の恵みを享受し続けるために、住民は我慢と禁欲に耐える。コンビニに代表される、無機的な利便性に走らない。窓枠はもちろん、留め金一つでも「修復」と考える。自分の部屋でも勝手なリフォームをしてはいけない。
流行とどう付き合うか?・・・・・・カンポ広場のバールでエスプレッソを飲みながら、行き着いた問いである。一歩遅れ気味に生活するのが賢明なのかもしれない。 《シエナ完》
☆ ☆ ☆
カンポ広場に面する二軒のカフェ(左)。ゆっくり腰かけてマンジャの塔を眺める(右)。
バールは"Bar il Palio"(左)。ずばり「喫茶競馬」。受皿も砂糖袋もご当地のアクセントがきいている(右)。
広場近くの通り。いびつな構造の建物だが落ち着いた色の統一感(左)。 ひしめく建物の間を歩く。ついカメラをタテに構えてしまう(中)。比較的モダンな店頭ディスプレイのトラットリア(右)。
週刊イタリア紀行No.5 「シエナ(2) 色で魅せるゴシック都市」
2008年8月10日 12:30
シエナを描写するぼくの表現に落ち着きがないのを自覚する。実感を的確に表せないもどかしさがあり、どこか空振りしているような気分だ。弁解させていただくならば、シエナに関する紀行や説明は、専門家の手になるものでも少し誇張されたような印象がある。
一観光客ならはしゃぎ気味に思いをしたためるのもやむをえないだろう。しかし、実ははしゃいでなどいない。むしろ神妙な心持ちからくる「詩的高揚」とでも言うべきものである。
お付き合いしてから四半世紀、高松在住のY氏は、平成19年の年賀状でシエナの思い出を綴られていた。その二年前にお会いした折に、ぼくはシエナの話を披露した。Y氏が刺激を受けて60歳半ばの身体に鞭打って出掛けられたのか、まったく別の好奇心だったのかは確かめていない。ぼくの高揚感にどこか似通っているその年賀状の文章を紹介してみたい。
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シエナの街並は、中世の面影が色濃く残っている。赤煉瓦の幾何模様が美しいカンポ広場がそれだ。
この広場は、貝殻の形をして、放射状に広がっており、しかも中心に向かって、低く傾斜しているので、浅い巨大な半円のすり鉢に見える。この奇妙な形の広場の真ん中に立つと、夏の眩しいほどの光の乱舞と広場をとりまく、ドゥオモ・宮殿・塔の幻想的な美しさで酩酊する。そして、ここで毎年行われる、中世から伝わる騎馬競争に巻き込まれる幻想にとらわれた。
人々の歓声、馬のいななきの中で、私は中世の世界にタイムスリップした。
―イタリア・シエナのカンポ広場にて―
☆ ☆ ☆
シエナの建造物の色合いは赤褐色でもなく茶褐色でもなく黄褐色でもない。それは、シエナブラウンという独特の土色である。現在ではいろんな商品にこのカラーが使われているが、それぞれ微妙に違うように思う。何が正真正銘のシエナ色か? それは写真を見て判断してもらうしかないが、写真とて再現精度にバラツキもある。いずれにせよ、光と影と色を絶妙に調和させる街と、後景としてその街を包み込むトスカーナの丘陵の趣には見とれてしまう。
☆ ☆ ☆
左奥に向かってゆるやかに傾斜するカンポ広場には、赤褐色に見える煉瓦が敷き詰められている(左)。広場のもっとも低いところにどっしりと構える市庁舎の煉瓦色もシエナ独特だ(右)。
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(左)画面右上の端に大聖堂を配した街並みの一部。細い通りを隔てて建物が密集しているのがわかる。この濃いベージュがぼくのイメージするシエナの土色。(右)ところが少し角度を変えて遠景を取り込むと赤褐色の煉瓦色に見えてくる。
少し靄のかかった街の周辺の丘陵地帯。まさに中世の空気そのもので満たされた幻想的な風景だ。
マンジャの塔の最上部から見下ろすカンポ広場(下)。修復を繰り返しながら、魅力ある街、絵になる街を保存する。シエナに「新築」はありえない。すべて"レスタウロ"(リフォーム、リノベーション)である。
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週刊イタリア紀行No.4 「シエナ(1) トスカーナに独座する街」
2008年8月 3日 09:30
諸説いろいろあるだろうが、ぼくの読んだある本には「ヴェネツィアのサンマルコ広場、バチカンのサンピエトロ広場、シエナのカンポ広場がイタリアを代表する三大広場」と書かれてあった。ここにフィレンツェのミケランジェロ広場も付け足しておきたい。広場そのものはたいしたことはないけれど、街並みを美しく見せてくれる点ではピカ一かもしれない。
そして、当たり前のことだが、今回紹介するシエナを取り上げた観光ガイドや紀行文や歴史・文化の本はことごとく「シエナのカンポ広場がイタリア一、いや世界一美しい広場である」と絶賛する。美しさというものは、表現するにしても感知するにしても主観的だから、目を見張る美しさ、理性的な美しさ、しっとりした美しさなど、どんな美しさであってもよい。ぼくのカンポ広場に感じる美しさは「比類のない」という意味になるだろうか。
二度シエナを訪れているが、初めて行った2003年はデジカメではなく、しかもモノクロのフィルムで光景を収めた。それはそれで間違いではなかったが、なんだかドキュメンタリーな空気を醸し出しすぎていて、シエナの夢想的な空間や上品な街並みが欠けてしまった。フィレンツェに約10日間滞在した2007年3月に再訪して撮ったのが今回の写真である。
食とワインと言えばトスカーナ。トスカーナと言えばフィレンツェ。そのフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅そばのバスターミナルから南へ約1時間、城壁に囲まれた丘にシエナがある。ここは2キロメートル四方のこじんまりした街だ。他のイタリアの都市同様、ここにも目を見張るドゥオーモ(大聖堂)がある。ゴシック建築と床に張り巡らされたモザイクが有名だ。
しかし、シエナを取り上げるのはドゥオーモのためではない。やはりカンポ広場なのだ。そして、そのカンポ広場に聳え立つマンジャの塔からの景観である。そのパノラマ図は次回の楽しみに取っておき、今回はひとりトスカーナの丘に佇む超然としたシエナの第一幕を眺めていただきたい。
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シエナの歴史は700年。通行人の服装を変え、昔の習俗を甦らせれば、あっという間に中世へとタイムスリップしてしまう。通りを遊歩していると、シエナの象徴に出くわす。ローマの建国にまつわる双子の赤ん坊に狼が乳を与えている像だ。
ヴィーコロという薄暗い小さな街路の一つに入ると光の空間が借景のように姿を現わす(左)。そこをくぐり抜けるとカンポ広場だ(ソフトな赤茶色の建物が市庁舎)。
市庁舎に隣接するマンジャの塔(左)。この塔の狭くて急な階段は身体にこたえる。しかし、400段上り詰めればご褒美が。シエナの街の造形とトスカーナ地方の特徴的な山間農村の遠景がパノラマのように見渡せるのだ。
塔の前から振り返って見るカンポ広場(左)。ゆるやかな傾斜が不思議な広がり漂わせる。
マンジャの塔の中ほどまで上ったところから見下ろしたカンポ広場(上)。水色に見えているのがガイアの泉。シエナは治水技術にもすぐれた都市だった。この広場に砂を敷き詰め17地区が対抗して毎年7月と8月に競馬(パリオ)が開かれる。
シエナの17地区はコントラーダと呼ばれ、すべての地区が動物を意匠した美しいシンボルマークを有している。
(上段左から)鷲、芋虫、かたつむり、フクロウ、竜。
(二段目左から)麒麟、ヤマアラシ、一角獣、雌狼、貝殻。
(三段目左から)ガチョウ、イルカ(波)、豹、サイ(森)、亀。
(下段左)象(塔)。(下段右)牡羊。
週刊イタリア紀行No.3 ヴェネツィア(3) 歩き尽くせぬ空間
2008年7月27日 16:20
日本の大都会に住む者からすれば、たかだか2キロメートル四方の街なんて一日もあれば十分だ。たとえ徒歩であれ、名所はくまなく巡れるはずと自信満々。さらには、四泊もするのだから、観光スポット以外の生活者領域にも足を踏み入れられるに違いない――そう思っていた。
だが、これほど地図と現実が一致しにくい街も珍しい。東西南北の感覚がズレる。狭い空間にもかかわらず、そこに毛細血管のような細い通りや小径が複雑に張り巡らされ、おまけに小運河や橋や袋小路が出没して歩行者の感覚を錯綜させる。この街の物理的狭さを地図で認識していても、現実に遭遇する迷路設計の空間は途方もなく広がっていく。
サンタ・ルチア駅から逆Sの字で辿る大運河を何度も水上バスで往来し、そこかしこで下船もして散策をしてみた。だが、目にしたり通り過ぎたりして記憶に残っているのは、貴族の館や商館、リアルト橋やアカデミア橋、何度も紹介したサンマルコ広場、その寺院と時計塔、総督宮殿・・・・・・これらはすべて名の知れた観光スポットばかりである。ヴェネツィアは生活感に触れようと思う現代人にはなかなか手強い街だった。
それでもなお、夜にはレアルト橋裏手の飲食通りを徘徊し、朝市にも行ってみた。そこには触手を伸ばしたくなる海の食材も豊富にあったが、ホテル暮らしでは調理のしようもない。ホテル近くのサンタンジェロ広場とサント・ステファーノ広場には何度も足を運んだ。後者のトラットリアやバールには地元の人々の姿も見られた。「そぞろ歩き」はそこに住む人々の生活を素直に映し出すものである。
「ヴェネツィアにまた行ってみたいか?」とよく尋ねられる。他にも訪れたい都市があるので、優先順位はもはや上位には入らないかもしれない。しかし、もし再訪の機会があれば、次は下手な企てなどせずに、純粋に旅人として『おとぎの国のヴェニス』を堪能すればいいだろう。そして、もっともっとディープな路地に迷い込んでみたいと思う。 《ヴェネツィア完》
☆ ☆ ☆
サンマルコ広場から見る運河にはギリシャからエーゲ海、アドリア海をクルーズしてきた豪華客船がよく停泊している。水際の玄関口の小広場では、翼のある獅子の円柱と聖テオドーロの円柱が人々を出迎える。
大運河から街の奥へと入って行っても、行く所どこにでも小運河が広がる。これなどまだ幅が広いほうで、ゴンドラ一艘が通るのが精一杯という水路がある。しっかり目印を焼き付けておかないと、すぐに迷い子になってしまう。
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豪華なゴンドラに乗るセレブ(?)な乗客。このような狭い水路の橋の下からも乗船できる(上)。営業時間前の朝に出番を待つ、サンマルコ運河のラグーナに繋がれたゴンドラ(左)。
有名なリアルト橋(上)。逆S字型の大運河には橋が三つある。リアルト橋は街の中心部にあり、運河のもっとも狭いスポットに架かっている。この近くのリストランテでヴェネツィア名物イカ墨のパスタと海の幸のフリッタを賞味した。うまいが、値段も張る。
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サンマルコ広場から眺める昼間のサルーテ教会(左)と夕景に浮かぶ姿(右)。 ![]()
サルーテ教会をこのアングルでつかまえる黄昏シルエットは多くの画家や写真家が題材にしてきた。もっと暗くなってからの写真も撮ったが、ブレていたり滲みすぎてよくシルエットが浮き彫りになっていなかった。これでも夜の7時半から8時前だろう。ちなみにヴェネツィアの緯度は北海道の宗谷岬とほぼ同じ位置にある。
週刊イタリア紀行No.2 ヴェネツィア(2) 青に浮かぶ都市
2008年7月20日 08:00
観光の中心スポットであるサンマルコ広場まではホテルからほんの数分だ。カフェや散策目当てに何度も足を運べるだろう。それ以外に何か格別の楽しみ方はないだろうか。
前泊地のミラノにいる時からどんなふうに四泊五日を過ごそうかと構想を練っていた。持参していた『迷宮都市ヴェネツィアを歩く』(陣内秀信著)がインスピレーションを与えてくれた。世界でもっとも美しいと謳われるサンマルコ広場に海側から近づくという一つの提案がとても気に入った。
この本で固有名詞もしっかり覚えたつもりだった。しかし、イタリア語の名称は、宗教人であれ建物であれ地名であれ、「サンタ」と「サン」がつくものが多い。実際現地に降り立つと、区別もつかなければ、しょっちゅう言い間違いをする始末であった。
にもかかわらず、サン・ジョルジュ・マッジョーレ島だけはしっかり覚えていた。サンマルコ広場からわずか数百メートル沖合いにあるこの島内に同名の教会があり、その鐘楼のテラスからの眺望を見逃してはいけない。
さて、海側から広場へのアプローチはもちろん船しかない。水上バスの3日券は乗り放題で約3000円。これを使って、リド島へ向かい、そこから折り返して広場へ向かう。リド島はヴェネツィアのみならずイタリア全土における有数のリゾートであり、ヴェネチア映画祭の会場として知られている。滞在中、同じルートで二度そこへ行った。もちろん乗船・下船を繰り返して、その他の路線の大半も遊覧し尽くした。
ご当地の諺がある。ヴェネツィア方言で"A tola no se vien veci."と言い、「食事の間は歳をとらない」という意味だ。「船に乗っている間は歳をとらない」という新しい諺を作ってもよいくらい、青地に浮かぶ街の佇まいに飽きることはない。
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砂漠に揺らぐ蜃気楼を実体験したことはないが、ヴェネツィアの街は幻かのように海面下に沈んだり海面上に浮かんだりを繰り返す。もちろん、上下しているのは船のほうなのだが・・・。
水上バス"ヴァポレット"でサンマルコ広場にアプローチ。空の面積を大きく撮ってみた。するとどうだろう、青いキャンバス上に落ち着いた街の気配が漂ってくる。10月のこの日は、晴朗極まる青の競演が見られた。
もうサンマルコ広場は目の前だ。建物と建物の間に小空間があり、その奥に賑わう広場が控えている。見え方によっては、この水の都は海底に根を生やしているかのようだ。いや、実際にこの街を支え補強しているのは杭なのである。
サン・ジョルジュ・マッジョーレ教会の鐘楼からの風景。「海」と称していたのは、実は大運河。写真の外だが、眼下にはヨットハーバーがある。
上の写真と同じ場所から望むサンマルコ広場。写真外の左右にも街並みはあるのだが、ここに写っているのがヴェネツィアのほぼ全貌だ。その至るところに小さな運河や水路が網の目のように広がっている。
週刊イタリア紀行No.1 ヴェネツィア(1) セレニッシマの不便
2008年7月14日 13:41
ネットからダウンロードした地図のコピーを穴が開くほど見、住所のメモと案内表示を何度確認しても、目指すホテルに辿りつける希望は湧いてこない。これがヴェネツィアの迷路か。
ヴァポレットという水上バスで運河を通り抜け、サンマルコ広場手前の船着き場ヴァッラレッソから徒歩にしてわずか5、6分の所。目と鼻の先のように思えて、これがそう容易ではない。が、人にたずねてようやくホテルに着いた。
宿泊するのは別館のほうらしい。本館からは中国人系のボーイが連れて行ってくれた。小柄な彼は大きくて重い旅行カバンを二つ、ひょいと左右の手に一つずつ持つと、一度も地面に置くことなく軽やかに歩を進めた。遠く感じたが、たぶん約5分、何度も小運河をまたぐ階段を上り下りし、運河沿いの小道を通り抜ける。いわゆるバリアフリーな箇所などどこにもない。やっぱり迷路だ。
二度目のヴェネツィア、五年半ぶりだ。和辻哲郎は『イタリア古寺巡礼』の末尾で、「ヴェネチアには色彩がある」と印象を語っている(1927年にしたためた手紙を編集した紀行文だ)。「色彩がある」の解釈は難解だが、"セレニッシマ(Serenissima)"という愛称をもつヴェネツィアの色彩は一にも二にも「青」だろう。このことばはserenoの最上級で「晴朗きわまる」を意味する。
多くの観光客はここか島外で一泊する。たしかに観光だけならば半日あれば名所はなぞれる。それならば前回体験済みだ。同じホテルで四泊すれば、ほんの少しくらい「住民」の視点に立ってセレニッシマを満喫できるかも――と目論んだ。
ここには自動車は一台もない。自動車どころかハイテクめいたものが一切見当たらない。いま「満喫」と言ってみたが、実はそれは、不便と共存する「快適」のことなのである。
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空の色や光の加減、眺める角度によって運河の青は微妙に移ろう。何度見ても同じ運河なのだが、印象はそのつど変わるのだ。
サンマルコ広場前のラグーナ(潟)は、高潮になると、1メートル以上水面が上がり、広場は水浸しになる。
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黄昏時? この写真を見れば誰しもそう思うだろう。だが、これは早朝のサンマルコ広場である。早朝に浮かび上がるシルエットも格別だ。
美術とカフェと街角
2008年6月25日 08:00
今年の3月2日のパリは格別な日だった。正確に言うと、そんな格別な日は毎月一回やってくる。もともと常時無料の美術館があちこちにあるのだが、加えて、毎月第一日曜日は有名美術館や博物館の多くが無料なのである。美術・歴史ファンにはありがたいサービスだ。
2006年10月には無料でルーヴル美術館に入場した。奇しくも引退した名馬ディープインパクトがロンシャン競馬場の凱旋門賞に出走した日である。
今年は午前にピカソ美術館、夕方の閉館前にオランジュリー美術館と決めた。ピカソのほうは開館前の9:30に並ぶ。ルーヴルとは違い、その時間なら列は十数人程度だ。オランジュリーは一時間近く待たされた。みんな同じ思惑だったのだろうか。モネの睡蓮に人が集まるが、ここはそれ以外にもルノワール、セザンヌ、ユトリロ、モディリアニ、ゴーギャンなどの作品が居並ぶ。日本なら、これだけで十や二十の美術館ができてしまうだろう。
ピカソ美術館の後に予定外だったカルナヴァレ博物館へ(ここは年中無料)。パリの歴史資料館だが、もともとは貴族の住んでいた館。浅田次郎『王妃の館』ファンご存知のヴォージュ広場は、ここから東へ200メートルのところにある。
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閑話休題――長い前置きになってしまった。今日はパリ美術案内ではなく、粋なカフェの話である。
昨日も紹介したが、ぼくはエスプレッソびいきだ。「苦くて濃くて少量」をめぐって好き・嫌いが分かれる。自宅で淹れるエスプレッソも会社近くの店で飲むエスプレッソもおいしい。それでもやっぱり美術鑑賞の後のパリのエスプレッソは格別な気がする。
フランスでは café と綴り「キャフェ」と発音する(イタリア語では caffè となり、f が一つ増え、「カッフェ」と音が変わる。見落としがちだが、e のアクセントの向きも違う)。こんな薀蓄はさておき、予定外で訪れたカルナヴァレ博物館近くのカフェの佇まいが気に入った。
自然の緑が織り成す色合いは美しいが、人工的な緑色のコーディネーションで感嘆する場面にはめったに出合わない。このカフェの緑は抑制がきいていて落ち着く。何よりも「こちらでお召し上がりですか?」 「お砂糖は一つでよろしいですか?」などと聞いてこない。ここで注文したのは、言うまでもない、エスプレッソである。店内でも飲める。しかし、少し肌寒いながらも屋外のテーブルに座ることにした。目の前は博物館の裏庭だ。
グラスに入って運ばれてきた。パリのエスプレッソはイタリアのものより量は多く、ややマイルドだ。めったにないが、このカフェでは水も出してくれた。 わが国のお店には、注文から出来上がりに至るまでのつまらぬ質問などやめて、時間と空間と芳醇な味わいを提供するカフェ文化を研究してもらいたい。そっとしておいてほしい珈琲党の願いである。
ゆったりとした時間も食べるスローフード習慣
2008年6月 7日 08:00
その時、たしかに時間はゆったりと流れていた。もちろん食事に満足したのは言うまでもない。しかし、時間も至福であった。
2006年9月の終わりから10月半ばにかけて、ぼくはフランス、イタリア、スイスを旅した。イタリアでの拠点はミラノ。ある日、北東へ列車で約1時間の街、ベルガモへ出掛けてみた。正確に言うと、この街は二つのエリアに分かれている。駅周辺に広がる新市街地のバッサ(Bassa="低い"という意味)と、中世の面影を残すアルタ(Alta="高い"という意味)だ。バッサはアルタへ向かうバスから眺めることにし、ケーブルカー駅へと急いだ。ここから標高約300メートルの小高い丘アルタへ。
足早に街を散策する。ランチタイムに地産地消のスローフードを堪能しようとするくせに、「足早」とは日本人特有の習性か!? 情けない。なにはともあれ、しばらくしてベルガモ名物料理店らしきトラットリアに入る。ハウスワインの赤を頼み、じっくりとメニューから三品。どれも一品千円見当である。
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お店自慢のご当地チーズの盛り合わせ。 芳醇な風味が鼻に広がり、舌と喉元に 滲みていく。
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前菜は生ハムとサラミの盛り合わせ。 濃い赤身の薄切りは濃厚な猪の肉。 脂身のハムは見た目はガツンときそうだが、 思いのほか淡白だ。
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餃子のようなラヴィオリの一種。名称不明も、 うろ覚えの記憶ではアニョロッティ。 ひき肉、チーズなどを詰め込んでいる 。
以上のスローフードにたっぷり2時間。日本では考えられない間延びした時間だ。ちなみに"slow food"はイタリアで造語された英語。イタリア語では"cibo buono, pullito, e giusto"というコンセプトで、「うまくて、安全で、加減のよい食べ物」というニュアンスになるだろうか。
かつてのイタリア料理のように大量の前菜、大量のパスタ、ボリュームたっぷりのメイン料理にデザートとくれば時間がかかるのもわかる。しかし、これもすでに過去の話。一品か二品をじっくりと2時間以上かけて食べるイタリア人カップルやグループが多数派になりつつある。現在イタリアでもっとも大食なのは日本人ツアー客だ。朝も昼も夜も大食いである。残念ながら、ドカ食いとスローフードは相容れない。大量ゆえに時間がかかってしまうのと、意識的に時間をかけるのとは根本が違う。
スローフードは"slow hours"(のろまな時間)であり、ひいてはその一日を"slow day"(ゆっくり曜日)に、さらにはその週を"slow week"(ゆったり一週間)に、やがては生き方そのものを"slow life"にしてくれるのだ。
ベルガモの体験以来、ぼくの食習慣は変わっただろうか? 正直なところ、まだまだ道は険しい。でも、少しずつではあるが、毎回の食事に「時間」という名の、極上の一品をゆっくり賞味するよう心掛けるようになった。
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