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マーケティングの知恵
2008年7月31日 08:00
年に一回、楽しみにしている2日間の『ひろしま異業種交流セミナー』。官・民・NPOの合同セミナーで、一昨日終了した。目的は文字通り「交流」であるが、実習テーマは「ご当地の活性化案」をひねり出すというもの。約4時間かけてグループ内で企画討議しアイデアをまとめて発表する。
過去いろんなテーマの落とし込みがあった。多いのが、宮島をはじめとする観光、カープの戦力・魅力、筆・地酒など地場産品。NPOの方々が加わってからは、まちおこしや過疎地支援なども目につく。
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演習に先立って数時間の講義をおこなう。内容はすべて任せてもらっているが、ここ三年はマーケティングに特化した話に絞り込んでいる。演習にすぐに役立つ事例をふんだんに盛り込んで、自分なりには工夫をしているつもりだ。
講義には8章から成るオリジナルのテキストを使うが、本編からこぼれたような、目立たない囲みがある。題して「マーケティングの知恵」。オーソドックスな理論も紹介しているが、大胆な(?)発想も三つ提言している。
一つ目のマーケティングの知恵は、「当面の売上がダウンしても、認知がアップすれば儲け」。この「認知」のところを「社員力」や「サービス」に置き換えてもよい。これは、マーケティングを短期戦略と考える愚を戒めるメッセージだ。他に、「競争相手が多ければ市場が大きい」とか「マーケッターは値引きしてはならない」など、マーケティングにはどこか逆説的・異端的発想が潜んでいる。
二つ目は、「マーケティングの上手下手は、品質の良し悪しよりも決め手になる」というもの。ジラードの「人は商品を買うのではなく、人を買う」を思い起こせばよい。購買決定因は、品物の機能や品質ではなく、マーケッターのスキルや品格、人間性にある。今回のセミナーの演習に応用すると、「地酒を売るな、ひろしまを売れ」となる。
最後の三つ目は、「つくるだけでは製品、価値をつけて売ってこそ商品」である。製品と商品の違いをよく理解してことばを使い分けているだろうか。一般的な辞書によれば、製品とは「製造した品物」。まだ市場に出ていない段階である。これに対して、商品は「商売の品物」であり、「売買の目的物たる財貨」と定義されている。
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マーケティングの知恵の重要ポイントがこの三つ目だ。技術革新によって誕生した製品を値打ちのある商品に変換するのがマーケティングである。特徴ある製品をつくる、あるいは地場の特産をつくるだけでは、まだ市場で検証されていない状態。自己満足やこだわりの殻に閉じこもっている可能性すらある。
この殻を破るには、市場をクールに眺めると同時に、マーケッターの人柄、中長期的視点、情報・記号・ブランドなどの価値を総合して「売買の目的物たる財貨」にまで育てなければならない。
製品が氾濫する今日、緻密なマーケティング努力が追いつかず、つくりっぱなしのまま市場に放り投げられるような状況が見られる。マーケティングの重要性が強調されるわりには、マーケティングそのものの影が薄くなっている。そう、顧客は製品ばかりを見せられ、商品にはあまり出会っていないのだ。さあ、マーケティングの勉強はそこそこにしておいて、製品を商品化するマーケティングの知恵を発揮しようではないか。チャンス到来である。
Before-Afterの入門企画術
2008年7月24日 10:00
初心者向けの企画研修機会がそこそこある。年間20回はあるだろう。企画には定型がなく、どこを起点に指導するかにいつも頭を悩ませる。企画研修のカリキュラムは過去10年で7回近くバージョンアップしてきた。「アップ」になっていると信じている。
テーマを絞れ、コンセプトを一言で表わせ、企画書は一枚(いや、一行という超手抜きもある)、構成はシンプルに・・・・・・など、企画の仕事には簡素化ハウツーが多い。そんな悪銭身につかずの心得ではダメ? そんなことはない。むしろ、奥深い仕事だからこそ、そうしなければならぬと思っている。
突き詰めれば、企画が価値をもつかどうかは、目新しさと改革にある。
目新しさ。すなわちテーマもタイミングも旬でなければならない。どこかで誰かがすでにやっていることを企画とは呼ばない。少しくらい模倣があっても大目に見るが、根底にある提案は企画者のオリジナルであるべきだ。
改革。「現状よりもよくなる」という仮説とアクションのシナリオが企画書に書かれていなければならない。その企画を実施すれば、現状の問題が解決するか、しかるべき理想が実現するか、メリットや便益が増えるか――これらのいずれかを証明するものでなければならない。
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指導したいことは山ほどある。だが、焦ってはいけない。「その企画を試みたら、現状(=Before)よりもベターな将来(=After)が約束できるか?」と、演習をしている初心者たちに尋ねる。何も変わらない、むしろ悪くなるというのでは話にならない。
Beforeのステージでは現状の短所を分析する(もちろん、よいものはよいと評価せねばならないので長所も分析する)。正確に言うと、分析だけでは不十分で、「内因性」という「短所の指摘と、その短所の主たる原因」を探る。これがうまくいけば、少なくとも「現状はそのままに放置してはならない」という企画の動機が正当化できることになる。
「いま使っている水性ボールペンは書き味が悪い、よくインクがかすれる」などの短所を挙げる。次いで、書き味が悪い原因、インクがかすれる原因を分析する。これらの原因はすべて「その水性ボールペン」に内因するものであること。つまり、紙が原因であったり書き手の癖が原因であってはならない。これでBeforeのゆゆしさがクローズアップできる。
Afterのステージでは短所の修正を提示する。原因の解消である。小幅の修正で済まないのなら、代替策を提案することになる。「紙と書き手を選ばない書き味とインクの長持ち・スムーズさ」がAfterの見せ場。これによって、After-Beforeの差が歴然となり、「After<Before」が証明できることになる。
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企画シナリオの基本はこれだけである。企画意図や提案骨子などは後で書けばよろしい。まずは、①Beforeに対するAfterの目新しさ、②Beforeを改革したAfterは短所が少なく長所が多い、という二点を押さえる。
Beforeの分析から入ると時間がかかったり逆にわかりにくくなったりするのではないかという懸念がある場合は、思い切って理想のAfterを掲げることもある。流れがAfter→Beforeの順になっても、企画のねらいは同じで、両者の歴然とした差を描きAfterのBeforeに対する優位性を説く。
えらく大袈裟な話をしてきたようだが、仕事から離れた私生活ではみんなこうしてBefore-Afterを直感的に天秤にかけている。いつも飲んで帰っているが(Before)今日はまっすぐ帰ろう(After)、ソファを中心にリビングをレイアウトしているが(Before)グリーンを主役にしてみてはどうか(After)・・・・・・。小さくて身近なテーマを拾ってBefore-Afterに習熟してみよう。企画が親しみやすい存在にはなってくれるだろう。企画とは「画を企む」。スケッチの数をこなすのが上達への近道である。
玄関力 vs 奥座敷力
2008年7月10日 14:59
ホンネから言えば、最近はやりの「何々力(りょく)」というのは考えものだと思っている。言語の悪しき造作だとも思う。言葉足らずな時の安易な穴埋めであり、説明責任を果たさずに「どうだ!」と言わんばかりの強引さも感じる。
しかしながら、大いなるためらいと罪悪感を押し殺して言ってしまおう。使ってみると、なんとこれが実に便利なのである。ありとあらゆるものと結びついて、あたかもそうであることが必然であるかのように収まってしまうのだ。
「灼熱の日のポカリスウェット力」 「なめらか水性ボールペンの書き味力」 「手さばき鮮やかなマウス力」 「冗談連発のオモロー力」 「ビュッフェスタイル朝食の大食い力」 「強いユーロに両替するたびに痛感する欧米力」・・・・・・証明はこんなもんでもういいだろう。とにかく、何にでもくっつく万能瞬間接着剤だ。
あまり好ましくないと言いながら、ぼくもその便利さの甘い誘惑に時々落ちてしまう。いけないと思いながら、最近口走ったのが「玄関力」と「奥座敷力」である。くどいが、入り口力と客間力でもオーケーだし、エントランス力とリビングルーム力でもかまわない。
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何が言いたいのか? 来週末の私塾で取り上げるテーマ『情報編集の達人』で、情報は実体に先立つという話をする。具体的な例を挙げると、商品のデザイン・名称は実際の使い勝手や機能に先立ち、社名は事業ドメインに先立ち、自己紹介のしかたは本人の仕事の説明内容に先立つ。落語のマクラはオチよりも先に耳に入り、土用の丑のポスターは実物のうな重よりも先に目に入り、前菜はメインのステーキよりも先に口に入る。
一番の売りでありもっとも訴えたいことは奥座敷に置いてある。しかし、そこに至るまでに最初に玄関を通過せねばならない。玄関は目玉商品ではない。しかし、下駄箱の評価は床の間の評価よりも先に下される。従来から、こういうことに気づいた人々は、「第一印象」や「つかみ」の重要性を強調した。「はじめよければすべてよし」とも言い伝えてきた。
たしかに玄関よりも奥座敷のほうが実力上位だろう。だが、最初の印象がイマイチだったので、慌てて「実力はこんなものではありません」と弁明しても、その実力を認知するところまで来てくれなかったらそれまでだ。知己の関係ならともかく、初対面ともなれば一事が万事がよく起こる。
ここが情報化社会ならではの見え方なのだ。「情報≧実体」。情報という記号の表現と、それが醸し出すコンセプトの関係は神妙である。敢えて超極論するならば、ネーミングが外れれば製品には見向きもしない、一行目でつかみそこねたら本は読んでもらえない、靴が汚れていたら心も汚いと思われてしまう。
早とちりをして、「それなら玄関だけきれいにしておけばいいではないか」というくだらない反論はしないでほしい。それは論外なのだ。せっかくすばらしい奥座敷力があるのなら、それ相応に玄関力も磨こうという意味である。
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話はここで終わりたいが、終わらない。玄関力と奥座敷力の両方に自信があっても、「いい玄関ですねぇ、最高ですねぇ」とだけ褒めて帰ってしまうのが今時のユーザーだ。加速する情報化社会は想像を絶するほどの選択肢で溢れている。
しかし、心配無用、料金無料。ぼくには温めてきた秘策がある。今日のブログを最後までお読みになった人にプレゼントしたい。
それは玄関と奥座敷を最初から一緒にしておくという奇策である。これなら誘導するのにもたつかなくていいし、「玄関開けたらすぐ奥座敷」で話が早い。名づけて「玄関奥座敷力」。ほら、うまくくっついた。
相手心理を読む交渉ゲーム
2008年7月 1日 10:00
二十代前半に将棋に嵌まったことがある。自分がどう指すかという決断よりも、相手がどう指すかという読みが優先することを学んだ。当たり前だけれど、これがなかなか簡単ではない。読みはついつい自分の手を中心に組み立ててしまうからである。
「彼を知り己を知れば百戦危うからず」はご存知の孫子の兵法だ。相手が先である。「敵の手の内を熟読せよ。敵は私たちの味方である」(エドモンド・バーグ)は、敵が貴重な情報源であることを示唆している。
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6月28日の私塾金澤講座のテーマは『PR戦略とネゴシエーション』。交渉の基本は敵の読み方。そこで、「ジャンケンのジレンマ」という自作の交渉ゲームを演習に取り上げた。これに似ているが、もっと戦略的駆け引きのいる別のジャンケン交渉ゲームを紹介しよう。
1.パーがグーに、グーがチョキに、チョキがパーにそれぞれ勝つのはジャンケンと同じだが、パーで勝つと5点、チョキで勝つと2点、グーで勝つと1点と点数が変わる。これにより、リスクとリターンの含みが生まれ、通常のジャンケン以上に読みが入ることになる。
2.おあいこは引き分けではない。勝ち負けが決着した点数を2倍にする。つまり、おあいこ1回のあとにパーで勝つと10点、チョキで勝つと4点、グーで勝つと2点になるのだ。おあいこが2回になると、3倍、3回になると4倍、4回になると5倍の点数になる。なお、おあいこ最高記録は14回である。
3.野球と同じように1イニングから9イニングまでジャンケンする。合計点の多い方が勝ちである。おあいこも含めて勝敗が決着した点数を各イニング欄に書き込む。つねに一方は0点になる。
4.途中のイニングの前に、負けている方が「ダブル」と「トリプル」をそれぞれ1回コールする権利を行使できる。たとえば、6イニング終了時点で、14対6で負けているとする。チョキ3回で勝利しても6点だから追いつかない。残り3イニングで逆転するには、おあいこを重ねるしかないのだ。この「ダブル」と「トリプル」は、いきなり2倍のおあいこ、3倍のおあいこ状態でジャンケンする権利である。仮に7イニング目にうまく逆転したら、今度は相手側が「ダブル」「トリプル」をコールする権利をもつ。
5.イニング制ではなく、先に合計30点到達で勝利という方法もある。おあいこで何十倍にも点数が膨らむ可能性はあるが、逆転無理と判断したらギブアップしてもよい。
6.「最初はグー」という調子合わせはなし。お互いの呼吸を合わせるのが望ましい。うまくいかないのなら、どちらか一方が調子合わせの権利をもつようにする。
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1イニング目からおもしろい現象が起こる。グーを出して相手にいきなり5点献上はしたくない。ゆえに、チョキかパーになるケースが90%以上。チョキはリスクなしでリターンが中、パーは中リスクでリターンが大。性格が出る。1イニング目からおあいこが連続することもありうる。
1イニング目の結果によって2イニング目の戦術が決まる。その時々の点差によってグーの出番も増える。強気だった方が弱気になり、負けている側が窮鼠になって猫に噛みつき大逆転ということも。いつのまにか、自分がどうするかではなく、相手がどう来るかを読んでいる自分に気づくだろう。
さあ、紙とペンと相手を用意して一度試してみよう。
謙虚なヒアリングと潔いアンサー
2008年6月22日 22:53
二十歳前からディベートを勉強し、三十歳前後から広報の仕事に身を置いた体験から、『PRと交渉』という、一見すると異なった二つのテーマを一本化して講演することがある。
自分の中では同じ範疇のテーマとして折り合っているが、「なぜPRと交渉?」とピンとこない人もいるようだ。
PRというのはPublic Relations(パブリック・リレーションズ)のことで、「広報」と訳される。パブリックというのは不特定多数の一般大衆ではなく、「特定分衆」という意味に近い。共通の利害や関心などに応じて対象を「特定の層や特定のグループ」に絞り込むのがピーアール上手だ。だから、「広報」よりも「狭報」と呼ぶほうが本質をついている。
絞り込んだ各界各層に望ましいイメージを広めて好ましい関係を構築しておく――この点でPRはリスク回避やリスク軽減の基盤をつくるものだ。対照的に、交渉はリスク発生やリスク直面にあたっての処し方にかかわる。
いずれも、企業(または行政)の対社会的組織活動である。ニコニコPRしてコワモテ交渉していたら矛盾する。一度イメージダウンすると交渉で失地回復するのはきわめて難しい。ぼくの中ではPRと交渉は一本の線でつながっている。
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「話し下手だが聞き上手」という日本人を形容する言い回しは、まったくデタラメである。同質性の高い社会で生まれ育った人間は、人の話にあまり真剣に耳を傾けない。質問にもしっかりと答えない。
謝罪のことばもワンパターンだ。不祥事の当事者の謝罪の様子を見て、テレビの視聴者は「こんなことで共感が得られるはずがないのに・・・・・・」と呆れ返る。しかし、当事者側に立ったら「申し訳ありませんでした」以外に選ぶことばはない。「頭が真っ白でした」というのは、新手の苦肉の策だったかもしれない。
商売人としてブランドに安住せず、ブランドを信用の証にする。顧客より上に行かない、かと言って、へりくだり過ぎることもない。つねに人々の暮らしをよく見つめ、人々の意見に耳を傾ける。質問を歓迎し的確に応答する。謙虚さと潔さのバランス。特定顧客におもねることなく、すべての顧客に等距離関係を保つ。こうした取り組みをしていないから、一部の人々から不評が広がる。一部の人々の大半は内部の人々だ。経営者と従業員の関係はパブリック・リレーションズなのである。
「世論を味方につければ、失敗することはない」とはアブラハム・リンカーンのことばだ。常連さんの意見よりも大きな概念――それが世論だ。
一部老舗の商売道では当たり前とされる「一見さんお断り」(ぼくの自宅の近くには「素人さんお断り」というのもある)。近未来ライフスタイルや今後の市場再編を冷静に予見したら、そんな偉そうなことをほざいている場合ではないだろう。
「どちらとも言えない」「わからない」
2008年6月15日 15:53
明日から二日間、行政での「ロジカルシンキング研修」を担当する。研修で使用するテキストの小演習の一つをご紹介しよう(効果的な設問に書き換えるのがこの演習のねらい)。
「あなたはコーヒーをよく飲みますか?」という問いがあり、回答欄が「はい」「いいえ」「どちらとも言えない」の三択になっている。アンケートではよく「どちらとも言えない」とか「わからない」という、第三の選択肢が設けられているのはご存知の通り。これが問題で、極端な話、半分以上の回答者がこのボックスにチェックを入れたら、集計しても参考材料にならないのだ。
麦焼酎「二階堂」は、ぼくが気に入っているコマーシャルだ。「イエスとノー。その間にはなにもないのだろうか?」 この語りを耳にするたびに、「そんなことはない。何でもあるでしょう」と内言語でつぶやくぼくだ。
しかし、こと上記のアンケートに関するかぎり、「はい」と「いいえ」の二者択一にしないと意味がない。もっと言えば、設問も「あなたはコーヒーを一日に3杯以上飲みますか?」と具体的にしたほうがよい。論理思考というのは、現実的には少々ありえなくても、あるいは少々ぎこちなくなっても、「どちらかと言えばイエス」「どちらかと言えばノー」と極論しないと成り立たないことがある。
イエスと答えたら「なぜ?」と、ノーと答えても「なぜ?」と、それぞれ説明を求められる。それが嫌だからイエス・ノーを避ける。「どちらとも言えない」なら説明を免れる。説明の責任から逃げたければ「わからない」がいい。だから、みんな「わからない」で済ませる。
「甲乙つけがたく、五分五分」――実は、この意見こそ、もっとも説明を要するものなのだ。そういう組織風土や社会的風潮をつくらないと、ロジカルシンキングに出番はない。
新しい発想に「異種情報」と「一種情報」
2008年6月 5日 12:15
来る6月20日開催の私塾のテーマは「発想(ひらめき)」。そのテキストの編集中に、先週の『リーダーの仕事術』というセミナー時に出てきたある質問を思い出した。
「どうすればひらめくようになるのか?」――質問者の気持ちを汲んであげれば、「アイデアがどんどん出る人間になりたい」ということだろう。難問だが、実は頻度の高い古典的な質問なのである。
数ある発想技法に共通する模範解答は、「異種情報の組み合わせ」。ぼくも常々そう感じている。そこで、オウム返しのように、「ジャンルの違う情報どうしを組み合わせると新しいアイデアが生まれますよ」という意味の返答をした。
よくよく考えてみると、とても軽くて無責任な解答だった。意味なく異種情報の組み合わせを繰り返しても、ある日突然アイデアマンになれる保障などない。情報を食材にたとえてみれば、牛肉、玉ねぎ、豆腐、しらたきを入手しても、すき焼に辿り着けないかもしれないし、たとえマグロという一つの素材しか手元になくても、新しい料理のアイデアを生み出せることだってある。
今回のテキストにも異種情報融合の話を書いているし、組み合わせの方法をいくつも紹介している。でも、ちょっと不十分と反省し、「一種情報の複数解釈」と抱き合わせで解説することにした。一つの情報にできるだけ多くの複数価値を見出すこと――実は、こっちのほうが、「どうすればひらめくようになるのか?」という初歩的質問に対しては、より適切で有効な手立てなのだ。
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