第1講 マジカルコミュニケーションの01 「プロローグ」

《マジカルコミュニケーション》というテーマで話をします。マジカルだからと言って、別に魔法をかけるわけではありません。このテーマを選んだのは、マジカルとよく似たことばの濫用にうんざりしていたからです。それは「ロジカル」ということばです。 

実を言うと、ぼく自身が「ロジカルコミュニケーション」を指導しているのです。だから少々自己批判になるのだけれど、それを承知の上で言います。ここ数年、「ロジカル何とか」が軽はずみに過熱しているんじゃないか。「ロジカル」と発するだけで何だか賢くなったような錯覚を起こしている人が大勢いる。反省も込めて、ロジカル過剰に対して、思い切り「マジカル」という対極に立ってみようと思うのです。

動機は「マジで軽い」、だからマジカル。というのは冗談ですが、マジカルコミュニケーションのマジカルをとりあえず「魅力的な」ととらえておいてください。話しているうちに、「効果的な」とか「仕掛けのある」とか「手さばきのいい」とかに意味も変わっていくと思います。では、あまりにも使い古された「コミュニケーション」ということばの意味も明らかにしておきましょう。

  コミュニケーションの動詞形であるコミュニケートは英語で"communicate"と綴ります。語源は"communicare"というラテン語ですが、見れば、なるほど先祖だということがわかりますね。今では「伝える」が中心になりましたが、このことばはもともと「共有する」という意味から出発しました。自分のメッセージを相手が共有すること。「伝える」は話し手に比重がありますが、「共有する」は聞き手に比重が置かれています。ボールを投げるとボールがミットに入るの違い。

 ちなみに、このラテン語の元になるのは"communis"という単語で、都市国家や地方自治という意味でした。ここから「共通の」や「分かち合った」などの形容詞が派生したようです。ちょっと退屈な話になったかもしれませんが、ざくっと言えば、あなたがメッセージに込めた意味なり意図なりを他者に共有してもらうこと、他者と分かち合うこと。これがコミュニケーション本来の意味であり機能なのです。

 というわけで、「マジカルコミュニケーション」にびっくり仰天の仕掛けなどありません。それは、ことばの表現にあたって少しでも魅力的で効果的な一工夫を凝らして、あなたの言いたいことを共有してもらう、ということです。この一工夫というところを、ちょっと大袈裟にマジカルと名づけているのです。

基本は話し書くことですが、それだけではコミュニケーションは一方通行になってしまいます。共有化なのですから、話されたり書かれたりしたメッセージをしっかりと聴いて読まなければ、あなたのほうが他者の考えを共有できません。読む・書く・聴く・話すを言語の四技能と言いますが、これらを偏ることなくまんべんにスキルアップしなければ、真の意味でのコミュニケーション力はなかなか結実しません。

 伝えたいイメージやコンセプトを煮詰める。活発にことばを駆使しなければ、イメージもコンセプトも具体化しません。あなたが発することばから、受け手はメッセージ(意味や意図されたこと)を理解しイメージやコンセプトに変換します。こうしてコミュニケーションのサイクルは回るのです。

 送り手と受け手のイメージやコンセプトが一致すれば、すなわち送り手の意味を受け手が共有したら、コミュニケーションは機能したことになります。今となっては古いのですが、ぼくは十数年前によく《CARの三原則》の話をしていました。コミュニケーションをよく機能させるための三つのアビリティ、能力のことです。

 一つ目が"Communicability"(意思疎通力)。受信相手に伝えたいメッセージをよく伝える能力。二つ目が"Accountability"(説明責任力)。自分のメッセージを相手にくどいほどきっちりとわかりやすく描く。三つ目が"Responsibility"(反応責任力)。相手が打てば響いてあげること。頭文字をとって、わかりやすく"CAR"としたのですが、少々コジツケも入っています。

 三つとも能力なのですが、注意してほしいのは、二つ目と三つ目が「責任」だという点です。説明し反応する責任を負わなければ、コミュニケーションが十全に機能することなどありえないのです。ぼくたちは、日々のコミュニケーションにはたして責任を感じているだろうか。

 PCは便利だけれど、メールを送ったら、その直後に相手が読んだり聞いたりしてくれていると錯覚してしまう。場所を教えるのも、ことばではなく、地図のURLを添付しておしまい。携帯もありがたいが、無駄話の一方で説明不足も目立ちます。たとえば、「何々駅で10時頃に。着いたら電話して」でおしまい。携帯のない時代、ぼくたちは公衆電話から待ち合わせ場所を細やかに表現したものです。コミュニケーションに対する情熱がだいぶ違っています。

 コミュニケーションは色褪せて錆びてしまったかのようです。悲観的にならざるをえない。少なくとも、ぼくが社会に出てからの三十数年間で、現在がもっとも危機的状況にあると言っても過言ではありません。 《02に続く》

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