「2011年4月」アーカイブ

 

【十人十色】

人はみな違い、人にはみな固有の価値があるということ。当たり前と言われそうだが、実際にこのことは強く認識されているのか。もし認識されているのなら、「きみ、人間なんてみんな同じなんだ」と説教する者がそこらじゅうにいるのはどういうわけだろう。

十人十色の潜在的な可能性が賦与されているにもかかわらず、ぼくたちはその可能性に開かれた生き方を拒んでしまう。ともすれば、〈十人一色〉や〈金太郎飴的個性〉に安住してしまうのだ。人は生物学的にはみな同じなのだろうが、精神的にはみな違っているのである。

 

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【郷に入りては郷に従え】

 所変われば品も変わる。変わるのは品だけではない。国境を越えれば、価値体系も変わり、ものの見方も変わり、習慣やルールも変わる。ゆえに「郷に入りては郷に従え」なのだ。ところで、「郷」とはいったい何のことだろうか。これは、国境と言うときの「国」という概念なのだろうか。白川郷などの「郷」はかつて行政区画の単位であり、いくつかの村の集合体のことであった。よそ者がどこかの郷に入るとは、そこに「住む」こと。だから風俗や習慣に従わねばならないのは当たり前である。

  英語では "When in Rome, do as the Romans do." と表現する。「ローマに行けば(住めば)、ローマ人のように振舞いなさい」である。しかし、「郷に入りては郷に従わねばならない」という強制条件と考えないほうがいい。せっかくの異郷、ふだんの自分の生き方とは違う絶好の機会として見るべきだろう。すなわち、「郷に入りては郷に従うほうが楽しい」だ。

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 新しい発想には複眼思考が欠かせません。その複眼思考を手っ取り早く習慣形成する方法があります。命題について〈正・反・合)の評価をしてみるのです(正がテーゼ、反がアンチテーゼ、合がジンテーゼ)。マルクス主義と結びついたせいか、今ではすっかり影を潜めています。しかし、思考面では、この、いわゆる《ヘーゲルの弁証法》は発想力の強化には役立つのです。

 諺を命題にしてぼくが遊び心でやってきた《ことわざ解釈学》の実例を紹介します。ぜひ「自分流」も試してほしいものです。

 

【雨降って地固まる】

 「失敗は成功のもと」、「禍転じて福となる」と同じような意味である。現実を見ると、雨が降った直後の地面は固まるどころか、アスファルトだと滑るし、土だとぬかるみになる。この諺の本意に忠実であろうと思えば、「雨が降ってもがっかりしないで、しばらく待てば、お日様が照って地面が固まる」と言わねばならない。

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 今年度岡野塾本講は、北陸講座第1講6月11日(土)、大阪講座第1講6月24日(金)を皮切りに年内11月まで開催を予定しています。すでにご案内の通り、テーマは《知のリファレンス》。獲得した知識と新しい知識を縦横無尽に関連付け参照できる「ひらめき体質」を目指します。

 全6講のエッセンスを集約して岡野塾長がプレセミナーで講演します。題して『これが参照の力だ!!』。すでに本講にご予約いただいた塾生はご招待(無料)。これから本講一括申込みされる方もご招待いたします。もちろん、塾生以外の方々はプレセミナーだけの出席も可能です。知のレベルアップや発想についてはさまざまな切り口や方法がありますが、今回の講演では従来にない、「参照の力」への斬新なアプローチをご紹介します。

 プレセミナーの案内・申込書はこちらからダウンロードできます。

岡野塾のご案内

 

▼ 雑学は専門知識を否定しない

知識は仲間の知識を手招きします。知識はいくらでも同一ジャンルの他の知識と結びつき、雪だるま式に膨れていきます。まさしく「類は友を呼ぶ」のです。

こういうふうにして専門特化が可能になります。専門バカということばがありますが、専門性そのものに汚点などありません。専門性の高い人間、つまりスペシャリストが己の専門分野がすべてと確信することに落とし穴が潜んでいるのです。だから専門バカになってしまう。

▼ 専門バカにならないために

たしかに知識は雪だるまのように膨れていきます。しかし、それはあくまでも足し算にすぎません。知が「掛け算」の効果を発揮するためには、異種間融合が不可欠なのです。その基礎になってくれるのが、ジャンルを問わない、未整理のレアな知識だと思います。

 専門分野に強いということは、裏返せば、そのアンテナに入ってくる情報しかキャッチできないということでもあります。しかし、雑学のアンテナをいつも張っていれば、少々門外の知識であっても受信できるし、だいたいの見当がついてくるものです。専門家が専門バカになるのは、一見して関係なさそうな知識に門戸を閉ざしてしまうからなのです。

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