第3講 日々の発想トレーニングの03 《知の根源「雑学力と雑談力」》
▼ 雑学は専門知識を否定しない
知識は仲間の知識を手招きします。知識はいくらでも同一ジャンルの他の知識と結びつき、雪だるま式に膨れていきます。まさしく「類は友を呼ぶ」のです。
こういうふうにして専門特化が可能になります。専門バカということばがありますが、専門性そのものに汚点などありません。専門性の高い人間、つまりスペシャリストが己の専門分野がすべてと確信することに落とし穴が潜んでいるのです。だから専門バカになってしまう。
▼ 専門バカにならないために
たしかに知識は雪だるまのように膨れていきます。しかし、それはあくまでも足し算にすぎません。知が「掛け算」の効果を発揮するためには、異種間融合が不可欠なのです。その基礎になってくれるのが、ジャンルを問わない、未整理のレアな知識だと思います。
専門分野に強いということは、裏返せば、そのアンテナに入ってくる情報しかキャッチできないということでもあります。しかし、雑学のアンテナをいつも張っていれば、少々門外の知識であっても受信できるし、だいたいの見当がついてくるものです。専門家が専門バカになるのは、一見して関係なさそうな知識に門戸を閉ざしてしまうからなのです。
▼ 雑学は身を助ける
時代は「静」から「動」に変わりました(実は、いつの時代も動なのですが・・・・・・)。「確実」から「不確実」になりました(実は、いつの時代も不確実なのですが・・・・・・)。当然、己の学びもギアチェンジしなければならなくなっています。
Xの分野だけを学んだ人間は、X分野だけで物事を解決しようとします。X分野が専門だが、Y分野にもZ分野にも関心があって、雑学をかじった人間は、YとZの分野を参照して解決策が見い出せるようになります。
では、雑学の心得についての七ヵ条をお伝えしておきましょう。
1 すべての知識、すべての情報がジャンル分けされていると思うのは幻想です。森林伐採が海を濁します。山と海はつながっています。地球は、太平洋、大西洋、インド洋などという分別をしていません。もちろん、アメリカ人もフランス人も中国人も日本人もないのです。すなわち、既成の範疇や分類に囚われないこと。
2 われわれの頭脳は、デスクの引き出しの中のファイルのように、情報を正確に整理していません。きわめてアバウトに一つのボックスに放り込んでいるような状態です。そこには時系列という概念すらないこともあります。だからこそ、ハプニングにも対応でき、その場その場である程度機転もきくのです。今日から数年前にも一気に遡って思い起こしができるのは、実はすごいことなのですね。
3 ぼくの知的雑学の拠り所は「好奇心」であり「愉快」です。岡野塾のすべての講座内容はこの二つを軸にしています。そこにはジャンルはありません。知らないことを知り、それをおもしろく感じる。この視点において、知識や情報は峻別されません。
4 この姿勢を保っていれば、アタマの中に入った知識や情報はどこかのファイルに閉じこもって安穏としていられなくなります。いつ出番があるかわからない。別の知識や情報が入ってきたら、すぐに「愉快劇」に借り出されます。そこで、いつもスタンバイする癖がつくというわけです。
5 百の知識があってもスタンバイしているのが十であれば、十の雑学力になってしまいます。五十の知識であっても、五十すべてがスタンバイしていれば五十の雑学力になります。私より知識がありながら雑学力の小さい人もいれば、私より知識が少なくても私以上の雑学力を誇る人がいるのです。
6 読書は敢えてジャンルを選ぶこともありません。人の話には何でも耳を傾けてみます。知らないと言って、突き放さない。聞いたり読んだりしたことは、ジャンルを問わずメモをとるようにします。実は、脳はこういうことを歓迎していて、そのときに一番力を発揮するのです。
7 「雑学脳」を鍛えるには、脳の「出先機関」や「代理店」をいつも目に見える状態にしておくことです。私は「ノート」を脳そのものの記憶媒体と見ており、それを《脳図(のうと)》と呼んでいます。本に傍線を引いても、それは脳に刻んでいることにほかなりません。すべての行いは脳の「仕業」です。
▼ 雑学力に通じる雑談力
これについても、ぼくなりの七ヵ条を紹介しておきますので、参考にしてください。
1 歌の好きな人は、歌の好きな人となら東京・新大阪間ずっと真面目に熱心に会話ができるでしょう。しかし、これを雑談とは言いません。あるテーマに関する会話です。一見共通の趣味についての話に見えますが、実は、仕事について会議するのとよく似ているのです。
2 どんなに話が弾んでも、そこにおもしろさや愉快がなければ雑談にはなりません。雑談とは、無重力で浮遊したり跳んだりするように、ルールなき話題の展開なのです。役に立たないかもしれないことに数時間を費やし、場のために高級なメシ代を払うという、ぜいたく極まりないものなのです。
3 何について話をする? とたずねた瞬間、もはや雑談ではありません。
4 不細工でもすぐれた雑談力をもつ人間は、雑談のできないイケメンに負けることはありません。愉快な雑談ができないのは人間の魅力にとって致命傷なのです。
5 仕事も趣味も違う相手、特に気が合うわけでもない相手、たまたま巡り合わせた相手。時間と場を凍らせないで、相手の話に聴き入り、自分の話で相手を魅了すること2時間。これができれば相当な雑談力の持ち主と言えるでしょう。
6 ゴルフ好きがゴルフを知らない人間にずっと話を続け、相手もまんざら退屈していなければ、これは雑談力と言えます。つまり、自分の得意とする領域に相手を引っ張り込めるのも、ある種の雑談上手なのです。このとき、相手の聞き上手にも敬意を表すことがたいせつです。
7 雑談には、うまくいけば、読書に依存しなくてもよくなるという効能があります。実際、雑談力のある人間は読書の必要性を強く感じないものです。書き手が権威ある者かもしれないけれど、何ヵ月か何年か前に書かれた内容を一方的に受容するだけの読書行為よりも、雑談行為のほうが数倍すぐれていると思います。「人は人から多くを学ぶ」のです。双方向でリアルタイム、筋書きのない流れの中で、変化する展開を読み、波長を合わせ、機転をきかせる雑談力を鍛えれば、同時に雑学力も身についてきます。 《第3講終わり。次講からは『ことわざ解釈学のすすめ』の予定です》














