第4講 自分流《ことわざ解釈学》のすすめ 01

 

 新しい発想には複眼思考が欠かせません。その複眼思考を手っ取り早く習慣形成する方法があります。命題について〈正・反・合)の評価をしてみるのです(正がテーゼ、反がアンチテーゼ、合がジンテーゼ)。マルクス主義と結びついたせいか、今ではすっかり影を潜めています。しかし、思考面では、この、いわゆる《ヘーゲルの弁証法》は発想力の強化には役立つのです。

 諺を命題にしてぼくが遊び心でやってきた《ことわざ解釈学》の実例を紹介します。ぜひ「自分流」も試してほしいものです。

 

【雨降って地固まる】

 「失敗は成功のもと」、「禍転じて福となる」と同じような意味である。現実を見ると、雨が降った直後の地面は固まるどころか、アスファルトだと滑るし、土だとぬかるみになる。この諺の本意に忠実であろうと思えば、「雨が降ってもがっかりしないで、しばらく待てば、お日様が照って地面が固まる」と言わねばならない。

【案ずるより生むが易(やす)し】

 悩みや問題は下手に考えることから生じる。起こりもしていないことを想像してハラハラ、ドキドキしても始まらないのである(杞憂(きゆうもその一つ)。しかし、この諺を100パーセント真に受けてはいけない。案ずることもできない人間が何事かを生んだり成し遂げたりできないのは明らかなのである。ゆえに、この諺は、思考力のない人間や軽はずみに行動する人間への慰めとして言われることが多い。

 

【ちりも積もれば山となる】

 「千里の道も一歩から」や「点滴石をも穿つ」や「積小為大」なども同類。「こつこつやるのがいい」という教えだけを学ぶのは間違っている。無努力の延長に大成はない、よい結果には小さくても具体的な要因があるという意味をよく吟味すべきだろう。したがって、自信ある人ならば、別に「ちり」や「点滴」や「小」などにこだわることはなく、ドーンと千里や石や大をいきなり目指せばいいのである。

 ところで、興ざめさせるようで悪いが、「ちり」はいくら積んでも「ちり」である。「ちりも積もれば産廃の山」なら正しいかもしれない。同じ積むのなら、ちりではなくもう少しましなものを積むほうが完成する山もまっとうなものになると思われる。

 

【出る杭は打たれる】

 エンジンのない客車的な生き方ではなく、客車を牽引する機関車を目指したいのなら、批判を覚悟せねばならない。列車事故や故障のトラブルがあれば、客車にではなく機関車に文句がつけられる。この諺を「打たれるから、出てはいけないぞ」という忠告だと思っているようでは、あなたの未来は明るくない。これは、出る杭になれと奨励し、打たれることを覚悟せよと言っているのである。意見を言えば批判される可能性はある。だが、何も言わない人間には批判以上の残酷な処遇が待っている。すなわち、存在すら気づかれないという、「生ける屍」扱いだ。

 

【悪銭身につかず】

 簡単にできることは誰もができること。むずかしいことが容易に身につかないのは当たり前なのである。いろんな習い事を即席にやってはきたが未だ何事も身についていない人は、この諺を座右の銘にするのがいいだろう。しかし、一つ言っておこう。社会の実体は、必ずしもこの諺を正しく反映していない。実のところは、悪銭ばかり稼いでよく身につけている輩が案外多いものである。

 

【芸は身を助く】

知識や技術や財力ではなく「芸」。人柄と強く結びつくような、たとえば古代ギリシアでよく言われた〈テクネー〉のようなイメージ。いざというときに発揮される自分らしさ。「彼は芸がうまい」というとき、その芸に「地」が含まれていなければ個性にならないだろう。地と切り離された芸など安物の芸なのである。

 ちなみに、この諺はポジティブに受け止められているようだが、実は、必要悪的な意味のほうが強い。「お前さんは金がたんまりあるときは道楽で詩吟をやっていたが、落ちぶれて失業した今、その詩吟で鍛えた声が客引きの呼び声に役立っている。芸が身を助けているねぇ」―これは褒めているのではなく、皮肉なのである。

《続く》

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