第6講 ロジカルスキル入門 06
論理思考のツール(2)
演繹的推論
推論とは、一つまたは複数の前提から結論を導くことです。「AならばBである。AでありBであるならばCである」という具合。ある前提を認めると、そこから導出されることも確実になり、結論も認めることになります。演繹的推論は実際の事実を踏まえて展開するものではなく、前提の積み重ねによって結論を論理的かつ必然的に導いていくのです。
メロンパンならばパンである(前提1)。彼が食べたのはメロンパンである(前提2)。ゆえに彼はパンを食べた(結論)。
前提のいずれかを認めなければ結論を導くことはできません。しかし、前提の1と2の両方を認めれば、結論は必然です。《パン⊃メロンパン》ですから、メロンパンならパンなのです。しかし、パンを食べたからと言って、メロンパンとはかぎりません。クリームパンかもしれないしトーストかもしれないからです。
論理学は机上の論理を扱いますから、実社会の生活の論理と必ずしもイコールではないことを知っておいてください。たとえば、「シュークリームはパンである」は事実に反していますが、もしこれを認め、「彼女がシュークリームを食べた」ことも認めたら、「彼女はパンを食べた」ことになってしまいます。変な話ですが、推論の構造は間違ってはいないのです。
言及―何について語っているか
ぼくたちが何かを語るとき、その何かのすべてについて語っているわけではありません。たとえば象について一冊の本や講座でテーマにすることは可能ですが、そこで象の何もかもが言い尽くせるはずがないのです。
どの話から象を語るのか。専門家である書き手や話し手の頭の中では象のイメージが明確になっているでしょうが、ことばによる説明は順序制御的にならざるをえません。ページ数や時間が尽きたら、話はそこで終わります。あることについて、すべてを網羅することは不可能なのです。
したがって、「まず象の見た目の特徴から話をします」というようにテーマの部分を限定せざるをえません。そして、この話をしているときは、象の餌や象の棲息環境などについて言及はされていないのです。さらに言えば、象の見た目の特徴にしても、「象は大きい」という全体から入ることもできるし、「象の鼻は長い」という特徴からも入ることができます。
ぼくたちは、この話し手が話さなかったこと、たとえば象が草食動物であることを知っています。しかし、それはぼくたちの知識であって、話し手が言及した事柄ではありません。
「その部屋の水槽には金魚が二匹いた」という証言が偽証だったとしましょう。わかっているのはこのことだけです。このとき、では実際はどうだったのかという真実を突きとめることは容易ではありません。なぜなら、言及されなかったことは、言及されたこと以外のすべてだからです。その部屋ではなくあの部屋だったかもしれないし、水槽ではなく洗面器だったかもしれないし、金魚ではなくメダカだったかもしれない・・・・・・。仮に金魚だったとしても一匹か三匹だったかもしれない・・・・・・。
何が言及されて何が言及されていないかは自明のように思えますが、推論をするときにぼくたちは言及されていないことを勝手に想像して前提にしてしまう傾向があるのです。
ワンランク上の論理学
論理学の勉強はいくらでも深めることができますが、ここでは多くを語りません。ほんの少しだけ中級レベルの話を紹介するにとどめます。
1 同一律 「一つのものはそれ自体に等しい」。現実の世界は、お互いに識別可能な個々の要素から成り立っています。XがXであれば、別のYやZではない。ペンはペンであって、消しゴムでもノートでもないということです。
2 排中律 「存在と非存在との中間の状態はない」。犯人はいるかいないかのいずれかです。昨日机の上で見たような気がするペーパーナイフは、そこにあったかなかったかのどちらかです。A君が東京にいれば、京都にはいません。
3 充足理由律 「あらゆるものには十分な理由がある」。B氏の存在はB氏の両親が原因です。B氏がたまたまこの文章を読んでいるのは、パソコンやWeb岡野塾というブログの存在やぼくの語りなど、さまざまな原因ゆえです。
4 矛盾律 「あるものが同一観点や同一時点において、『~であり、かつ、~でない』を満たせない」。「一昨日私は風邪を引いていた」と「一昨日私は風邪を引いていなかった」は両立しません。しかし、一昨日と昨日という具合に時点を変えれば、このかぎりではありません。
《続く》