第2講 読み切り特別講座
『発想とコミュニケーションに悩む人たちへの処方箋』
まず「見たまま、感じたまま」をことばに変えてみましょう、ちょうど一枚の写真を見せながら説明するように・・・・・・。これ、コミュニケーションの達人になる第一歩なのです。
表現に困ったとき、ありきたりな形容詞に安易に頼らないで、じっと我慢して即物的なことばを使うように努めること。疲れますが、丹念にことばを選ぶ習慣をまずは身につけないと・・・・・・。
「沈黙は金」という教訓は、「口は禍のもとだぞ」と戒めなければならないほどことばに過剰依存する風土でこそ垂れるべきもの。こんなことを奨励していると、日本では誰も喋らなくなってしまいます。日本社会では、まだまだ「寡黙よりも多弁」を教訓にすべきだし、うんと議論しなければならないテーマが一杯あります。
何事にも敏感でありたい。感受性を磨ぎすましたいと誰もが思っています。では、感受性とは何か? それは「気づき」のことです。変化には気づくけど、無変化には気づかないというのはダメ。どんなことにも耳目を属(しょく)すことがたいせつです。だから、変化に気づかないというのは論外。
よく「アタマが固くて困る」とこぼす人がいます。アタマはいろんな要因が重なって固くなるのですが、第一の要因は「偏見、先入観」です。「こうでなくてはいけない」という思い込みがアタマの回路の働きを制限してしまいます。柔軟な発想には「こうしたら、もっとおもしろくなりそうだ」という遊び心が欠かせません。 なぜちょっとしたことに気づけないのか・・・・・・。それは自分勝手に「こうに決まっている」と極めつけて見聞しているからです。つまり偏見や先入観が視野を狭め、その結果、実際は見えたり聞こえたりしている物事に気づかなくなってしまうのです。
「こうに決まっている」と考えるのが原因なのだから、その原因を変えればいい。そう、「何事も決まっていない」という意識訓練をするのです。たとえば、自分が賛成していることに遊び心で反対意見を立てる。ただそれだけで二つのものの見方ができるようになります。
情報を伝えることのむずかしさを日々ほんとうに痛感します。伝えたい思いとその思いを表現するコトバのギャップはつねについてまわります。そして、たいていコトバのほうが不足するものです。
ではどうしたらうまく思いを伝えることができるのか。ヒントは二つです。
第一のヒント。自分が何を言いたいのか、まずはそのことをよく考え強く意識することです。その意識がぴったり当てはまるコトバをまさぐり見つけてくれるようになります。もちろん、百発百中というわけにはいきません。
第二のヒント。自分はほんとうに情熱をもって伝えるに値する意見をもっているのかと自問してみてください。もしあるのなら、それをノートに簡単にメモしてみましょう。メモもできない意見は未成熟なんです。
たとえば、言われるままに漠然と会議に出る。そんな参加姿勢でいるかぎり、意見の強い人に負けてしまいます。ところが、要点メモを携えて出席すると一変するのです。要点メモはあなたの意見をガラス張りにしてくれるはず。
最近はパソコンや電子手帳など便利な道具が巷にあふれています。ただ、発想したりものを考える基本は、依然として「紙と筆記具とアタマ」だと思うのです。この三つがあれば、とりあえずたいていの問題解決案はひねり出せます。そうそう、刑事コロンボの武器もこの三つでした。
見たり聞いたりしたこと、見たり聞いたりして気づいたこと、気づいて考えたこと。こうしたことを丹念にメモしていくと、知らず知らずのうちに、少なくとも一、二年も経たないうちに大きな財産になってくれるでしょう。
人間の能力を高めることに驚くような方法や即効薬などあるはずもなく、結局は平凡なことをコツコツやり遂げるのが一番近道なようです。
情報や物事は自分が「こうだ!」と思っているようにしか見えません。つまり、自分が描いている観念や枠組み内でしか理解できないということです。
だから、「いろんなことに敏感」であろうと思えば、最初はたいへんですが、集中と緊張を高めて既存のものを見つめ直すしかありません。まずは身のまわりから・・・・・・たとえば上司と自分の関係、仕事など・・・・・・。
いろんな角度から柔軟に発想できれば、人生も仕事もどれほど楽しくなるでしょうか。そんな究極の方法があるなら、いくらお金を出してでもいい・・・・・・そう思う人がいるかもしれません。
究極の方法? 実はあるのです、しかもタダです。それは、「もし~.ならば」というシミュレーションの訓練によって可能になります。「上下を反対にしたら」「大きくしたら」「丸くしてみたら」「赤い色を塗ってみたら」「伸ばしてみたら」「場所を変えてみたら」など、自らに無数の問いを投げかけてみるのです。これで柔軟発想ができるし、楽しくなるほどアイデアがどんどん湧き出てきます。
「論理的に考えること」が人間らしくて、そのようにできないことは知性が劣っているからだと信じている人がいます。
論理的に考えるか直感で考えるかは優劣の問題ではありません。何(テーマ)を何のために考えるかによって、どちらがより適切かが決まってくるのです。いや、実際のところ、論理的に考えてうまくいくか、それとも直感で考えてうまくいくかは終わってみなければわからないことが多いのです。
で、論理か直感かで迷ったときは、ひとまず直感を尊ぶべきでしょう。直感で考えたことを論理で修正するのはむずかしくないのですが、一度論理を使って考えてしまうと、直感に戻るのは容易ではありません。
直感で失敗したら、情報を分析したり論理的手順に従って考えればいいのです。ただ、場数をこなして慣れてくれば、論理と直感の使いどころが分かってくるものです。 《完》