第3講 日々の発想トレーニングの01 《思考の格言化》

 自分の考えをコンパクトなメッセージに織り込むことができれば、どんなに気持がすっきりすることでしょう。たとえば「能ある鷹は爪を隠す」という格言があります。ここには、聡明さに加えて、腹黒さや計算高さも暗示されています。対偶的に表現すると、「爪を隠さないなら、能ある鷹ではない」となります。つまり、「能なき鷹は爪を露にする」ということ。昔、この諺をもじって次のような格言をつくってみたことがあります。

 「技求む鷹は爪を磨く。知求む鷹は爪を隠す。芸求む鷹は爪を捨てる」

 最初はパロディやもじりでいいのです。

 「人は理解力不足で結婚し、忍耐力不足で離婚し、記憶力不足で再婚する」は、ぼくのお気に入りの「名言(迷言)」です。この種の三拍子はホップ・ステップ・ジャンプの効果があって、わかりやすくかつ印象に残ります。

 愛憎と言ってもピンとこない。そこで、次のように表現してみます。

 「愛というコインの裏側はいつも憎しみである」

▼ ことばと実体を結んでみる

「私のことを人は病気だ病気だと言うけれど、私は気を病んでなどいない。ただの病体だ」と、将棋の故升田幸三は言いました。「病体」はかなり迫力のある造語ですが、実体を正しくとらえていて言い得て妙です。これにヒントを得た拙作は、「人は病気にかかるのではない。ただ病名を患うのみである」。

▼ 川柳や俳句という手法を取り込む

川柳も状況や現象をコンパクトにとらえる表現手法です。平成13年の秀逸作として印象に残っているのは、「デパートがデパートを売る世紀末」。

百貨店が死語になり、いつの間にかデパートが主役のことばになりました。そごうは生鮮食品、宝飾品、化粧品、婦人服、紳士服、工芸品、家具、スポーツ用品、玩具など、それこそ百貨を売っていましたが、困り果てて「そごう」自体を売りに出した。何でも売るデパートだから、デパートを売っても不思議はありません。

▼ 諺を遊び、自分の世界に引きずりこみ、独自に解釈してみる

イタリア語に"Quando state a Roma, fate come fanno i romani."という諺があります。直訳すると、「ローマにいる時は、ローマ人が行動するようにせよ」。何だか聞いたことがありますね。そう、わが国では、「郷に入っては郷に従え」と訳されています。この諺から次のようなことをあれこれと考えました。

温泉旅館に行って、必死に卓球したり、どこにでもあるゲームコーナーでムキになったり、ラウンジでカラオケに興じる典型的な観光客。悲しいかな、どこに行っても自分を捨て切れない性(さが)があります。温泉に入るときは酔いが回って、サウナと水風呂。これでは近所の銭湯に行くのとなんら変わらない。温泉地では、温泉にゆっくりつかり、ご当地の旬の食事をする。これこそ「郷に入っては郷に従え」の教えではないですか。

ぼくは諺でよく遊んでいます。固定観念から脱するには格好の題材になってくれるからです。簡単に言うと、諺を命題と見立てて、あるときは命題を証明し、別のときにはアンチテーゼを唱えるように批評してみるのです。

意外性発想のトレーニングについて少々紹介しておきましょう。

▼ 「時は金なり」

"Time is money."の和訳という説が有力。「一年、二年と銀行にお金を預けておくと、それがまた金になる」? 過去、そんな時代もあったかもしれないけれど、今となっては「まさか!?」と言わざるをえません。 正しくは、「時間は貴重で有効なものであるから、浪費してはならない」という教えです。

時と金を入れ替えてみると、「金は時なり」。これはどんな意味を含んでいるでしょうか。一考してください。

▼ 「怠けるな、勤勉であれ」

フランス、スペイン、イタリアなどでは特にそうですが、列車が10分や15分、場合によっては半時間遅れても、アナウンスなどしません。日本のように、「この列車はただいま定刻より1分遅れで名古屋を出発しました」とか「本日は列車が5分遅れましたことをお詫び申し上げます」とかいちいち告げないのです。

数年前に、イタリアはフィレンツェの中央駅で痛い目に会いました。準急の列車が来ない。おかしいなあと思って時刻ボードを見たら何十メートルも離れたホームからの出発に変更されていました。出発ホームが急遽変更になっても構内放送はなく、自分で電光時刻板を確認しなければなりません。

ぼくたちは、「ルーズだなあ」と思いますが、彼らは平気です。「自分のことは自分でおやりなさい。自己責任というものがあるんだよ。それに、そんなにあくせくしなくてもいいではないか」と呟いているようです。さて、「怠けるな、勤勉であれ」の反対の、「怠けよ、遊べ」という教訓をあなたは正当化できますか。やってみましょう。

▼ 意外性発想に含まれるアマノジャクの精神

「フランス語は世界で一番美しい言語だよ。映画スターもシャンソン歌手もカッコいいねぇ」と誰かが言えば、黙って頷いているようではいけません。ここは一つ、アマノジャクになってみるところでしょう。「そんなことないだろ。この間、東北に行ったら、東北人はフランス語の発音が上手だと自慢していた。もともとフランス語は正統ラテン語が訛ったローカル語ではないのか」と憎まれ口を叩けば、話も発想もおもしろくなります。 《02に続く》

Web講話