第5講 スピーチとエッセイの技法05
効果的話法の考察(上)
デール・カーネギー(Dale Carnegie)の演説(Public Speaking)に関する指南術はあまりにも有名です。二十代の頃にカーネギーの著作からいろいろ学んだことは、人前で話すときに役立っています。是非の議論の対象にならないほど理に適っていると思います。数々の助言は色褪せてはいません。しかし、弁論や演説の内容もイメージも現在大きく変わっています。助言が指し示したことは今も本質的ですが、半世紀以上も経てば何から何まで型通りに用いることはできません。
できれば、演説論と限定して考えるのではなく、ことばの運用にあたっての心得というとらえ方がよいでしょう(カーネギーの話をヒントにして語りますが、ぼくの意見として聞いてください)。
1 メッセージと表現
「話していることそのものよりも、それをどのように言うかのほうが重要である」とよく言われます。中身(What)よりも表現(How)を強調しています。ぼくはこれには100パーセント賛成はできません。
たしかにどんな立派な内容も伝わらなければ話にならないでしょうし、伝達にはことばの正確さに加えてことばの魅力が必要でしょう。カーネギーはこのことばに付随するものを「フレーバー(香り)」と呼びました。しかし、忘れてならないのは、伝えるべきメッセージがあるから表現が伴うのだということ。表現を先行させてはいけません。
2 対話、双方向コミュニケーション
形式だけに限ると、スピーチは一方通行で行われるように見えます。いや、見えるだけでなく、実際にそのように進められて退屈な時間が過ぎてしまうことがあります。もはや強調するまでもなく、スピーチは対話的であり双方向コミュニケーション的でなければなりません。
聴衆が質問してくるわけではないですが、話し手は聴衆の共感や納得の程度、暗黙のフィードバックを感知しなければなりません。聴衆の頭上の空(くう)ばかり見つめていてはいけないし、誰とも目線を合わさずに壁や床を見ているのはまずい。「やりとり」の基本は目と目を合わせることです。
3 質疑応答のイメージ
スピーチの合間に聴衆の中の誰かが立ち上がり、自分に質問しているところを想像しましょう。そして、それに答えるつもりで話してみましょう。
「なぜこんなことが言えるのか、さぞかし疑問に思うでしょう。しかし、決定的な根拠があるのです。では、お話します」・・・・・・このように暗黙の質疑応答を想定すると、紋切り型のスピーチ表現を打破できます。自然に話し方から温かみと人間味が滲み出すようになります。
4 直裁的、会話調
上記2と3を実践していくと、大仰に弁じることがいかにも不自然だということがわかってきます。場にたとえ何百人が集っていようとも、決して集団に話しかけてはいけないのです。
集団は個人の集まりです。一人ひとりは自分が集団の中の一人の脇役だと思っていません。誰もが自分を主役の聞き手だと考えています。したがって、一人に直裁的に会話するように話せばいいのです。本気に近い話、ホンネに近い表現ができるようになります。スピーチにともなう緊張感もほぐれてきます。
5 個性と即興
話し方と内容に厳しい条件がつかなければ、話は誰にでもできます。他の技術や技能に比べると、話すことに大きな能力差はありません。だからこそ、話しぶりに個性と自分らしいスタイルを生かしてみるべきなのです。
決して他人をマネないこと。決して事前に文章を丸ごと作らないこと。他人をマネして覚えたスピーチを再現するのなら、あらかじめ録音したものを流しておけばよろしい。自分流即興スピーチを目指さないかぎり、個性は生れません。
6 強弱、速度、間(ま)
ふだん会話に集中しているときは無意識にできているのに、スピーチになると途端にできなくなることがあります。《身体行動的なことば》の使い方です。スピーチではことばが形式へと収まろうとします。生の音声としての強さやリアリティを失いがちです。これは日々意識的に訓練しておかねばならないことです。スピーチ原稿の準備などしなくてもいいですが、声に出す練習を欠いてはいけません。
a 重要なことばは強く発音し、そうでないことばは軽く流す。
b 声の高低の調子を変える。
c 早口で話したりゆっくり話したりと、速度に変化をつける。
d 重要な事柄の前後に「間」をあける。