第6講 ロジカルスキル入門 02
ロジカルマインド
ロジックは伝家の宝刀
どんな場合でもロジックの刀を抜いてはいけません。安っぽい竹光みたいになってします。論理の使い手だと勝手に思い込んでしまう人がいますが、たちが悪く人を困らせます。気をつけましょう。論理には出番や適所というものがあるのです。
原理原則を共有している組織・集団において、仕事やプロジェクトに論理を「標準語」として使うのは問題ありません。しかし、原理原則すら共有できていない二者間の交渉・折衝などでは、論理以外の力学が作用します。
会議・対話・討論など、是非・賛否をともなう意思決定場面でも論理は有効です。とはいえ、商品を開発したりアイデアをひねり出したりするのは論理の仕業ではありません。論理が無縁とは言い切れませんが、論理思考の比重は意外にも小さいものです。
重大な欠陥を発見したり内因性分析をしたり将来の戦略を推論したりする際にもロジカルであるほうがいいでしょう。言うまでもなく、居酒屋での雑談や恋愛には論理は不向きです。
無論理的(Non-Logical)ということ
世の中の現象のすべてが因果関係という法則に支配されているとしても、それらを論理的にとらえる必要があるとはかぎりません。論理決着することに全権を任せてはいけないのです。主観や個人の思い、趣味趣向の違い、価値観の違いなどで済ませておくべき現象も多々あります。それらを「無論理的思考(ノンロジカル)」と呼ぶことにします。
「今日は風が強い」と誰かが言うとします。気象予報士でないかぎり、あなたはその誰かに風の強い原因を説明させたりどの程度の強さかを示させたりはしないはずです。「風の強さ」を自分なりに判断すれはいいわけで、真偽や是非の議論にまで立ち入るべきではありません。そんなことをしていると、社会的に孤立します。
同様に、「今日は9月28日です」「頭が痛い」「このワインはうまい」「今日は勉強会の日だ」「彼はダジャレ上手である」「さて、ぼちぼち出掛けようか」「殺人事件が起きた」などは、論理とは無縁の発言です。決着をつける必要などありません。
論理(Logical) vs 非論理(Illogical)の図式
個々に見ると無論理的な現象表現であっても、そこに「前提」と「結論」という構造があり、主観や意見の相違という次元で見過ごせないのなら、そのメッセージは「論理(ロジカル)か非論理(イロジカル)か」という検証のマナイタに乗ることになります。いくつかのパターンをざっと見てみましょう。
1.「風が強い」「だから」「窓を閉めよう」。「だから」で繋がれる前提と結論がスムーズ。これは、話が通るとう意味では論理的です。
2.「風が吹いている」「だから」「桶屋が儲かる」。「だから」で繋がれる前提と結論に飛躍があります。ふつうは解せない気分になりますから、これは非論理的です。
3.「ビタミン剤を飲む」「なぜなら」「疲れ気味だから」。細かいことを言えば、論議対象になりますが、この発言だけを単独で見れば、「なぜなら」で繋がれる結論と論拠(理由)は論理的です。
4.「S君は女好きである」「なぜなら」「男友達がいないから」。首を傾げざるをえません。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。「なぜなら」で繋がれる結論と論拠に曖昧さが残り、非論理的と言わざるをえません。
ここでいう非論理的とは、非常識、論理の飛躍、強引な一般化、結論の蓋然性があいまい、現象の原因が現象よりも概念的、抽象的、総論的であることなどを意味します。