プロローグ
ロジック(論理)についてぼくなりの見解を示すことはできますが、それが明快であり安定していると言える自信はありません。ずいぶん長く「論理的な話し方」だとか「論理的な文章」などの言い方を平気でしてきましたが、さらっと使っているわりには、意味がぼくの中に十分に浸透しているようには思えないのです。考察するたびに「論理とは何か」への答えが少しずつ変化します。
ふつうに考えれば、思考に筋道をつけ、思考力を効果的にしてくれるものが論理なのでしょう。話すこと、書くことは間違いなく論理に関係があります。しかし、論理的(ロジカル)であることが理屈っぽいなどと受け取られることもよくあります。目的や状況次第では、たしかにロジカルであることが無意味であったり場違いであったり屁理屈になったりすることは否定できません。